(写真)鹿角市歴史民俗資料館。
かつて花輪市街地には映画館「花輪中央劇場」「花輪劇場」「花輪第一劇場」があり、花輪市街地から2km離れた尾去沢鉱山には福利厚生施設「協和会館」がありました。
1. 鹿角市花輪を訪れる
1.1 鹿角市歴史民俗資料館
鹿角市歴史民俗資料館の建物は鹿角市指定文化財であり、1916年(大正5年)に旧鹿角郡公会堂として竣工した洋風建築です。近隣には小坂鉱山や阿仁鉱山があり、これらの鉱山施設や鉱山町には洋風建築が多く建てられていますが、旧鹿角郡公会堂の設計者もやはり鉱山関係者だったそうです。
1982年(昭和57年)に建物が鹿角市民俗資料室に転用され、2017年(平成29年)11月3日に鹿角市歴史民俗資料館が開館しました。商業町としての花輪の民俗資料などが展示されています。
(写真)鹿角市歴史民俗資料館。
(写真)松風酒造の看板などの展示。
過去に開催された企画展の写真集を見ていたところ、尾去沢鉱山(おさりざわこうざん)にあった福利厚生施設である協和会館の写真を見つけました。尾去沢鉱山は三菱鉱業が経営していた銅山であり、協和会館のファサードの上部には三菱のマークが描かれています。三菱鉱業は各地の鉱山に「協和会館」という名称の福利厚生施設を建てており、それらの多くは映画館名簿にも掲載されています。
尾去沢鉱山は花輪市街地から約2kmの近距離にあった鉱山であり、鉱山施設の近くに鉱山社宅や商店などからなる鉱山町も形成されていましたが、花輪市街地の発展には尾去沢鉱山の影響も大きかったとのことです。
(写真)尾去沢鉱山の協和会館。
(写真)尾去沢鉱山の企画展「鉱山を支えた人々の生活」の写真集。
尾去沢鉱山の跡地には観光施設の「史跡 尾去沢鉱山」があり、観光坑道の散策などを行うことができます。なお、2026年(令和8年)4月1日には一般観光客の入館を不可とし、学校の社会科見学や学会などの見学に特化した完全予約制施設に変更される予定です。
(写真)尾去沢鉱山。(左)トロッコの展示。©Takisaw - CC BY-SA 4.0(右)選鉱場やシックナー。©鹿角市 - CC BY 4,0
花輪市街地には1938年(昭和13年)竣工の銭湯である花の湯がありました。天保7年(1836年)に営業許可を受けた由緒ある銭湯とのことで、2014年(平成26年)12月まで営業していたそうです。北側の銭湯入口部分は水色の板張りで洋風ですが、千鳥破風のある南側の和風建築部分が気になります。
(写真)銭湯の花の湯。
(写真)。
2. 鹿角市花輪の映画館
2.1 花輪第一劇場(1962年1月1日-1973年頃)
所在地 : 秋田県鹿角市花輪字寺の後13(1973年)
開館年 : 1962年1月1日
閉館年 : 1973年頃
跡地は「ローソン鹿角花輪中央店」東20mの民家。
秋田県の映画館について自治体ごとに書かれた文献として、佐藤清一郎『映画街・演劇街 秋田県興行史』(みしま書房、1976年)があります。現在は国立国会図書館デジタルコレクションの個人送信サービスでも閲覧することができます。
1962年(昭和37年)、下堰向に花輪市街地で3館目の映画館として花輪第一劇場が開館しました。すでに日本の映画観客数が急減していた時期であり、映画館の開館時期としては珍しいと言えます。尾去沢鉱山もすでに戦後のピークを過ぎていたと思われ、どのような勝算があって開館したのかが気になります。
『鹿角市史 第5巻』には1962年(昭和37年)1月1日開館とあり、『秋田県興行史』には1968年(昭和43年)頃閉館とありますが、映画館名簿に掲載されているのは1966年(昭和41年)版から1973年(昭和48年)版であり、郷土資料と映画館名簿で大きなずれがあるのも気になります。
大町商店街と国道282号の間には大堰(おおせき)と呼ばれる用水路が流れており、大堰に沿った路地の一部は親不孝通りと呼ばれる飲食店街であり、花輪市街地にある3館はそれぞれ親不孝通りの近くでした。
(写真)花輪市街地を流れる大堰。左奥の民家が花輪第一劇場の跡地。
2.2 花輪劇場(1930年11月20日-1979年頃)
所在地 : 秋田県鹿角市花輪字八正寺18(1979年)
開館年 : 1930年11月20日
閉館年 : 1979年頃
跡地は「はなのわ市場」廃墟。
1913年(大正2年)に芝居小屋の大正座が開場すると、1921年(大正10年)には花輪劇場に改称し、1930年(昭和5年)には阿部重吉によって総檜造2階建に改築されました。映画館名簿には戦後の1947年(昭和22年)から掲載されており、定員600で邦画を上映するの映画館でした。
戦後も経営者は阿部重吉でしたが、1960年代前半には阿部惣一に交代しています。東映のプロデューサーとして仮面ライダーシリーズなどを手掛けた阿部征司 - Wikipediaは阿部重吉の次男であり、実家が映画館だったことで映画業界を志したとのことです。
(写真)1948年の花輪市街地の航空写真における花輪劇場。地図・空中写真閲覧サービス
映画館名簿では1969年(昭和44年)に650だった定員が1970年(昭和45年)には200になっており、『秋田県興行史』には「1969年に改装して椅子席とな」ったとありますが、改築(建て替え)ではなく単なる改装(枡席から椅子席への変更)でしょうか。
花輪劇場は1979年(昭和54年)頃に閉館した後、跡地にはかねだいショッピングセンターが建ちました。2010年(平成22年)8月にはまちづくり会社花の輪によって、かねだいの施設を転用した農産物直売所のはなわの市場が開業しましたが、はなのわ市場もすでに営業を終えて建物は廃墟となっています。
(写真)花輪劇場の跡地にあるはなのわ市場廃墟。
2.3 花輪中央劇場(1954年5月16日-1984年頃)
所在地 : 秋田県鹿角市花輪字堰向25(1984年)
開館年 : 1954年5月16日
閉館年 : 1984年頃
跡地は「感動鹿角パークホテル」駐車場。
1954年(昭和29年)には親不孝通り沿いに花輪中央劇場が開館し、1984年(昭和59年)頃まで営業を続けました。昭和30年代の経営者は大黒儀三郎、晩年の経営者は石木田善蔵であり、石木田善蔵は大町における名士だった方のようです。
(写真)鹿角市に3館が掲載されている『映画館名簿 1973』時事映画通信社、1973年。
花輪中央劇場の閉館後、跡地は感動鹿角パークホテルの駐車場となっています。このホテルは1980年(昭和55年)に開業したシティホテルであり、自己破産後の2021年(令和3年)に経営者が交代して現在の名称となっています。
(写真)花輪中央劇場の跡地にある感動鹿角パークホテル駐車場。左がホテル。
鹿角市花輪にあった映画館について調べたことは「秋田県の映画館 - 消えた映画館の記憶」に掲載しており、その所在地については「消えた映画館の記憶地図(秋田県版)」にマッピングしています。