歴史歪める狙いは「自分たちが上」を維持したいから。なぜミソジニー、排外主義と「歴史修正主義」は親和性が高いのか

「自虐史観」からの脱却を掲げた参政党の参院選での躍進、沖縄戦「ひめゆりの塔」の展示説明に対する自民党議員の「歴史の書き換え」発言。日本の戦争加害の歴史を否定する「歴史修正主義」は、何を目的にしているのか?【戦後80年企画「加害の歴史否定と差別に抗う」】
倉橋耕平さん
倉橋耕平さん
Machi Kunizaki

沖縄戦の慰霊碑「ひめゆりの塔」の展示説明を「歴史の書き換え」とした自民党の西田昌司・参院議員の発言、「自虐史観からの脱却」を掲げる参政党の躍進。

戦後80年の今年、日本の植民地支配の責任や、戦争加害の歴史を否定する言説が政治の場で次々に飛び出している。だが、歴史を歪める動きは今に始まったことではない。

メディア文化論を専門とし、著書に「歴史修正主義とサブカルチャー」などがある社会学者の倉橋耕平さん(創価大学准教授)は、「日本の歴史修正主義(※)は1990年代に台頭し、その言説の形は当時から現在までほとんど変わっていない」と指摘する。

歴史を否定する目的は何か。世界と日本の歴史修正主義にみられる共通点とは。なぜ私たちは、戦争加害の歴史を知る必要があるのか。倉橋さんに聞いた。

※「歴史修正主義」とは、恣意的な観点から歴史を修正しようとする立場のこと。慣例的に「歴史修正主義」と呼ばれてきたが、実態としては歴史否定論や歴史否認論を指す。

【倉橋耕平】1982年生まれ。専門は社会学、メディア文化論、ジェンダー論。単著に「歴史修正主義とサブカルチャー 90年代保守言説のメディア文化」(青弓社)、共著に「歪む社会 歴史修正主義の台頭と虚妄の愛国に抗う」(論創社)、「教養としての歴史問題」(東洋経済新報社)など多数。

戦争の被害者を沈黙させる意図

━日本の歴史修正主義には、どのような特徴がありますか。

一番の特徴は、必ず「植民地支配の責任の否定」や「戦争加害の否定」と結びつくことにあります。「アジアの国を植民地支配した日本は悪くない」「日本に戦争責任はない」といった、主張したいことがまず先にあり、その主張を正当化するために過去の歴史を否定したり、歪曲したりします。

歴史修正主義者は、歴史の議論をしたいわけではありません。先に「答え」があり、そこに向かって都合の良い情報だけを集めていきます。

━日本では、なぜ1990年代に歴史修正主義が台頭してきたのでしょうか。

90年代以前にも、そうした歴史否定の言説はありました。ですが90年代にそれが「塊」として表に出てきたのは、国際情勢の変化によって「言わなければならなくなった」からです。

1990年代〜2000年代に、元「慰安婦」の女性など、戦争被害を受けた人たちが個人請求権を訴え、日本政府に賠償を求める訴訟や運動が東アジアで高まりました。そうした運動に対して、右派は「解決済み」「日本は悪くなかった」と火消しをしなければいけなくなったのです。

こうした脱植民地化の運動に対する反動として、歴史修正主義者たちは戦争の被害者たちを沈黙させる意図で自らの主張を展開していきました。

━著書では、日本の歴史修正主義の言説の形は90年代にほぼ固まったと分析されています。

歴史修正主義者たちの言説はテンプレート化していて、1990年代から現在まで基本的には同じ主張を繰り返しています。典型的な例を挙げると、「南京大虐殺はなかった。東京裁判によるでっち上げだ」「占領は現地の人々のためにやったことだ」「慰安婦は反日勢力の陰謀」などです。

歴史修正主義者は、証拠に基づく歴史的事実の積み上げによって証明されている通説を否定し、戦争責任の否定や、植民地支配の美化・正当化をします。

歴史否定論は90年代末から2000年代初頭にかけて、メディアキャンペーンを背景に大衆に普及していきました。学会や学術出版ではなく、雑誌やマンガなどの大衆文化やサブカルチャーで展開されたのは、これらが「消費者にウケる、売れる」ことを重視するメディアだからです。

歴史否定論の雑誌や書籍はよく売れるので、ビジネス系の自己啓発書、保守論壇の雑誌や週刊誌、マンガといった商業出版では、似たような歴史否定論が何度も焼き直しされています。

