神殿めいた古めかしい石造りの祭壇を、四炬の赤い松明が火の粉を弾かせながら照らしている。
祈禱の間。ギルドの地下に建造されたその空間は、建物の外観と同様に荘厳な雰囲気を漂わせていた。
「………………」
そんな地下室の一角で、広げられた羊皮紙を眺めている者が一人。
肌を一切露出しない、闇に溶け込むかのような黒衣で身を包んだ人物だ。
浮世離れした装いとは裏腹に、黒衣の人物が身に纏っているのは戸惑い。その原因は、ダンジョンの中で勃発した異常事態にあった。
27階層の迷宮部が、突如として原型を留めなくなる程に破壊し尽くされた事。
それに伴い出現した、迷宮の防衛機構たる【厄災】が、間も無くして討滅された事。
自らが仕える神より告げられた異常事態を受け、黒衣の人物は素早く行動を起こした。
調査の末、とある冒険者の名前が挙がった。
羊皮紙に記された名は。
「フェイド・ストレンジア、か」
その名を呟きながら、黒衣の人物は冒険者登録の際に描かれた人相書きを眺める。
「………………」
眺めるものの、長い前髪と目深に被ったフードによって、殆ど意味を成してはいない。
提出された資料に関しても、経歴や出身地を含めた殆どが曖昧だった。ギルドの杜撰な管理体制に溜め息を吐きたくなる程度には。
所属しているファミリアは、ディオニュソス・ファミリア。
冒険者としての立ち位置は、このオラリオでも上澄みに位置するLv.3。
名前、所属、ステイタス。それだけが、ギルドが現状把握している彼に関する情報だった。
「……どうする、ウラノス」
やがて、一通りの整理を終えた黒衣の人物は判断を仰ぐ。祭壇の最奥、石造りの神座に腰掛ける神に対して。
「………………」
座ったままの姿勢でも窺える程の巨躯。老境である事を示す、深い皺が刻まれた顔立ち。静謐さを湛えた、蒼色の瞳。
名は、ウラノス。迷宮都市の管理を担う組織、ギルドの主神であり、この地に最初の神の恩恵を齎したオラリオの創設神だ。
彼はこの祈禱の間から、ダンジョン内で発生した異常をいち早く察知し対処に当たらせたのである。
27階層を隈なく破壊し尽くした者。そして、現れし【厄災】を瞬殺した者。
それらを成した存在が、フェイド・ストレンジアと名乗る人物だったとしたならば。
この都市の秩序を保つ者として、不穏分子となり得る人物を看過するなど、愚の骨頂である。
故に、黒衣の人物は自らが仕えるウラノスに求めた。この異常事態の犯人、もしくは重要参考人に対しての然るべき対処を。
そうして、幾許かの沈黙の後。老神は沙汰を下した。
「見極めるべきだろう」
「……私達に仇なす者かどうかを?」
「いいや、我々の協力者となれる者かどうかをだ」
「………………!」
ウラノスからの指令を受け、黒衣の人物はダンジョンに棲まう協力者達に調査を要請した。
それこそが、
そして、彼等は崩壊した27階層で、フェイド・ストレンジアとの遭遇を果たした。
彼の印象について、実際に対面した
彼に対する疑問が、更に増した。
しかし、裏を返せばそれだけの情報を得られる程度には交流をしたという事になる。
下界の民が思い描く、ありふれた恐怖の象徴。人類の天敵として認知されている筈のモンスターと。
四方八方を取り囲まれ、孤立無援の状況下で。彼は平然と言葉を交わしたのだ。
常識、規範、慣例、道徳。この世界で生きていれば自ずと備わってゆくものが、彼には全く見受けられない。
だからこそ、ウラノスは期待しているのだろう。彼が四面楚歌に風穴を開ける、嚆矢となってくれる可能性を。
「分かった。では、私の方で動向を探っておこう」
「頼んだ、フェルズ」
異論は無い。現状を少しでも良くする手段があるならば縋るべきだ。たとえ、それが容易く沈んでしまう藁だったとしても。
