見る者に不安を駆り立てる、白く濁った床と壁面。おおよそ十
そこは、ダンジョン37階層。深層と呼ばれる、冒険者の中でもごく僅かな者達だけが立ち入る事を許される場所。
ギルドが定める
この場所は、この場所こそが、尋常ならざる怪物達の領域である。
そう誇示するかのように、けたたましい咆哮が何処からか響き渡る。
しかし、その咆哮は更なる熱量の爆発によって、容易く掻き消された。
「………………」
業火に包まれ灰燼に帰す複数体のモンスターを、無感動に眺める男が一人。
モンスターの肉を薪として燃え盛る炎。それが照らしているのは、白銀の鬣を有した全身鎧。
その手に携えているのは、何の意匠も施されていない直剣と盾。
さながら、戦鬼めいた出立ちの男は、仲間も伴わずにダンジョンの深層へと足を踏み入れていた。
『──────』
その無謀を咎めるかのように、彼の背後へと一つの影が忍び寄る。
直後、背後から駆け寄ってきたルー・ガルーのナイフと、咄嗟に構えた男の盾が衝突した。
『───ゴッ……ガアッ……』
そして、不意打ちを弾き返されたルー・ガルーの口腔へと、男は右手の直剣を捻じ込み絶命させる。
だが、迫り来る影は一つのみではなかった。
刺突により生まれた隙を狙って、飛び出してきたリザードマン・エリートが、岩斧によって男の脇腹を切り裂く。
脇を抉られた衝撃によって蹈鞴を踏んだ男へと、スカル・シープが射出した骨の杭が突き刺さる。
貫かれた部位は、右太腿、右肩、右目。脇腹の切創を含めれば、如何に
「──────」
されど、男の動きは一切鈍らない。傷口から血が溢れる事も厭わず、続く追撃を転がって回避する。
そして、左手から稲妻を迸らせ、形成した雷の槍を二回連続、瞬時に放つ。
『ゲギャッ!?』
その穂先は、リザードマン・エリートが防ぐよりも先に頭蓋を穿つ。断末魔と脳髄をぶち撒ける。
『───!?』
その穂先は、スカル・シープが躱すよりも速く魔石を穿つ。甲高い音と共に紫紺の破片が飛び散る。
『グギャアアアアァァァァッッッッ!!!!』
だが、それらの脅威を退けて尚、深層は依然として男に向けて牙を剥く。息をつかせる暇も与えず、続々と。
この迷宮は、お前の生存が許される場所ではない。それを知らしめるかのように、多種多様なモンスター達が殺到して来る。
男の剣閃が、モンスターを切り裂く。モンスターの斬撃が、男を切り刻む。
己と敵の鮮血が、白く濁った地面や壁面を赤く上塗りしてゆく。
「………………」
そんな、血を血で洗う闘争の折。
暗闇の中から我先にと迫り来るモンスターを、男は兜の奥にある色褪せた瞳で眺める。
この群れに背を向けて逃げるのは容易い。多対一が有利な地形に誘導するのも同様だ。
37階層の地図は頭の中に叩き込んだうえに、この連中が追い付けぬ程の駿馬を呼び出せる。
しかし、背後を一瞥したのち、男はその行動を却下した。何故ならば、此処で食い止めなければ命を落とす者が居たから。
「───────」
そうして、男は左手の聖印によって喚び寄せる。祖たる竜、古竜が行使した赤き稲妻を。
そうして、男はモンスターの群れを迎え撃たんと跳躍する。赤い雷によって形成された薙刀を振りかぶりながら。
そして、鼓膜を突き破るかのような雷鳴が、深層に轟いた。
ダンジョンには、おおよそ千年もの歳月をかけて尚、誰も知らぬ秘密が未だに眠っている。
その秘密を解き明かすため、もしくはその過程で力や名声を得るため、或いは日銭を稼ぐため。
ともすれば、誰かとの出会いを求めて。己の命を天秤に乗せ、冒険者達は日夜ダンジョンに潜る。
そんな日々の中で、とある噂が冒険者達の間に広まっていた。
ダンジョンに不死身の怪人が現れた。
などという荒唐無稽な噂が。
噂の出所は、とある名うての冒険者。彼はダンジョン37階層、
死を覚悟しながらも、仲間との合流を目指す道中で見たのだという。
顔のおおよそ半分以上、右半身の大部分を損傷しながらも、平然とモンスターの群れに立ち向かう人間の姿を。
