白昼というには仄暗い灰色の空。辺り一面を覆う分厚い雲からは、大きな雨粒が絶え間なく降り注ぎ、外を濡らしてゆく。
先程までは小雨だったというのに、いつの間にか外はすっかり大雨となっていた。
そんな中、フェイドとフィルヴィスは墓地から少し離れた場所にあった小高い丘の大木の下で雨宿りをしている。
その理由は隣に座り込むフィルヴィスの、帰りたくないという一言から。
しかし、頻りに地面へと降り注ぐ雨音とは対照的に、二人の間には沈黙という帳が下りていた。
「………………」
濡れそぼった墓地の風景を、フェイドはぼんやりと眺める。何処までも続く、規則的に並べられた墓石を一つ一つ数えながら。
その景色に、
この世界における生命の摂理は、狭間の地とは違って正常に機能している事が、その景色からは窺えた。
「…………どうして、何も言わないんだ?」
などと考えていると、隣からフィルヴィスの掠れた声が聞こえて来る。
彼女の声音に含まれているのは、27階層で襲撃を受けた際、加勢出来なかった事に対する居た堪れなさか。
死んだフェイドを放ったらかしにして、地上まで戻ってきた事に対する後ろめたさか。
今の今まで、自分も同類である事実をひた隠しにしてきた事に対する罪悪感か。
それら全てか。
「何も聞かれていないからだ」
そんな彼女の問い掛けを簡素な返答で跳ね返し、フェイドは視線を巡らせて墓石を数える。たった今、四桁を超えた。
「いつも、いつも、お前は……平然としているな……」
こんなにも、私は動揺しているというのに。フィルヴィスは震えた声でそう呟いて、再び俯く。
そこに居るのは、フェイドに対して常に道を示し続けていた普段の彼女とは程遠い。標を見失い、途方に暮れた少女だった。
「質問が欲しいのか」
「っ……そんな事は───」
「───お前が今抱えているもの。それが、どのような形をしているのか。どれだけの大きさで、どれほどの重さなのかを教えろ」
そのような、普段の様子からは考えられない無様を晒す少女へと、フェイドは間髪入れずに問う。
十中八九、フィルヴィスはこの死者が眠る墓地に相応しくない、生命の摂理に反した不死者である。
狭間の地に於いても、霊馬であるトレントを除けば唯一無二。初めて出会った同類とも呼べる存在だ。
だというのに、何故こうも己の命の捉え方に相違があるのか。フェイドにとっては、それが不可解だった。
だからこそ、フェイドは問う。今この瞬間、その心を蝕んでいるものが何なのかを。
「そ、そんなもの……言葉だけで、伝え切れる訳が……」
無い。そう言い切る直前で、フィルヴィスの声は途切れた。
やがて、何かに気付いたかのように、赤緋の瞳が見開かれる。
「結局……私は……あの日の悪夢を、乗り越えられていなかったんだな」
沈鬱とした表情でそう呟いたのち、フィルヴィスは唇を噛み締め項垂れてしまう。
彼女の呟きを皮切りに会話が途絶え、二人の間に再び沈黙が生じる。
「………………」
このやり取りを経て、フェイドは得心した。今にして思えば、彼女が面持ちを曇らせている場面には、いつだって
直接的な回答は得られなかったが、その苦悩の輪郭は掴めたように思えた。掴めただけで、共感は全くもって出来ないが。
「それは、乗り越える必要がある事なのか」
「…………え?」
故に、フェイドは淡々とした面持ちで問う。フィルヴィスが呟いた行為の必要性を。
乗り越えるというのは、結局のところそれに手をかけ、足蹴にするという行為だ。
そうすれば、それは自分の中で矮小なものとなるだろう。昔はこんな出来事もあったと。
「……私は、乗り越えなくてもいいのか?」
「知らない」
その是非を決めるのは自分自身である。フェイドには提案しか出来ない。
「それなら! それなら、私はどうすれば───」
「───逃げればいい」
逃げてから、新たな手段を講じてまた挑むか、いっそ迂回してしまえばいい。
彼女に対して、新たな選択肢を提示する。実際、そのようにしてフェイドは狭間の地を旅してきた。
強大な敵を前に手応えが感じられなくなった時、そうして新たな道を拓いてきた。
あの時もそうだ。あの食虫植物の襲撃を受けた時、フェイドを置いて逃げてさえいれば、フィルヴィスは屍を晒さずに済んだ。
「………………そんな事、出来る訳、ない」
「何故だ」
冒険者として生活する以上、撤退の判断をする機会は確実に訪れる。現に今までもそうしてきた。
