9月11日、信任状奉呈式は、大統領府の前庭での儀仗兵閲兵からはじまった。導かれて大統領府の建物に入ると、民族服を着たタンジャ大統領が正面に立っている。前に進み出て、言上を告げる。
「大統領閣下、日本国天皇陛下が閣下のもとに、私を特命全権大使としてお遣わしになる旨をお伝えする書簡を、ここに奉呈いたします。」
と、もうこの言上も、これで5回目の信任状捧呈式であるから、丸暗記ですらすら出てくる。
タンジャ大統領は、私が渡した信任状を、儀礼的に改めた後、私を奥の客席に導く。いよいよ、大統領との相対の会談である。双方、誰も同席しない。私は、一通りの挨拶を述べた。さて、言うべきことをいわなければならない。何度も推敲した表現で、大統領に語りかける。
「日本とニジェールは、古くからの友人同士です。友人であればこそ、ときには率直に話し合わなければなりません。」
そう前置きをして、本題に入る。
「大統領閣下は、過去10年間の治世を通じ、ニジェールの民主化と安定を達成してこられました。その安定した政治を土台として、経済の開発と、貧困の克服に努力してこられました。そのことを、日本の人々は高く評価しています。しかし、ここ数ヶ月の出来事、すなわち大統領閣下が行われた憲法改定は、国際社会を深く懸念させるに至っています。日本として、ニジェールが民主主義に復旧することを、強く求めます。とくに来月予定される国民議会選挙が、公正で透明性のあるかたちで、何より暴力なしに実施されることを、強く期待しています。」
そこまで一気に述べた。タンジャ大統領は、私の言葉に気を悪くした風でもなく、こう語り始めた。
「ニジェールは、独立国だといわれてきました。過去50年、あなたは独立しているのだ、と他人から言われながら、実は何もかも、手とり足とり与えられてきたのです。与えられたものを受け取ることで発展だと思い、パリに呼んでもらえるだけで大喜びしてきました。でもそれでは、まだ親元にいる子供のようなものです。」
大統領は続ける。
「ニジェールは独立国ではあったかもしれないけれど、主権国ではなかったのです。私は大統領として、ニジェールの国民が、与えられたものを喜ぶのではなく、自分の手で国を作るようになることを求めてきました。それでこそ主権国家です。このたび国民は、はじめて自分の手で憲法を選びました。国中の人々が国民投票に応じて、自分の国のあり方を選びました。」
そして、タンジャ大統領は、憲法だけの問題ではない、と言う。ニジェールには資源がある。ウランや金や石炭や燐鉱石など、豊かな地下資源があるのに、その開発は欧米先進国が行い、ニジェールには自分でこれらの資源をどうにもできない。ニジェールの国民は、今や自分で国造りをしようと考えている。そして自分は大統領として、たとえ規模は小さくても、国民が自分で自分のことを何とかするような開発計画を進めてきた。国民の自主の精神を後押ししようとしてきた。
「おい、ちょっとあれを持ってきてくれ。」
突然、タンジャ大統領は、秘書を呼んで何やら頼んだ。秘書は奥にはいって、色刷りに印刷された説明書を探してきた。
「私は、この文書にある開発目標を定めて、進めてきました。農業、医療、教育の3つの分野をしっかりさせて、国民が安心して生活できるようにしようと努めてきました。まず農業生産で飢えることがないように、次いで医療改善で健康に、そして教育向上でより良い生活を目指せるように。」
タンジャ大統領は私に、広い国の大半がまだ貧しい地域であり、そこで国民が貧困や疾病にいかに苦しんでいるかを話す。その中で、ようやく国民が、自分で自分の問題を解決していく道筋を見出しはじめた、と語る。「大統領の開発計画」と題されたその説明書には、貯水池・井戸の建設、母子診療所、婦人対象の小規模金融、脱穀機の普及、移動外科手術所など、村や遠隔地の生活の必要に根差した開発計画がいくつも並んでいる。
村落の開発の重要性を、諄々と説く大統領の意図は、よく分らない。私は、タンジャ大統領に重ねて述べる。
「日本は、アジア諸国を相手に、こつこつと開発の協力を進めてきました。今、そのアジア諸国が安定と繁栄を達成していることに、日本として誇りを持っています。そうした経済発展は、それぞれの国の国民の、政治に対する信頼があってこそ、築かれたものです。ニジェールは、現在、経済成長を示しつつあり、これは大統領閣下の指導の賜物でしょう。これを維持して、経済の発展を揺るぎなくするためには、政治が国民の信頼を得て、確固としたものとなることが必須です。大統領が、野党勢力とも対話を進め、民主主義を回復し、国際社会を安心させるように努力されることを期待します。」
タンジャ大統領は、応接椅子に私と並んで座りながら、終始静かに語り続けた。手段を選ばない乱暴者という評判からは程遠い、長老政治家の姿であった。タンジャ大統領は、最後にこう言った。
「ニジェールでは、日本はお手本です。学校では、勤勉によって国を発展させたあの日本を見習えと教えています。ニジェールは広い土地に、人口は少なく、国としてまだまだやることがたくさんある。私は、ニジェールの人々に、自分で考え自分で働く、日本の人々のようになってほしい。」
私は大統領に、言うべきことは言った。タンジャ大統領の、国民の幸せを思う気持ちも分った。ニジェール大使としての初めての日を、滞りなく済ませた安堵はあっても、このタンジャ大統領のニジェールに対して、日本はどう付き合っていくべきかという質問には、答えは出ていない。しばらくは、10月に予定される国民議会選挙にどう取り組んで行くのかなど、タンジャ大統領のもとでの政治の行き先を、見定めていくことである。
