薄暗い通路に、断続的な蹄の音が響く。燐光が仄かに照らす空間を、芦毛の馬が駆け抜けてゆく。
「………………」
しかし、フェイドがトレントと共に走っていたのは、地上ではなく地下。それも、ダンジョンの中だった。
何故、フィルヴィスの元に戻らないのか。その理由は、帰り道の途中でフェルズが寄越してきた任務にあった。
ダンジョン30階層。その
その指令に従い、こうして休む間もなく地下へと潜っているのだ。
本来ならば
現在、
圧倒的な物量差に苦戦する彼らの援軍として、丁度手が空いたばかりのフェイドが駆り出されたのだ。
『それで、君が戦ったレヴィスという
「殺すつもりはなかったが、首を断ったら死んだ」
『……いや、大体の生き物は首を切られたら死ぬんだが』
現状最大の脅威が排除された事を喜ぶべきか、何の情報も得られなかった事を嘆くべきか。諸々の共有を受けたフェルズは、そう呟きながら唸った。
だが、フェイドの傍には誰も居ない。その声の発生源は、手に持った青玉である。
フェイドとフェルズは、それぞれ離れた場所から会話をしていた。
かつて、賢者と謳われていたフェルズが作り出した双子水晶、
片方の水晶が捉えた光景を音声と一緒に、もう片方の水晶に映し出すことができる。
遠隔の地においても伝送可能な、現代に唯一存在する交信の魔道具だ。
使い魔である梟の義眼。あれも同じ魔道具であり、片目を失い瀕死であったところをフェルズが助け出し代替として与えたらしい。
この
いつぞや、27階層を破壊し尽くしたフェイドを捕捉したのも、この魔道具の力だ。
『しかし……神ディオニュソスとの溝は、今回の騒ぎで更に深まってしまっただろうな』
一ヶ月前、ディオニュソスの眷属がオラリオ東部で殺された事件。
そして、ディオニュソスがギルドを疑っている事については報告済みである。
当たり前ではあるものの、ギルドはこの件に一切関与しておらず、寧ろ犯人を捜索する立場だ。
「………………」
フェルズの話によると、モンスターが脱走した際、それに便乗するかのように食人花が出現したらしい。
既にロキ・ファミリアの手で討伐済みであるものの、予め網を張っていたディオニュソスが、この事態を把握していない筈が無い。
眷属が殺された現場に有った極彩色の魔石。それを有するモンスターが、ギルドが企画する
こうなった以上は、ディオニュソスが捜査を緩める事は無いだろう。
故に、フェルズは危惧していた。
ウラノスとディオニュソスの間を取り持つ事は、フェイドには出来ない。
何故ならば、ウラノスが抱える秘密は易々と明かせるものではないから。
白日の下に晒されれば、彼が長年築き上げて来た権威に修復不可能な亀裂が走る程度には。
「モンスターが来た」
『……分かった。君の
直近で知り得た情報の交換をしている内に、通路の突き当たりからモンスターが現れる。
それに伴い、フェイドは一言断りを入れたのち
この魔道具は、素材が揃わなければ作成が困難な貴重品である。
もしも戦いの拍子に壊せば、フェルズはその事を一ヶ月ほど引き摺ってくる。
情報の伝達と円滑な会話。それぞれに支障をきたさぬ為、丁重な扱いをする必要があるのだ。
そのように心掛けているものの、フェイドが現在所持している
三個目を壊したあたりから、ダンジョンに素材を取りに行かされるようになった。
それはさておき、フェイドはトレントの脇を軽く蹴って速度を上げる。
そして、迫り来るモンスターの爪牙を躱し、下へ下へとダンジョンを潜行していった。
ダンジョン30階層、
目的地に辿り着いたフェイドは、目の前の物体を眺めながら
「フェルズ」
『着いたかい?』
「ああ」
しかし、
不気味な光沢と膨れ上がった表面。通路を隅々まで埋め尽くし、蠢動する緑色の壁。
何処か有機的なそれは、周囲の石質の壁面とは作りも性質も異なっていた。
『リド達は既に中に突入している。君も合流してくれ』
「分かった」
肉壁の中心には、花の花弁が折り重なったような門。或いは、口のような器官があった。
