戴冠式などがあって、私はヌダ・クワシ二世と呼ばれるようになって、賑やかななかにヤム芋祭は終わった。終わったというより、人々はまだ賑やかにやっているのだけれど、王様に導かれ、私は王様と、手に手を取って王宮の方に引き揚げた。これから王様主催の昼食会である。
「ヌダ・クワシ二世というのは、私の伯父の称号でしてね。だから、大使閣下は、いやヌダ・クワシ陛下は、私の伯父さんでありますから、私の前をお歩きください。」
もう80歳を過ぎた王様に、伯父さんと呼ばれ、冗談とも本気ともつかない。
昼食会には、王様と隣り合わせに座った。ヤム芋祭の昼食であるから、ヤム芋料理が出てくる。ヤム芋の練り物(フーフー)、ヤム芋の団子(フトゥ)、ヤム芋の揚げ物、いろいろある。それに、お肉と肉汁を掛けて食べる。
食事の席では、また王様は饒舌になる。
「ヤム芋を食べるのは、ガーナから来たアカン系の部族に共通する食習慣ですよ。つまり、アニ族も、ガーナのアシャンティ族から派生する部族ということです。バウレ族などと同じ由来ですけれど、アニ族とバウレ族とは違う。バウレ族はこの地域に逃げて出てきたのだが、アニ族は攻めて出てきたのである。」
王様の言いたいのは、こういうことである。バウレ族は、ガーナのアシャンティ王国の正統な王室が、内部の権力闘争に敗れて、西側に亡命の旅をして、コートジボワールに定着した。以前にご紹介した、アブラ・ポク女王の物語である。ところが、アニ族は、アシャンティ王国の一部の部族が、当時(18世紀初頭)先進的であった銃を手に入れて、一握りの戦士たちが西側に影響力拡張のために攻め入ったものである。
「西側に住む諸部族と戦って、まあ侵略したのですな。それで、戦利品とともにガーナに戻ろうとしたところが、このアニビレクロの地で金を産することを知った。この町の裏山で、今も金は出ます。それで、この金を開発しようと、この地に留まった。それがアニ族のはじまりです。」
王様の説明に、向かいに座った市長さんが付け加える。
「18世紀頃に、アシャンティ王国を中心に、バウレ族、アニ族はじめとするアカン系部族の拡大がありました。この拡大が完遂していたら、おそらくガーナを中心に西はコートジボワールの中・東部を含む、大きな統一国家になっていたのでしょう。ところが、英仏が植民地国家としてやってきて、それを挫折させた。そして、アカン系部族の領域を無視して、国境の線引きをしてしまった。もしアカン系部族の住む領域だけで国を作っていれば、政治体制は王室、文化も社会風習も共通、言語もアカン系言語で均一、ちゃんとした国民国家が出来ていたのに。」
その国家では、今コートジボワールがかかえるような、国民の統一性の問題など、なかったはずだ。実際に、ここの人々は、すぐ東にあるガーナとの国境の向こうにも、たくさん親戚がいるので、頻繁に行き来をしているという。わずか半世紀ばかり前に決められた国籍よりも、何百年もの歴史がある民族的紐帯の方が、ずっと深く人々の心に根を下ろしている。大統領以下の国家制度より、部族が伝統の中で築き上げてきた社会制度の方が、よほどしっかりと受容され機能している。
王様のお孫さん2人が、挨拶にやってきた。お姉さんは高校生くらい、弟はまだ小学生の歳である。
「やあやあ、君たちはアフリカの未来だね。」
私はお孫さんたちと握手をして、そう言った。そうしたら王様が、大使の言葉を聞いて思い出した小話がひとつある、私がまだ外交官をしていた時代のものだ、と前置きして話し始めた。
「コンゴでの話である。部族社会でやってきたところに、いきなり革命が来て、社会主義国家だということになった。
お父さんお父さん、町でも村でも、「同志、同志」と言い合っているのだけれど、「同志」って何。子供が聞く。
それはね、社会主義だから、誰もが身分を越えて同志なのだ。例えば、この私も、お前にとって父親であるだけでなく、「同志」なのだよ。
しばらくして、お父さんお父さん、町でも村でも、「政府、政府」と言い合っているのだけれど、「政府」って何。子供が聞く。
それはね、政府っていうのは、すべてを管理するところなのだ。例えば、お母さんは家のことを管理しているだろう。お母さんは我が家でいうと、「政府」みたいなものだ。
またしばらくして、お父さんお父さん、町でも村でも、「未来、未来」と言い合っているのだけれど、「未来」って何。子供が聞く。
それはね、未来っていうのは、新しい時代が到来して、将来の夢があるということなのだよ。例えば、お前に小さな弟がいるだろう。お前の弟は、大きくなって社会を築く、コンゴの「未来」なのだ。
その晩いつも通り、子供は弟と一緒に床につく。そうしたら、幼い弟が粗相を始めた。子供は起きあがって叫んだ。
