日比谷公園で毎年行われる、「グローバルフェスタ」は、今年19回目。国際協力の分野で活躍する、数多くの団体、NGO、国際機関、企業体が、ブースを設けて活動紹介を行う。在京各国大使館も、それぞれのお国の展示を出している。他にも、さまざまな関連行事が行われている。国際協力に関係する人々、とくに若い人々が多く詰めかけ、模擬店なども出て、まるで学園祭のような催しだ。
野外音楽堂では、外務省主催のトークショウ、「国際協力について語ろう~今こそアフリカ支援」を開催する。アフリカについて、また国際協力について、関心のある方々に最前線の様子を直接お伝えし、一緒に考えてみよう、という趣旨である。コートジボワールで1年を過ごした経験から、実情をありのままに話してくれと言われ、それなら語りたいことは山ほどある、と出演させてもらった。
トークショウ出演でご一緒した、フジテレビの中野美奈子さん。彼女は、取材でシエラレオネに出かけたので、その時体験したアフリカの姿を紹介する。シエラレオネは、コートジボワールの西、隣のまた隣の国。ダイヤモンド鉱山の、過酷な環境で働く子供たち。学校に行って、将来は副大統領になるんだ、と夢を語る子がいる。一つ原石が見つかれば、300円貰えるのだ。勉強したくて、学費を作るため働いている。でも、ひと月にひとつ、原石が見つかればいい方。そんなお金で学校には通えない。
中野さんの体験談のうち、一番胸が痛んだのは、楽屋裏で聞かせてもらった話だ。中野さんは、シエラレオネの地方病院に、子供たちを訪ねた。
「運ばれてきた子供は、民間療法で草をすり潰して混ぜた、怪しげな薬を飲まされ、お腹が膨れてひどい状態でした。」
と中野さんは話し始める。
治療は、ただ子供の鼻からチューブを通し、どす黒い血混じりの粘液を吸いだすだけ。母親から血をとって、その子に輸血をするけれど、みな黒い液体となって流れ出す。しばらく苦闘したあと、母親がわっと泣き出したので見たら、もうその子供は息をしていなかった。病気が何であるかはさておき、患者にお金がなければ、それで医療は終わり。お金があっても、この病院ではもう注射器さえ底をついていた。日本ならばちゃんと診断を得て、点滴をし、投薬され、手術を受け、衛生的な措置が施される。日本ならば普通に生き残れるはずの子供たちが、どんどん死んでいく。
「目の前で子供が死ぬのを見たのは、はじめてだったのです。」
と中野さん。
「そして、その子供は、白い布にくるまれて外に運ばれていった。翌日、また病院に来たら、トイレの前に、別の子供が箱に入って寝ている。あら、どうしたの、かわいそうに、こんなところに寝かせられて。よく見たら、昨日の子供と同じように、布にくるまれていました。この子も死んだので、そこに放置してあったのです。それで、人々は何の驚きもなくその子の前を通り過ぎ、おばさんは普通に廊下を掃除している。」
子供の死は、ほんとうに日常の出来事だった、と中野さん。日本の子供たちには、何の疑いもなく当たり前に思われていることが、ここシエラレオネではそうではない。
「今、まったく同じ時間を過ごしていながら、日本の子供たちは幸せに暮らし、そしてシエラレオネの子供たちは、日々あの状態で、死ぬか生きるかの瀬戸際にいる。私はそのことを思うと、何ともやるせない気持ちになります。」
こうしたアフリカの現実に、大使としての私は、なかなか触れる機会がない。いつも公用車に乗り、地方に出かけると歓迎行事が続く私にとって、目に見え手に触れるアフリカは、とても限られたものでしかない。だから中野さんの話はとても新鮮だった。こうしたアフリカの一面について、大使に分ること、大使に出来ることは限られている。だからこそ、今日グローバルフェスタに集まった、NGOなどの人道支援団体との、役割分担がある。
<中野さんの取材報告>
野外音楽堂では、外務省主催のトークショウ、「国際協力について語ろう~今こそアフリカ支援」を開催する。アフリカについて、また国際協力について、関心のある方々に最前線の様子を直接お伝えし、一緒に考えてみよう、という趣旨である。コートジボワールで1年を過ごした経験から、実情をありのままに話してくれと言われ、それなら語りたいことは山ほどある、と出演させてもらった。
トークショウ出演でご一緒した、フジテレビの中野美奈子さん。彼女は、取材でシエラレオネに出かけたので、その時体験したアフリカの姿を紹介する。シエラレオネは、コートジボワールの西、隣のまた隣の国。ダイヤモンド鉱山の、過酷な環境で働く子供たち。学校に行って、将来は副大統領になるんだ、と夢を語る子がいる。一つ原石が見つかれば、300円貰えるのだ。勉強したくて、学費を作るため働いている。でも、ひと月にひとつ、原石が見つかればいい方。そんなお金で学校には通えない。
中野さんの体験談のうち、一番胸が痛んだのは、楽屋裏で聞かせてもらった話だ。中野さんは、シエラレオネの地方病院に、子供たちを訪ねた。
「運ばれてきた子供は、民間療法で草をすり潰して混ぜた、怪しげな薬を飲まされ、お腹が膨れてひどい状態でした。」
と中野さんは話し始める。
治療は、ただ子供の鼻からチューブを通し、どす黒い血混じりの粘液を吸いだすだけ。母親から血をとって、その子に輸血をするけれど、みな黒い液体となって流れ出す。しばらく苦闘したあと、母親がわっと泣き出したので見たら、もうその子供は息をしていなかった。病気が何であるかはさておき、患者にお金がなければ、それで医療は終わり。お金があっても、この病院ではもう注射器さえ底をついていた。日本ならばちゃんと診断を得て、点滴をし、投薬され、手術を受け、衛生的な措置が施される。日本ならば普通に生き残れるはずの子供たちが、どんどん死んでいく。
「目の前で子供が死ぬのを見たのは、はじめてだったのです。」
と中野さん。
「そして、その子供は、白い布にくるまれて外に運ばれていった。翌日、また病院に来たら、トイレの前に、別の子供が箱に入って寝ている。あら、どうしたの、かわいそうに、こんなところに寝かせられて。よく見たら、昨日の子供と同じように、布にくるまれていました。この子も死んだので、そこに放置してあったのです。それで、人々は何の驚きもなくその子の前を通り過ぎ、おばさんは普通に廊下を掃除している。」
子供の死は、ほんとうに日常の出来事だった、と中野さん。日本の子供たちには、何の疑いもなく当たり前に思われていることが、ここシエラレオネではそうではない。
「今、まったく同じ時間を過ごしていながら、日本の子供たちは幸せに暮らし、そしてシエラレオネの子供たちは、日々あの状態で、死ぬか生きるかの瀬戸際にいる。私はそのことを思うと、何ともやるせない気持ちになります。」
こうしたアフリカの現実に、大使としての私は、なかなか触れる機会がない。いつも公用車に乗り、地方に出かけると歓迎行事が続く私にとって、目に見え手に触れるアフリカは、とても限られたものでしかない。だから中野さんの話はとても新鮮だった。こうしたアフリカの一面について、大使に分ること、大使に出来ることは限られている。だからこそ、今日グローバルフェスタに集まった、NGOなどの人道支援団体との、役割分担がある。
<中野さんの取材報告>
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