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コートジボワール日誌

在コートジボワール大使・岡村善文・のブログです。
西アフリカの社会や文化を、外交官の生活の中から実況中継します。

王殺し

2009-10-13 | Weblog
今日は、アルー教授をお客様に招いている。アビジャンにあるココディ大学の、歴史学の先生である。先日、コートジボワールの歴史についての市民講座でお会いして、ぜひ一度お話しを伺いたいと、昼食に招待したのだ。
さて、と私はおそるおそる本題に移る。
「アフリカの王制では、病気などで力が弱った王様を、殺してしまうというのは本当ですか。」

王殺しの風習は、アフリカにおける奇習の一つとして、しばしば語られる。社会人類学の元祖、ジェームズ・フレイザー(1854-1941)が、その著書「金枝篇」の中で取り上げて、広く知られるようになった。王には祖先の力と栄光を宿すだけの、活力がなければならないのであり、肉体的・精神的な衰えが見えはじめた王は、自殺を求められるか、身内によって殺害されるというものである。

手元の「アフリカを知る事典」(平凡社)を引くと、いくつも例が挙がっていて、自ら毒を呷って死ぬ場合(ウガンダのブニョロ王国)、側近や妻が毒を盛る場合(ウガンダのアンコレ王国)、首を絞める場合(ジンバブエのロズウィ王国)、小屋に食物なしで閉じこめる場合(スーダンのシルック王国)、などがあるという。いずれも、過去の例だし、西アフリカの例ではない。でも、王国というと、ここ西アフリカにも王様はたくさんいる。同じような伝統が、このあたりにもあったのだろうか。

先日、エブリエ族の村に招待された。そこで、エブリエ族には王様がいなくて、その代わり世代方式により、常に活力ある指導者への政権交代を実現していくという、部族の知恵があることを知った。一方、王様を戴く部族には、活力の無くなった王様を、自ら殺すことによって政権交代を実現していく、という風習があったとしてもおかしくない。

西欧文明の観点からは、殺人だから残酷で、野蛮な未開文化である、と断罪されてしまうかもしれない。しかしこれはこれで、部族を弱体化させないための、極めて厳しい知恵なのだ。甘いことを言って、弱った王様をいつまでも抱えていると、他の部族に滅ぼされてしまう。この風習が、西アフリカの部族王制にもあるのだろうか。

アルー教授は答える。
「西アフリカだと、ベナンからナイジェリアのあたりに住むヨルバ族には、オウムの卵という掟があります。王が不適格と判断されれば、長老が王にオウムの卵を渡す。王はそうなると、自ら毒を呷って自殺しなければなりません。自殺を拒否すると、身内が毒を飲ませました。」

やはり、本当の話なのだ。それで、コートジボワールでいうと、王制をとるバウレ族などでも、同じなのですか。
「いや、バウレ族は殺したりはしない。でも、同様の仕組みがあります。王は自分の玉衣と金のサンダルが誰かに奪われたら、王を辞めなければならない。病気などで体が弱ると、長老が玉衣とサンダルを取り上げます。それで、新しい王に政権が移ります。バウレ族の場合は、王の権威は王自身にあるのではなくて、玉座にあるのです。だから、玉衣と金のサンダルを奪われ、玉座から追われれば、それで終わり。」

王制というと、ヨーロッパの例ばかり見てきた私など、王様は亡くなるまで王様だ、と思っている。しかし、アフリカではそうではない。王という地位は、終身保障されるものというわけではない。能力が無くなった王様は許されず、交代させられてしまう。王を殺すという手法だけ聞くとちょっと驚くけれど、能力を失った指導者は消えなければならない、という、アフリカにおける政権交代の理念がここにある。

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