ダンジョン24階層、大樹の迷宮の終盤。オラリオの冒険者の中でも、中堅以上の者が徒党を組まなければ攻略できぬ危険地帯。
そんな、延々と続く鬱蒼とした森林を、たった二名で突き進む冒険者達が居た。
フェイドとフィルヴィスである。
普段であれば、彼らであってもこの辺りで引き返す頃合い。しかし、二人の歩みは止まらず、更に下の階層へと進んでいた。
ダンジョンの中でも
その理由は、数日前にディオニュソスが寄越してきた封書にあった。
ファミリアには、Sから始まりIで終わる
そして、一定以上の
到達階層を増やす。新たな資源を得る。未開拓領域を発見する。階層主を討伐する。
そういった成果を手に入れる事を、ギルドは一定周期で求めてくるのだ。
ギルド側から難題を課す事によって、ファミリアとしても冒険者としても更なる躍進と成長を促す。遠征とは、その一環なのである。
冒険者は冒険してはならない。などという戯言が広まっているあたり、それも欺瞞めいているのだが。
それはさておき。ディオニュソス・ファミリアの
しかし、Lv.3を騙るフェイドの加入によって、つい最近Dに上がったとの事。
このDという
ディオニュソス曰く、諸々の事情を加味し遠征を免除されていたものの、遂に沙汰が下されたらしい。
掻い摘んで言うならば、ギルドが催促をしてきたのだ。いい加減に、お前らが持つ価値を示せと。
本来ならば、ファミリアの構成員の過半数で遠征に臨まなければならないのだが、今回はフェイドとフィルヴィスの二人だけ。
これは、要請を受けたディオニュソスの抗議により、便宜が図られた結果である。
団員の間には軋轢がある。その状態で遠征に挑めば碌な結果にならないと、ギルドに直談判したのだ。
やがて、下の階層へと続く連絡路、水晶の洞窟を通り抜ければ。悠然と待ち構えているのは翡翠の大瀑布。
フェイドが初めてダンジョンを潜って以来、一度たりとも訪れていなかった水の楽園である。
目的は27階層のモンスターのドロップアイテムや、鉱石の類。言うなれば、この階層の到達をギルドに提示する為の物だ。
ディオニュソス・ファミリアは既に27階層を踏破しているが、それは何年も前の話。
この遠征は、ディオニュソス・ファミリアの主力が、どれだけ力を取り戻したのかを測る試金石も兼ねている。
初めて会った際、フィルヴィスは一人でこの階層まで来ていたが、フェイドを追いかける為に無茶をしたらしい。
単独での到達階層の更新をギルドに報告しなかった結果、今回の遠征はこの27階層までとなったのだ。
それはさておき。出現するモンスターは単体ならばLv.2でも辛うじて対処出来る程度。
それに加えて、フィルヴィスが随伴しているならば物の数ではない。
上空から飛来する
その動作によって生じた隙を狙ってきたマーマンは、フィルヴィスの短剣によって切り刻まれる。
つつがない、迅速な連携によってモンスターを次々と倒しながら、25階層を進んでゆく。
「待て、フェイド」
やがて、巨蒼の滝付近の崖道に差し掛かると、フィルヴィスが制止してきた。
「………………」
足を止めると同時にフェイドは気付く。滝の音に隠れた鋭い風切り音に。
音の方向に視線を合わせれば、そこには縦横無尽に飛び交う緋色の軌跡。
攻撃方法は単純明快。己が有する最高速度を以て、自身の身体を弾丸と成す。つまるところ、凄まじい速さの突進だ。
そして、その数は一つに留まらず。おおよそ数十もの軌跡が、二人を照準に定めていた。
捕捉されている事は明白。しかし、遮蔽となる物は周囲に存在しない。
多少の手傷を覚悟の上で迎え打つ他に、この場を乗り切る手段は無い。
それは、フェイド一人だけであればの話だが。
「【盾となれ、破邪の聖杯───】」
魔法の詠唱が耳に入った途端、フェイドは一歩下がりフィルヴィスに前衛を譲る。
入れ替わるようにして前に躍り出たフィルヴィスが、左手を突き翳す。
「【───ディオ・グレイル】!」
彼女の魔法が発動するのと、イグアスの群れの強襲が始まったのは、ほぼ同時だった。
フェイドとフィルヴィスに殺到する、何十発もの緋色の砲弾。
それに対して二人の前に展開されたのは、円盾めいた白の障壁。
衝突に伴って甲高い音が鳴り響き、眩い閃光が飛び散る。間断なく発せられる音と光は、攻撃の激しさを物語っていた。
