「………………」
「………………」
皿とフォークがぶつかる硬質な音。もそもそと、机の上に並ぶ料理を食む咀嚼音。閑静な食堂に、二人分の食器の音が鳴り響く。
朝食とするには若干遅い時間帯に、フェイドとフィルヴィスは食事を摂っていた。
ちなみに、献立はベーコンエッグに野菜の盛り合わせ、パンにオニオンスープという内容だ。
会話に花を咲かせるような事はなく、お互いに料理を黙々と口に運ぶ。特に含むものの無い、極めて自然体な沈黙である。
フェイドという名の褪せ人が【祝福擬き】の導きに従ってオラリオを訪れ、ディオニュソス・ファミリアの一員となってから。何ヶ月かの時間が経過した。
この期間、何かこの身を脅かすような出来事は起こっていない。
狭間の地を旅していた頃であれば考えられない程、平穏な日々が続いている。
ダンジョンの中で休息している途中、長らく呼び出していなかったトレントが勝手に出てきて。
主人であるフェイドを差し置いて、フィルヴィスと仲良くなったり。
実験も兼ねて召喚した【特攻野郎たちの遺灰】が、フィルヴィスを敵と誤認して襲い掛かり。
容易く返り討ちに遭ったのちに、フェイドを自爆に巻き込んだり。
いつまで経っても、密使の黒装束から他の服に着替えようとしないフェイドを見かね、フィルヴィスに外へと連れ出され。
バベルの商業区画にある服屋で、着せ替え人形にさせられたり。
偶然迷い込んだ歓楽街で、過激な衣装のアマゾネスからの客引きに遭い。
全速力で追いかけて来たフィルヴィスに、鬼の形相で詰められたり。
泥酔しながら帰ってきたディオニュソスが、その場に居合わせたフェイドに介抱を請い。
その口から射出された吐瀉物を、咄嗟に出した【儀式壺】で受け止めた結果、図らずも新たな壺が爆誕したり。
そういった取り留めのない出来事を、フェイドは日々繰り返していた。
あれから、バベル最上階から視ていた神が接触をして来るような事もなく。フェイドは冒険者としての実績を徐々に積み上げている。
目下の課題であった連携に関しても良好。フェイドは数の暴力によって、フィルヴィスは祈祷によって。死にかけるような場面が最初こそはあったものの、今ではその心配は殆ど無い。
ダンジョン探索の片手間に、冒険者依頼をこなす事も出来るようになった程度には。
「………………」
一足先に食事を終えて手が空いたため、フェイドは依頼書に目を通す。昨日の帰り道でギルドに寄った際に請け負ったものだ。
依頼内容としては、中層のモンスターが落とす戦利品の納品。報酬もその難易度と釣り合いが取れている、実にありふれた冒険者依頼だった。
何故中層なのかというと、Lv.3の二人組の適正階層がその辺りだからである。
あまり目立たず、粛々とダンジョンで日銭を稼ぐ。それが、このパーティの行動方針なのだ。
「フェイド。そろそろ行こうか」
「ああ」
そうして、後片付けをしたのちにフィルヴィスに促され、フェイドは食堂を去る。
平々凡々な一日が、今日も始まった。
などと、思っていたその日の終わり際。
「……おい、あんた」
中層での探索を終えて、ギルドにて依頼や換金などの後処理を済ませようとしている最中。背後から声を掛けられた。
フィルヴィスは現在、ロビーのカウンターで諸々の手続きをしている。明日の依頼を見繕おうとした直後の出来事だった。
「………………」
会話に応じる理由が無いので、無視を決め込んでいたところ。フェイドは肩を掴まれて、無理矢理向き直させられる。
「あんただよ、あんた。耳付いてねぇのか?」
そうして、フェイドの視界に飛び込んでくるのは、誰しもが想像する荒くれ者の冒険者といった出立ちの男だった。
その存在を視認した瞬間を見計らったかのように、冒険者が複数人取り囲んでくる。
丁度、フィルヴィス側の視線を遮るような位置取りで。
「あまり時間は取らねえから、ちょっと付いて来てもらうぜ」
そのまま、集団は有無を言わさずフェイドの背中を押し、ギルドの建物前の庭まで連れ出した。