直径は大型のモンスターでも優に通り抜けられる程度。十中八九、これが出入り口だろう。
「──────」
【巨人の火をくらえ】。
【巨人の聖印】を発火させて繰り出した爆炎が、悠然と佇む門へと炸裂。緑の肉壁が弾け飛び、轟々と燃え盛る。
そのまま、フェイドは焼け落ちた門を通り抜け、
何処までも続く緑の肉壁、鼻を刺すような腐臭。腹を空かせたモンスターが集まる洞窟は、さながら巨大な生物の体内めいた様相となっていた。
そんな、訪れた者へ不快感を振り撒く光景に眉一つ動かさず、フェイドは【ランタン】を灯し粛々とした足取りで進む。
「………………」
食人花の出現を警戒するものの、今の所はそれらの気配は皆無。先行した
床を見やれば、それを示すかの如く極彩色の魔石の破片が所々に散らばっていた。
『オオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』
やがて、突入から間も無くして、通路の奥から幾重もの咆哮が鳴り響く。
それは、いつぞや27階層で遭遇した食人花のモンスターと全く同じ叫びだった。
鐘を壊したかのような咆哮を聞くや否や、フェイドは駆け出す。
「十秒経ったらリド達に飛び退くよう伝えろ」
通路を走り抜けながら、虚空から取り出した
『承知した』
唐突な呼び掛けだったものの、フェイドの意を汲み取ったフェルズは戸惑いなく頷いた。
そして、通路を抜けて広間に出た瞬間、フェイドは左手の聖印から祈祷を発動。
色褪せた瞳を素早く動かし、食人花と
彼らが躱すだけの空間は確保されているうえ、十秒もの猶予を与えた。祈祷の行使に差し支えは無い。
そう判断し、フェイドは発火した聖印を食人花の集団目掛けて振るう。
【火よ、降り注げ】。
投げ放たれたのは膨大な熱量を持つ火の玉。その数、十一発。
群れを成した炎が
薄暗い緑の迷宮が、束の間の灼熱によって鮮烈に彩られる。
『──────ァッ!?』
思いもよらぬ奇襲を受けた食人花達は、断末魔すら上げる間も無く灰燼に帰した。
「………………」
やはり、この連中には火が良く通る。そんな事を考えながら、フェイドは目を白黒とさせているリド達に歩み寄った。
「フ、フェイドっち! いくらなんでも登場がド派手すぎるぜ!」
「貴様、我々諸共燃ヤシ尽クスツモリカッ!?」
「フェイドさん! 危うく焼き鳥になっちゃうところでしたよ!」
「ギャオオオオスッッ!?」
フェイドの姿を見た途端、
若干回避が遅れたのか、自慢の毛が焼け焦げている者も一部居た。
「死ななければ俺が治せる」
怪我した奴がいるなら近寄れ。フェイドはそう言って彼らの文句を受け流し、聖印を翳す。
すると、大なり小なり食人花によって傷を負わされたモンスター達が、仕返しとばかりにフェイドの傍まで押し寄せてきた。
多種多様なモンスターに取り囲まれ、すし詰め状態になりながら、フェイドは【大回復】を発動。
黄金の光と共に傷は癒され、彼らは忽ちの内に活力を取り戻した。
「はぁ……まあ、色々言いたい事はあるけど、ありがとよ。フェイドっちが来てくれなきゃ犠牲が出ちまうところだった」
「苦戦しているのか」
「……アア。業腹ダガ貴様ノ手モ借リタクナル程、物量ガ凄マジイ」
「そうか」
統率の取れた、多種多様なモンスターの群れ。彼らは並のファミリアでは太刀打ち出来ない程に強い。
特に
そんな彼らが仲間の犠牲を覚悟する程、
『無事にリド達と合流出来たようで何よりだ』
休息も兼ねて敵の戦力について考えを巡らせていると、リドが所持する
「場合によっては無事じゃなくなる所だったんですけどねー」
「アレダケ危険ナ真似ヲサセテオイテ、好キ勝手ナ事ヲ言ウナ」
「ガルルルル……バウッバウッ!」
『……私は、彼の判断と技量を、信じただけだが』
非難轟々。
実際、フェルズが止めなかったお陰で、フェイドが最も不得意とする混戦を避けることが出来たのだが。
「………………」
とはいえ、ここで擁護すれば士気の低下に繋がるかもしれないので、フェイドは口を閉じておいた。
「しっかし、この妙なモンスター達はどうしてこんな所に巣を構えたんだろな」