「──────」
やがて、一分にも満たない時間が過ぎたのち。大瀑布付近で勃発した攻防は終わりを告げる。
イグアスという名の残弾が尽きた事によって。
守り手たる白の障壁は、その身に傷一つすら付けずにフィルヴィスとフェイドを守り抜いてみせた。
「よりにもよってイグアスの大量発生に出くわすとは。幸先が悪いな」
「そうか」
「……お前は後ろで突っ立ってるだけだから楽だっただろうが、こっちは大変だったんだからな」
フィルヴィスはそう言い、障壁が展開されていた場所を見やる。そこには、イグアスの残骸が転がっていた。
首が折れているもの、脳漿をぶちまけているもの、全身が爆ぜているもの。その死に様は多種多様である。
この鳥は、自らの速度に耐え切るだけの身体を持っていない。寧ろ、それらを犠牲に速度を得たのだ。
直線上に如何なる障害があろうと、自身の命すら敵対者を抹殺する為の弾丸とする。その有り様は、まるで褪せ人のようである。
「………………」
フェイドが辺りに散らばるイグアス達に共感のようなものを覚えていると、不意に至近距離からの視線に晒される。
お前を襲ってきたモンスターの死骸よりも、お前を守った私を労われ。据わった目には、そういった類の不満が込められていた。
「遠征はまだ終わっていない」
そんな彼女の無言の抗議を、鉄壁の正論で弾き返しながら、フェイドは何食わぬ顔で魔石の回収を始める。
「それはっ……そうだな……」
すると、フィルヴィスは不服そうな声をあげつつも引き下がった。
事実、パーティ結成以来初の遠征は、まだ折り返し地点にすら至っていない。
活躍を讃え合うのも苦労を労い合うのも、無事地上に出てからなのだと理解したのだろう。
「だが、忘れるな」
「……‥何を?」
「俺の命は、お前の選択次第で容易に失われるのだと」
集めた魔石を虚空に仕舞ったのち、フェイドは述べる。フィルヴィスの存在があるからこそ、死なずに済んでいるのだと。
「………………言われるまでも無い! というか、それが分かってるなら、少しは私を気遣えと言ってるんだが!」
「遠征はまだ終わっていな───」
「───馬鹿、阿保、仏頂面、唐変木!!」
「………………」
事実を伝えただけだというのに、これ程までに罵られる謂れは有ったのだろうか。
疑問に思いながらも、フェイドは口を慎んでおくべきと判断して前衛に戻った。
そうして、二人だけのパーティは下層の攻略を進めてゆく。出現するモンスターを次々と撃破しながら。
戦闘自体は非常に順調だった。最早、この階層を主な探索階層にしてしまっても良いと思う程度には。
だが、生憎と此処は水の楽園と称される場所であり、フェイドの弱点である河川や湖が其処彼処に存在する。
フェイドは致命的なまでに泳ぎが下手である。地に足が着かなくなった瞬間、どうしてか水没する。
いつ足を滑らせて魚の餌となるかも分からぬ以上、無用な探索は余計な危険を引き込む行為だった。
急流に落ちぬように細心の注意を払って、下層の正規ルートを消化する。
最早、フェイドにとっての最大の敵は、モンスターではなく地形となっていた。
「フェイド」
そうして、27階層の半ばまで差し掛かったところで、隣を歩くフィルヴィスに呼び止められた。
「何だ」
足は止めずに視線だけを横に流し、フェイドは返事をする。彼女の相貌からは、何処か神妙な気配が窺えた。
「もしも……もしも、
フィルヴィスが話題に出したのは、既に完結している筈の話だった。
極力死なないように立ち回る。万が一死んだとしても、この身は不滅であるのだから問題無い。
何ヶ月も前に認識の共有は済ませたというのに、何故わざわざ蒸し返すのか。フェイドにはよく分からなかった。
「質問の意味が理解出来ない」
だから、回答のしようが無い。言葉尻にそのような意味を含めながら、フィルヴィスを見やる。
「…………それもそうか。お前の言う通りだ。妙な質問をして悪かったな」
すると、歯切れの悪い謝罪が返ってくる。そのまま、フィルヴィスはそれ以上何も言わずに口を噤んでしまった。
「気にするな」
27階層の悪夢という過去の出来事、もしくは先日のギルドでの一件を気にしているのであれば杞憂である。