「……随分と従順じゃないか。本当にこんな奴があの
「………………」
普通であれば何かしらの拒絶的な反応を見せるべき場面なのだが、そういった情緒をフェイドが持ち合わせている筈も無く。依然として沈黙を保っていた。
集団の中の一人が呟いた言葉に同意を示すかのように、彼らは怪訝そうな表情を浮かべる。
「んな事はどうでも良いだろ。あんな曰く付きの女と組んでる奴が、変わり者でなきゃなんなんだって話だ」
「………………」
だが、非友好的な態度ではあるものの、害を及ぼす意思は彼らには見受けられなかった。
フェイドが偽っている肩書きとしては、オラリオ内でも上澄みに位置するLv.3の第二級冒険者。
故に、彼らは事を荒立てるような真似は控えているのだ。それほどまでに、Lvとは冒険者間で絶対視されている強さの指標なのだ。
如何なる力の差があれど、たった一匹の犬ですら殺意全開で向かって来る狭間の地では、考えられない現象である。
「別にあんたをどうこうしようって訳じゃねえけどな、あんたにはどうしても聞きてぇ事があるんだよ」
そして、そんなフェイドを呼び出した理由は、何なのかというと。
「あんた、あの
予想した通り、フィルヴィスについての事だった。
関わった者達に死をもたらす不吉な噂は払拭された。とまでは行かなくとも、与太話程度には落ち着いたのだと思われる。
そして、それに伴って噂の真偽を確かめようとする輩が現れたという訳だ。
「それがどうした」
彼らの用件を理解したところで、フェイドは初めて反応を返した。
叶うならば、このような些末事は手短に済ませてフィルヴィスの元に戻りたかったから。
「……昔、あの女と組んでくたばっちまった仲間が居たんだ。今ここに居るのは、俺と似たような境遇の連中なのさ」
目の前の男の発言に促され、フェイドの意識は周りに居る冒険者達に向く。
その格好や雰囲気には統一性と呼べるものが窺えない。彼の言葉通り、この場限りの集まりのようだった。
しかし、唯一共通しているものが彼らにはある。それは、こちらに向けてくる嫌疑に満ちた眼差しだ。
察するに、
そして、死なずとも何かしらの不幸が有って然るべきなのだと思いたいのだろう。
「だから、あんたには───」
「───俺は、あいつに勉強を教わった」
そんな相手の言葉に覆い被せるように、フェイドは平坦な声色で端的な返答をした。
前置きや話の脈絡といったものを排除した口調は、相手に言葉の意味を解する為の思考を強いる。
そこに生じた空白を縫うようにして、フェイドは語り始めた。フィルヴィスとの今までについて。
フェイドは淡々と語る。ダンジョンに挑戦する前に勉強を教わった事を。連携の訓練の際に、自身の魔法で何度も殺しかけた事を。
フェイドは淡々と紡ぐ。ダンジョン探索において、フィルヴィスがどのような役割を担っていたのか。どれだけの知識や知恵を与えてきたのかを。
無論、赤裸々にではなく、肝心な部分は伏せながらではあるが。
しかし、この数ヶ月間に渡る彼女とのダンジョン探索を振り返れば振り返る程。彼女が如何なる人物か、言葉に出せば出す程。
フィルヴィス・シャリアという少女は、宣言通りにフェイドを死から遠ざけていた存在なのだと。そう思った。
実の所、あのアンフィス・バエナとの戦闘を終えて以来、フェイドは一度も死んでいない。
現段階での最終到達地点である27階層に比べ、比較的踏破が容易な中層を主に探索しているというのも要因の一つではあるのだろう。
しかし、強弱問わず敵に囲まれると轢殺されてしまうフェイドからすれば。
フィルヴィスの援護の有無が生死を分けるのは紛れも無い事実だった。
「俺には、あいつが死を招くような存在だとは思えない」
これまでの振り返りを終えたところで、フェイドは彼らに対して結論を述べた。
お前らの仲間は、他ならぬ自身の力不足によって死んだのだと。
「以上だ」
語る事がなくなった途端、フェイドはこれまでの冒険の話を終える。聞き手の反応を全く考慮しない、どこまでも一方的な締め括りで。
「っ………………」