その後、無事に逃げおおせた彼の証言は、仲間内で笑い話として語られる。そんなもの、パニックに陥ったが故の幻覚なのだと。
しかし、目撃証言はそれだけに留まらなかった。彼の世迷言を境に、様々な異変がダンジョン内に現れ出したのだ。
とある質実剛健な冒険者曰く。バグ・ベアーの強化種と交戦し、追い詰められていた最中、どろどろに溶けた男がバグ・ベアーの腹を裂いて出てきた。
とある品行方正な冒険者曰く。腕を欠損する程の大怪我を負って動けなくなっていた所を、通りすがりの金仮面が一瞬にして癒してくれた。
とある素行不良な冒険者曰く。頭に石像を被った不審者が、杖も持たずに辺り一帯を焼き尽くす程の爆炎を放ち、階層主であるゴライアスを焼却した。
曰く、言葉すら発さずに魔法を行使する。
曰く、何も無い空間から武器を取り出す。
曰く、殺された者は幽霊として使役される。
曰く、芦毛の馬に乗ってダンジョンを爆走する。
曰く、泳ぐのが大の苦手。
曰く、曰く、曰く。
噂の対象が同一人物かも、真偽も定かではない。しかし、それらの証言にはとある一貫性があった。
噂となる人物が現れるのは、理由がなんであれ死の淵に立たされた者の前だけ、というものだ。
そうして噂が噂を呼び、好き勝手なイメージによって塗り固められた結果。
その異変の主はそれらの噂に因んで、このように呼ばれる事となる。
己が決して享受出来ぬ、死の香りに釣られてやってくる迷い人。
死という終着点を見失い、ダンジョンという迷宮に囚われた者。
【
「はああああぁぁぁぁ〜〜〜〜…………」
頭を抱え、フェルズは魂すらも抜け落ちそうな溜め息を吐く。しかし、憂鬱とした気分が晴れる事は一切無い。
ギルドの神殿地下。静寂を保つ祈禱の間の片隅に、どんよりとした空気が漂う。
あの夜、彼はウラノスの提案を受け入れて協力者となった。オラリオへの不法侵入と、殺神未遂の罪を清算する為に。
失敗すればオラリオの秩序が崩壊してしまう綱渡りを、見事にウラノスは渡り切ったのだ。
あの場に立ち会っていたフェルズは、終始生きた心地がしなかったが。
だが、命を賭した甲斐はあった。何故ならば、彼の働きぶりは長らくウラノスに仕えてきたフェルズから見ても、目覚ましいものだったから。
異常事態に見舞われた冒険者の救助。今後脅威となり得る強化種の早期討伐。
新たに生まれた
未だオラリオの裏側で根を張り続ける、
どんな任務を課されても正確且つ迅速に熟してゆくその様は、まさしく密使。ウラノスの傭兵としての理想系である。
彼の貢献により、フェルズ自身も随分と楽に動けるようになった。魔術師としての本分に専念できる程度には。
であれば、何故このように重苦しい溜め息を吐くのか。
「【
その原因は、現在巷を賑わせている【
彼は己を顧みない。任務を遂行する為ならば、自身の命すらも躊躇なく差し出す。
彼は周囲を顧みない。任務を遂行する為ならば、目撃者が居ようとも自身の異能を惜しみなく使う。
その結果として、【
流石のウラノスも、そこまでの無理強いはしていないというのに。
フェルズが任務の結果を報告し終えた際、真顔のまま困惑する彼の姿は、未だ鮮明な記憶として残っている。
「………………」
しかし、悩みの種はそれだけに留まらない。フェルズはどのようにして己の知的好奇心と向き合うべきか考えていた。
フェルズからすれば、今になってあのような存在が現れるなど、笑えない冗談だった。
台座の上に置かれた自らの手。
かつて、フェルズは無限の知識を求めた。その過程として不死の探究をした末、肉の身体を失った。
腹を満たす事も喉を潤す事も、夜に眠る事も必要としない骨の身体となってしまった。
おおよそ八百年にも渡る人生における、拭っても拭いきれぬ汚点である。
そんな中、突如として現れた完全無欠の不死。
必然だった。とうの昔に消し去った筈の探究心に、再び火が灯ってしまうのは。
必然だった。彼の秘密を全て解き明かせば、自分もかつての肉体を取り戻せるのではないかと思うのは。
