バグダッドで殉職したジャンセリムの葬儀は、パリのノートルダム寺院の近くにある、古い教会で行われた。私は、当時パリの大使館に勤務していたから、参列することが出来た。ジャンセリムの妻ラウラが、喪服を着て静かに立っていた。私たちが皆コソボで働いていた時、ラウラも国連職員として、オビリッチという町の「市長」を務めていた。ラウラも、私のコソボの戦友であった。
国連の旗に覆われたジャンセリムの棺が、静かに入ってきた。誰もが旗の下で死ぬわけではない。まして、国連の旗。私が覚えた戦慄は、悲しみを越えた何かもっと崇高で永遠なものだった。コソボで彼とともに働いたということへの、誇りというべき気持ちであった。
ジャンセリムとラウラの間にはじめて生まれた息子、マティアセリムは、齢1ヶ月にして父を失った。葬儀の途中で、マティアセリムは高い声を上げた。そしてラウラは、毅然として、弔辞を読み上げた。
その弔辞は、愛する人を失った悲しみを綴ったものというよりは、残された私たちに対して、正しく信念に基づいて行動することの美しさを、強く訴えるものであった。マティアセリムにむけてのジャンセリムの遺言は、そのまま私たちに生きる勇気を与えてくれる福音である。
ジャンセリムへの追悼の気持ちを新たに、ラウラの弔辞を、次の通り再録したい。2003年8月23日。パリのサンジュリアン・ル・ポーヴル教会において。
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愛する貴方よ。
言うべきことは沢山あるようで、殆ど無いのかも知れない。貴方の前で、今日、貴方の伴侶として、またマティアセリムの母として、貴方との繋がりの最高の成果、この子について語ろうと思う。この子を身ごもり、貴方と私は、より良い世界への深い希望を得たから。二人の人生、そして人類への信頼を得たから。マティアセリムは、貴方への、私達の人生の賛歌。
2月、まだ二人がニューヨークに住んでいて、貴方はジュネーブに新たな道を探しに出ていた。貴方は、お腹のこの子の健康状態と性別を診断する前の日、この子に宛てて、長い手紙を書いてきた。私は、お腹が大きい間、その手紙をこの子に大きな声を出して読んで聞かせていた。その手紙は、こう結んでいた。
「男の子であろうと、女の子であろうと、頭がいい子であろうと無かろうと、美しい子であろうと無かろうと、いつも人々の見る目によって異なる基準よりも、僕にはもっと大切なことがある。君が真の美しさを身に付けることだ。物事をいつも正しく感じとる人々が大切にしてきた、あの美しさ、それは人が目で見ることは出来ない。
僕は神に祈る。君が平和と喜びの子となるように。人々に、とりわけ最も虐げられた弱い人々に、いたわりとやさしさを持った子となるように。輝くものが全て金ではないことを、すぐに見分けられる子となるように。
ラウラと僕は、寛容と、他の人々への敬意と、そして手っ取り早い解決のために暴力に訴えることを拒否することを、君に教えられたらと願う。君が居る所、行く所、暖かさとやさしさを残せるように。君が人々の悲しみを慰め、元気を高めることが出来るように。いつも、君が正しいと信じることに、威厳を持って、勇気を示し、高い大きな声で語れるように。
君が逆境にあって、多くの人々が君を非難するとしても、頭を低めてはいけない。君を愛する人々の目を、自分は常に善を求めてきたのだという確信をもって、見つめることが出来るように。そして善を求めるとは、それが誰であれ、他人を愛することなのだ。わが子よ、重要なのは君が幸せなこと。君が楽しくかつ非凡な人生を送ること。君が人を愛するように、君が愛されていると思えること、そしてなにより自由を感じること。」
愛する貴方よ。
私は、貴方と一緒に出来たはずであったように、マティアセリムを育てるため、私に出来る限りのことをすることを、貴方に約束する。マティアセリムは、安らかな子供時代をすごし、貴方がどういう人であったかを学びながら育ち、貴方の魂に力付けられていくだろう。貴方の魂は、常に私達とともにあるのだから。