「増殖だけが目的ならバ、この
それはさておき。思わずといったリドの呟きに、レイは首を傾げながら反応する。
事実、彼女の言う通りである。
それらを吸い上げる事によって、食人花達はこの緑の迷宮を形成したのだろう。
「ですガ……
彼女がそう断言する理由は、
それは、凄まじい高周波をもって周囲の空間を網羅してゆく人外の技。
これにより、レイはこの
「それなら話は早いな! 遠路はるばるフェイドっちも来てくれた事だし、もうひと踏ん張りと行こうぜ!」
この集団の最大火力は、紛れもなくフェイドである。彼という大砲を護衛する事こそが、異形の迷宮の打破に繋がる。
その旨をリドは仲間達に伝え、奮起を促す。彼の鼓舞に応えるように、モンスター達はエイエイオーと声を上げる。
「………………」
「………………」
『………………』
ただ、傍若無人なフェイドと頑固者なグロス、その場に居らずご機嫌斜めなフェルズだけは、空気を読まずに沈黙を保持したのだが。
そうして、フェイドはこの作戦に投入されたモンスターの軍勢に囲まれながら、迷宮の奥へと進軍を開始した。
『オオオオオオオオオオオオオオオオッ!!』
醜い花弁の奥の口から発せられる、幾重もの咆哮。茎の根本から伸びる、何本もの触手。
レイの発言に相違は無く、少し進んだ先で一行を待ち受けていたのは
大きさが異なった無数の蕾が垂れ下がる光景は、紛れもなく食人花の温床である。
そして、そんな大空洞の中でも一行の視線と意識を奪ったのは、大主柱に巻き付いた巨大な茎。
食人花と酷似したモンスターが、宿木めいた様相で水晶の大主柱に絡みついている。
毒々しい極彩色の花頭を咲かせた巨大花は、全長も、体軀の太さも、食人花の十倍はくだらない。
間隔の長い鼓動音の度に、何かを吸い上げるかのような奇音が続く。
触手や根は大主柱の表面だけにとどまらず、至る所まで伸びて緑色の肉壁を作り上げていた。
一帯が変異した元凶は間違いなくあの巨大花。此処が、敵の総本山であり最終防衛線。
それを示すかのように、先程とは比にならぬ数の食人花が四方八方から押し寄せてくる。
「──────」
そんな、濁流の如き敵の攻勢を迎え撃つのは、たった一人の援軍であるフェイド。
右手には【黄金樹の聖印】。左手には【巨人の聖印】。左右の聖印を発火させ、交差させるように振るう。
【火よ、降り注げ】。計二十二発もの火の玉が、殺到する食人花の濁流を、一瞬にして火の海へと変えた。
『───アアアアアッッッッ!!』
しかし、生き残った一部の個体が火の海を掻き分け、フェイドを貫かんと触手を伸ばしてきた。
「させねぇって……の!」
その決死の反撃も、リドの曲刀によって敢えなく切り払われるのだが。
「皆! コレとさっきので分かってると思うけど、フェイドっちの巻き添え食らわないように気を付けるんだぞ!」
そして、リドの号令を皮切りに、モンスター達はフェイドを守るように散開する。
四方八方から迫り来る食人花を、一匹たりともフェイドの元へ通すまいと奮戦する。
「………………」
敵の規模からは考えられない程、楽に戦えている。安全な場所から火の玉を投げれば良いだけなのだから。
冒険者パーティの後衛に立つ魔導士とは、こうも簡単な役割なのか。そんな事を考えながら、フェイドは矢継ぎ早に祈祷を行使し続ける。
『オオオッッッ!!!』
その油断に、頭上から伸びる触手が一石を投じる。振り上げたフェイドの右手を、一瞬にして絡め取る。
見上げれば、そこに居たのは天井に根差す食人花。開花した途端、伸ばした触手を巻き取ってフェイドを引き寄せてきた。
「ちょっ、マジかよ───」
予想外の伏兵にリド達は泡を食い、宙吊りとなった最強の矛を奪還せんと跳躍しようとする。
「───チッ、世話ノ焼ケル奴メ」
しかし、彼らに先んじて動いた者が居た。
石の翼を羽ばたかせ一陣の風と化したグロスが、触手を切断しながらフェイドを掻っ攫う。
そして、続々と迫り来る触手を爪と尻尾で蹴散らしながら、大空洞を縦横無尽に飛び交う。
