Ainu-sinhéusifu
Tíri Jukive xenjaku
Zyo
Sưnư mukasi kưnư xirừi Xokkáidau fa, vatakusìtati1 nư sénzo nư zihìu nư ténti de ari-màsita. Tensin ranman na tígo nư jág ni, utukusìi daisízen ni xaujog2 sarete nưmbìri tư tanòsiku segkwatu site vita kárera fa, sín ni sizen nư tyógzi, nàn’ tư ifu kagxuku na xitừtati3 de àtta desèu.
Xuju-nư oka4 nì fa rímja ho ưfofü mijuki5 ho kwètte, ténti ho kưforasu kánki ho mưnừ tư mư sèzu6 jamà mata jamà ho xumikòete kumà ho kàri, natu-nư ùmi ni fa ryagxug ưjừgu mìdưrí nư namì, siròi kamome nư utá ho tứmư ni kứnưxa nư jág na kobune ho ukabaete xinemưsu sakana ho từri7, xanà saku xàrú fa jafàraká na xi nư xikarì ho abuite, tứfa ni safedùru kotưri tư tưmư ni utafi-kuràsite xuki từri jưmưgui tumi, mómidi8 nư àkí fa nóvaki ni xò sưrừfü susuki ho vàkaete, jưfi màde sáke từru kagari mư kie, tanimà ni tứmư jobu sika nư ne ho jưsứ9 ni, màdoká na tukuì ni jumaè ho musubu. Áa nàn’ tư ifu tanosìi segkwatu desèu. Xegva nư kyág, sưre mư ìma fa mukasi, jumaè fa jabùrete ìku zìfunen, kưnư tì fa kifusoku na xenten ho nàsi, sánja fa murá ni, murá fa matí ni tư sidai sidai ni xiràkaete juku.
Táiko nàgara nư sizen nư súgata mư itunưma nì ka kàgaé usùrete, nòbé ni jamabe ni kíki tư site kurasite vita ừfoku nư támi nư jukufe mư mata idukư. Vàduká ni nưkừru vatakusìtati dogzoku fa, susumi-jùku jừ10 nư samà ni tàda ưdưrưki nư maè ho mixaru bàkarí. Sikàmư sưnư maè kara fa ítkyo itìdog syugkeuteki kámnem ni síxai sarete vita mukasi nư xitư-nư utukusìi támasifi nư kagajaki fa usinafarete, xuhan ni mìti xuxeg ni moe, nibùri kuramde jukute11 mư mivakazu, jưsứ nư ưzíxi12 ni sugaranéba narànu, asamasìi súgata, óo xorưbui-jùku mưnừ…… sưre fa ìma nư vatakusìtati nư na, nàn’ tư ifu kanasii namafe ho vatakusìtati fa mừtte virú nư desèu.
Sưnư mukasi, kagxuku na vatakusìtati nư sénzo fa, zibun nư kưnư kyagdo ga suve ni kau sita mìzimae na arisama ni kafaráu nàdư tư fa, tùjú xodó mư sagzag si-aènakatta nư de ari-masèu.
Tưkì fa tàezu nagarèru, jừ fa kagiri-nàku sinten site juku. Xagesìi kyagsag-dyágri ni xaizan nư síu ho sarasite viru ìma nư vatakusìtati nư nàka kara mư, ìtuka fa, xutarí samnín de mư tujòi mưnừ ga dète kìtara, susumi-jùku jừ tư xó ho narabaeru xí mư, jagate fa ki-masèu. Sưre fa xontag ni vatakusìtati nư sétu n’àru nưzưmi, akaèkure inừtte viru kưtừ de gozaimàsu.
Kèredư…… aisùru vatakusìtati nư sénzo ga ưkuixusu13 xigưrư tagafi ni í ho tugzuru tamaé ni mưtivita ừfoku nư géngo, ifixurùsi14, nưkừsi tutafaeta ừfoku nư utukusìi kưtưbà, sưrèra nư mưnừ mư muinna xakanàku15, xorưbui-jùku jòfaki16 mưnừ tư tưmư ni kiehùsete simafú nư desèu ka. Óo sưre fa amarì ni itamasìi nagưri-hosìi kưtừ de gozaimàsu.