歴史修正主義のプラットフォームはその後、CS放送やインターネット、YouTubeなど動画コンテンツにも広がっていきました。ネットは嘘が流通しやすいので、歴史否定のコンテンツを粗製濫造するのに適した場所なのです。そもそも、新聞やテレビの主流メディアは歴史否定の言説を扱わないので、ネットにいくしかなかったという面もあります。さらに、ネットの「閲覧数至上主義」という媒体としての性質も、歴史修正主義と相性が良かったと言えます。

歴史否定と排外主義は「どっち側のドアから入るか」

━海外にもホロコースト否定論(※)など、歴史的事実を捻じ曲げようとする動きはあります。世界の歴史修正主義に共通する点はありますか。

(※)ナチス・ドイツによるユダヤ人の大量虐殺(ホロコースト)はなかった、と主張する態度や言説。

地域が違えば扱う歴史も違うので一概に語るのは難しいですが、基本的に共通しているのは、まず歴史を否定するのは右派だということ。さらに、右派ポピュリズムに詳しいルート・ヴォダック氏の研究によると、欧州の右派ポピュリズムでも、歴史修正主義、排外主義、女性差別、そして「被害と加害の反転」という多くの特徴が一致します。

加えて、日本で特徴的なのは、「官製」であることです。第一次安倍政権の2006〜2007年ごろから、明らかに「官製歴史修正主義」の傾向が強くなりました。つまり、為政者の側が歴史修正主義を肯定し、広めていったのです。

ヨーロッパでは、ホロコーストの否定をユダヤ人という特定の集団に対するヘイトスピーチだとみなし、法律で禁止している国も多いです。為政者が法律によって歴史修正主義を止める側であることは、日本とは対照的です。

━著書では、歴史修正主義と排外主義(※)のつながりに言及しています。この二つはなぜ親和性が高いのでしょうか。

※排外主義とは、国家は「自国民」のみで構成されるべきだとする立場に立ち、移民などの外国出身者や外国にルーツを持つ人々を国民国家の脅威とみなして、そうした人々や外国文化を排除・排斥しようとする思想や考え方を指す。

日本の歴史修正主義は、必ず植民地支配の責任の否定や戦争加害の否定と結びつくと先ほどお話ししました。植民地支配というのは、レイシズム(人種主義)が土台にないとできません。「あいつらは支配して良い存在だ、自分たちより下の存在だ」という思考があるから、攻め入ることができるわけです。

「日本の植民地支配によって韓国は近代化した」など、植民地支配の責任を否定・矮小化する主張は、植民地支配を肯定すると同時に、レイシズムを温存することにもなる。そのため、必然的に排外主義の流れが生じます。

歴史修正主義と排外主義は、結局「どっち側のドアから入るか」という違いでしかないと僕は考えています。怖いのは、歴史のドアは単に歴史の話をしているだけで、それ自体に差別的な要素があるようには見えないので、開けやすいのです。ですがそこには差別構造を維持し、犬笛のように扇動するというスピーチアクト(言語行為)的な側面があります。

━歴史修正主義者が、戦争加害の歴史を否定する目的は何ですか。

いくつかの欲望があると考えています。一つは、「日本は悪くない、日本のやってきたことや過去を肯定したい」という欲望です。

それと同時に、学者や研究者など「権威的なもの」をやっつける快感があります。これは陰謀論と同様ですが、「人々が見ている世界=通説」をひっくり返すことの気持ちよさを感じたいという欲望です。それが政治まで入り込んでしまっている現状に危うさを感じます。

歴史否定によって保とうとしているものは詰まるところ、「序列」です。「自分たちの方が上」なのだ、という序列。敗戦でアメリカに一番上の立場を取られてしまった。戦後は東アジアの反共路線の中で、「米、日、韓」の「序列」を維持したいという、いわば「宗主国根性」から抜け出せていないのです。

差別には必ず「歴史性」が伴います。なぜかというと、マイノリティは歴史の中で作られていくからです。歴史の否定と、外国人差別や女性差別はつながっています。

差別の歴史を無視・否定すると、マジョリティとマイノリティの関係性は平等でフラットに見えます。そうなった時、「あっちの集団は優遇されていて、マジョリティである自分たちの序列が下がってきた。自分たちは被害者だ」という図式を作れるのです。

ニューカマーの外国人に対しても、「あいつらは自分たちより優遇されているから、日本人ファーストにしろ」と主張する。そうした「序列」を維持するために、デマを作り出し、あるいは差別の歴史を否定します。

