近頃禅は世界的に脚光をあびています。坐ること自体が、身体の最も安定した姿であります。又、心の乱れを調えて純真無垢の心境に入るのが坐禅ですから、精神の統一に効果があるのです。現に坐禅をしたいと希望する方の動機は、心身の病気を治したいとか、肚をつくりたいとか、根性をつくりたい等という事が多いのであります。
しかし、これらの願いは、表面的な願いであり、その底には人間の根本的な悩みが含まれています。それは、生死の悩みであります。その生死の悩みより抜けないことには真の安心はありません。そのためには自己の本性を自覚することが大切なのであります。その方法として坐禅が最もすぐれた、合理的な方法なのです。効をあせらず、結果をあてにせず、「坐禅それ自体を目的として坐る」ことが大事なのであります。
人間は四威儀といって、歩く姿・立っている姿・坐っている姿・寝ている姿があります。その中で、一番安定している姿が、坐っている姿であります。
達磨大師さまは「外諸縁を止め、内心に喘ぐこと無く、心に牆壁の如くならば、以って道にはいるべし」といわれ、そのような心で坐禅しなければならないと説いておられます。
また、坐とは「外、一切善悪の境界に向かって、信念起こらざるを名づけて坐となし、内、自性を見て動ぜざるを名づけて禅となす」と六祖慧能大師さまは定義されています。つまり坐禅とは、先ず身を調え(調身)、呼吸を調え(調足)、そして心を調える(調心)この三つが根本基本であります。この三つが一つに統一されていないことには、坐禅とはならないのであります。
坐禅は、身体の調整と同時に、精神の安定を計ることであります。
自分の席に着いたら、まず座布団を二つに折って、お尻の下に当てます。そして右の足を左の腿にのせます。
さらに左の足を右の腿の上にのせます。これを「結跏趺坐」といいます。
この方法が無理な方は、右の足を左の腿の上に乗せるだけでもかまいません。これを「半跏趺坐」といいます。
手は、掌を上向けて、右手を足の上におきます。そして、その上に左手をのせ、両手の親指の尖端が軽く触れるように組みます。
上半身はまっすぐにしてアゴを引き、頭が前後左右に傾かないようにします。さらに、身を前後左右に動かし、重心を安定させます。眼は半眼にして1メートル程先を視ます。
次に、肩の力をぬき、背骨をまっすぐに立てます。舌は上顎につけ、両唇と上下の歯を軽く合わせます。
直日(坐禅の時の指導監督者)が柝を二声(△△)鳴らしたら坐る姿勢を調えて下さい。
折一声、引鏧一声(△○)で坐禅に入ります。直日は検単といって警策をもって一巡します。
引鏧三声で(○○○)止静に入ります(堂内への出入りはできません。坐禅三昧に入る)この間警策を回します。
止静をやめ、堂内の出入りができることを抽解といって(引鏧一声、柝二声)(○△△)で身体を楽にします。