Áinu ni umare Ainugo nư nàka ni ưfuitattta vatakusi fa, àmaé nư jưfi, juki-nư jòru, itomà17 àru gứtư ni utitudotte vatakusìtati nư sénzo ga katari kyogzita irưhirư na mưnưgàtarí nư nàka góku tìfisa na xanasi-nư xitừtu xutatú ho tutanài xude ni kakiturane-màsita.
Vatakusìtati ho sitte kudasàru ừfoku nư katá ni jừmde itadaku kưtừ ga deki-màsu n’àraba, vatakusi fa, vatakusìtati nư dogzoku sósen tư tưmư ni xontag ni mugen nư jưrưkưbi18, muzyag nư kagxuku ni zonzi-màsu.
Taisyag19 Zifuhitìnen Sàmgwàtu Tuitatì20
Tíri Jukive
参考文献
※アイヌ語全般に関する文献等は📚知里幸惠ノートに纏めた。
- アイヌ神謡集 🦉00 {日}
- 知里 幸惠. アイヌ神謡集. 第35刷, 岩波書店, 2004. 青空文庫, https://www.aozora.gr.jp/cards/001529/card44909.html. 土屋 隆 (入力), 鈴木 厚司 (校正). 2008.
- 知里 幸惠. アイヌ神謡集. 中川 裕 (補訂). 第 2刷, 岩波書店, 2023.
- 知里 幸惠 (著訳). 注解 アイヌ神謡集. 北道 邦彦 (編注). 北海道出版企画センター, 2003.
- 知里 幸惠 (著訳).『アイヌ神謡集』を読む. 北道 邦彦 (注解). 北海道出版企画センター, 2017.
- 片山 龍峯.「アイヌ神謡集」を読みとく (改訂版). 草風館, 片山言語文化研究所, 2003.
- 片山 龍峯 (復元), 中本 ムツ子 (うた), 墨谷 真澄 (序の朗読), 他. 「アイヌ神謡集」をうたう (CD). 草風館, 片山言語文化研究所, 2003.
- 切替 英雄 (編著). アイヌ神謡集辞典 テキスト・文法解説付き. 大学書林, 2003.
- 国立アイヌ民族博物館アイヌ語アーカイブ. 国立アイヌ民族博物館, 公益財団法人 アイヌ民族文化財団.
注
※下記の注は渡邉によるものである。
- 墨谷真澄の朗読は「わたくし」、『注解 アイヌ神謡集』は「わたし」と読んでいるが、この文章の格調の高さと渡邉の好み💯から「わたくし」としてみた。中川裕の補訂版ではルビ無し。他の参考文献にはそもそもルビが全く無い。
↩︎ - 中古音の豪韻に対応する日本漢字音は、一般的に聲母が唇音なら ou、唇音以外なら au となる為、この「抱」にも xou が期待される。しかし実際には、これら開合が音韻的にも対立していた室町時代以前から xau に対応する記述が目立つ。肴韻の「包」からの類推だろうか。
ちなみに、日本漢字音での「開音/合音」は、中古音での「開口/合口」とも、現代中国語での「四呼」に属する「開口呼/合口呼」とも異なるものである。
↩︎ - 今回参考にした文献等に於いて、他が皆「人だち」とする中で唯一中川裕の補訂版は「人たち」としている。これは📚知里幸惠ノートに於ける “kamuikar (nitatorunbe) Haritkunna” (🪶1e [📖36–38]) の和訳に「人たち」と書かれていることが根拠とのことであるが、実際には「人たち」という記述はそれだけではなく、ノートでは計14回使われている。一方で「人だち」という記述はノートには一つも無い。
↩︎ - 墨谷真澄の朗読と中川裕の補訂版は「おか」、『注解 アイヌ神謡集』は「りく」と読んでいるが、「夏の海」と対比させるなら何と無く同じく訓読みの「おか」の方が良いと考えてみた。
↩︎ - 墨谷真澄の朗読と中川裕の補訂版は「みゆき」、『注解 アイヌ神謡集』は「しんせつ」と読んでいるが、意味などに大差は無さそうな為、渡邉の好みから「みゆき」としてみた。
