祝福擬きで行く先を決めたのは間違っていただろうか


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作:刈刈シテキタ刈
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第14話【Drunker】


 

 

 

 

「昇降機で断崖を登った先には、アルター高原という金色の平野が広がっていた。俺は間近まで迫った黄金樹を目指し………………」

 

 リムグレイブに始まり、リエーニエ、ケイリッドと続いていた旅路は、当初の目的地である黄金樹が根差すアルター高原へと至る。

 

「………………」

 

 といったタイミングで、フェイドは黙り込む。そのまま、フィルヴィスから視線を外し木陰の外に顔を向けた。

 

「……黄金樹を目指してどうなった?」

 

「雨が止んだ」

 

 彼女の催促に聞く耳も持たず、フェイドは外を指差して空が晴れた事を告げる。ついでに言うと、日も暮れ始めていた。

 元々、これは彼女の退屈を紛らわせる為の話である。雨が既に止んでいる以上、ここから先を語る必要は無い。

 

「………………」

 

 しかし、フィルヴィスは不満を隠そうともせず、抗議の眼差しを浴びせてきた。

 

 何が彼女を駆り立てるのかは知らないが、話せと言うのなら話すべきか。フェイドはそう判断して続きに戻ろうとする。

 

 その瞬間。腹が鳴った。

 

「………………」

 

 音の発生源は、フィルヴィスである。

 

 どうやら、同じ不死であっても怪人(クリーチャー)は自分と違って腹が減るようだ。

 顔を真っ赤にしながら目を逸らすフィルヴィスに、フェイドはそのような感想を抱く。

 

「最後に食事を摂ったのは、18階層に居た時か」

 

「………………その筈だ」

 

「だったら、帰る理由が出来た」

 

 人間らしく振る舞うという理由が。フェイドはそう言い、今度こそ立ち上がる。

 そうして、フィルヴィスも渋々といった様子で腰を上げた。それは、彼女自身にも当て嵌まる事だったから。

 

 今にして思えば、人間らしさとは何かという質問に対して、フィルヴィスが戸惑ったのには、彼女自身が人間ではないという理由があったのだろう。

 

 それはさておき。空腹を満たすものは一応フェイドの所持品の中に含まれている。

 だが、この場面で食べるのは無駄遣いなので、フィルヴィスには敢えて差し出さない。

 

 その代わりとして。

 

「─────うわっ!?」

 

 とある物体をフィルヴィスへ投擲した。着弾と同時に、彼女の全身を泡が包み込む。

 その物体の正体はフェイドお手製の【石鹸】。使用用途は泥にまみれたフィルヴィスの洗浄である。

 

 以前に彼女が述べた人間らしい振る舞いには、清潔な身なりの維持というものも含まれている。フェイドはそれを実行した。

 

「………………一言だけでも声を掛けたらどうなんだ」

 

 やがて、泡が弾けて消えたのち、あらわとなるのは本来の純白を取り戻した白装束。そして、こちらを睨んでいるフィルヴィス。

 

「だが、綺麗になった」

 

「っ………………そ、そうか、綺麗か」

 

 しかし、そんな彼女の睥睨も、フェイドが告げた事実の前には無力。威圧的な雰囲気は、すぐに萎びていった。

 

 身に纏っている白装束を指した言葉を、何処か嬉しそうに復唱している理由についてはよく分からないが。

 

「続きは、また今度話せよ」

 

「分かった」

 

 そして、そのような約束をして墓地を後にした。

 

 

 

━━━━━━────────────

 

 

 

 雨上がりの湿った舗装路を、フェイドとフィルヴィスは肩を並べて歩く。

 太陽は西に沈み、周囲を照らすものは道に沿うように設置されている魔石灯の放つ光のみである。

 

「………………」

 

 現在、二人が居るのは都市南東の郊外。墓地と市街地を繋ぐ道の途中。

 しかし、隣を歩くフィルヴィスの足取りは非常に鈍重で、普段の半分程度の速度だった。

 

 どうしてそこまで歩くのが遅いのか尋ねたところ、どうでもいい事を気にするなと一蹴された。

 歩くのが億劫ならば、近場の宿で休息すれば良いと提案したところ、物理的に一蹴された。彼女は赤面していた。

 

 ここまでのやり取りで察せられたのは、フィルヴィスは帰宅を拒んでいるという事だけ。

 何故かという理由に関しては、フェイドの知るところではない。

 

「………………」

 