同志、同志、大変だ。すぐに政府に伝えてくれ。コンゴの未来が糞まみれだ。」
「ヌダ・クワシ二世というのは、私の伯父の称号でしてね。だから、大使閣下は、いやヌダ・クワシ陛下は、私の伯父さんでありますから、私の前をお歩きください。」
もう80歳を過ぎた王様に、伯父さんと呼ばれ、冗談とも本気ともつかない。
昼食会には、王様と隣り合わせに座った。ヤム芋祭の昼食であるから、ヤム芋料理が出てくる。ヤム芋の練り物(フーフー)、ヤム芋の団子(フトゥ)、ヤム芋の揚げ物、いろいろある。それに、お肉と肉汁を掛けて食べる。
食事の席では、また王様は饒舌になる。
「ヤム芋を食べるのは、ガーナから来たアカン系の部族に共通する食習慣ですよ。つまり、アニ族も、ガーナのアシャンティ族から派生する部族ということです。バウレ族などと同じ由来ですけれど、アニ族とバウレ族とは違う。バウレ族はこの地域に逃げて出てきたのだが、アニ族は攻めて出てきたのである。」
王様の言いたいのは、こういうことである。バウレ族は、ガーナのアシャンティ王国の正統な王室が、内部の権力闘争に敗れて、西側に亡命の旅をして、コートジボワールに定着した。以前にご紹介した、アブラ・ポク女王の物語である。ところが、アニ族は、アシャンティ王国の一部の部族が、当時(18世紀初頭)先進的であった銃を手に入れて、一握りの戦士たちが西側に影響力拡張のために攻め入ったものである。
「西側に住む諸部族と戦って、まあ侵略したのですな。それで、戦利品とともにガーナに戻ろうとしたところが、このアニビレクロの地で金を産することを知った。この町の裏山で、今も金は出ます。それで、この金を開発しようと、この地に留まった。それがアニ族のはじまりです。」
王様の説明に、向かいに座った市長さんが付け加える。
「18世紀頃に、アシャンティ王国を中心に、バウレ族、アニ族はじめとするアカン系部族の拡大がありました。この拡大が完遂していたら、おそらくガーナを中心に西はコートジボワールの中・東部を含む、大きな統一国家になっていたのでしょう。ところが、英仏が植民地国家としてやってきて、それを挫折させた。そして、アカン系部族の領域を無視して、国境の線引きをしてしまった。もしアカン系部族の住む領域だけで国を作っていれば、政治体制は王室、文化も社会風習も共通、言語もアカン系言語で均一、ちゃんとした国民国家が出来ていたのに。」
その国家では、今コートジボワールがかかえるような、国民の統一性の問題など、なかったはずだ。実際に、ここの人々は、すぐ東にあるガーナとの国境の向こうにも、たくさん親戚がいるので、頻繁に行き来をしているという。わずか半世紀ばかり前に決められた国籍よりも、何百年もの歴史がある民族的紐帯の方が、ずっと深く人々の心に根を下ろしている。大統領以下の国家制度より、部族が伝統の中で築き上げてきた社会制度の方が、よほどしっかりと受容され機能している。
王様のお孫さん2人が、挨拶にやってきた。お姉さんは高校生くらい、弟はまだ小学生の歳である。
「やあやあ、君たちはアフリカの未来だね。」
私はお孫さんたちと握手をして、そう言った。そうしたら王様が、大使の言葉を聞いて思い出した小話がひとつある、私がまだ外交官をしていた時代のものだ、と前置きして話し始めた。
「コンゴでの話である。部族社会でやってきたところに、いきなり革命が来て、社会主義国家だということになった。
お父さんお父さん、町でも村でも、「同志、同志」と言い合っているのだけれど、「同志」って何。子供が聞く。
それはね、社会主義だから、誰もが身分を越えて同志なのだ。例えば、この私も、お前にとって父親であるだけでなく、「同志」なのだよ。
しばらくして、お父さんお父さん、町でも村でも、「政府、政府」と言い合っているのだけれど、「政府」って何。子供が聞く。
それはね、政府っていうのは、すべてを管理するところなのだ。例えば、お母さんは家のことを管理しているだろう。お母さんは我が家でいうと、「政府」みたいなものだ。
またしばらくして、お父さんお父さん、町でも村でも、「未来、未来」と言い合っているのだけれど、「未来」って何。子供が聞く。
それはね、未来っていうのは、新しい時代が到来して、将来の夢があるということなのだよ。例えば、お前に小さな弟がいるだろう。お前の弟は、大きくなって社会を築く、コンゴの「未来」なのだ。
その晩いつも通り、子供は弟と一緒に床につく。そうしたら、幼い弟が粗相を始めた。子供は起きあがって叫んだ。
同志、同志、大変だ。すぐに政府に伝えてくれ。コンゴの未来が糞まみれだ。」
母さんが飛んできて、弟とシーツを川まで運び、ゴシゴシきれいに洗った。シーツは真っ白、未来は朝日で輝いた。