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コートジボワール日誌

在コートジボワール大使・岡村善文・のブログです。
西アフリカの社会や文化を、外交官の生活の中から実況中継します。

王様の目と耳

2009-11-17 | Weblog
アニビレクロでは、私たちは市長さんの自宅に泊めてもらった。翌朝、つまりヤム芋祭の当日の朝、朝食を一緒にしながら、市長さんが言う。
「いや、私も昨夜は、コミアンから悪霊を一つ指摘されましてね。これから、貢物をしに行かなければならない。」

コミアンは、一晩中踊りながら、来る一年についての託宣をするだけでなくて、村人一人一人のなかに、悪い呪いがあるというようなお告げをするのだという。村人たちは、それを聞きに集まっている。もし「呪い」や悪霊が自分にも向かっていることが分ると、それは貢物で清めなければならない。お清めのために、コミアンたちに何を貢物として捧げなければならないかも、コミアンたちが踊りながら教えてくれる。

それは、コミアンたちにはいい儲け話ですね、と私は言う。結局は、呪術というのは、無知な庶民を恐れさせて、人々から金品を巻きあげる手段じゃないか。前から村々にはびこる悪徳呪術師の話を聞いていたので、私はそういう感想を持った。

「いや、必ずしもそういうことではないのです。コミアンたちは、王にとって、とても重要な統治手段なのです。」
あれ、王様は昨夜、コミアンたちのことを、分らん連中だと言っていたぞ。
「コミアンたちは、キリスト教とかイスラム教とか、そうした外の宗教には決して染まりません。ひたすらに、伝統的な宗教である、祖先霊や自然の精霊と対話をします。これは王の権威の源泉なのです。」

市長は続ける。
「コミアンたちは、普段は村のあちこちで、他の人々と同じ生活をしています。農業をしたり、商売をしたり。でも、同時に呪術師なのです。だから、人々は夜になると、自分の問題を相談に行く。」
なるほど、各教区で信者の相談役になっている、カトリック教会の神父さんのような存在なのだろうか。

「だから、村の誰がどんな悪いことをしているか、いけない考えを持っているか、そういうことを皆知っています。王は、彼女たちを通じて、自分の臣下たちの世情を知ることが出来ます。」
コミアンたちは、王様の目や耳の役割を果たしているという。

「たとえば、父親をないがしろにしている親不幸の息子がいたとしましょう。コミアンたちはその情報を聞きこんで、物事の是非を判断して、そしてヤム芋祭りの前夜に、その息子はいけないことをしている、親は大切にしなければならない、というふうに、踊りながら人々に教示するわけです。」
そうか、昨夜人々が、コミアンの踊りに熱心だったのは、単に運勢を占ってもらえるからだけではなかった。いわば、村の正邪が裁かれていたのだ。

「悪事を働く人間は、必ずコミアンに見つかり、年に一度ヤム芋祭りの前夜に、必ず人々の前で裁きが下る。祖先の霊が皆を見ている、森の精霊が悪事を暴いている、という建前だし、人々はほんとうにそれを信じています。でも、実際のところは、コミアンこそが部族の規律や道徳秩序の守り手であるという信頼が、人々の心の中にあるのです。そしてこの仕来りがあれば、村に裁判所も牢獄も要らないのです。」

それで、自分の「罪」を償うために、コミアンたちは代償としてなにをしなければならないかを指示する。もし、それに従わなかったら、どうなるのですか。
「そういう場合には、今度はコミアンとは別に、魔法使い(sorcier)が登場します。魔法使いは、コミアンと違って、どこの誰だかわかりません。でも、悪霊をきちんと拭い去っていない人は、どこかに潜んでいる魔法使いに殺される、と信じられています。そして、ちゃんと反省しない、罪の償いをしない人は、ほんとうに殺されたりする。」

とういうことは、およそ捜査、裁判、量刑、執行に至る、およそ司法に関する働きが、コミアンにあるということだ。もちろん、コミアンの判断基準がどれだけ公正かは問題だけれど、人々が彼女らの公正さを信じている限りは、正義の秩序は保たれる。
「コミアンたちが顕現する、部族の道徳や規律の頂点に、王がいるのです。人々は、王の存在を、自分たちの価値観の体現者だと考えています。」

なんとも、伝統的社会の中に、ひとつの合理性のある司法秩序が、ちゃんと機能しているではないか。そして王様というのは、飾りとして存在しているだけではなく、そうした正義の秩序を統括しているのだ。市長さんからこの話を聞いて、アフリカ固有の統治の知恵をまた一つ知り、私は得々と感心したのである。

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