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コートジボワール日誌

在コートジボワール大使・岡村善文・のブログです。
西アフリカの社会や文化を、外交官の生活の中から実況中継します。

直線・直角

2009-10-24 | Weblog
ザイールのゴマに駐屯して、ルワンダ難民の救援に当たったわが自衛隊。その規律ある行動は、ゴマの人々に感銘を与え、やがて手本になり、人々の生活態度に大きな影響を与えた。時は1994年9月、中部アフリカの奥地に、指揮官として「ルワンダ難民救援隊」を率いたのが、神本光伸1佐(当時)であった。ゴマの自衛隊が規律正しい姿を示したのは、神本隊長の統率力の賜物である。

私は政府調整員として、神本隊長以下300人余の自衛隊員と、ゴマの駐屯地のキャンプで生活をともにした。テントの下に並ぶ軍用ベッドに寝起きし、隊員と同じ糧食を食べ、隊員と一緒に野天風呂に入った。そして、夜になると一日の業務を終え、私はよく神本隊長ほかの部隊幹部の方々のテントを訪れて、いろいろ苦労話などを聞かせてもらったものである。

神本隊長は、部隊を統率するには、簡単であり確実に理解される原則を掲げなければならない、と教えてくれた。そして今回の活動において、神本隊長は部下に対して、次の原則を掲げた。
「直線・直角」
これで行けというのである。

つまり、何を設営し、何を活動するにも、直線・直角を引く。駐屯地の鉄条網、作業区画の引き方、物資の置き方、車両の駐車、何もかも直線・直角を求めた。自然の地勢がそのままの土地で、直線・直角というのは、しばしば無理を強いた。それでも厳命である。隊員たちは、苦労して直線・直角を実現してみせた。

神本隊長が一番苦労したのは、派遣にあたって付与された任務と権限が、きわめて厳しく制限されていたことである。「ルワンダ難民救援隊」は、武器を使ってはいけない軍隊であった。人道支援活動だけしか行ってはならない。決して治安維持活動に従事してはいけない、それは武器を使うことになるから、ということであった。

ところが、私も政府調整員として現地との調整をはじめてみると、すぐに分った。難民キャンプの混乱した中で、武装勢力がそこかしこに隠れ潜むなかで、人々が駐留する軍事組織に一番期待することは、何をおいてもまず治安維持であった。地元の人々や、国際機関、NGOから、自衛隊に自分たちを守ってほしい、と切実に訴えられた。

神本隊長が、武器が使えないという制約の中で出した解決は見事であった。「規律で戦う」、これである。治安維持という任務を行うことはできないけれど、難民キャンプの中を、威厳を以て巡回することはできる。毎日定時に、高機動車の車列をつくって、整然と行進した。自衛隊が規律正しく活動しているというだけで、難民キャンプの人々の心が落ち着いた。自衛隊が駐留している間、大きな騒擾は一件もなかった。難民キャンプの治安は、結果として確保された。

神本隊長の指揮には、このように大きな威力があった。私は同時に、自衛隊員たち一人一人が、日本人として持っている行動規範こそが、ゴマの人々に大きな感銘を与えたと考えている。ルワンダ難民救援隊は、自らの駐屯地の整備のために、パワーショベルなどの建機を何台か保有していた。それで、よく国際機関や地元から、土木工事をやってほしいと頼まれる。ある日、難民キャンプの一部に、排水溝を掘ることになった。

工事を行うのが自衛隊の精鋭たちであるから、排水溝は、もちろん直線・直角で完成した。ゴマの人々は、「水がちゃんと流れる」と感心している。排水溝が水を流さないでどうするか、と思うのは日本人だからである。人道危機の現場などでは、円滑に水が捌けるかどうかに頓着せず、ただ溝を掘って事足れりとする場合が多い。しかし、自衛隊はこんな僻地の混乱の中でも、きちんと測量をし、図面を描いて工事にとりかかったのである。そしてゴマの人々が感心したのは、出来栄えだけではなかった。

「自衛隊員は、約束の時間にちゃんと来る。日程通りに作業を進める。そして期日にちゃんと作業を終えた。」
人々はそういって感心した。そして何より驚いたのが、難民たちへの接し方であった。溝を掘るためには、溝の経路にあたる場所にテントを張って住んでいる難民たちに、退いてもらわなければならない。自衛隊員たちは、難民たち一人一人を訪ねて、まことに申し訳ないが、と事情を説明して退去をお願いした。別の土地を整地して、移転先を提供した。

どれもこれも、日本人の私たちには当然のことである。日本国内そこかしこの工事現場で、ご迷惑をおかけします、と頭を下げている国民なのだ。しかし、この難民キャンプでは当たり前ではない。欧米系のNGOだと、溝を掘るといえば、いきなりブルドーザーを持ってきて工事を始める。溝の経路にあたった不運な難民は、荷物をまとめて逃げる。そういう出来事が、日常であった。だから皆、驚いた。

私たちが意識しようがしまいが、誇ろうが誇るまいが、世界中の人々が、日本人の仕事のやり方、世間への接し方に、強烈な印象を受ける。そしてそれが次第に、日本への好意、さらには尊敬に変わっていく。私たちは、相当の緊張感を持って、難民キャンプでの活動を始めた。しかし時が経つにつれ、人々から敵意を向けられるようなことがありうるとは、およそ思えなくなった。地元の人々との交流も進んで、神本隊長は、駐屯地を解放して基地祭りまで開催したのである。

神本隊長率いる「ルワンダ難民救援隊」は、1994年12月、一発の銃弾も発射せず、一人の死傷者も出さず、3ヶ月の任務を終えた。武装勢力に囲まれたアフリカの奥地で、武器が使えない軍隊が、立派に使命を果たし得たのは、日本人の規律と仕事振りという武器があったからであると、私は考えている。

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