「世代が成人(maturité)する」とはそもそも何か、ということを説明していない。「世代」というのは、先に説明した通り、ある年齢層の人々で構成する、村人の集団である。4つの「世代」のそれぞれが、さらに4つの「組(catégorie)」に分かれている。その4つの組にも名前が付いていて、ジェフ(Djéhou)、ドンバ(Dongba)、アバン(Agban)、アスクルー(Assoukrou)の4組である。村人の誰もが、特定の「世代」の特定の「組」に帰属する。
さて、その「組」に所属する一人ひとりは、18歳になって「成人する」としても、それだけでは、一人前ではない。もっと歳を重ねて経験を積み、職業を得て、結婚をし、子供を作り、家を建てる。そこまでくれば、社会の一員として一人前になったと認められる。「組」の構成員の全てが、そうして一人前になったとき、「組」全体として「成人した」と認められる。「組」のなかでは、互いに助け合って、早く全員が一人前になれるようにする。結婚や、就職や、家の独立を助ける。
「世代」を構成する4つの「組」が、すべて「成人した」ときに、その「世代」全体が「成人した」と認められる。今日の祭は、チャバという世代のアスクルー組が、きちんと成人したと報告する認証式である。それとともに、このアスクルー組が、チャバ世代のなかで残っていた最後の「組」であったので、チャバ世代全体としても、これで「成人した」ということが認証されたのである。
「世代」が成人するとどうなるのか。それは、権力に挑戦できる、ということらしい。つまり、チャバ世代は、すぐ上の世代で、現在権力を保持しているドゥボ世代に対して、いつでも権力の譲渡を受けられる素地が出来た、ということなのである。権力というのは、もちろん、村の長をその「世代」の中から出すということであるけれど、それに留まらない。
権力を持つ「世代」は、村の重要事項を決定し、他の「世代」に対して命令をする。例えば、村のどこそこの道が、豪雨で壊れた。どうにかしなければならない、としよう。修理するかどうか、どういう日程でするのか、それは権力を持つ世代が、自分たちの中で決める。そして、ある「世代」のある「組」に対して、君たちが修理をしろ、と命令する。その「組」は、自分たちの労働を提供して、道路補修に取り掛からなければならない。昔は、他の部族との戦争において、「組」はそのまま軍の部隊となった。だから、「組」のリーダー格たちを、今なお「戦士」と呼ぶ。
若い「世代」は、なるべく早く成人して、上の「世代」から権力を奪おうとする。チャバ世代が今日これで成人したということは、権力が脅かされることになって大変ですね。昼食の時に隣に座った村の長に、私はそう尋ねる。彼は、ドゥボ世代の中で選ばれ、村の長として、権力の頂点にいるというわけだ。
「いやいや、あと10年は権力を保持しますよ。挑戦してくるチャバ世代を、これから試して、まだまだ経験も実力も足りないということを、思い知らせます。」
つまり、若い世代に対して、村を統べる術を、訓練していくのである。そして、10年くらいたって、チャバ世代が十分に実力を付け、一方でドゥボ世代が歳をとって体力にも衰えが見られ始めたときに、世代交代が行われる。つまり、政権交代である。若い世代の「戦士」たちの中から、新しい村の長が選ばれる。そして若い世代に、村の決定権が移る。
ここまで聞いて、私は再び感心した。この世代方式であれば、必ず政権交代が保証され、つねに一番実力のある年齢層の人間が、リーダーになる。老人支配や、長老たちがいつまでも権力を譲らないということは、制度上ありえない。こういう組織管理術は、おそらく部族同士の抗争なども日常で、生存のために真剣に部族の力を維持しておかなければならなかった時代に、編み出されたものであろう。
このエブリエ族の「世代」方式は、いったん選ばれた王様が死ぬまで権力を維持する方式よりも、ずっと部族の活力が引き出せるように思える。バウレ族、アニ族などは、王様方式だから、政権交代が進まず、老人化現象で権力の停滞が起こっていたのだろうか。ところが、王様方式のほうは、これはこれで歴史的には、大変驚くべき、アフリカ的というべき権力交代の約束事を持っていた。この話については、取材を進めた上で稿を改めることとしたい。