しかし、そんな傍若無人な語り手に対して、口を挟む者は誰一人として居なかった。
五体満足なフェイドの存在。そして、理路整然と語られた探索の内容。この二つが、彼らから反論の余地を奪っていたのだ。
「……そうかよ」
やがて、男の相槌が契機となり、フェイドを取り囲んでいた集団は捌けてゆく。
どうやら、今回のところは引き下がるようだ。背中を向けて立ち去る冒険者達を尻目に、フェイドも踵を返そうとする。
「だったら、精々死ぬんじゃねえぞ。あんたが死ねば、あの女は
その去り際、不本意な面持ちで男は言った。負け惜しみが多分に含められた忠告を。
「ああ」
フェイドが淡白な返事をすると、男は苛立ちを隠そうともしない荒々しい足取りで、今度こそ立ち去って行った。
「………………」
彼の様子を無感動に見つめながら、フェイドは思う。こちらの事情を知らないとはいえ、随分と奇妙な事を言い出すものだと。
フィルヴィスを残してフェイドだけが死ぬ。そんな日は未来永劫訪れない。
寧ろ、先に死ぬ可能性があるとするならば、彼らが忌み嫌う彼女なのだから。
などと、考えていた所で。フェイドは思考を打ち切って背後を振り返る。
「……終わったか」
視線の先には、つい先ほどまで話題に上がっていたフィルヴィスが佇んでいた。
彼女の手には硬貨が詰まった布袋が握られており、丁度ギルドでの換金を終えたところなのだと思われる。
フェイドが視覚に頼らずとも彼女の接近に気が付けたのは、度重なる訓練の賜物だ。
現時点では、フィルヴィス以外には何一つとして作用しない察知能力なのだが。
それはさておいて、フェイドは彼女が何を仕掛けてきてもいいように身構えておく。
「………………?」
しかし、フィルヴィスはどこか居た堪れないような、居心地が悪そうな表情を浮かべている。彼女の態度をフェイドは疑問に思った。
「……どうして首を傾げているんだ」
暫しの間、無言で向かい合っていると、沈黙に焦れた様子でフィルヴィスが口を開く。
「以前、ギルドの受付から離れた時に蹴ってきただろう」
随分前に冒険者登録をする為、ギルドへと訪れた時。フェイドはフィルヴィスを放置して離れた。
その際は警告も無しに蹴り飛ばされたものだから、今回も同じ展開になるのだと思っていたのだ。
「なんだ、私が暴力的とでも言いたいのか?」
「ああ」
「っ………………」
にべもなく、はっきりと頷いて見せると。フィルヴィスは顔を顰めて口籠った。
何かしらの反論を述べようとするものの、自身にも思い当たる節があるのか言い淀んでいる。
「……今回は私の噂の所為でこんな状況になったんだ。だったら、お前を責める謂れは無い」
やがて、誤魔化すような咳払いをしたのちに、彼女は暴力に訴えなかった理由を細々と呟き始めた。
どうやら、先ほどの話をフィルヴィスは聞いていたらしい。丁度、フェイドが感知可能な範囲外から。
諸々の後処理が終わったのであれば、声を掛ければさっさとあの場から立ち去ったというのに。
「まあ、だとしても。赤の他人の要求に易々と従うのはどうかと思うが」
「そういうものか」
「そういうものだ。だから、次からは不用意に付いて行くなよ。今回穏便に話が進んだのは、ただ運が良かっただけなんだからな」
知らない人には付いて行ってはいけません。そんな、幼児に教えるような常識を言い含められる。
「分かった」
不用意にという事は、用意があれば付いて行っても良いという事か。
彼女の言葉を都合良く解釈したフェイドは、恭順の意を示した。
「本当に分かってるのか? 付いて行ってから逃げたり蹴散らせば良いだなんて考えてないだろうな?」
しかし、頷いたところで彼女から返ってきたのは怪訝そうな眼差しと指摘。
図星である。
表情や声の抑揚は依然として皆無なのだが、その場の雰囲気から思考を読み取られている。
おそらくは、共に過ごした日々によって観察眼が培われたのだろう。無表情で誤魔化しきれぬ程度には。
「………………」
