196.第6章「平成の東映」
第8節 東映アニメの国際展開 前編
○ 2010年代以降、東映アニメーション国内・海外売上高の推移
インターネット配信の発達による世界的な日本アニメ人気の波に乗り、東映アニメーションの売上高は、2021年度から加速度的に上昇を続け、2024年度には1,000億円を上回ります。
その中でも海外事業の売上は600億円にのぼりました。
2014年度に全体売上の2割を越えた海外売上は、ここから一気にシェアを拡大して行きます。
2019年度までは、国内売上が海外売上を越えていましたが、2020年度に海外売上が国内売上を上回り、それ以降海外の伸び率が国内の伸び率を越えて拡大して行きました。
○ 2010年代以降、海外事業地域別売上高の変遷
2011年度30億程度だった海外売上高は、5年間で4倍に膨れ上がります。特にアジア地域での売上が顕著に拡大しました。
続く5年間では、引き続きアジア地域での拡大が続くとともに、北米での伸びが顕著に現れます。
ここ5年間で倍増した海外売上のうち、地域別では欧米地域での売上が拡大し、大きなシェアを占めるようになりました。
海外事業は利益率も高く、東映アニメーション及び東映グループの経営に大きく貢献しています。
1951年に東映動画としてスタートして以来、2000年代に入り東映アニメーションは海外事業を拡大し、東映グループを牽引する会社に成長しました。
今節では、東映アニメの国際展開の歴史を振り返ります。
1. 東映外国部海外出張所時代
① 長編アニメ映画の輸出
1958年、東映動画は日本初の総天然色長編映画『白蛇伝』(薮下泰司監督)を製作公開しました。
この映画は東映外国部を通じ『白蛇伝(The White Snake Enchantress)』として東南アジア全域、台湾、ヨーロッパ、アメリカ、中南米などの市場に売り出されます。
翌年には、7月に開催された第11回ヴェネツィア国際児童映画祭で特別賞を獲得しました。
第2作『少年猿飛佐助』(薮下泰司・大工原章監督)は、1960年の第12回ヴェネツィア国際児童映画祭にて最高賞であるサンマルコ獅子賞を受賞。
その年、『MAGIC BOY』としてM.G.M.(メトロ・ゴールデン・メイヤー)社と10万ドルにて全世界での配給契約を結び、1961年6月から公開されます。
続く第3作『西遊記』(薮下泰司・手塚治虫・白川大作監督)も第13回ヴェネツィア国際児童映画祭特別賞を獲得しました。
また、アメリカン・インターナショナル・ピクチャーズ社と前作と同じ10万ドルで世界配給契約が成立。『ALAKAZAN THE GREAT』というタイトル1961年7月に公開されます。
一月後の8月には『白蛇伝』がGlobal Picturesの配給にて『PANDA AND THE MAGIC SERPENT』というタイトルでアメリカ公開されました。
1961年公開の『安寿と厨子王丸(THE LITTLEST WARRIOR)』(薮下泰司・芹川有吾監督)はイタリアのリミニ国際映画祭の監督賞、1962年公開の『アラビアンナイト・シンドバッドの冒険(ARABIAN NIGHTS: SINBAD THE SAILOR)』(薮下泰司・黒田昌郎監督)は、リミニ国際映画祭のグランプリであるジギスムント金賞を受賞します。
1963年公開の『わんぱく王子の大蛇退治』(芹川有吾監督)は第15回ヴェネツィア国際児童映画祭の青銅賞を獲得しました。
この作品は、コロンビアピクチャーズの配給にて『THE LITTLE PRINCE AND THE EIGHT-HEADED DRAGON』として1964年1月からアメリカで公開されます。
1965年公開の『ガリバーの宇宙旅行』は、『Gulliver's Travels Beyond the Moon』として1966年7月23日からアメリカで上映されました。
アメリカで公開された東映動画制作長編アニメの次作品は、1971年にユナイテッド・アーティスツが配給した『THE WORLD OF HANS CHRISTIAN ANDERSEN(アンデルセン物語)』(矢吹公郎監督)となります。
1972年には、『どうぶつ宝島(Animal Treasure Island)』(池田宏監督)がDiscotek Mediaによって公開されました。
② テレビアニメの輸出と合作
1960年8月、東映はニューヨークに駐在所を設置し、アメリカの企業に映画の販売を開始します。
1963年11月、東映動画のテレビアニメ第1作『狼少年ケン』が、NETテレビ(現テレビ朝日)で始まりました。
第1作のテレビアニメを世界で売ることは、東映グループにとって、アニメーション事業の将来展開を左右する賭けでもあり、そして外国部への至上命題でした。
1963年10月にニューヨーク出張所に赴任した福中脩は、当時全米トップのテレビ制作会社であったMCA(ユニバーサル映画の親会社)に『Ken The Wolf Boy』を販売します。続いて『風のフジ丸』も営業しました。
1966年4月4日、大川博はアメリカのヴィディオ・クラフト・インターナショナル社とともにカラーアニメ『キングコング(The King Kong Show)』、『007/1親指トム(Tom of T.H.U.M.B)』の共同制作を発表します。
東映動画創設時から海外進出を模索してきた大川博は、この作品で初めてアメリカの制作会社ヴィディオ・クラフト・インターナショナル社(ランキン・バス・プロダクション)との合作に至りました。
アメリカでは1966年9月6日から1967年5月4日までABCの「サタデーモーニングシリーズ」枠にて『THE KING KONG SHOW』として放映されます。
日本では1967年4月5日から10月4日までNET系水曜夜19時半に、『キングコング』2話の間に『親ゆびトム』が1話入る形の30分番組で、26回にわたって放送されました。
その後、ヴィディオ・クラフト・インターナショナル社(ランキン・バス・プロダクション)と、1968年11月にNBCで放映されたテレビスペシャル『メイフラワー号のねずみ(The Mouse on the Mayflower)』、1969年にABCの土曜日朝に放映された『The Smokey Bear Show』(17話)を合作します。
1971年8月、アニメ事業を推進し海外輸出を進めて来た大川博が逝去。岡田茂が、東映代表取締役社長に就任しました。
この年、高畑勲、宮崎駿、小田部洋一他多くのスタッフが退社します。
東映動画で海外との合作を進めて来た原徹が1972年に独立し、海外合作アニメ作品の制作も請け負うプロダクション「トップクラフト」を設立したこともあり、1980年代まで東映動画の海外合作は行われませんでした。
③ 今田智憲東映動画社長就任海外事業促進
1974年8月、岡田茂の盟友今田智憲が東映動画代表取締役社長に就任します。
1956年の東映動画発足に尽力した今田は、東映を一時離れますが、1973年に岡田の誘いを受け東映商事(現東映エージエンシ-)社長としてグループに復帰していました。
今田は、東映動画の経営を再建するするために版権営業を強化し、1975年にはこれまで東映外国部(1972年国際部に名称変更)が進めて来たアニメ作品の海外営業を東映動画が直接行う体制を作ります。
東映動画は海外に拠点がなかったため、東映国際部の駐在員が営業をサポートし、まずはアジアやヨーロッパで『魔法使いサリー』『ひみつのアッコちゃん』などの女の子向けテレビアニメ作品を販売しました。
次回はその後東映動画の進めた海外展開をご紹介いたします。
トップ写真:1966年4月4日「東映・ヴィディオクラフトインターナショナル合作漫画『キングコング』製作発表会」東映大川博社長(左)、ヴィディオクラフト社アーサー・ランキング社長(右)


コメント