誰も知らない力、誰も知らない武具。それらを有する彼はきっと、誰も知らない世界からやって来たのだろう。
【
しかし、それを見越していたかのように、ウラノスは彼に対する詮索を禁じた。
彼自身が語らぬ限りは、無理に聞き出すような真似は控えるようフェルズに命じた。
無情にも、彼は寡黙である。基本的に自分から口を開く事は無い。
つまり、フェルズは【
寧ろ、彼の秘密をどうにかして守らなければならないという、歯痒い立ち位置に居るのだ。
気になる。めちゃくちゃ気になる。
彼が今までどのような冒険をしてきたのか。彼が如何なる方法で魔法とは異なる体系の異能を行使しているのか。
彼は自分と同じ後天的な不死なのか。それとも、彼は自分とは異なる先天的な不死なのか。
【雷の槍】とか撃ってみたい。【坩堝の諸相】で角とか尻尾を生やしてみたい。
そんな事を内心思いながら、今日も今日とてフェルズは己の煩悶を持て余す。
監視の名目で送り出した梟を通じて、南東のメインストリートを歩く彼を見やる。
「はああああぁぁぁぁ〜〜〜〜…………」
そして、フェルズはもう一度大きな溜め息を吐いた。さながら、ショーウィンドウの向こう側にある玩具を、物欲しげに眺める子どものように。
此処は、迷宮都市オラリオ。世界の中心とさえ呼ばれる、比類無き栄華を誇る大都市。
今日も今日とて、繁栄を享受する人々が道を行き交い、富や名声を求める人々が門を通り抜けてやってくる。
「凄い……!」
そんな、何処までも途絶えぬ人の波や、美しい街並みに圧倒されている少年も、その内の一人だった。
白髪を忙しなく揺らし、深紅の瞳を輝かせて周囲に目配せするその様は、一目で分かる田舎者。
それを自覚しながらも、少年は胸の高鳴りを止められなかった。
何故ならば、この都市は数多くの英雄譚に登場する、正真正銘の冒険の舞台だったから。
少年が生まれ育った村を飛び出してまでオラリオにやって来た目的は、運命の出会いだったから。
すれ違った見目麗しいエルフに視線を奪われては、横切った筋骨隆々なドワーフに喉を鳴らす。
人混みに紛れた
ロキ・ファミリアという都市で一、二を争う冒険者達の凱旋に遭遇し、いつかは自分も奮い立つ。
そうして、これから起こる出来事に期待しながら歩き続けた末。
「うわっ……!?」
早速、少年は何者かと正面衝突した。
姿勢が崩れた事に伴って、石のブロックで舗装された地面が、少年の臀部を猛反発に出迎える。
「つ、つううぅぅ〜……すみません───」
生じた痛みに呻きつつ、少年がぶつかった相手に謝ろうとして顔を上げると。
真っ先に少年の視界に映ったのは、暗殺者めいた黒装束。
そして、騒がしいオラリオに似つかわしく無い、どこか殺伐とした雰囲気の男だった。
「………………」
黒いフードとくすんだ黒髪が相貌を覆い隠しており、表情は分からない。
それらの隙間から覗く色褪せた瞳だけが、少年を無感動に眺めている。
「──────」
蛇に睨まれた蛙というのは、こんな感じなのか。少年は尻餅を搗いた姿勢から動けずに硬直する。
何も言わずにこちらを見つめてくる彼は、装いも相まって凄まじく怖かった。
一体、何をされてしまうのかと内心震えていると、黒装束の男から差し伸べられたのは右手。
条件反射で彼の手を掴めば、至って普通に引っ張り起こしてもらえた。
そのまま、少年がお礼を言う間も無く、男はその場を後にする。
「ふ、ふぅ…………」
雑踏の中に消えてゆく後ろ姿を見届けながら、少年は思わず溜め息を吐く。
オラリオの門を抜けた瞬間とは違った意味で圧倒されてしまった。
しかし、このような事でいちいち動揺していては、先が思いやられる。
そう己に言い聞かせて、深く息を吸う。浮かれていた気持ちを引き締める。
そして、ダンジョンに出会いを求める少年。
ベル・クラネルは歩き出した。
かつて、名も無き褪せ人が居た。
死したのち授けられし祝福に誘われ、霧の彼方にある故郷、狭間の地に至った存在。その内の一人である。