↩︎ - サ行変格活用動詞は「す」は「着る」などと同じく第一類に属する筈だが、東京式では何故か「せず」は「見ず」などの第二類と同じアクセントになる。
↩︎ - 墨谷真澄の朗読は「すなどり」、中川裕の補訂版は「とり」、『注解 アイヌ神謡集』は「いさり」と読んでいるが、📚知里幸惠ノートの 3p-iv [📖99] には「漁る」と書こうとしてから「とる」と書いたかの様な跡がある。また、直前に「魚を」とある為、「すなどり」や「いさり」では重言となってしまう様な気もする。
ちなみに、動詞「とる」のトには甲乙両方の万葉仮名が見られるが、オックスフォード・NINJAL上代語コーパスを見るに乙類仮名が甲類仮名の 2倍程度使われている。
cf. 鮭とる, 蕗とり; あさる, いざる
↩︎ - 墨谷真澄の朗読は「もみじ」、『注解 アイヌ神謡集』は「こうよう」と読んでいるが、意味などに大差は無さそうな為、渡邉の好みから「もみじ」としてみた。中川裕の補訂版ではルビ無し。
↩︎ - 墨谷真澄の朗読は「そと」、『注解 アイヌ神謡集』は「よそ」と読んでいるが、「そとに」には「放っておいて」の様な用法が確認できなかった為、「よそ」とみなした。しかし、後に平仮名で書かれた「よそ」が現れる為、悩ましい。中川裕の補訂版ではルビ無し。
↩︎ - 「世」のアクセントは平安時代から江戸時代までの中央方言 (上方語) で第一類 [高高] だった様だが、これが順当に変化すると東京式では頭高型 (1) ではなく平板型 (0) になってしまう。現代の京阪式では何故かかつて第三類 [低低] だったかの様に低起式平板型 (L0) が支配的な様なので、それに基づいて綴った。しかし鹿児島アクセントでのA類とは合わない。東京式とは鹿児島アクセントよりも京阪式の方が近縁とは思われるが、悩ましい。
↩︎ - 今回参考にした文献等に於いて『注解 アイヌ神謡集』のみ「行手」ではなく「行方」に「ゆくえ」というルビが振ってあるが、📚知里幸惠ノートでは「行手」が 4回使われているのに対し、「行方」は全く使われていない。
↩︎ - 墨谷真澄の朗読は「おじひ」、『注解 アイヌ神謡集』は「ごじひ」と読んでいるが、意味などに大差は無さそうな為、渡邉の好みから「おじひ」としてみた。中川裕氏の補訂版ではルビ無し。ただし、漢語である「慈悲」には音読みの「ご」を付けるべきという考え方もある。
↩︎ - 墨谷真澄の朗読と中川裕の補訂版は「おきふす」、『注解 アイヌ神謡集』は「きふくす」と読んでいるが、ここは連体形でないと非文になってしまうと思われる為、「おきふす」とした。
cf. 愛す
↩︎ - 墨谷真澄の朗読と『注解 アイヌ神謡集』は「いいふるし」、中川裕氏の補訂版は「いいならわし」と読んでいるが、後者の読み方での用例が辞典等に確認できなかった為、「いいふるし」とみなした。
↩︎ - 墨谷真澄の朗読は「かかんなく」、中川裕の補訂版は「あえなく」、『注解 アイヌ神謡集』は「はかなく」と読んでいるが、前二者の例が辞典等に確認できなかった為、「はかなく」とみなした。
↩︎ - 擬古的なアクセントであって、実際の古典アクセントから期待されるものではないと思われる。同じく活用語尾のカ行子音を維持する「弱く」など、第二類の 3拍形容詞連用形が頭高型になることからの類推だろうか。
↩︎ - 墨谷真澄の朗読と『注解 アイヌ神謡集』は「ひま」と読んでいるが、「私」を「わたくし」と読んで来たことと格調の高さを揃えるべく、より文章語らしい「いとま」とみなした。中川裕の補訂版ではルビ無し。元々は「ひま」が空間的、「いとま」が時間的だったらしい。
↩︎ - 上代では上二段活用だった為、ビ乙とみなして jưrưkưbui と綴ることも出来るが、現代の活用型に合わせてビ甲とみなした。
↩︎ - 『易経』の「大亨以正、天之道也。」から。
↩︎ - 「月立つ」という言葉を仮に一つの動詞と見て、その転成名詞 tukuitatì にカ行子音の脱落によるイ音便が起きたものとして綴った。ただし、ア行にはイ段乙が存在しない為、単に k を脱落させて tuuitatì としてしまうと、この変化と同時に「k, g; x, f, p, b; m の直後でない ui も i と同じ音価になる」という規則が新たに必要になり、Segsyoxafu の原則に違反する。
↩︎
更新: 2025-08-03