ニジェールのタンジャ大統領から、信任状奉呈式を行うから来てくれ、という連絡があった。アビジャンに着任してから、はや1年が経とうとしている。これまで1年間も、信任状奉呈を行うという話が来ず、いやはや日本大使を接遇する気があるのだろうかと疑問にさえ思っていたところである。
おまけに、タンジャ大統領は、3選目を禁じる憲法にかわり、自分の任期を3年間延ばす新憲法を、強引に採択してしまった(8月4日)。だから、今年年末に予定されていた大統領選挙を行うことなく、タンジャ大統領が大統領を続けることになった。もとの憲法が定めていたルールを乱暴に無視したこのやり方は、民主主義への否定であり、憲法政治への狼藉であると、欧米やアフリカの中からも批判が続出した。日本も懸念を表明し、民主主義に戻るように求める声明を出した。そうした問題が起きた直後に、私は信任状奉呈に呼ばれたというわけなのだ。
1年間も私の信任を行わないでいて、国際社会の強い批判が出るやり方で政権延命をした直後になって私を呼ぶというのは、少々勘繰りたくなる手配の良さである。つまり、タンジャ大統領の強引さに疑念が投げかけられているなかで、日本の大使を華々しく接遇する。タンジャ大統領のやり方を追認し、その政権にお墨付きを与えるような役回りを、日本が演じてしまうようなことになりはしないだろうか。
そうはいっても、私はニジェールの大使として送り出されているのだから、タンジャ大統領の信任を受ける必要がある。ニジェール政府から接遇されなければ、大使としての仕事が始まらない。だから、信任状奉呈式には行かなければならない。そこで、信任状奉呈はきちんと済ませるけれど、タンジャ大統領に会ったら言うべきことを言おう、と決めた。
首都ニアメに着いた。信任状奉呈式の前日、街の中を回ってみた。タンジャ大統領の憲法改正で、雰囲気が緊張しているのかと思ったら、そうでもない。ちょうどイスラム教の断食月(ラマダン)の最中であることもあって、何となく静かな雰囲気が漂っている。ひと月あまり前に、憲法改正の国民投票をめぐって、騒動や緊張があったとは思えない。
街のあちこちに、立て看板があって、こう書いてある。
「信任してくれて、皆様ありがとう。タンジャ大統領」
自分に反対意見を述べた国会を解散し、それを無効だと判定した憲法院を罷免し、そして報道の批判が出れば、強力に検閲できる機関を設置して、国民投票に持ち込んで、それでようやく憲法改正に至った。タンジャ大統領として、国民から信任されたということを、ことさらに立て看板で表明してみせなければならないということなのだろうか。いずれにしても、大統領には看板による表現の自由がある。
いやいや、反対派にとっても、若干の表現の自由はあるようだ。立て看板の中に、ペンキが投げつけられ、汚されているものが、いくつもある。そう思って見ていると、こんどはペンキで汚されたところを、丁寧に拭き取った看板もある。看板をめぐって、大統領支持派と反対勢力との間で、鍔迫り合いがある。
私は正直なところ、欧州諸国のように、批判のあまり経済協力の中断まで示唆するのは、生産的でないと考えてはいるのである。クーデタはもちろん、官憲と人々との衝突による流血事件があったというわけではない。日本をはじめ外部にいる国が、ニジェールの国民が何を大事に考えているのかを確認せず、民主主義や憲法政治の原則を杓子定規にあてはめて、安易にあれこれ批判するべきではない、とも考える。
だから、もっと早く私を信任してくれていれば、気持ちとしてタンジャ大統領の味方になっていたかも知れない。もっと以前からタンジャ大統領と話が出来ていれば、日本の立場からいろいろ助言もできたのかもしれない。しかし、信任状奉呈がここまで遅れたことで、私の気持ちは離れている。私はタンジャ大統領のことを、かなり強引で頑固で勝手気ままな性格に違いないと思っている。会う以上は言いにくいことを言わなければならないし、タンジャ大統領に会うのは、実のところ気が重いのである。
(続く)
「信任してくれて、皆様ありがとう。タンジャ大統領」
看板がペンキで汚されている。
ここも、ペンキが投げつけてある。
ここも同じ。
汚れを拭き取ったものもある。
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