しかし、彼にはこれまでの記憶が無かった。自身がどのような名前と人格を有し、どのような経緯で死んだのかが分からなかった。
己の故も知らず、確固たる意志も持ち合わせてはいない。だが、だからこそ褪せ人は従った。
エルデンリングに見えよ。そして、エルデの王となるがよい。そんな、もたらされた祝福の言葉に。
褪せ人は祝福の導きに従い進んだ。
その始まりである色褪せた大地を。降り止まない愁雨に浸された半島を。
満天の星々の下に広がる巨大湖を。二つの大河によって成される地下世界を。
朱き腐敗の花が咲き誇る荒野を。豪雨と雷鳴が絶え間無く轟く竜の塚を。
燦然たる黄金樹が根差す金色の高原を。戦禍の痕が色濃く刻まれた火山を。
北の最果てに聳える禁じられた山嶺を。試練に臨まんとする者を聖別する雪原を。
褪せ人は祝福の導きに従い斃した。
切り立った断崖に築かれた城砦に座す、黄金の末裔たる接ぎ木の老醜を。
結界によって来訪者を拒む魔術の学院。閉ざされた最上階で、物言わぬ琥珀を抱く満月の女王を。
夥しい亡骸が散らばる砂丘を彷徨い、赤き空へと慟哭する星砕きの英雄を。
黄金樹の根元に屹立する王都。途絶えぬ野心の火から、玉座を守らんとする忌み王を。
不吉な曇天が覆う火山の頂上にて、数多の英雄を貪り喰らう冒涜の蛇を。
光射さぬ地の底、忘れ去られた文明の墓場。繭の中で眠る伴侶に寄り添い、新たなる王朝を夢想する血の君主を。
新たな律たらんと芽吹き、遂にはそれに成れなかった聖樹。抜け殻だけが虚しく佇む花の園で、ただ一人を待つ腐敗の女神を。
そうして、遥かなる旅路の果て。
褪せ人は
しかし、褪せ人は立ち止まらなかった。狭間の地の外ですらない異界を、延々と進み続けた。
そして、見知らぬ大地を駆け抜けて幾星霜。褪せ人はとある都市へと漂着する。
迷宮都市、オラリオ。
憧憬、悲願、野心、執念、陰謀。百人百通り、異なる欲望を胸に秘めた者達が集う、世界の中心。
世界三大秘境たるダンジョンを有する、数多の英雄が生まれた冒険の舞台へと。
しかし、褪せ人はダンジョンに何も求めない。ダンジョンに何も欲さない。
せいぜいが捌け口である。いつか、この身が朽ち果てるまでの時間を潰す為だけの。
であれば、何故斯様な場所に留まるのか。落ちた葉のように、何処へなりとも飛んで行けば良いというのに。
果たすべき使命を、行く先を示す導きを、褪せ人は喪った。
つまり、裏を返せば、褪せ人を縛る物はもう何も無いという事だ。
紆余曲折を経てこの首に嵌められた首輪など、容易く引き千切れる。
この都市を囲む石壁を越えて、
【
「………………」
多くの人々や馬車が行き交う南東のメインストリートを、褪せ人は黙々と歩く。
やがて、大通りから逸れて、煉瓦の塀に囲まれた建物の前で立ち止まった。
視線の先には、大規模且つ豪奢な館。褪せ人が籍を置くディオニュソス・ファミリアのホームだ。
暫くの間見上げたのち、褪せ人は鉄柵の門を通り抜けて建物の中へ入ろうとする。
「──────」
だが、褪せ人が扉へ手を伸ばすよりも先に、玄関の扉が開かれた。
「───おかえり、フェイド」
扉の先に立っていたのは、白装束に身を包んだエルフの少女。
窓から外の景色でも眺めていたところで、偶然褪せ人が帰って来る姿を見つけたのか。
平静を装っているものの、急いで玄関まで走って来たのだろう。
ほんの僅かに乱れた濡れ羽色の髪が、それを物語っている。
何が起こったとしても必ず戻る。だから心配など無用である。
そう言っているというのに、任務から帰るたび、こうして彼女は出迎えてくるのだ。
「………………」
ダンジョンに何も求めない褪せ人が、首輪付きとなってまでオラリオに留まる理由は、たった一つ。
彼には、彼との別れを惜しむ者が居た。
そうして、フェイド・ストレンジアという名の褪せ人は、抑揚の失せた声で呼ぶ。
「フィルヴィス」
【祝福擬き】で行く先を決め、この世界を彷徨い続けた末に出会った、その