さて、「世代」方式は、民主主義の制度であり、政権交代の制度であるとともに、まだまだ他に重要な機能を持っていることが分ってきた。
(続く)
さて、その「組」に所属する一人ひとりは、18歳になって「成人する」としても、それだけでは、一人前ではない。もっと歳を重ねて経験を積み、職業を得て、結婚をし、子供を作り、家を建てる。そこまでくれば、社会の一員として一人前になったと認められる。「組」の構成員の全てが、そうして一人前になったとき、「組」全体として「成人した」と認められる。「組」のなかでは、互いに助け合って、早く全員が一人前になれるようにする。結婚や、就職や、家の独立を助ける。
「世代」を構成する4つの「組」が、すべて「成人した」ときに、その「世代」全体が「成人した」と認められる。今日の祭は、チャバという世代のアスクルー組が、きちんと成人したと報告する認証式である。それとともに、このアスクルー組が、チャバ世代のなかで残っていた最後の「組」であったので、チャバ世代全体としても、これで「成人した」ということが認証されたのである。
「世代」が成人するとどうなるのか。それは、権力に挑戦できる、ということらしい。つまり、チャバ世代は、すぐ上の世代で、現在権力を保持しているドゥボ世代に対して、いつでも権力の譲渡を受けられる素地が出来た、ということなのである。権力というのは、もちろん、村の長をその「世代」の中から出すということであるけれど、それに留まらない。
権力を持つ「世代」は、村の重要事項を決定し、他の「世代」に対して命令をする。例えば、村のどこそこの道が、豪雨で壊れた。どうにかしなければならない、としよう。修理するかどうか、どういう日程でするのか、それは権力を持つ世代が、自分たちの中で決める。そして、ある「世代」のある「組」に対して、君たちが修理をしろ、と命令する。その「組」は、自分たちの労働を提供して、道路補修に取り掛からなければならない。昔は、他の部族との戦争において、「組」はそのまま軍の部隊となった。だから、「組」のリーダー格たちを、今なお「戦士」と呼ぶ。
若い「世代」は、なるべく早く成人して、上の「世代」から権力を奪おうとする。チャバ世代が今日これで成人したということは、権力が脅かされることになって大変ですね。昼食の時に隣に座った村の長に、私はそう尋ねる。彼は、ドゥボ世代の中で選ばれ、村の長として、権力の頂点にいるというわけだ。
「いやいや、あと10年は権力を保持しますよ。挑戦してくるチャバ世代を、これから試して、まだまだ経験も実力も足りないということを、思い知らせます。」
つまり、若い世代に対して、村を統べる術を、訓練していくのである。そして、10年くらいたって、チャバ世代が十分に実力を付け、一方でドゥボ世代が歳をとって体力にも衰えが見られ始めたときに、世代交代が行われる。つまり、政権交代である。若い世代の「戦士」たちの中から、新しい村の長が選ばれる。そして若い世代に、村の決定権が移る。
ここまで聞いて、私は再び感心した。この世代方式であれば、必ず政権交代が保証され、つねに一番実力のある年齢層の人間が、リーダーになる。老人支配や、長老たちがいつまでも権力を譲らないということは、制度上ありえない。こういう組織管理術は、おそらく部族同士の抗争なども日常で、生存のために真剣に部族の力を維持しておかなければならなかった時代に、編み出されたものであろう。
このエブリエ族の「世代」方式は、いったん選ばれた王様が死ぬまで権力を維持する方式よりも、ずっと部族の活力が引き出せるように思える。バウレ族、アニ族などは、王様方式だから、政権交代が進まず、老人化現象で権力の停滞が起こっていたのだろうか。ところが、王様方式のほうは、これはこれで歴史的には、大変驚くべき、アフリカ的というべき権力交代の約束事を持っていた。この話については、取材を進めた上で稿を改めることとしたい。
さて、「世代」方式は、民主主義の制度であり、政権交代の制度であるとともに、まだまだ他に重要な機能を持っていることが分ってきた。
(続く)
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