何よりも、彼等は再会を望んでいるのだから。そうして、フェルズと呼ばれた人物は、ウラノスの神意に従い【目】を放った。
「黒いローブに仮面を付けた人物を見かけていないか」
「は……え……? 馬……いや、山羊……?」
「ボフ」
「答えろ」
「そ、そんなの見てねえけど……」
「そうか」
いやいやいや、何だあれ。広間で休息を取っていた冒険者達の呟きを背中に受けながら、フェイドはその場から去る。
現在、フェイドはダンジョンの階層を上へ上へと登り、仮面の人物を探していた。
道すがら、すれ違う冒険者達に目撃情報を尋ねながら。トレントに騎乗したままで。
密使の黒装束から騎士の鎧に変装する程度の分別はあるものの、それは雀の涙程度。
正体が発覚した際の対処法など、フェイドは考えてはいなかった。
実際、金の気配を感じ取った連中から、詰問や追い剥ぎ紛いの行為を仕掛けられた。
近くに居たモンスターを祈祷で消し炭にした途端、彼らは唾を飛ばす口を閉じたが。
しかし、リスクに見合うリターンは未だ得られてはいない。仮面の人物の足跡は、影も形もなくダンジョンの中から消え去っている。
「………………」
目撃情報を求め、人通りの多いルートを逆走したのが却って裏目に出たか。どうやら、信じるべきは己の直感だったらしい。
そうして、辺りに目配せをしたのち、フェイドは手綱を控えて前進を止める。そのまま、地面に降りた。
霊火と共に消えゆくトレントを尻目に、自らの装いを密使の黒装束に戻す。
27階層から2階層までに及ぶ捜索の末、フェイドは諦めた。自分たちが見舞われたこの事態を、ダンジョン内で完結させる事を。
そのまま、2階層の階段を登り1階層へ。大広間に辿り着けば、そこは、既に人類の領域だった。
「………………」
一角兎の話を聞いて以来、ずっと違和を感じていた。そもそも、赤髪を含めた怪物達は、何の目的で襲って来たのかと。
───奴から話を聞いていたが。
脳裏をよぎるのは、27階層にて刃を交えた赤髪の発言。その言葉の意味が正しければ、彼女は何者かから聞かされたのだろう。
フェイド・ストレンジアの正体について。
その情報に出所があるとしたら、たった一名だけ該当する者が居た。
彼の魂胆に、敵意が含まれているのであれば。フェイドが最初に殺す
知らぬ間に、何者かの監視網に掛かっていただけの可能性もあるが。
「………………」
1階層の大広間の天井。蒼穹の絵画に紛れた青い煌めきを見上げながら、フェイドは立ち止まる。
あの水晶の向こう側に居るのは、27階層に出現した襲撃者に連なる者なのか。
と、一瞬考えたものの、オラリオの最重要施設であるバベルに斯様な仕掛けを仕込むのは至難であると思い直す。
であれば、ギルドの手の者か。問い掛けるように見つめ返すものの、当然ながら返事は無い。
暫くの間、頭上にある青玉に視線を向けたのち、フェイドは歩みを再開した。
こちらを見張っているという事は、こちらの隙を窺っている事と同義。
そのうち、何かの拍子で出向いてくるという考えから放置した。
そのまま、バベルの出入り口から外に出れば、薄暗い空がフェイドの帰還を迎える。
原因は空を覆う分厚い雲。隅々まで張り巡らされた灰色は、もう間も無く雨が降る事を告げていた。
「………………」
そんな、決壊直前の空の下、フェイドは南東のメインストリートへと向かう。
しかし、その道中。道の曲がり角でとある冒険者の一団と鉢合わせした。
徐に顔を向ければ、そこに居たのは何日か前にギルドのロビーで絡んできた冒険者の男。そして、取り巻きの一部。
「……んだよ、生きてんじゃねえか」
フェイドの顔を見るや否や、驚いたとばかりに仲間と何か囁き合っているが、以前と違い道を遮る気配はなかった。なので、また無視して歩き出す。