だが、こちらにも対策はある。念に念を入れたフィルヴィスの確認に対して、フェイドは無言で構える。
土塊の代弁者。【呼び声頭】を。
これを取り出せば、こちらが理解を示したのだと勝手に思い込んでくれるのだ。言葉よりも好都合な交信手段である。
「……はあ、そんなよく分からない物をこんな往来で出すな。もういいからさっさと戻せ」
やはり、この道具は無駄な追及を免れる方法としては覿面だった。
現時点での唯一の使い道を記憶に留めつつ、フェイドは呼び声頭を仕舞う。
「ちなみに、前に見た物とは造形が違っていたが、何を喋ろうとしていたんだ?」
「
質問を受けて、フェイドは呼び声頭の言葉を伝える。
「………………」
一瞬の沈黙が、二人の間を通過する。
「………………結局分かってないじゃないか!?」
どうやら謝って済む話ではなかったらしい。一拍の間を置いて、フィルヴィスの怒鳴り声がギルド前の広場に響き渡った。
「もういい! 心配した私が馬鹿だった!」
「………………」
そのまま、フィルヴィスは肩を怒らせながら歩き出す。おずおずと、フェイドも後に続いた。
そうして、多少の悶着はあったものの。今日という日は終わった。
「………………」
どうやら、一日の始まりと終わりについて思考すると、何かしらの事が起こるようだ。
そんな学びを得たところで、フェイドは対面に座るディオニュソスを見やる。
燦々と煌めく星空を一望出来る、広々としたバルコニー。神の部屋の奥に繋がる空間に、フェイドは招かれていた。
例の如く、人の居ない食堂でフィルヴィスと遅めの夕食を摂っていた時。
丁度、完食し終えた瞬間を見計らったかのように彼は現れた。
そのまま、あれよあれよという間にディオニュソスに連れ出され、今に至る。
「何故、自分だけが招かれたのか分からない。といった様子に見えるが、どうかな?」
「合っている」
「ふっ……そうか。君ほど無表情な者は今まで見た事がなかったから、何を考えているか見抜くのが大変だよ」
「………………」
であれば、早く本題に入ってみせろ。薄く笑みを浮かべるディオニュソスに向けて、フェイドは視線で思念を送ってみる。
すると、悠々自適な所作で足を組み、彼は笑みを更に深くしてきた。思念が受信されたかどうかは不明である。
「まあまあ、待ってくれ。この場を設けたのは君とこうして二人で話す機会がなかったからというだけで、大した理由はないんだ」
やがて、暫しの間見つめ合っていると、ディオニュソスは苦笑しながら語った。フェイドを呼び出した目的は、単なる酒盛りのようなものだと。
指された方向に視線を向ければ、目に入るのは机の上に置かれた葡萄酒のボトルと二人分のグラス。今のところ、彼の言葉に齟齬は見受けられない。
「これは神酒という私お手製の酒さ。本来であれば子ども達へのご褒美に振る舞うものでね。その中でも、この神酒は十年ほど熟成したとっておきなんだ」
他の子には内緒だよ。そんな言葉と共にディオニュソスはボトルのコルクを抜く。
そのまま、彼の手によって注がれた葡萄酒は、ワイングラスを満たしていった。
血のように鮮烈な色合いを、これ見よがしに誇示しながら。
下界に降臨した神々は、それぞれが様々な権能を有している。その中でも、ディオニュソスは葡萄酒の醸造に精通している神だ。
その権能の他にも、神の力と呼ばれる力に因らない、自身が極めた技能であれば自由に行使しても良いというルールが神々の間では敷かれている。
そうして、彼自身の技能を用いて作られたのが、目の前にある葡萄酒という事なのだろう。
「それじゃあ、乾杯」
「………………」
やがて、そんな掛け声と共にグラスとグラスが軽くぶつかり、鐘の音にも似た音がバルコニーに広がった。
そのまま、ディオニュソスの持ち方を真似つつ、フェイドは葡萄酒に口を付ける。
そして、ぐびりと一気に喉の奥へと流し込んだ。
【聖杯瓶】を呷る時と同じような勢いで。
「……水じゃないんだから、もう少し味わって飲んでみたらどうだろう」
呆気に取られた表情で、ディオニュソスはぞんざいな飲みっぷりを指摘する。
