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コートジボワール日誌

在コートジボワール大使・岡村善文・のブログです。
西アフリカの社会や文化を、外交官の生活の中から実況中継します。

戴冠式で王様になる

2009-11-18 | Weblog

ヤム芋祭は、午前から王宮の中庭で始まった。王様はすでに、部族の偉い人たちと一緒に、席に並んで座っている。私は王様たちに挨拶したあと、貴賓席に案内されて、祭りの開始を待った。

準備のための人々が、右に左に忙しく立ち働いているなかに、ご婦人がたの集団が入ってきた。見ると、昨夜踊っていたコミアンたちである。ただし、もう赤白の着物は着ていない。みな真っ白な着物に着替えている。昨夜のコミアンの踊りの後、朝方川べりに行って、禊を済ませてきたのである。清浄を白であらわす。これも日本と同じだ。太鼓が部族の歴史を奏でる中で、コミアンたちも何やら歌を唱和している。

式典は、お清めの儀式から始まった。黒い台座のような捧げ物が、上座に並べられている。そこに男の人が、足を縛られた鶏を、何羽も持ってくる。一羽を取り上げたかと思うと、鶏の首を切った。ほとばしる血を、並べられた台座の上に振りかける。そして、足の紐をほどいて、中庭にぽんと放り投げた。首を切られながら、鶏はばたついて、血をまき散らしながら、二、三回跳ねた。それで終わり。

男の人は、また鶏の首を切って、台座の上に血を振りかけて、中庭に放り投げる。鶏は跳ね回って事切れる。それが三回ばかり繰り返されたあと、一羽の鶏が、跳ねながら王様の前まで飛んで行った。周りの人々が、大歓声を上げる。どうもこうなるのを待っていたようだ。王様の前にはせ参じて跪いた鶏に、人々は新年の吉兆を読んだようである。

そのあと羊も引っ張ってこられて、皆の前で首を切られ、これも血をお清めに使われた。さきほどの鶏もこの羊も、大理石張りの中庭の、そこらじゅうに血をまき散らす。私たち仏教徒の目からは、殺してしまうとは残酷だし、血だらけでかえって穢れてしまっているようにみえる。これは感覚の違いである。アニ族の、このヤム芋祭では、犠牲の血によって、一年のお清めの儀式が行われているのだ。

次に、おばさんたちが、頭の上に水を湛えたお盆を掲げて来る。そして、王様から始めて、刷毛のようなもので、その水を皆に掛ける。これもお清めの儀式だそうだ。私も水を振りかけられ、そしておばさんに頬ずりをされた。参列している人々は、みなお盆の前に出て、争ってその水を被っている。なかなか目にする機会の少ない伝統行事だ。私はヤム芋祭に出席することができて良かった、伝統や風習というのは面白いものだと、呑気に思っていたのである。

「それでは、今から、主賓でご臨席の日本大使に対して、戴冠式を行います。」
司会がそう告げた。おっと突然、どういう話なのだろう、戴冠式を行うなどとは聞いていない。ところが、うぉーと歓声が上がって、私は戸惑ってなどはいられない。仕方がないので、笑顔で手を振る。席から立つように言われ、導かれるままに王様の前に出る。どこかから、銀色の立派な椅子が運ばれて来る。これが私の玉座だというのだ。

私は、背広の上から伝統衣装を着せられた。頭には金色の飾りのついた王冠を被せられた。首からはビーズの首飾りをかけられ、腕輪も付けられた。王様アニニビレⅡ世が立ちあがり、私を祝福した。玉座に誘われ、私は3回座りなおしながら、着席する。私はもう、されるがままである。そして、手を振って皆に挨拶するように言われ、ここまで来たらやるしかない、にこにこと手を振り、伝統衣装と王冠で、全身汗だくになりながら、場内を一周回った。コミアンを始め、みなが大歓声を上げる。

そうしたら、司会者が、マイクに向かって言った。
「今、ヌダ・クワシⅡ世(N'da Kouassi II)陛下が誕生しました。」
誕生する気も全然ないまま、私は称号を貰って、王様にされてしまった。陛下に会いに来たら、陛下と呼ばれるようになってしまった。

 ヤム芋祭の会場(王宮内)

 祭の開始を待つコミアン

 王様もご臨席。
中央の帽子を被った人が、アニニビレ二世。

 「話す太鼓」が先祖代々の物語を打ち鳴らす。

 コミアンたちの入場

 黒い台座の捧げ物が並ぶ

 鶏の血で台座を清める

 首を切られた鶏が跳ねる

 羊も屠られた

 血だらけになった台座

 水をかけるおばさんたち

コミアンの群像

私の戴冠を報じる新聞記事(画像クリックで拡大)


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