「………………」
この上空からは、敵と味方の位置が容易に俯瞰出来る。天井や壁面の食人花に対処してくれる
つまり、此処こそが、爆撃に最適な場所。
「そのまま、俺を抱えて飛び続けろ」
そう判断したフェイドは、この身を脇に抱えるグロスへと窮地を救われた礼の代わりに指示を出した。
「貴様ッ! コノ私ヲ乗リ物扱イスルツモリ───」
【火よ、降り注げ】。その祈祷の名の通りに、群れを成す食人花へと火球を投下。
グロスの文句を無視し、フェイドは祈祷による絨毯爆撃を決行した。
有翼のモンスターである
天井、壁面、地面問わず、フェイドは
「ひ、ひええ〜……よく咄嗟にあんなえげつない事思いつくなぁ……」
「クウウーン……」
即席の爆撃機と化したフェイドとグロスを見上げ、リドを始めとした
そんな彼らを他所に、グロスという名の翼を得たフェイドは、敵性モンスターを瞬く間に殲滅してゆく。
「──────」
やがて、侵入者の脅威を本能で察知したのか、大主柱に絡みついていた巨大花が蠢動する。
間も無くして咆哮の代わりに鳴り響くのは、大主柱と緑壁に一体化した体を引き剝がす裂音。
そして、階層主を凌駕する体躯を鞭のようにしならせ、巨大花は思い切り振るった。
「───ヌウッ」
攻撃の予兆を見るや否や、グロスは迫り来る茎を急上昇して回避。空を切った鞭打が大空洞の壁に衝突する。
膨大な質量から繰り出された一撃は、地震のように
もしも直撃したならば、頑丈なグロスは兎も角フェイドは圧死していた事だろう。
「………………」
巨大花との一対一であれば地道に削って倒すのだが、今も尚食人花は残っており、敵と味方が大空洞に入り乱れている。
暴れ狂う巨大花との消耗戦となれば、おそらくは味方が祈祷の巻き添えとなるか、こちらが敵の攻撃の巻き添えとなる。
仕留めるならば、残りの
「グロス」
「今度ハナンダ!」
「あの巨大花目掛けて、俺を投げろ」
己を抱えて飛翔する石肌の竜を見やり、フェイドは思考を実行に移そうとする。
「自殺シタイナラ、コノ戦イガ終ワッテカラニシロ。サッサト奴ニ攻撃ヲ───」
「───お前を乗り物扱いした代わりだ」
今から俺の事を爆弾だと思え。フェイドはグロスに向かってそう言い放ち、再度投げるように告げる。
「………………ッ」
そして、巨大花が毒々しい花弁を此方に向けて来た瞬間。
「……アアクソッ! ダッタラ精々、盛大ニ爆発シテコイ!」
躊躇しながらもグロスは指示に従い、大きく振りかぶってフェイドを投擲した。
「──────」
その自殺行為を見た巨大花は、これ幸いと言わんばかりに突撃を敢行。
間も無くして、矮小な人間と巨大な怪物が真正面からぶつかり合う。
と、いった事はなく。
衝突すらせずに、フェイドは巨大花の口の中へと消えて行った。
「グロス! 貴方いきなり何をやってるんですか!」
「そうだそうだ! お前、幾ら人間嫌いだからってそこまでしなくても!」
突如として行われた、隣人を崖から奈落へ突き落とすかの如き残虐行為。
食人花に対処しながら、
「ウルサイ! 奴ニ言ワレタ通リニシタマデダ!」
この結果が目に見えていたから、渋ったというのに。グロスはそんな苛立ちを言葉に乗せて同胞達に怒鳴り返す。
そのまま、愚者による愚行の片棒を担いだ責任を取るべく、
「………………?」
しかし、巨大花の様子が妙だった。フェイドを飲み込んで以降、動こうとしないのである。
やがて、何かを堪えるかのように小刻みに震え出し、天を仰いだかと思えば。
【火よ、焼き尽くせ!】。
巨大な口が、噴火した。
続け様、破裂した水道管のように長躯の至る所から火柱を吹き出す。
莫大な熱量を吐き出しながら、瞬く間にその身を炭化させてゆく。
そして、
誰も彼もが、食人花すらも唖然呆然とする中、燃え盛る業火の向こう側から一つの人影が姿を現す。
「………………」
フェイドである。
身に纏った鎧の所々が焼け爛れているものの、依然として健在。
【青雫の聖杯瓶】を呷りながら周囲を見渡し、巻き込まれた味方が居ないと確認すると。
両手の聖印を発火させ、