フェイドとしては何かしらの意図があって勧めてきた物だと思い、それに従っただけなのだが。
「そうか」
ゆっくり飲めというのなら、従おう。一瞬で空になったグラスをディオニュソスに差し出し、フェイドはいつも通りの憮然とした返事をする。
「──────」
すると、その澱みの無い言動にディオニュソスは瞠目した。
硝子の如き瞳がフェイドに向けられる。彼の眼差しに含まれていたのは、筆舌に尽くしがたい驚愕。
余程、己の手掛ける酒に自負が有ったようだが、生憎と味の良し悪しが分からないので、彼が期待する反応も難しい。
いつまで経っても注いでくれないので、フェイドは自分でボトルを手に取りグラスに葡萄酒を入れる。
「ははは……本当に君は見ていて面白い」
そうして、ディオニュソスの言う通りにちびちびと飲んでいると、彼は急に笑い出した。
フィルヴィスも時折り笑う事があるが、一体何故なのか。
「………………」
質問すれば彼女と同様に怒り出す可能性があるため、フェイドは黙々とグラスを口へと傾ける。
「それじゃあ、フィルヴィスから見た君の事は普段から聞いているから、今回は君から見たフィルヴィスの事について聞かせてもらおうかな」
現在進行形で胃へと投棄されている葡萄酒の味と同様に、ディオニュソスがこのような話題を提示する理由が分からない。
自身を崇拝しているフィルヴィス本人から聞いてしまえば、幾らでも喜んで話すだろうに。
「俺は、あいつに勉強を教わった」
だが、先程似た話をしたばかりなので、フェイドはギルドの前庭で語った話を一言一句違わずに披露する。
ディオニュソスが嬉々として相槌や質問を挟み、フェイドがそれに淡々と答える。そんな形で夜は更けていった。
突発的に開催された酒盛りは、葡萄酒が尽きると同時に終わった。
「はぁ…………」
一人バルコニーに取り残されたディオニュソスは、酒気を帯びた溜息を吐く。
フェイドは話が終わるや否や、さっさと立ち去ってしまっていた。
曰く、そろそろ寝なければフィルヴィスに夜更かしを咎められるらしい。
「………………」
珠玉の一本を消費してしまったが、有意義な時間だった。空になった葡萄酒のボトルを見やり、ディオニュソスは一人ごちる。
彼にとって、それは初めての経験だった。神すら酔わせる神酒を飲み干したというのに、素面のままで対応された事など。
そんな、未知に満ち溢れたフェイドという名の褪せ人は、ディオニュソスの神としての知的好奇心を大いに刺激した。
「……そろそろ、潮時か」
しかし、いつまでも彼の奇行を観察している訳にもいかない。何故ならば、彼はディオニュソスの計画を破綻させかねない存在だから。
今も尚、ディオニュソスは計りかねている。フィルヴィスが、彼にとっての楔となり得る存在なのかを。
今も尚、ディオニュソスは計りかねている。フェイドが、この迷宮都市を破壊し得る存在なのかを。
そもそもの話、初対面の頃からディオニュソスはフェイドの心中を看破する事が出来なかった。
神には人間の嘘を見抜く能力が備わっている。しかし、彼が嘘をついているかどうか判別出来なかったのだ。
故にこそ、この神をも酔わせる葡萄酒でフェイドの胸の内を暴こうとしたのだが、碌に聞き出せぬまま完飲されて終わった。
「………………」
結局のところ、言葉よりも行動で見極めるしか無いのだろう。彼の胸中も、彼の本当の実力も。
そんな事を考えながら、ディオニュソスは懐から開封済みの手紙を取り出す。
きめ細やかな白い紙の上に真っ赤な封蝋。そこに施されている印璽は、ギルドからの封書である事を示していた。
徐に中身の羊皮紙を広げ、書面に連なる文字を流し見る。自身の認識と辞令の内容に相違が無いか、再確認の意味も含めて。
「いい機会だ、見せてもらおうか。君の可能性を」
そして、羊皮紙を元通りに折り畳んだのち、ディオニュソスはそう呟いた。その端正な相貌に冷ややかな笑みを浮かべて。
フェイド・ストレンジアは気付けない。
彼女に名付けられた