にも関わらず、出来る訳がないというのは何故か。フェイドは素朴な疑問を投げかける。
「……、……、……っ」
しかし、フィルヴィスの口から出てきたのは、質問に対する回答ではなく、途切れ途切れの吐息だった。
言おうか、言うまいか。彼女の様子には並々ならぬ逡巡や躊躇といったものが混じっていた。
「………………」
どうやら、逃げろという提案はフィルヴィスに更なる焦燥をもたらす結果に終わったらしい。
小刻みに震え、自らの身体を掻き抱く姿に、フェイドはそのような雰囲気を感じ取った。
幾ら待っても、彼女が口を割る気配は感じられない。時間だけが徒に過ぎゆくばかり。
手持ち無沙汰となったフェイドは、墓石を数える作業に戻ろうとする。
「だって、私は、逃げ……なかったから」
だが、その直前で、フィルヴィスの意は決した。
「………………?」
逃げなかった。そんな曖昧な言い回しに疑問符を浮かべ、フェイドは隣を見やる。
その視線から目を逸らすかのように、フィルヴィスは俯いて語り始めた。
「フェイド。私は……逃げる事すら、出来なかったんだよ。あの日の悪夢から」
まるで、古傷を抉るかのように。彼女が居合わせた、27階層の悪夢の真実を。
あの日、ディオニュソス・ファミリアを含めた討伐隊は
そして、殆どが27階層のモンスターによって食い殺された。ここまではアウラの話と相違無い。
しかし、フィルヴィスの先達らは、為す術も無く死んだ訳ではなかった。
その数を大きく減らしながらも、フィルヴィスと共に生き延びていたようだ。
だとしても、それは他の者達と比べて誤差程度の時間でしかなく。
ともすれば、更なる地獄を味わうだけの延命に過ぎなかった。
モンスターの大群から退いた先で、フィルヴィスが最初に聞いたのは、奇怪な金切り声だった。
次に、フィルヴィスが見たのは、醜く蠢き脈動する緑の肉だった。
そして、フィルヴィスが浴びたのは、触腕の一振りによって肉塊にされた仲間の返り血だった。
突如として現れた正体不明の化け物は、ディオニュソス・ファミリアの生き残りを瞬く間に壊滅させたのだという。
であれば、何故彼女は此処に居るのか。過程は違えど結果は変わらず、彼女は先達を見捨てて逃げたのか。
そもそも、27階層の悪夢が勃発した時点で、彼女は不死身だったのか。
答えは否である。
フィルヴィスは当初、逃げようとした。自分たちを置いて逃げろという先達の痛哭に従って。
だが、最後の最後、背を向けた瞬間。フィルヴィスの耳に届いてしまったのだ。死にたくないと、助けを求める声が。
そして、彼女は歯を食いしばり、引き返して立ち向かう事を選んだ。今まさに先達を取り込もうとしている化け物に。
そして、彼女は一矢報いる事すら出来ず、返り討ちに遭った。たった一言の、今際の際に漏れ出た声のせいで。
しかし、その化け物はフィルヴィスに人としての死を許さなかった。
事切れて朽ちゆく筈だった亡骸に、自らの分け身を埋め込んだのだ。
結果として、彼女はこの世界に二度目の生を受ける事となった。
人と怪物の
その命は、尋常の方法では絶つ事は出来ない。自刃を繰り返しても、血という血を流し尽くしても、全身を魔法で焼き焦がしても。
あの時のように、首の骨を折られても。
埋め込まれた分け身が忽ちのうちに身体を修復し、フィルヴィスを死の淵から生還させるのだ。
彼女は逃げなかった。死にゆく仲間を見捨てず、決して勝てぬ敵に立ち向かうという高潔を示した。
故に穢れた。正しき死を奪われ、間違った生を与えられた。
そして、これからも彼女は己の宿痾から逃げる事は出来ない。
「………………」
一通り話を終えたのか、フィルヴィスは浅い吐息を漏らした。
雨勢は強くなるばかりで、空は一向に晴れる気配を見せない。
止め処なく降り注ぐ雨は、まるで檻のように二人を閉じ込めている。
「本当は、私もあそこで彼らと共に眠っている筈だったんだ。それで、良かったんだ」
掠れた呟きと共に、フィルヴィスの視線は連綿と続く墓石へと向く。
赤緋の瞳は、少し歩けば届く距離にあるそれらを遠い目で見ていた。
死に損ない。今の彼女を呼称するならば、それ以外に相応しいものは存在しないだろう。
「………………」
フェイドは推察する。初めて出会った時に無理やり連れ出したのは、同族を求めたが故の行動だったのかもしれないと。
ダンジョンの片隅に転がる死体が蘇った瞬間。彼女は如何なる感情を抱いたのか。確かめたところで、もはや詮無き事ではあるが。