「またあの女が───」
しかし、彼の言葉の続きが耳に入った瞬間。
「──────」
フェイドは弾かれるように身を翻した。
空から降り注ぐ水滴が、湿った音を立てながら点々と屋根を打つ。
現在、オラリオは雨に見舞われており、それに伴い市街地の様相も変わっていた。
道行く人々は、雨に濡れまいと荷物を傘代わりにして走り。
道の端に露店を構える人々は、遠のく客足に溜め息を吐き。
恩恵を受けた人々だけは、雨の影響を全く受けずに平常運転。
そんな光景を、一羽の梟が見下ろしていた。まだ夜でもないというのに、巣に篭らず屋根の縁に趾を絡めている。
やがて、一頻り都市の様子を眺めたのち。梟は片目を青く煌めかせ、都市の南東へと飛び立つ。
雨降る上空を横断し、大通りに差し掛かったと同時に、再び舞い降りる。
「………………」
梟の視線の先には、黒装束の男が居た。
ある程度の距離を保っている為、喋っている内容は判別出来ないが、何かを探している様子だった。
進む先々で通行人に話しかけては、首を横に振られたり道の先を指差されたりと、様々な反応を受けている。
会話の時間は最小限。話し掛ける頻度と歩く速度は常に一定。徹底的に無駄を排した挙動は、さながら機械のようだった。
やがて、黒装束の男は煉瓦の塀に囲まれた邸宅を前にして立ち止まる。彼が所属しているディオニュソス・ファミリアのホーム。彼の帰るべき家だ。
「………………」
だが、彼は敷居を跨ぐ事はせずに歩き出した。探し物があるのなら、人手を増やせば良いというのに。
その探し物は、他者に話せる物ではないのか。或いは、頼れる程の関係を構築していないのか。
自らの主神を含めて。黒装束の男に対する考察材料が増えたところで、梟は追跡を続行する。
しかし、人通りが疎になった頃合いを境に、黒装束の男は姿を消す。路地の曲がり角、丁度死角が生じる位置で。
彼には一度監視の目を見破られた。それ故に警戒して距離を取っていたのだが、今回は裏目に出たようだ。
せめて、何を探しているのか突き止めるまでは、見失う訳にはいかない。梟は翼をはためかせ、彼が消えた地点に近づく。
「──────」
迂闊。
それを悟った頃には、既に手遅れだった。
路傍に置かれた樽に着地しようとした瞬間、その樽は一瞬にして姿を変える。
つい先程、梟が追跡していた黒装束の人物。フェイド・ストレンジアに。
そのまま、躱す間も無く、梟は伸ばされた右手に首を鷲掴みにされた。
鳴き声を上げ羽ばたいて抵抗するものの、羽根が虚しく飛び散るばかり。
「何故俺を尾ける」
そして、フェイドはそれが当然であるかのように梟へ喋り掛けた。対する梟も、それが当然であるかのように暴れ続ける。
「答えないなら消し飛ばす。お前ではなく、辺り一帯を」
だが、抑揚の失せた声で発せられる宣告が、左手に握られた触媒から発せられる光が、梟の動きを封じ込めた。
前髪の隙間から覗く褪せた瞳は、示していた。たった今放った言葉に、一切の虚飾が無い事を。
完膚なきまでに破壊され尽くした27階層の迷宮部。その原因こそ、彼である事を。
あれが、今居る市街地で放たれたならば。
どれだけの死人が出るか。
抗う事を止めた梟に対して、フェイドは触媒を構えた手を下ろさずに呟く。
「言葉が分かる。それに、己の命よりも周囲を優先した」
そして、その片目は1階層にあった物と同じ。であれば、ギルドの手先か。
フェイドが梟へと発した言葉は、もはや問いではなく点検だった。
情報を得る為に尾行していたというのに、逆に与える結果となったのだ。
「お前に要求がある」
尚且つ、自身を含めた者達の生殺与奪の権を握られれば、そういった展開になる。
「っ………………」