 やがて、オラリオの市街地へと辿り着けば、いつも通りの喧騒が二人を包み込む。

 荒くれ者達の豪快な笑い声、及び怒声。開放された店の窓からは、管楽器や弦楽器の音色が流れてくる。

 

 ダンジョンでの死闘を経て帰って来た二人の事など露知らず、夜のオラリオは大いに盛り上がっていた。

 

「………………?」

 

 こちらもこちらで、いつもと同じく素通りしようとするが、隣を歩くフィルヴィスが不意に立ち止まった。

 振り返ってみたところ、彼女は何か閃いたかのように目を見開き、とあるものを見つめていた。

 

 その視線の向かう先を辿ってみれば、そこには肩を組みながら歩く男性二人組。

 惚けた赤ら顔と千鳥足。片方の手には開封済みの酒瓶が握られており、あからさまに酔っ払っている様子が窺える。

 

「……フェイド、今から寄り道をするぞ」

 

「どういう事だ」

 

 寄り道。普段のフィルヴィスからは絶対に出ないであろう言葉を聞き、フェイドは反射的に質問を述べた。

 

 尚且つ、あの酒に溺れた男性二人組と、その発言の関連性が見出せない。

 フィルヴィスからすれば、あれらは堕落の象徴と見做し嫌悪するものなのだと思っていた。

 

「寄り道は寄り道だ。いいから黙ってついて来い」

 

 そんなフェイドの質問を封殺し、フィルヴィスは先程までの遅々とした歩調が嘘だったかのように、機敏な動作で歩き出した。

 

「………………」

 

 追従しなければ、無理矢理引っ張り回されるのは自明の理。なので、フェイドは黙ってフィルヴィスの背中を追う。

 

 南東のメインストリートに出て、バベルの根元の広場へ。そのまま、西のメインストリートに進路を変更したのち直進する。

 

 目的地は決まっているのか、いないのか。前を歩くフィルヴィスは、何かを探しているかのように視線を左右に巡らせていた。

 

「……あった」

 

 そして、暫しの間歩き続けたのち。そんな呟きと共にフィルヴィスは足を止める。

 

 立ち止まった先には二階建ての石造の建物と、カフェテラスで料理と酒に舌鼓を打っている人々。

 フィルヴィスが目的地としていた場所は、今まで一度たりとも寄り付かなかった酒場だった。

 

「………………」

 

 家に帰るまでの時間を稼ぎたいというならば、飲食店に寄るのは理に適ってはいる。

 【豊饒の女主人】と記載されている看板を見上げながら、フェイドはフィルヴィスの行動に納得した。

 

 彼女の後に続いて店内へと足を踏み入れれば、そこに広がっているのは賑やかで明るい雰囲気の空間。

 

 室内の半分以上の席が埋まっており、その繁盛に比例してウェイトレスが忙しない動きで料理や酒を運んでいた。

 女主人という名に違わず、店の従業員は女性のみで構成されているようで、客の笑い声に負けず劣らずの声量で応対している。

 

「フェイド、こっちだ」

 

 呼ばれて振り返ると、既にフィルヴィスはウェイトレスとのやり取りを終えており、席に着こうとしている段階だった。

 彼女の手招きに従って、フェイドは入り口から見て奥側のカウンター席に腰を下ろす。

 

「いらっしゃい、初めて見る顔だねぇ!」

 

「………………」

 

 すると、この店の店主と思しき女性が声を掛けてくる。彼女の言葉の通りなので、フェイドは返事はせずに会釈だけ返した。

 ともすれば、無愛想と受け取られかねないフェイドの対応にも、店主は気を悪くした様子は見せずに快活に笑う。

 

「そっちのアンタも…………うーん?」

 

 そのまま、店主はフェイドの隣に座るフィルヴィスにも声を掛けようとしたが、彼女は突然顔を顰めた。

 フィルヴィスの顔をまじまじと見つめながら、何かを思い出そうと唸り出す。

 

「………………」

 

 顎に手を当てている店主の仕草に、フェイドは予感を覚えた。また死妖精(バンシー)の噂を信じ込んでいる類の者かと。

 

 先日、他所の冒険者やディオニュソスに語り聞かせた話を披露しようと、フェイドは彼女らに対して口を挟もうとする。

 

「アンタ……アタシの勘違いじゃなきゃ、前にもうちに来た事あるんじゃないか?」

 

「……ええ、何年か前に一度だけ」

 

「そうかい! 久しぶりに来たんなら沢山料理を出すから、じゃんじゃん金使っていきなよ! 勿論、アンタもね!」

 