ミソジニー(女性蔑視)と歴史修正主義の親和性についても、同様のことが言えます。「慰安婦」問題をめぐる歴史修正主義は、「フェミニズム運動に対するバックラッシュ」です。つまり、戦時性暴力の被害に遭った女性たちが、日本政府の責任を主体的に追及し、権利を主張する運動が盛り上がった。それに対抗する動きとして、歴史修正主義によるバックラッシュがあった、と見ることができます。

女性差別と歴史否定との関連についてもう一つ例を挙げると、2017年に、「法律上も契約上も誰でも乗れます」というロゴの入った服を着て男性グループが女性専用車両に乗り込んだことがありました。公共空間において女性たちが虐げられてきた歴史があり、それを踏まえての鉄道会社の対応であるにも関わらず、そうした歴史を否定し、「俺たちが置かれた環境はアンフェアだ」と主張する。これらの行為もまた、女性差別の背後にある歴史文脈を無視することから生じています。

こうした反動は、日本だけではなくヨーロッパやアメリカでも同じです。「白人こそ被害者だ」「男性の方が差別されている」といった認識は、人種差別や女性差別の歴史の軽視や否定に基づいています。

「今」への関心からしか、過去には向き合えない

歴史否定の言説や歴史修正主義に関する倉橋さんの著書
歴史否定の言説や歴史修正主義に関する倉橋さんの著書
HuffPost Japan

━戦争加害の責任を矮小化したり、否定したりする政治家の発言に同調・支持する人が一定数いる現状は、「歴史教育」の問題なのでしょうか。

歴史修正主義は、「歴史学にとって」は問題になるけれど、「歴史学の問題」では全くないと考えています。歴史修正主義者が、歴史学の通説を覆すような資料を提出できたことはありません。

加害責任とどう向き合うかは人権の問題であり、歴史を学ぶ以前の態度にこそ目を向ける必要があると思っています。ネットの動画や書籍で歴史否定論の扉を開けた時、そこでは往々にして排外主義やミソジニーの主張が展開されています。そこで「これは人権問題なんだ」「おかしい」と気づいたら、立ち止まることができます。

━歴史修正主義にどう抗ったら良いのでしょうか。

先ほど述べたように、まずは人権意識を上げることが大事です。その上で、歴史を否定する人たちに抗うには、その言説がどのようにして拡散されているのかを知っておくことも重要です。

内容の正しさではなく「消費者にウケること」「視聴数や閲覧数を稼ぐこと」を至上命題とする商業出版やインターネットなどのメディアでは、同じような歴史否定論が「売れる商品」として繰り返し出てきます。また、ネット上のデマやフェイクニュースには、数カ月や数年たってまた意図的にぶり返されるという「跳ね方」のパターンがあります。

こうした、歴史修正主義者が情報を拡散する仕組みを理解することは、ある程度の歯止めになるのではないでしょうか。

━日々の生活で精一杯な中、戦争加害について本を読んで学んだり、考えたりすることは難しいと感じる人も多いと思います。それでも、私たちが日本の加害の歴史を知ることはなぜ必要だと思いますか。

現状の社会に「加害があるから」です。

過去を見ることは、現在への興味からしか生まれません。歴史修正主義の人たちも、90年代にアジアの戦争被害者から日本の戦争責任を突きつけられた時、反論する必要が生じたために過去に目を向け、それを否定しました。「今」への関心からしか、過去には向き合えないと思っています。

その上で、この社会には外国ルーツの人や女性に対する差別という「加害」が現在もあります。今の加害の構造がどうなっているかを見るために、戦争加害の歴史を知ることはとても大事だと考えます。

大日本帝国時代、レイシズムを駆使してアジアの人々を「人種化」し、植民地支配しました。それが戦後どう変わってきたか、あるいは変わっていないのか。外国人技能実習制度や入管難民法も、対象は違えどそこにあるレイシズムのやり方はあまり変化していないと僕は考えています。戦争加害の歴史に目をつぶることは、今目の前にある加害を温存することになります。

(聞き手=國﨑万智)



戦後80年を迎え、植民地支配の責任や日本の加害の歴史を否定・歪曲する言説が日本社会にあふれています。今広がる排外主義は、こうした歴史否定とも深く結びついています。ハフポスト日本版は、日本が二度と侵略戦争や植民地支配を繰り返さないため、将来世代へと教訓を引き継ごうとする人や、歴史の歪曲に抵抗する人たちの言葉と活動を紡ぐ戦後80年企画「加害の歴史否定と差別に抗う」を始めます。