貴方の前において、私達の友人達へ、私達を愛してくれている家族へ、私は、力を添えてくれるようにお願いしたい。今日、明日、そしてマティアセリムが人生を過ごす、あらゆる季節において、これらが実現していくように。
ラウラ
国連の旗に覆われたジャンセリムの棺が、静かに入ってきた。誰もが旗の下で死ぬわけではない。まして、国連の旗。私が覚えた戦慄は、悲しみを越えた何かもっと崇高で永遠なものだった。コソボで彼とともに働いたということへの、誇りというべき気持ちであった。
ジャンセリムとラウラの間にはじめて生まれた息子、マティアセリムは、齢1ヶ月にして父を失った。葬儀の途中で、マティアセリムは高い声を上げた。そしてラウラは、毅然として、弔辞を読み上げた。
その弔辞は、愛する人を失った悲しみを綴ったものというよりは、残された私たちに対して、正しく信念に基づいて行動することの美しさを、強く訴えるものであった。マティアセリムにむけてのジャンセリムの遺言は、そのまま私たちに生きる勇気を与えてくれる福音である。
ジャンセリムへの追悼の気持ちを新たに、ラウラの弔辞を、次の通り再録したい。2003年8月23日。パリのサンジュリアン・ル・ポーヴル教会において。
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愛する貴方よ。
言うべきことは沢山あるようで、殆ど無いのかも知れない。貴方の前で、今日、貴方の伴侶として、またマティアセリムの母として、貴方との繋がりの最高の成果、この子について語ろうと思う。この子を身ごもり、貴方と私は、より良い世界への深い希望を得たから。二人の人生、そして人類への信頼を得たから。マティアセリムは、貴方への、私達の人生の賛歌。
2月、まだ二人がニューヨークに住んでいて、貴方はジュネーブに新たな道を探しに出ていた。貴方は、お腹のこの子の健康状態と性別を診断する前の日、この子に宛てて、長い手紙を書いてきた。私は、お腹が大きい間、その手紙をこの子に大きな声を出して読んで聞かせていた。その手紙は、こう結んでいた。
「男の子であろうと、女の子であろうと、頭がいい子であろうと無かろうと、美しい子であろうと無かろうと、いつも人々の見る目によって異なる基準よりも、僕にはもっと大切なことがある。君が真の美しさを身に付けることだ。物事をいつも正しく感じとる人々が大切にしてきた、あの美しさ、それは人が目で見ることは出来ない。
僕は神に祈る。君が平和と喜びの子となるように。人々に、とりわけ最も虐げられた弱い人々に、いたわりとやさしさを持った子となるように。輝くものが全て金ではないことを、すぐに見分けられる子となるように。
ラウラと僕は、寛容と、他の人々への敬意と、そして手っ取り早い解決のために暴力に訴えることを拒否することを、君に教えられたらと願う。君が居る所、行く所、暖かさとやさしさを残せるように。君が人々の悲しみを慰め、元気を高めることが出来るように。いつも、君が正しいと信じることに、威厳を持って、勇気を示し、高い大きな声で語れるように。
君が逆境にあって、多くの人々が君を非難するとしても、頭を低めてはいけない。君を愛する人々の目を、自分は常に善を求めてきたのだという確信をもって、見つめることが出来るように。そして善を求めるとは、それが誰であれ、他人を愛することなのだ。わが子よ、重要なのは君が幸せなこと。君が楽しくかつ非凡な人生を送ること。君が人を愛するように、君が愛されていると思えること、そしてなにより自由を感じること。」
愛する貴方よ。
私は、貴方と一緒に出来たはずであったように、マティアセリムを育てるため、私に出来る限りのことをすることを、貴方に約束する。マティアセリムは、安らかな子供時代をすごし、貴方がどういう人であったかを学びながら育ち、貴方の魂に力付けられていくだろう。貴方の魂は、常に私達とともにあるのだから。
貴方の前において、私達の友人達へ、私達を愛してくれている家族へ、私は、力を添えてくれるようにお願いしたい。今日、明日、そしてマティアセリムが人生を過ごす、あらゆる季節において、これらが実現していくように。
ラウラ
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