 しかし、それは杞憂だった。フィルヴィスの遠慮がちな返事に笑顔を返し、店主は店の厨房へと引っ込んだ。

 恰幅の良い背中を見送りつつ、隣に座るフィルヴィスの様子を伺えば、彼女は苦笑いを浮かべている。

 

「何故この酒場を選んだ」

 

「別に……もう一度ここに来たいと思っていた事を思い出しただけだ」 

 

 それに、一人で来る気にもなれなかったから。フェイドの質問に対して、フィルヴィスはそう返事をしてメニューを手に取る。

 

「そんな事よりも、何か食べたいものは……と、言われても分からないか。色々と見繕うから出て来たものを食べろ」

 

「ああ」

 

 そうして、特にこれといった拘りの無いフェイドの分と、自身の分の料理を幾つか見繕ったのち。

 フィルヴィスは手の空いているウェイトレスに声を掛けて、さっさと注文を済ませた。

 

 然程間を置かずに、あれやこれやと料理の乗った皿が二人の前に並べられ、カウンター机を埋めてゆく。

 湯気と共に香ってくる匂いは、フェイドとフィルヴィスに催促をしてきた。温かいうちに、とっとと食べろと。

 

 ちなみに、出された料理の中には茹でたエビや肉団子といった馴染みのものが含まれていた。旅の折々で役に立った品々である。

 

 口に入れてみたものの、物理的な攻撃に対して耐性を得たり、体力を回復する代わりに毒に侵されるといった効果は無かったが。

 

 

 

━━━━━━━━━─────────

 

 

 

 空になった皿を次々と回収してゆくウェイトレスを尻目に、フェイドはジョッキの中の醸造酒を呷る。

 出された料理は既に完食しており、現在は酒を楽しむ段階へと移行していた。

 

「ふぇいろおおぉぉ〜わぁらぁしのはなしいいぃぃ〜きいてるろかああぁぁ〜?」

 

「ああ」

 

「ああぁってなんらぁ〜ああぁってえぇ〜しっかりいぃ……へんぢをしろおおぉぉ」

 

「分かった」

 

「んふふぅ〜わかればよぉろぉしぃ〜」

 

 尤も、それを思う存分に楽しんでいるのは、フィルヴィス一人だけなのだが。

 酔いどれエルフと化した少女に絡まれながら、フェイドはそう思う。

 

 彼女の言葉遣いは徹底的に呂律が破壊されており、一挙手一投足が蕩けている。

 ちなみに、果実酒を数杯飲んだだけでこの状態が出来上がった。

 

 何か変なものが混入しているのかと思い、店主にフィルヴィスの異変について尋ねたが、そのような事はあり得ないと言われた。

 物は試しにと彼女のグラスをひったくって一口だけ飲んでみたものの、フェイド自身は何ともなかった。

 

「おまえぇ〜ぶんしんすることもれきたんらなああぁぁ〜?」

 

 以上の点を踏まえて、フェイドは一つの結論を導き出す。フィルヴィスは酒に弱いのだと。

 酔っ払った彼女の視界には、一体何が映っているのか。さぞかし愉快な世界が展開されているのだろう。

 

「出来ないが」

 

「うそぉらああぁぁふたりいるらろおおぉぉ」

 

「嘘じゃないが」

 

「まぁたぁうそついたああぁぁ」

 

 厳密には【写し身の雫】と呼ばれる霊体の召喚という方法があるのだが、少なくともこの場で語るべき事ではない。

 

「そうだな」

 

「んふふぅ〜やっとみとめらかぁ〜」

 

「ああ」

 

「それれらぁ〜ふぇいろおぉ〜わらしぃ……おまえにたくさん〜いいたいことがあるんらぁ」

 

 そうして、駄々をこねる幼児のようなフィルヴィスを、フェイドは醸造酒を何杯も飲みながら適当に受け流し続けた。

 愚痴やら感謝やら謝罪やら。酒に溺れるまま、溜まりに溜まった諸々を垂れ流す彼女の受け皿に徹した。

 

 

 

━━━━━━━━━━━━──────

 

 

 

「………………」

 

 やがて、ジョッキの中の醸造酒が底を突いた事に伴い、フェイドは隣に視線を向ける。

 

「すぅ……すぅ……」

 

 フィルヴィスはいつの間にか机に突っ伏して眠りこけていた。満足げに、酒気を盛大に帯びた寝息を立てながら。

 

