人生縛りプレイのすゝめ

ゲームの遊び方の一つに、縛りプレイというものがあります。
ある程度プレイに慣れた人が、ゲームプレイに独自の制約を設定し、それに従うことで新たな楽しみを見出す手段や挑戦を指します。
縛りプレイをしてみると、当然苦戦しますが、続けていると徐々に身に染み付き、苦ではなくなっていくことがわかります。(程度による)

インターネットでは人生がゲームに例えられることがあるとおもいます。
クソゲーだとかキャラデザミスったとか運営に苦情を言っている人も少なくありません。

そして、人生とは意識しないと短調になりがちで、短調なゲームは面白みにかけるでしょう。
じゃあ縛りプレイをして、新しい面白みを見つけてやろうというわけです!

思いつき次第更新します。

注意

大前提として、これは自己満足であり楽しむために行います。
縛りプレイというからには、自分に課し人に強要するものでもありません。
お勧めこそすれど、決して優劣を考えるなど傲慢な態度をとってはいけません。何か優越感を感じることがあっても、それは自分自身のためです。

また、人生と題していますが、永久に続けるものではないと考えた方が気が楽です。楽しみましょう。

もう一つ、この記事には主義主張を扱うものがある上、内容からして軽率に扱っているように見えますが、尊重はしています。

それがわかる人だけ読んでください。

人生における縛りとは

縛りとは制限であり、既存の行動に対して何かしらの追加・変更・禁止を行うことです。
身近なもので言えば、ラジオ体操や早寝早起き、ダイエットなどもこの定義に入ると思っています。
例えばラジオ体操は、新たな行為の追加と考えることができるでしょう。
早寝早起きは変更であり、ダイエットは禁止を課します。
こういった、何かしらの習慣に変化があるものを縛りとして考えます。

実践してみたもの

一人称「僕」

大学1年性くらいの時に行いました。
当時一人称が「俺」だったのですが、キャラに合わないな〜と感じていたため一人称「僕」縛りをしようと思いました。
最初は違和感がすごかったです。「俺」と言ってしまう事も多々ありました。
しかし、1~2ヶ月ほどで完全に染み付き、「俺」と言うことの方が抵抗あるまでに至りました。
温和な性格に合っているため、これはやってよかったです。

一人称は自然と変わることはあっても、フォーマルな環境だったり、何かを演じる時以外で意図的に一人称を変えることは少ないので、なかなか面白い経験だったと思います。

VTuberの方はこういった一人称の切り替えを日常レベルでコントロールしている方もいると思うと凄まじいですね・・・。

ヒーター禁止

大学生の頃、石川県に住んでいましたが、真冬はとても寒かったです。せっかくなので、1年間エアコン含めヒーター禁止縛りをしてみました。
マジで寒かったです。
朝は布団から出られず、机の前でも体に毛布を羽織っていました。
靴下は脱げず、部屋の中でも厚着です。
好きなPCゲームをプレイする際も指が悴んでしまうため、PCの排熱で手を温めていました。(実質ヒーターだったからレギュレーション違反か?)

結果として大して得られたものは無かったです。

春先だんだんあったかくなってくる時、厳しい冬を乗り切った感を勝手に感じていました。
そして翌年ヒーターの存在に感謝しました・・・。
強いていうなら、この話ができることが一番の得られたものです。

ちなみに、夏にクーラー縛りしようかと思ったのですが、PCと体が壊れたら困るのでさすがにやめました。

海外生活

大学院生の頃、交換留学生として1年間アメリカで生活しました。
別に英語力に自信があったわけではなく、辿々しい英語しか喋れなかったのですが、挑戦してみたいと思っていたところ、大学に交換留学制度があり、かなり低額で行けるということを知り、両親と相談し行くことになりました。

1年という短い期間でしたが、めちゃくちゃ濃い経験になりました。
恵まれた環境で何が縛りプレイだという感じですが、渡米後初めて行ったスーパーで、
"Do you need a bag?"
すら聞き取れず、本当に驚きました。
事前に学内で英会話の練習や、単位と関係ない交換留学生専用の事前講義を複数受けていたにも関わらず、「袋入りますか?」すらわからなかった時の心境を想像してみてください。その先の1年には不安しかありませんでした。

ただそんな不安も何処へか、実際のところ3ヶ月で慣れてしまいました。
人間ってすごいなと思うばかりです。
結局、英語力の問題ではなく、緊張やコンテクストに対する経験不足に起因していると後からわかりはしたのですが、それでもあの絶望感は今でも覚えています。

将来他の国でも生活したいと思えるような視野の広がりがあったと思います。
国際的な関わりの重要性や、日本人の視点からみる多人種への漠然とした理解へのアップデートには十分すぎるほどの経験でした。