それでも、駆け引きはまだ終わってはいない。要求次第では、彼が如何なる人物か引き出せる筈。
梟は、梟の片目に嵌め込まれた青玉越しにフェイドを見据えるフェルズは。次なる発言に備えた。
「探している奴が居る。飛んで探せ」
「………………は?」
此処ではない別の場所。仄暗い空間に素っ頓狂な声が響く。そして、その声は相手の耳にも届いてしまった。
だが、フェイドは素知らぬ顔で梟を解放した。雑に、上方向に投げる形で。梟は慌てて姿勢を制御し、看板の上に着地する。
彼が意識を向けているのは、自身を付け狙う密偵ではなく空を飛べる梟。
つまり、優先しているのはギルドの弱みではなく本来の目的であり、この事態は、彼にとっては渡りに船程度の些事なのだ。
『……本来ならば、私が何者か問い詰める場面じゃないのか?』
「どうでも良い」
『………………』
考えが読めない。八百年程度を生き、それ相応の数の人間を見てきたが、この男に類似する者など誰一人として居なかった。
『……探している者の特徴を教えてくれ』
監視していた筈の対象から、人探しを命じられるとは。なんとも奇妙な展開だと思いながらも、フェルズは返事をする。
こうなった以上は、流れに逆らわず身を任せるのが最善であると判断した。
「特徴は───」
そして、フェイドが探している人物の身なりを始めとして、最後に見かけた位置など。諸々の共有を済ませたのち、梟は空へと羽ばたいた。
オラリオ南東の区画には、共同墓地が存在する。第一墓地と称される其処にあるのは、大多数が冒険者の墓だった。
冒険者はダンジョンの中で命を落とすのが常。そして、それは後を絶たない。彼らが死後に埋葬される土地が此処なのだ。
「………………」
そんな、雨によって濡れそぼった墓地を闊歩する人影が一つ。フェイドである。
フェイドをこの場所まで誘導したのは先程捕まえた梟、もといギルドの手先だった。
あの密偵を利用して、ようやく探し当てた。ここに、目当ての人物が居るのだと。
もう既に梟は追い払っている。聖印を発光させた途端、慌てて飛び去っていった。
去り際、密偵は何かを言いたげな様子だったが、フェイドはそれを無視した。
相手の用件を聞いたとしても、今の目的を上回るとは思えなかったから。
それはさておき。長い階段を下ってゆき、フェイドは冒険者達の墓標を通り抜ける。
周囲に視線を巡らせると、目に映るのは何処までも続く墓石の群れ。
それは、この都市で生きて死んでいった冒険者の膨大さを、この都市が織り成してきた歴史の長大さを物語っていた。
「………………」
だからだろうか。
その景色の片隅に居る少女が、酷く小さく見えたのは。
丁度、バベルから外に出たタイミングでフェイドが遭遇した冒険者達。
彼らは見たのだと言う。生気を失くした面持ちで、覚束無い足取りで彷徨う少女を。
彼らは思ったのだと言う。また、
他人の空似や見間違いの可能性は大いにある。寧ろ、それが至極当然の事である。
だが、自分以外の完全なる不死者が実在するかどうか、フェイドはこの目で確かめずにはいられなかった。
「おい」
墓前に立つ少女に向けて、フェイドは声を掛ける。
「───っ!?」
すると、彼女は小さな悲鳴を漏らし、肩を跳ねさせながら振り返ってきた。
今の今まで、その気配にすら気付いていなかったと言わんばかりに。
所々が汚れ、泥だらけの白装束。
青ざめた相貌に、怯えきった眼差し。
普段の様子とはかけ離れた酷い有様。
しかし、記憶の中に居る彼女との相違は無い。一頻り眺めてそんな結論を下したのちに、フェイドは口を開く。
「帰らないのか」
そして、自分の目の前で、首を折られて死んだ筈のフィルヴィス・シャリアに向かって。
無感動な声色で、このような場所で雨に打たれながら突っ立っている理由を問うた。