 どうやら、酒というのは摂取した者の情緒を激しく掻き乱す飲料らしい。

 そして、内に抱えたものを吐き出させることが求められる用途なのだろう。

 フィルヴィスの凄まじい絡み酒を経て、フェイドは新たな学びを得た。

 

 或いは、狭間の地でも吐瀉物(ゲロ)で攻撃してくる輩が居た事を踏まえると、胃袋の内容物によっては攻撃手段にも使える可能性がある。

 幾ら飲もうが酔いも吐き気も催さないフェイドでは、選択肢にも入らない手段だが。

 

 何はともあれ。彼女が酔い潰れた以上、この場所での用事は済んだ。そのまま、フェイドは会計を済ませようと立ち上がる。

 

「………………」

 

 そうして、緩慢とした動作で振り返り、フェイドは店内の様子に意識を向けた。

 仲間の失敗談に腹を抱えて笑う獣人。赤ら顔のまま、酒を何杯も呷るドワーフ。

 頬に手を当て料理に舌鼓を打つアマゾネス。機敏な所作で料理の配膳をするエルフ。

 

 空席の掃除をしている鈍色の髪のヒューマン。

 

 十中八九、これは偶発的な遭遇である。フィルヴィスが寄り道するなどと言い出さなければ、このような状況にはならなかったのだから。

 この遭遇は相手からしてみても想定外であり、こちらが何かしらの行動を起こす必要は無い。

 

「起きろ」

 

「んううぅぅ……」

 

 フェイドはそう判断すると同時に、フィルヴィスの肩を揺すって起きるように促す。

 だが、彼女は微かに身じろぎをするだけで、すっかり眠りこけている。起きる気配は皆無だった。

 

「………………」

 

 この酔い潰れた少女も、武器や防具と同様に虚空に仕舞い込めれば楽なのだが。

 そんな事を考えながら、フェイドはフィルヴィスの両手を掴んで背負う。

 

 彼女の重量は許容範囲内。おおよそ大剣(クレイモア)と同程度の重さなので、走る事も転がる事も可能である。もし仮に、この後荒事が起きたとしても差し支えは無い。

 

「………………」

 

 そちらが手を出さないのであれば、こちらも手を出さない。そんな意を込めた視線で、丁度掃除を終えた件のヒューマンを一瞥する。

 

 そして、伝票に記されている代金を近くに居た獣人のウェイトレスに手渡し、フェイドは豊饒の女主人を後にした。

 

 

 

━━━━━━━━━━━━━━━━━━

 

 

 

 夜も更けた頃。最後の客が店を出た事を皮切りに、豊饒の女主人に緩慢とした空気が流れ出す。

 後は、皿洗いや店内の清掃を済ませれば今日の仕事は終わりといった状況だ。

 ヒューマンの少女は仕事の終わりを目前にして一息ついたのち、モップを片手に作業に取り掛かる。

 

「何か良い事でもあったのですか、シル」

 

 そんな中、机を拭いている同僚のエルフに話し掛けられた。作業の手は止めずに、シルと呼ばれたヒューマンはそちらを向く。

 

「うん、今日は一段と面白いお客さんが来たから」

 

「ああ……あの白いエルフの方と黒いヒューマンの方ですね」

 

「そうそう、あの人たち服の色は正反対だけど、お酒の強さも正反対なのが可笑しくて」

 

「確かに。エルフの方は凄まじい絡み酒でしたが、ヒューマンの方はおそらく素面で対応していましたからね」

 

 人知れず、彼女らは仕事の傍らで覗き見ていた。酒に滅法弱いエルフと酒に滅法強いヒューマンによる、寸劇めいたやりとりを。

 

「ふぇいろおおぉぉ……いつもありがとなああぁぁ……とか、ふぇいろおおぉぉ……ずうっとだまっててごめんなああぁぁ……とか言ってたニャ」

 

「色々と溜め込んでるものがあったのかも。お酒の力で解消出来てたらいいんだけど……あの感じだと起きたら忘れてるんじゃないかしら」

 

「あいつも嫌な顔一つしないで、構わない〜だとか気にするな〜だとか淡々と返してたニャンな」

 

 あの白黒二人組について、他の同僚達も気になっていたのか、次々と会話に混じりだす。

 

 白い方が数杯の果実酒であの状態に陥った事や、黒い方が話に付き合わされている間に酒瓶を何本も空けていた事。

 仏頂面が気に食わないからと、白い方が頬を引っ張って無理矢理に笑顔を作り、黒い方は無抵抗でそれを受け入れていた事など。

 