週末ゴミ拾い

その名の通り、毎週末にゴミ拾いを行います。3ヶ月くらい続けました。
90Lのゴミ袋と長めのゴミ拾い用トングを持って、家の周辺でゴミ拾いをします。
大体1~2時間するとゴミ袋がいっぱいになります。
(自己)満足度がめちゃくちゃ高いです。
通常飲み物のゴミやポイ捨てタバコが多いのですが、たまに衣類や大量の雑誌が落ちていたりして驚きます。
ゴミが溜まりやすい場所などもわかるので、人の行動パターンに触れられる感じがして学びがあります。
激アツスポットはバス停の裏の茂みです。驚くほどゴミが捨ててあります。

思うがままに歩くので、全く知らない道や施設を目にします。
小さな公園で野良猫の写真を撮ったり、近所の人とあいさつしたりと精神衛生にも良かったです。
人の目線を集めますが、悪いことをしているわけではないので気分も良いです。

ちなみに、やめた理由はゴミがほとんどなくなったからです。
しばらくしていないので、また始めてもいいかもしれません。

ラマダーン

ラマダーンとはヒジュラ暦の第9月を差し、イスラム教徒が断食を義務として課されている月のことです。
端的に言えば、1ヶ月間、日の出から日の入りまで一切の飲食が禁止という縛りです。
水も飲んではいけないため、喉が渇きます。
一応事前に調べ、異教徒が行う事も問題なさそうだったので挑戦しました。
詳しいことは別の記事にするかと思いますが、なかなか良い体験でした。

なかなか大変な試みでしたが、学びが非常に多かったです。
始める前は不安でしたが、いざ開始すると想像していたより辛くなかったうえ、楽しいと思えることさえありました。
宗教だけでなく文化背景や、イスラム教徒が異教の国で生活する上での悩みの一端に触れられたように思えます。
また、イスラム教徒と話す時の定番ネタとして話せるようになりました。イスラム教徒4人くらいに話してみましたが、今のところ全員から驚かれ、喜ばれてます。

会社でランチに誘われた時なども、参加するが何も飲食せずということをしていたため、すごい変なやつだと思われています。

実践したら面白そうなもの

ベジタリアン と ペスカタリアン

ベジタリアンとは菜食主義のことで、肉や魚類を含むものを食べないものです。みんな知ってますよね。ヴィーガンは卵や乳製品も食べないのですが、それよりは緩いです。
ベジタリアンは宗教や倫理、環境問題など多くの理由によって行われていることは有名です。
理解はできますが、では実際にどんな生活をしているのか、どんな知見をもっているのかは詳しくは知りません。経験しないとわからない事も多いと思います。
なので、1〜2ヶ月くらいを目安に経験してみてもいいかもしれないと思っています。

また、ペスカタリアンとは肉類のみを禁止として、魚類は食べても良いというものです。こっちは結構楽だと思います。寿司が食べられる。

ラマダーンでは、どんな食事が塩分を含んでいるかや、腹持ちの良さ、たくさん食べても飽きないものなどを、普段の生活より積極的に探しました。
なので、ベジタリアン -> ペスカタリアン -> 食事制限なしという順番に思考パターンがどうなるのかを経験するのは、結構面白いのではないかと思っています。

ミートフリーマンデー

これも食に関係あります。
ミートフリーマンデーというのは、月曜日だけ食肉を止めよう。という試みです。
かなり長期スパンの縛りになることが予測されるのですが、食生活に影響を及ぼし、面白い変化が見られる可能性がありそうです。
ベジタリアンとするかペスカタリアンとするかでも変わるかと思います。

スマートフォン禁止

その名の通りスマートフォンの使用を禁止です。
スマートフォンに割いている時間がかなり多いため、その時間を別のものに割く場合どんな生活が待っているのか想像し難いです。
娯楽だけでなく、地図やスケジュール、メモ、その他スマートフォンで解決していた機能を補完しなければならなくなるため、新たに気を使うことが増えるかもしれません。
スマートフォンを持っていない時代、どんな生活をしていたのかを思い出せたら楽しいかと思います。

PC禁止

ほとんど上に同じですが、こちらは仕事中は触らないといけないため、娯楽との誘惑に勝たなければなりません。
色々と弊害が出ることは想像できますし、実行するのはかなり難しいですが、とりあえず1ヶ月という単位でやってみてもいいかもしれません。
どれだけコピューターが人間にとって欠かせないものとなっているか理解できる良い機会になると思います。

デイリー詩

毎日詩を一本書かなければならない縛りです。
あらゆるものの見方が変わったり、環境の変化に敏感になれる可能性を秘めています。
日記と違い文構成を考える必要があるなど、創作活動としての一面も強いため、学べることが多いと思います。

まとめ

縛りプレイは、新たな楽しみや体験を見つけ出す手段です。
自ら経験の幅を増やし、自分に合えば習慣化してしまいましょう。
こんな記事が書けるのも人生縛りプレイの賜物です。

「見込みあればこれを試みざるべからず。
 未だ試みずして先ずその成否を疑う者は、
 これを勇者というべからず」

『学問のすゝめ』


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