「……なあ、教えてくれ。どうして、お前はそんなにも強く在れる」
その問いを受け、フェイドの視線は隣に座り込んだフィルヴィスに向かう。彼女は、こちらに対して縋るような眼差しを向けていた。
「俺は弱いだろう。お前が居なくなった途端に死んだ」
事実、ダンジョン探索において、フィルヴィスの援護が無ければ死ぬような場面が幾度となくあった。
きっと、あの赤髪との戦闘の際に彼女が居れば、相討ちなどという選択を取らずに勝てた。
つまり、フィルヴィスが感じているフェイドの評価は全くもって的外れなのである。
「違う。私が言っているのは、そういう事じゃない」
しかし、彼女からすればフェイドの返答こそが的外れだったようだ。
「……熱くなって、冷たくなって、苦しくなって、楽になりたくなる。それが、死というものだ。だというのに、お前は平然としながら蘇る」
あの時、あの赤髪に首を折られた時点でフィルヴィスは死んだ。
そして、蘇った。おそらくはフェイドに宿る祝福と似たような力によって。
「何故、壊れない。何故、傷つかない。お前が死して尚、そうやって動ける理由は何なんだ」
どうやら、この黄泉帰りを、フィルヴィスは祝福ではなく呪いと捉えているようだ。
死んで、蘇る。不死者であれば当然の現象に対し、強さなどという言葉を使う事自体が、何よりの証明だった。
「………………」
彼女は知りたいのだろう。フェイドがこうも己の生き死にに無関心である理由を。或いは、そうなった切っ掛けを。
「俺は最初から
だが、彼女の期待には応えられない。
「……どういう事だ」
【ブロードソード】、【青紋のヒーターシールド】、【指の聖印】。返答をする代わりに、フェイドは虚空からそれらを取り出す。
「今こんな物を取り出して何に───」
「───こんな物が、狭間の地で目覚めた直後の俺の全てだ」
もう使わなくなったそれらの武具と、現在も身に纏っている密使の黒装束。かつての自分が何者だったかを示す物は、それだけだった。
「俺は、俺が何者であるかを知らない」
野望、展望、執念、信念。そんな物は、目覚めた時点で漂白されていた。
繰り返される祝福の言葉だけが、この身体を突き動かしていた。
だから、答えられない。という旨をフェイドはフィルヴィスに対して伝える。
「っ…………!」
使命に殉ずる為、人間性を捧げたのではない。
運命に立ち向かう為、絶望を焚べたのではない。
宿命を超克する為、死に祈ったのではない。
王となれ。その命令を遂行する為だけに、この身は在ったのだ。
平然とした面持ちで告げられる酷烈な事実は、フィルヴィスの息を詰まらせた。
自己を定義する背景は無く、ただ与えられた役割を全うするだけの
それこそが、フェイド・ストレンジアと名付けられた褪せ人の正体だったのだから。
空から降り注ぐ雨の音が、生じた沈黙を微かに揺らす。横合いから吹いた風が、死者の眠る土の匂いを運んでくる。
「………………」
そうして、何も言えずに絶句するフィルヴィスを見つめたのち、フェイドは木陰から出ようとした。
空は依然雨雲で覆われているが、疑問は晴れた。既にフェイドの中では、この場に留まる理由が無くなっていた。
「ど、何処に……行くんだ……?」
だが、そうして立ち上がる寸前。フィルヴィスはすかさず声を掛けてきた。雨音に掻き消されそうな程に弱々しい、不安に満ちた声色で。
「ダンジョンだ」
そんな彼女に対して、フェイドは無遠慮に告げる。行く先はディオニュソス・ファミリアのホームではなく、たった今脱出したばかりのダンジョンなのだと。
「──────」
雨がより一層強く降り注ぐ。大樹の枝葉すらも通り抜けてしまうのではないかと思う程に、強く。
「───も、もう……私と、組むつもりは……無い、という事か?」
やがて、彼女は途切れ途切れの声で二の句を継いだ。今にも目尻から決壊しそうなそれを、寸前のところで押し留めながら。
行く先はダンジョン。その言葉が意味しているのは、これまでの関係の解消。
ディオニュソス・ファミリアを抜け、フェイドはこれまで通り名も無き褪せ人に戻る。
このような死に損ないに時間を割くぐらいならば、そうした方が遥かに有意義なのだから。
「違う」
などと、フィルヴィスは解釈したのだろう。
「………………ぇ」
フィルヴィスの精一杯の問い掛けに対して、フェイドはあっさりと否定を返した。
最初に会った頃とは違う。惰性でダンジョンを彷徨うつもりなど毛頭無い。