「大統領閣下、日本国天皇陛下が閣下のもとに、私を特命全権大使としてお遣わしになる旨をお伝えする書簡を、ここに奉呈いたします。」
と、もうこの言上も、これで5回目の信任状捧呈式であるから、丸暗記ですらすら出てくる。
タンジャ大統領は、私が渡した信任状を、儀礼的に改めた後、私を奥の客席に導く。いよいよ、大統領との相対の会談である。双方、誰も同席しない。私は、一通りの挨拶を述べた。さて、言うべきことをいわなければならない。何度も推敲した表現で、大統領に語りかける。
「日本とニジェールは、古くからの友人同士です。友人であればこそ、ときには率直に話し合わなければなりません。」
そう前置きをして、本題に入る。
「大統領閣下は、過去10年間の治世を通じ、ニジェールの民主化と安定を達成してこられました。その安定した政治を土台として、経済の開発と、貧困の克服に努力してこられました。そのことを、日本の人々は高く評価しています。しかし、ここ数ヶ月の出来事、すなわち大統領閣下が行われた憲法改定は、国際社会を深く懸念させるに至っています。日本として、ニジェールが民主主義に復旧することを、強く求めます。とくに来月予定される国民議会選挙が、公正で透明性のあるかたちで、何より暴力なしに実施されることを、強く期待しています。」
そこまで一気に述べた。タンジャ大統領は、私の言葉に気を悪くした風でもなく、こう語り始めた。
「ニジェールは、独立国だといわれてきました。過去50年、あなたは独立しているのだ、と他人から言われながら、実は何もかも、手とり足とり与えられてきたのです。与えられたものを受け取ることで発展だと思い、パリに呼んでもらえるだけで大喜びしてきました。でもそれでは、まだ親元にいる子供のようなものです。」
大統領は続ける。
「ニジェールは独立国ではあったかもしれないけれど、主権国ではなかったのです。私は大統領として、ニジェールの国民が、与えられたものを喜ぶのではなく、自分の手で国を作るようになることを求めてきました。それでこそ主権国家です。このたび国民は、はじめて自分の手で憲法を選びました。国中の人々が国民投票に応じて、自分の国のあり方を選びました。」
そして、タンジャ大統領は、憲法だけの問題ではない、と言う。ニジェールには資源がある。ウランや金や石炭や燐鉱石など、豊かな地下資源があるのに、その開発は欧米先進国が行い、ニジェールには自分でこれらの資源をどうにもできない。ニジェールの国民は、今や自分で国造りをしようと考えている。そして自分は大統領として、たとえ規模は小さくても、国民が自分で自分のことを何とかするような開発計画を進めてきた。国民の自主の精神を後押ししようとしてきた。
「おい、ちょっとあれを持ってきてくれ。」
突然、タンジャ大統領は、秘書を呼んで何やら頼んだ。秘書は奥にはいって、色刷りに印刷された説明書を探してきた。
「私は、この文書にある開発目標を定めて、進めてきました。農業、医療、教育の3つの分野をしっかりさせて、国民が安心して生活できるようにしようと努めてきました。まず農業生産で飢えることがないように、次いで医療改善で健康に、そして教育向上でより良い生活を目指せるように。」
タンジャ大統領は私に、広い国の大半がまだ貧しい地域であり、そこで国民が貧困や疾病にいかに苦しんでいるかを話す。その中で、ようやく国民が、自分で自分の問題を解決していく道筋を見出しはじめた、と語る。「大統領の開発計画」と題されたその説明書には、貯水池・井戸の建設、母子診療所、婦人対象の小規模金融、脱穀機の普及、移動外科手術所など、村や遠隔地の生活の必要に根差した開発計画がいくつも並んでいる。
村落の開発の重要性を、諄々と説く大統領の意図は、よく分らない。私は、タンジャ大統領に重ねて述べる。
「日本は、アジア諸国を相手に、こつこつと開発の協力を進めてきました。今、そのアジア諸国が安定と繁栄を達成していることに、日本として誇りを持っています。そうした経済発展は、それぞれの国の国民の、政治に対する信頼があってこそ、築かれたものです。ニジェールは、現在、経済成長を示しつつあり、これは大統領閣下の指導の賜物でしょう。これを維持して、経済の発展を揺るぎなくするためには、政治が国民の信頼を得て、確固としたものとなることが必須です。大統領が、野党勢力とも対話を進め、民主主義を回復し、国際社会を安心させるように努力されることを期待します。」
タンジャ大統領は、応接椅子に私と並んで座りながら、終始静かに語り続けた。手段を選ばない乱暴者という評判からは程遠い、長老政治家の姿であった。タンジャ大統領は、最後にこう言った。
「ニジェールでは、日本はお手本です。学校では、勤勉によって国を発展させたあの日本を見習えと教えています。ニジェールは広い土地に、人口は少なく、国としてまだまだやることがたくさんある。私は、ニジェールの人々に、自分で考え自分で働く、日本の人々のようになってほしい。」
私は大統領に、言うべきことは言った。タンジャ大統領の、国民の幸せを思う気持ちも分った。ニジェール大使としての初めての日を、滞りなく済ませた安堵はあっても、このタンジャ大統領のニジェールに対して、日本はどう付き合っていくべきかという質問には、答えは出ていない。しばらくは、10月に予定される国民議会選挙にどう取り組んで行くのかなど、タンジャ大統領のもとでの政治の行き先を、見定めていくことである。
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