 次々と話題に上がる対極的なリアクションは、数え切れない客をもてなしてきた彼女らであっても近年稀に見る珍事であり、共有せずにはいられない出来事だった。

 

「しかし、あの方は店を出る直前に貴女を見ていましたが、知り合いか何かですか?」

 

 そんな寸劇に注目していたが故に、彼の去り際の一瞥が気になったらしい。エルフの同僚は、彼との関係性について尋ねてくる。

 

「別に知り合いって訳じゃないよ。外で歩いてるあの人と、偶々目が合っただけ。……あっちもそれを覚えてたんじゃないかな?」

 

「そうでしたか。知り合いというには、彼があなたに向ける視線は少々鋭いような気がしたので……」

 

「ええっ!? シル、あの男に目を付けられてるニャ!? か弱い街娘を狙うニャンて不届き───」

 

「───不届き者は沢山金を落としてくれた客に対して言い掛かりを付けてるアンタの方だよアーニャ! 口動かしてないで手ぇ動かしな!」

 

「ギニャアアアアァァーッッ!? 仰る通りでございますニャアアアアァァ!!」

 

 あれやこれやと作業と並行して会話していると、店主による雷が落ちた。唯一、話す事だけに夢中になっていたウェイトレスに対して。

 

 姿勢と耳と尻尾を跳ねるように直立させながら、アーニャと呼ばれた獣人は無意識に止めていた作業へと取り掛かる。

 

「……一緒に来られたエルフの方をしっかり介抱していたので、無闇に因縁をつけるような方では無いかと思いますが……何かあったら私達に言うんですよ?」

 

「うん、ありがとう」

 

 忙しくなく動き回る彼女の様子を横目で見たのち、少女は同僚の気遣いに笑顔で頷いた。

 そのまま、彼女らの話題は今日の売り上げや、明日買い出しが必要な食材に関するものへと移る。

 

 しかし、同僚達の雑談に相槌を打ちながらも、少女は客として来た黒装束の男について思案してしまう。

 それも無理のない話だった。最後に見た彼と今回店を訪れた彼の様子は、同一人物か疑わしい程に見違えたものだったから。

 

「………………」

 

 店を出る直前まで、彼はこちらに気付いてはいなかった。

 

 そもそも、今までであれば気付いたとて、無視を決め込んでいただろう。取るに足らない背景と同等の存在として。

 だというのに、今回はこちらの視線を察知するや否や、動きを止めて振り返ってきた。まるで、そうする理由が出来たと言わんばかりに。

 

 彼がこちらを警戒した理由は、おそらくは己の身を守るというものではなく、仲間を気遣っていたからだ。

 何故そうなったのか、切っ掛けが何なのかは、その場に居合わせていなかった少女には知る由もない。

 

 

 

 それでも、少女の双眸は捉えていた。

 

 

 

 彼が持つ色褪せた魂の、極僅かな変容を。

 

 

 

 正体を知られてしまったのは些か遺憾ではあるが、不幸な偶然として受け止めておこう。それ以上に面白いものが見れたのだから。

 与えられた役割を全うするだけだった筈の存在が、役割に何ら関わりの無い他者を気遣う。それが愉快で仕方なかったから。

 

「あの人、また来てくれるといいなぁ……」

 

 もはや、持たざる者ではなくなった彼の行く末を見届ける事。

 それは、少女に擬態した女神の密かな楽しみとなった。

 

「ニャッ!? まさかの相思相愛───」

 

「───アーニャ?」

 

「はいニャ……」

 

 少女の呟きを耳ざとく拾った獣人は、即座に食いつこうとしたが、店主の圧に満ちた声によって撃沈した。

 

「………………」

 

 彼女も懲りないな。そう思いながら、少女は思考を打ち切って掃除を進めてゆく。

 

 そして、明日の準備も含めた作業が完了したのち、店内の明かりは消えた。

 【豊饒の女主人】は、今日も無事に客の腹を満たすという役割を果たした。

 

 

 





やや蛇足気味なお話となってしまいましたが、わざわざ原作で関わっていない豊饒の女主人に寄り道させた理由は、最後の場面以外にも色々あります。

もしかすると、ダンまちの二次小説を沢山読んでいる方であれば、今後の展開も察しがつくかもしれませんが。

この先、集団があるぞ
そしておそらく犬

読んでいただきありがとうございました。
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