ヨプゴン(Yopougon)という地区がある。アビジャンの一部であり、庶民が密集して住む町が広がっている。大使館の事務所があるプラトー地区や、公邸があるココディ地区は、市街や高級住宅の連なる街である。これに対して、マッチ箱のような家々や出店が重なるように並ぶヨプゴンこそ、「真のアビジャン」と呼ばれている。そのヨプゴン地区にあるカトリック教会である「聖ロラン教会」に、アントニオ神父を訪ねた。神父とは、ある人道支援活動で知り合った。教会に遊びに来てくれと招待されたので、出かけたのである。
教会というから、村の礼拝堂のようなものを思い浮かべていたら、とんでもない。大きな建築で、3千人収容という。ヨプゴンに幾つもある教区の一つを、この教会で担当している。その教区の人口は23万人。登録された信者だけで、1万5千人ほどを数える。だから、これだけ大きな教会が必要なわけだ。カトリック教会だから、布教とともに、教区の信者、つまり人々の世話が仕事だ。何人も神父やシスターたちが働いている。生活の悩みなど、いろいろな問題に相談に乗る。
この教会では、診療所を3ヶ所建てて、地元の庶民の生活に密着した活動をしている。そのうちの一つを見学した。ちょうど小学校の教室のように、部屋が並んでいて、幾つかの欧米系NGOの支援を得ながら、保健医療のほか、識字啓発や、母子健康、エイズ・HIVなど、地区の貧しい人々を対象とした活動を行っている。貧しいといっても、人々の生活改善の意欲は高い。識字教室を開くと、みな熱心に通ってくる。10年ほど前に、識字教室の第一期生としてここでアルファベットを学んだ少年が、その後勉強を重ねて、今年アビジャン大学に入学した。この地区に住む皆にとって、大きな誇りなのだという。
アントニオ神父にお願いして、診療所の見学のついでに、庶民の生活の様子を見せてもらおう。どうも大使というと雲の上に生活しているみたいで、下界の世情はよく分からない。こういう機会は貴重だ。教区の町内は、おそらくヨプゴンでも最も貧しい地区と思われる。そこを案内してもらった。
「ほんとうに貧しい人たちなんです。」
と神父は言う。
「診療所では、1回の診療費を、いちおう500フラン(100円)ほど徴収するのですが、それが払えない人たちがいるのです。」
貧民街区に入った。雑然と住宅のバラック小屋が並ぶ。戸口から覗くと、婦人たちが金だらいで洗濯をしていた。まわりから子どもたちがわんさか出てくる。折り重なった小屋の中で、折り重なって人が住み、折り重なって仕事をしている。小屋と小屋の間に通路があって、そこで小屋より小さな店を営んでいる。店の女性は、箪笥ほどの店に、調味料の葉っぱや、コーラの実や、椰子油などを、丁寧に並べて売っている。隣の店では、バナナや椰子の実を山のように売っている。そんな店が、たくさん連なっている。人々が、いろいろな物を手にして、足早に往来する。
地区は貧しいかもしれないけれど、人々は活発に生活を営んでいる。この生活の熱気、これが私は好きだ。私たちの生活水準とは随分違うので、この生活を人々は貧困と呼ぶ。たしかに貧しい生活だろう。テレビや冷房機や車など、贅沢な品々はここにはない。でも、貧困の悲惨があるかと聞かれれば、どうだろうか。衣食住は、質素ながらちゃんとある。挨拶をすれば笑顔が返ってくる。子どもたちが、ゴミ袋をサッカーボールにして、走り回っている。表情は、皆とても明るい。貧しいかもしれないけれど、必ずしも不幸だとか、悲惨ということではないでしょうね、と私はアントニオ神父に尋ねている。
(続く)
聖ロラン教会の大きな建物
診療所の入り口
診療所の待合い
貧民街区に入る
貧民街区を歩く
下水溝で汚水が淀む
住居を覗くと子供がいっぱい
白い服はアントニオ神父 おばさんの店
おばさんの品揃え
揚げ物を売る店
いつかこの日誌を見つけて、面白そうだなとFAVORITEに入れていました。
私はウガンダや南アフリカに行った事がありますが、そこで現地の人と友達になり、まさに現地の生活を垣間見たことがあります。
南アフリカのタウンシップに住む人、ウガンダの貧しい村に住む人々、確かにそれは”貧困”の代名詞ともなるような生活でしたが、皆一様に明るく、子供は屈託無く笑い、とても愛想が良くそして親切な人々が多かったです。洗剤を洗う資金にも乏しいようで、石鹸と水を汲んだバケツで食器を洗い、家にはネズミが入ってくるような所でしたが、人の顔はとても明るく優しいのです。それがずっと忘れられず、今や、今まで訪れた旅先で一番好きな国にさえなりました。メディアで取り上げられているような”いわゆる””貧困”といった所ですが、”不幸”や”犯罪”と必ずしも結びついているわけではないということを感じました。この日記にもとても共感したので、コメントを残させて頂きました。