今のフェイドには、ダンジョンに潜る明確な目的がある。定めた標的を殺すという目的が。
「お前の話に出てきた化け物を殺しに行くだけだ」
あの植物めいたモンスターは、例の化け物の眷属なのだという。
あれらと遭遇して戦う度に狼狽えられては、敵うものも敵わない。
「どう……して……?」
「必要だと思ったからだ」
乗り越える事も逃げる事も出来ないのであれば、外的要因によってそれらが排除されるのを待つしかない。
だからこそ、フェイドはその外的要因になろうというのだ。フィルヴィスとの連携が作用するかどうかが、今後の生存確率に直結しているのだから。
「どうして……
弱々しい声音で重ねられた質問。それを聞いて初めて、フェイドは答えに窮した。
自身がここまで能動的に行動しようとする理由が、咄嗟に口に出せなかった。
「………………」
フェイドは自問する。これは、自分にとってどういった行いに該当するものなのかを。
しかし、自答が出来ない。これを言語化するものが、思考を巡らせど全く見当たらない。
そもそも、何故この墓場までやって来た。本来の目的は、あの赤髪がこちらの素性を知っていた理由を解き明かすためだというのに。
そもそも、何故わざわざ地上まで戻って来た。望まれるがまま、あの異端のモンスター達と行動を共にするという選択肢も有ったというのに。
そもそも、何故27階層を巻き込んでまで、あの場で赤髪を仕留めようとした。仇を取ったところで、何も得られないというのに。
そもそも、何故自分はこうも彼女に拘泥しているのか。【祝福擬き】が指し示す先に、偶然彼女が居ただけだというのに。
何故、何故、何故。ダンジョンへの再突入を前にして、思考回路が迷宮入りしたような感覚に陥る。
「──────」
だが、思考を止めずに己に問い続ければ。
「───これからも、お前と……
そんな一言が、自然と出てきた。
ダンジョンに向かい目的を果たせば、その後はこれまで通り戻って来る。そのように、フェイドは己の意志を表明した。
「………………」
しかし、質問に答えたというのに、一向にフィルヴィスからの反応が返ってこない。
「………………?」
やがて、雨音に混じって聞こえてくるのは、言葉ではなく啜り泣くような声。
何かと思い、隣に視線を向ければ。
「っ……っっ…………」
フィルヴィスはその双眸から涙を流し、嗚咽を漏らしながら、こちらを見つめていた。
「お、ま……えっ……ずる……いっ……」
「何がずるい」
「こんな、時にっ……名、前……初め、て……っ」
彼女の言葉を受けて、フェイドはふと気付く。目の前に居る少女の名前を呼んだのは、これが初めてだと。
初めて出会った時から、今日に至るまでの数ヶ月間。今まで一度たりとも、彼女の名前を呼んでいなかったのだと。
だとしても、腑に落ちなかった。たったこれしきの事で、あのフィルヴィスが泣くとは思えなかった。
「それで、何故泣く」
涙の理由を尋ねると、その赤緋の瞳を大きく見開いたのち、彼女は膝を抱えて顔を覆い隠してしまう。
「っ……泣、いて……ないっ……!」
くぐもった反論が聞こえて来るが、震えた声で言われても説得力は皆無であった。
しかし、彼女の言動の差異を指摘したところで、更に意固地になるだけだろう。
「そうか」
触れられたくないのであれば離れるべきか。フェイドは今度こそ立ち上がってダンジョンに向かおうとする。
「──────」
その寸前。徐に伸ばされたフィルヴィスの手が、フェイドを引き留めた。
フェイドの腕を握る力は、容易く振り払える程度には弱々しい。
「……っ……行か、ないで……っ」
フェイドは思う。さっさとこの場から立ち去ってダンジョンに行くべきだと。
何かを殺し、道を切り開く。それ以外の手段で、この身が貢献出来る事など存在しないのだから。
「………………」
だが、フィルヴィスの手を振り払おうとすると、意志に反して腕が硬直した。
彼女の停滞の原因が其処に在って殺せるならば、そうするのが最善だというのに。
あの赤髪と交戦した際も不可解な現象が起こったが、一体何が原因なのか。
「わかった」
幾ら考えたところで、先ほどと違い答えは出ない。結局、フェイドは浮かびかけた腰を再び下ろす。
「っ……っ……ごめん、なさい……っ」
やがて、嗚咽混じりの声でフィルヴィスは謝罪を述べてきた。
何に対しての、誰に対しての謝罪なのか分からなかったので、口を噤む。