それよりも、今進めている遠征に集中しろ。そんな意を込めて声を発するものの、彼女は黙って頷くばかり。
「………………」
今更、何を気に病む事があるのか。今更、そのような質問をしたのは何故なのか。
一連の不可解な言動に内心で首を傾げつつ、フェイドは彼女の隣を歩く。
刹那、地面が揺れた。
アンフィス・バエナか。フェイドは双頭の竜の出現を予期したが、直ぐにそれは違うと考え直す。
何故ならば、水の音が全く聞こえなかったから。あれが出現する周期は、少なくとも今から一ヶ月後だったから。
そして、小さな揺れが大きな鳴動に変わった直後、地面は突き破られる。
破砕音と共に水晶の破片が散らばり、周囲の光を反射して煌めく。
そうして、煙の中から姿を現したのは、これまでに見た事のないモンスターだった。
蛇とは違う。鱗どころか口も目も持ち合わせていない相貌は、どちらかと言えば黄緑色も相まって植物の茎にも見えた。
「──────」
ならば、最初に試す攻撃は炎だ。これまでの経験から攻撃手段を選定したフェイドは、すかさず聖印を発火させる。
直後、弾かれるようにモンスターが頭部を振り下ろしてくるが、想定の範囲内。
横に転がって回避すると同時に、フェイドは祈祷を発動した。
【火投げ】。力を溜めて生成した火の玉を、頭部目掛けて投げ放つ。
着弾と同時に迸る熱と炸裂音。そして絹を裂いたかのような金切り声が、フェイドの鼓膜を揺らす。
直感は見事に当たった。激しく燃える灼熱に身悶えするかのように、モンスターの頭部と思われていた部位が花開く。
人を喰らえる程に巨大な食虫植物。燃え盛る炎越しに垣間見えた外見は、そのような印象をフェイドに抱かせた。
「………………」
正体不明のモンスターへの有効打を見つけたフェイドは、動き出す前に更なる追撃を何度も浴びせた。
身動きを取らせる間も無く、火の玉を投擲し続ける。決して絶やさぬように、延々と。
すると、完全に生き絶えたのか、モンスターは項垂れたのち灰燼に帰した。
派手な登場の割には呆気の無い結末である。
「──────」
出現したモンスターが一体だけであればの話だが。
飛び散る鮮血、腹部を貫通する触手。それを即座に切り払いながら、フェイドは飛び退く。
その直後、先程まで立っていた地面が隆起し、突き破られた。立て続けに三回も。
そうしてフェイドの前に出てきたのは、先程倒したものの同族だった。閉じた蕾を一斉に開花させ、巨大な口を向けてくる。
状況は実質三対一。何故かは知らないが、一向にフィルヴィスからの援護は来ない。
「………………」
であれば、無いものねだりは愚の骨頂。今ある手札で勝負するのが最善。
そんな考えと共にフィルヴィスを意識の中から除外し、フェイドは聖印を握りしめる。
そのまま、モンスターへと疾駆した。
轟々と燃え盛る炎が放たれ、けたたましい金切り声が響き渡る。
地面に根差した茎が脈動し、土煙と水晶の破片が辺りに飛び散る。
「ぁ……う、あぁ……」
意味が分からない。訳が分からない。どうして、あれが今此処に現れる。どうして、彼に襲い掛かっている。
突如出現した食虫植物めいたモンスターとフェイドが戦う光景を、フィルヴィスは呆然と眺めていた。
モンスターの数は三体。フェイドが一度に対処し切れる許容の限界。
尚且つ、あれらは育ちきった固体だ。上手く行動が噛み合えば、容易く仕留められるだろう。
一刻も早く、加勢しなければ。
「っ………………」
しかし、その意志に反するかのように、フィルヴィスの身体は地面に縫い止められていた。
───俺の命は、お前の選択次第で容易に失われるのだと。
つい先程、イグアスを撃退したのちに彼が発した言葉が、フィルヴィスの脳裏をよぎる。
フェイドは常日頃から委ねていた。フィルヴィスに己の命を。
「……ぅ、し……て………っ」
彼の信頼に報いなければならない。だというのに、この両足は震えるばかりで前に進もうとしない。
「ど、う……して……っっ……!?」
フィルヴィスは上擦った声で問い掛ける。此処には居ない、何処か遠くで見ているであろう神に。
必然、答えが返ってくる事は無い。人とモンスターが殺し合う光景が、目の前で繰り広げられるばかり。
その代わりとして、焼け落ちた花弁がフィルヴィスに伝えている。
