「ただいま市長さんから、西の最果ての地にようこそ、とご挨拶がありました。私には、その言葉を聞いて、思い当たることがあり、たいへん嬉しく思います。つまり私は、東の最果ての国、日本からやってきたからです。」
わあっと拍手が起きる。私は、コートジボワールの最西部、ダナネ(Danane)の町を訪れ、中央病院の産科病棟と、社会センターの、開所式に出席している。私は主賓である。なぜなら、これらの施設は、国連人口基金(UNFPA)を通じて、日本の資金で修復されたものであるから。
コートジボワールの西部地域というのは、首都アビジャンからも遠く、内陸部で山に囲まれ、もともと経済発展も中央からの政策もなかなか及ばず、さまざまな不利な条件を抱えた地域であった。さらに、1990年代からこのかた、国境の向こうの西の国々、リベリアやシエラレオネで紛争があり、武器や民兵など、戦争と暴力の体質が流れ込んだ。そこに2002年、コートジボワールの危機が始まった。国が2つの軍事勢力の間で南北に分裂したとき、この西部地域は、両方のはざまに立ってしまった。北部の反乱軍とは別に、西部の民兵組織が独自の反乱軍を立ち上げ、混乱に輪をかけた。こうした相次ぐような事態があって、地域は大変荒廃してしまった。
社会や家族が荒廃すると、大きな被害をこうむるのは、社会的な弱者、とりわけ婦人たちである。多くの婦人たちが、家族を失い、村を失った。村落では、かつて村の人々がお互いに助け合いながら生活していた。ところが紛争で、村が焼かれ人々はちりぢりになった。夫を失った婦人も多かった。紛争が終わってからも、そうした女性たちは、救済も困難なまま取り残された。
UNFPAという国際機関は、人口問題に取り組む国際機関である。人口問題つまり、人の出産に関する問題、女性・母親と子供に関する問題に力を入れて取り組んでいる。社会の動態に直接入り込み、女性の地位と生活向上にむけた取り組みを進めている。コートジボワールでも幅広い活動を繰り広げており、先日7月11日の「世界人口デー」では、「女性に投資しよう」というキャンペーンを展開していた。
そのUNFPAは、この西部地域において、婦人たちの生活の立て直しこそが、優先度の高い事業と位置付けた。それは単に、精神的にも社会的にも傷ついた女性たちを救済することが急務であるというだけではない。騒乱の時には男性の役割が大きいとしても、平和が戻ったときには、一番力を発揮するのは女性たちである。女性が家を守り、家庭を守ってこそ、社会は落ち着きを取り戻す。女性たちの生活復帰を助けることこそが、この地域の平和回復への早道である。
UNFPAは、コートジボワールの西部地域から北部地域にかけて、7つの地点(ダナネ、トゥバ、トゥルプル、ボゴロ、セゲラ、マンコノ、ティエニンブエ)を選び、それぞれの場所で、女性の生活向上に関連する施設を修復するプロジェクトを策定した。それらの施設は、戦争の時期には放擲され、軒並みぼろぼろに破損していたからである。そして、日本がこのプロジェクトに、総額4億3千フラン(100万ドル)の資金を提供した。
修復した施設というのは、助産院と社会センターである。助産院は、地元の医療関係機関が運営する。社会センターは戦争を通じて強姦などの暴力を受けた女性の精神的な回復や、家族を失った女性の社会生活立て直しなどに取り組む。コートジボワール政府の家族・女性・社会問題省が、このセンターを拠点にして、女性の心の問題をめぐる社会活動を進めるのである。着々と修復作業が進み、このたび沢山の施設、合計10ヶ所の施設が開所式を迎えることになった。
(続く)
わあっと拍手が起きる。私は、コートジボワールの最西部、ダナネ(Danane)の町を訪れ、中央病院の産科病棟と、社会センターの、開所式に出席している。私は主賓である。なぜなら、これらの施設は、国連人口基金(UNFPA)を通じて、日本の資金で修復されたものであるから。
コートジボワールの西部地域というのは、首都アビジャンからも遠く、内陸部で山に囲まれ、もともと経済発展も中央からの政策もなかなか及ばず、さまざまな不利な条件を抱えた地域であった。さらに、1990年代からこのかた、国境の向こうの西の国々、リベリアやシエラレオネで紛争があり、武器や民兵など、戦争と暴力の体質が流れ込んだ。そこに2002年、コートジボワールの危機が始まった。国が2つの軍事勢力の間で南北に分裂したとき、この西部地域は、両方のはざまに立ってしまった。北部の反乱軍とは別に、西部の民兵組織が独自の反乱軍を立ち上げ、混乱に輪をかけた。こうした相次ぐような事態があって、地域は大変荒廃してしまった。
社会や家族が荒廃すると、大きな被害をこうむるのは、社会的な弱者、とりわけ婦人たちである。多くの婦人たちが、家族を失い、村を失った。村落では、かつて村の人々がお互いに助け合いながら生活していた。ところが紛争で、村が焼かれ人々はちりぢりになった。夫を失った婦人も多かった。紛争が終わってからも、そうした女性たちは、救済も困難なまま取り残された。
UNFPAという国際機関は、人口問題に取り組む国際機関である。人口問題つまり、人の出産に関する問題、女性・母親と子供に関する問題に力を入れて取り組んでいる。社会の動態に直接入り込み、女性の地位と生活向上にむけた取り組みを進めている。コートジボワールでも幅広い活動を繰り広げており、先日7月11日の「世界人口デー」では、「女性に投資しよう」というキャンペーンを展開していた。
そのUNFPAは、この西部地域において、婦人たちの生活の立て直しこそが、優先度の高い事業と位置付けた。それは単に、精神的にも社会的にも傷ついた女性たちを救済することが急務であるというだけではない。騒乱の時には男性の役割が大きいとしても、平和が戻ったときには、一番力を発揮するのは女性たちである。女性が家を守り、家庭を守ってこそ、社会は落ち着きを取り戻す。女性たちの生活復帰を助けることこそが、この地域の平和回復への早道である。
UNFPAは、コートジボワールの西部地域から北部地域にかけて、7つの地点(ダナネ、トゥバ、トゥルプル、ボゴロ、セゲラ、マンコノ、ティエニンブエ)を選び、それぞれの場所で、女性の生活向上に関連する施設を修復するプロジェクトを策定した。それらの施設は、戦争の時期には放擲され、軒並みぼろぼろに破損していたからである。そして、日本がこのプロジェクトに、総額4億3千フラン(100万ドル)の資金を提供した。
修復した施設というのは、助産院と社会センターである。助産院は、地元の医療関係機関が運営する。社会センターは戦争を通じて強姦などの暴力を受けた女性の精神的な回復や、家族を失った女性の社会生活立て直しなどに取り組む。コートジボワール政府の家族・女性・社会問題省が、このセンターを拠点にして、女性の心の問題をめぐる社会活動を進めるのである。着々と修復作業が進み、このたび沢山の施設、合計10ヶ所の施設が開所式を迎えることになった。
(続く)
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