「………………」
「ひぐっ……っっ……ぐすっ……」
そうして、フェイドは隣で黙って聞き続けた。感涙か悲涙かも定かではない、フィルヴィスの啜り泣く声を。
教材の一環として読んだ物語では、この後空は忽ちの内に晴れていた。
だが、生憎とこれは現実である。たった一人の心模様の変化が、空の模様に反映される筈が無い。
「……空、晴れないな」
「………………」
泣き止んだフィルヴィスと共に、フェイドは木陰の外の景色を眺める。外は依然として土砂降りの雨だった。
勿論、今からでも帰ろうと思えば帰れる。雨に濡れるのが嫌ならば、大盾か何かを傘代わりにすれば良いだけなのだから。
しかし、その旨を彼女に伝えてみたところ、首を横に振られた。曰く、雨が止むのを待ちたい気分なのだと。
「………………」
結局、フィルヴィスの話に出てきた化け物を殺しに行く話も無くなった。というよりも、他ならぬ彼女自身が諌めてきた。
何処に居るかも、どれだけの深さの階層に潜んでいるかも分からぬ存在を無闇に追い求めるのは不毛であると。
そして、フィルヴィスは涙を拭いながら約束した。今度同じような場面に見舞われた際には、必ず対処してみせると。
その言葉を受けて、フェイドは引き下がると決めた。彼女の決意の真偽は、もう一度あれらと遭遇した際に定かとなると思ったから。
「……フェイド」
「何だ」
改めて、この場にある墓石を数え直してみようかと考え始めたところで、フィルヴィスが名前を呼んできた。
「私は、自分の過去について話したよな」
「ああ」
「……だったら、今度はお前の番だ」
「………………?」
今度はお前の番だ。その発言の意図が読めず、フェイドは首を傾げる。
彼女にはもう既に話した筈だった。自分が何処からどのような経緯で此処に辿り着いたのか。
「お前が狭間の地とやらから追放された褪せ人で、自身の生い立ちの記憶が無いというのはもう知っている」
「ああ」
「……だが、そんなお前が、今までにどのような旅をしてきたのかは聞かされていないだろう?」
「そうだな」
「…………だから、教えてくれ。お前の今までを」
フィルヴィスはそう言い、赤緋の瞳をフェイドに対して真っ直ぐに向けてくる。
こちらは教えたのだから、そちらも教えろ。彼女が現在行っているのは、そういう類の要求だった。
知りたいと言うのならば、隠す理由は無い。最も古い記憶まで遡ったのち、フェイドは口を開く。
「俺は、最初に寂れた礼拝堂で目覚めた」
「礼拝堂……? 確かにお前の黒装束は見ようによっては聖職者のようにも見えるが……」
「そこには死体があって、すぐ側には
「……その内容は?」
「【エルデの王に、おなりください。たとえ導きが壊れていても】」
「…………エルデの王。それで、お前はどうしたんだ?」
「その
「………………」
フィルヴィスとは違い、語るべき経歴は存在しない。進んで、死んで、殺すを繰り返すだけの旅路だった。
そんな、山なし谷なしの平坦な過去の話を終えたところで、フェイドは再び視線を前に戻そうとする。
「………………」
しかし、この話の内容はフィルヴィスのお気に召すものでは無かったらしい。
静かに。だが、力強く。細められた眼差しは、フェイドに対して話の続きを促していた。
話の起承転結の内、承と転を敢えて省いたのだが、フィルヴィスの焦点は省いた部分に当たっていたようだ。
「……礼拝堂の扉を開けば、外は夜だった。だが、明るかった」
「明るかった? 照明になる物でも有ったのか?」
「違う。黄金に輝く巨大樹が聳え立っていたからだ」
「黄金に輝く巨大樹、か……」
そうして、可能な限り事細かに、フェイドは彼女に伝わるように順序を踏まえて話した。一つ一つ、当時の出来事を思い返しながら。
フェイドは語る。どのような場所を探索し、どのような物を手に入れたのかを。
どのような敵と戦い、どのような手段で打ち倒したのかを。
どのような人物と出会い、どのような過程で別れたのかを。
狭間の地にもダンジョンと似て非なる地下世界がある事を語れば、フィルヴィスは驚きの表情を浮かべた。
その話の中で
褪せ人には指
自分は巫女無しと揶揄されていた事を補足したところ、どうしてか彼女は安堵の溜め息を吐いた。
フェイドにとっては単なる情報でしかないそれらを、フィルヴィスは真剣な面持ちで聞き入る。
そうして、時折り飛んでくる彼女の質問に答えながら、フェイドは自らの旅路を回顧していった。