さあ、選べ。
仲間か、同胞か。
感傷か、使命か。
叛逆か、恭順か。
信頼か、信仰か。
そんな、無慈悲で無情な言葉を。
「嫌だ……嫌だ……っ」
選べない、選びたくない。きっと、これはもう二度と手に入らないものなのだから。
この身を引き裂きたくなる程の葛藤が、フィルヴィスに眩暈を与え、頭蓋を揺さぶる。
この胸を抉りたくなる程の自己嫌悪が、フィルヴィスに動悸を与え、心臓の鼓動を掻き乱す。
「はあっ……はぁっ……はっ……っ……っ」
そうして、目の前の状況に追い詰められた結果。フィルヴィスは最も愚かしい選択を取った。
現実逃避。目を閉じて耳を塞いでその場に蹲り、何もかもが過ぎ去るのを待つ。
どちらかを選ぶ権利を、どちらかを捨てる義務を、彼女は放棄したのだ。
しかし、常人離れした感覚は、戦闘の余波による振動を嫌でも感じ取る。
迸る炎の熱を、耳障りな金切り声を、フィルヴィスの五感は拾ってしまう。
「っ……、……、……っっ」
それでも尚、彼女は見る事も聞く事も拒絶し続けた。この悪夢のような時間が、一刻も早く終わる事を願い続けた。
「………………ぁ」
果たして、フィルヴィスの願いは届いたのか。気付けば戦闘の音は鳴り止んでいた。
徐に顔を上げれば、そこに広がっているのは焼け焦げて傷だらけの広間。
辺り一帯に濛々と漂う黒煙のせいで、向こう側の景色は視認出来ない。
どちらが勝った。どちらが負けた。
覚束無い足取りで立ち上がり、フィルヴィスは勝敗の行方を確かめようとする。
やがて、横合いから吹き込む風が煙を攫ってゆき、結果が露わとなった。
そこに立っていたのは、フェイドだった。
所々に傷を負いながらも、五体満足。無事と呼んで差し支えのない状態である。
異常事態に見舞われたにも関わらず、その様子に一切の困惑はなかった。
いつもと変わらぬ佇まいで瓶を呷ったかと思えば、燃え滓から魔石を回収している。
「………………」
きっと、何かの間違いだったのだ。群れから逸脱した個体が、偶然にも自分達の目の前に現れただけだったのだ。
この遠征が終わったら、今まで打ち明けられなかった秘密を話そう。
きっと、
普段通りのフェイドの様子に安堵したフィルヴィスは、そう思い込む事にした。
まだ、取り返しは付く。これからも、今日と同じように彼と冒険が出来るのだと信じ込む事にした。
「フェイ───」
「───見苦しい。お前はもう死んでおけ」
それが、都合の良い妄想であると知らず。
「──────っ!?」
背後で発せられた声に、弾かれるように振り返るが、もう遅い。それよりも早く首を掴まれる。
そうして、何かの折れる鈍い音が、フィルヴィスの頭の中を駆け巡った。
全てのモンスターを焼却し終えたフェイドは、燃えゆく花々を尻目に辺りへ目配せする。いつ増援が来ても対処出来るように。
しかし、その気配は皆無だった。警戒を解くと同時に【聖杯瓶】を呷り、
続けて、モンスターの残骸へと歩み寄り、焼け焦げた灰の中から魔石を拾い上げる。
「………………」
そして、目的の達成を確認した。これ以上先に進む必要はなくなったのだと確信した。
何故ならば、目の前にある魔石が極彩色の光を反射していたから。
本来であれば、モンスターが有する魔石の色は紫紺だというのに。
フェイドがこれまで学んできた限りでは、斯様な特徴の魔石は未発見の代物。
ギルドに提出する成果物としては、これ以上に相応わしい物は無いと判断したのである。
本来の予定とは外れた不慮の事態ではあったものの、これは僥倖だったと言えるだろう。
そんな事を考えながら、フェイドは極彩色の魔石を虚空に仕舞った。
「………………」
そのまま、今の今まで意識の外に放り出していたフィルヴィスへと向き直る。
直後。自身目掛けて飛来する物体を、フェイドは条件反射で受け止めた。
凄まじい威力に弾き飛ばされながらも、後方へと転がって勢いを殺す。
そして、再び臨戦態勢に移らんと、手に抱えた物体を地面に落とそうとする。
「──────」
しかし、その物体が視界に入った途端。フェイドの動きは停止した。
その瞳には光が灯っておらず。
その口は血を垂らしたまま呼吸を止め。
その首はあらぬ方向に捻じ曲がっている。
フェイドの腕の中に有ったのは。
フィルヴィスの亡骸だった。