さて、聴衆から活発な質疑が飛ぶ。来ているコートジボワールの大学生たち、一般市民たちにとっては、自分たちの起源の物語である。だから、質問は具体的で、自分の部族、宗教、名前などの由来を聞く。このように、西方から植民してきた部族と、もとから生活していた部族の間で、どのように交流や住み分けが行われたのか。その歴史は、自分たち自身の先祖の問題である。
教授は丁寧に答えながら、諭すように話を始めた。
「コートジボワールでは、部族はみな小さい。それらどうしが、お互いに頻繁に交流し、たちまち混血が進みました。結果として、人々の間にそれほど大きな違いはありません。名前や血筋に興味を持つのはいいことですけれど、差異を探すのではなく、共通項を認識するべきです。」
そして、日本をみなさい、と話し始めた。日本大使館の人間が来ていると、聞いたからだろうか。
「日本は、19世紀の半ばに、わずか5条の政令を公布し、近代化の道を歩みはじめました。皇帝ムツヒトが出したこの5条の政令は、大事なことを述べていました。それは、君たちは今日から日本人として団結せよ、ということです。それまでの将軍政府では、各地の部族がばらばらでした。それを皇帝ムツヒトは、われわれは一つの国民だと宣言した。そして一致団結して国造りに励んだ結果、20世紀の初頭には、すでに列強の一つになっていました。」
なるほど、明治維新にはそういう解釈もあるのだ。教授は、コートジボワールでも国民一体の意識が重要だ、ということを言いたいようだ。日本の話が出たら、私も黙っていられなくなる。マイクを回してもらった。名前と所属を名乗るのが礼儀だから、日本大使だ、と言う。会場が、おおっとどよめいて、拍手をする。大袈裟になるかもしれないけれど、ここまで来たら、やむを得ない。
「先生の日本歴史へのご理解に敬意を表します。コートジボワールの歴史について知りたくて、ここに参りました。とても面白い講義に、感謝します。主催者にも敬意を表します。」
ひととおりの挨拶の後、私は意見を開陳する。
「昨年着任して以来、コートジボワールの歴史に興味を持って、本屋にお国の歴史が分る本を探しに行きました。ところが、一冊も見つかりません。さすがに、小中学校では国の歴史を教えているだろう。そう思って、学校の教科書を探しました。でも歴史の教科書は、皆フランスで使っているものと同じで、その内容は、ナポレオンとかの歴史か、せいぜい非植民地化の歴史だけでした。もっと古くから、コートジボワールの民族の歴史があるのに、それを学校の生徒や、一般の人々が、手軽に学べないのは残念です。」
教授は演台から、そうだそうだ、と大きく首を振った。そして私に応える。
「大使の言うとおりである。私も、政府の人たちに、コートジボワールの民族の歴史をきちんと纏めよう、纏めて学校で教えようと、何度言ってきたことか。でも、教育省にはその必要性が分ってもらえない。コートジボワールの教育は、フランスで、欧州で、教養人と認められることだけを目標にしている。国民として何を学ぶべきかには、思いが至らず、だから予算もつかない。歴史を失った民族は、ばらばらになってしまうだけなのに。」
アルー・クアメ教授はもはや歴史の授業を離れ、歴史を大切にすべきことについての熱い議論になった。彼の熱弁は、さらに聴講に来ている人たちの議論を誘って、会場は大いに沸いた。私の問題提起は、ここに来ている人々の共感を呼んだ。コートジボワールの人々の中にも、同じように歴史を大切に考える人がいる。私は大いに安堵をした。お忍びとはいかなくなってしまったけれど、聞きに来た意味は十分にあったというものである。
教授は丁寧に答えながら、諭すように話を始めた。
「コートジボワールでは、部族はみな小さい。それらどうしが、お互いに頻繁に交流し、たちまち混血が進みました。結果として、人々の間にそれほど大きな違いはありません。名前や血筋に興味を持つのはいいことですけれど、差異を探すのではなく、共通項を認識するべきです。」
そして、日本をみなさい、と話し始めた。日本大使館の人間が来ていると、聞いたからだろうか。
「日本は、19世紀の半ばに、わずか5条の政令を公布し、近代化の道を歩みはじめました。皇帝ムツヒトが出したこの5条の政令は、大事なことを述べていました。それは、君たちは今日から日本人として団結せよ、ということです。それまでの将軍政府では、各地の部族がばらばらでした。それを皇帝ムツヒトは、われわれは一つの国民だと宣言した。そして一致団結して国造りに励んだ結果、20世紀の初頭には、すでに列強の一つになっていました。」
なるほど、明治維新にはそういう解釈もあるのだ。教授は、コートジボワールでも国民一体の意識が重要だ、ということを言いたいようだ。日本の話が出たら、私も黙っていられなくなる。マイクを回してもらった。名前と所属を名乗るのが礼儀だから、日本大使だ、と言う。会場が、おおっとどよめいて、拍手をする。大袈裟になるかもしれないけれど、ここまで来たら、やむを得ない。
「先生の日本歴史へのご理解に敬意を表します。コートジボワールの歴史について知りたくて、ここに参りました。とても面白い講義に、感謝します。主催者にも敬意を表します。」
ひととおりの挨拶の後、私は意見を開陳する。
「昨年着任して以来、コートジボワールの歴史に興味を持って、本屋にお国の歴史が分る本を探しに行きました。ところが、一冊も見つかりません。さすがに、小中学校では国の歴史を教えているだろう。そう思って、学校の教科書を探しました。でも歴史の教科書は、皆フランスで使っているものと同じで、その内容は、ナポレオンとかの歴史か、せいぜい非植民地化の歴史だけでした。もっと古くから、コートジボワールの民族の歴史があるのに、それを学校の生徒や、一般の人々が、手軽に学べないのは残念です。」
教授は演台から、そうだそうだ、と大きく首を振った。そして私に応える。
「大使の言うとおりである。私も、政府の人たちに、コートジボワールの民族の歴史をきちんと纏めよう、纏めて学校で教えようと、何度言ってきたことか。でも、教育省にはその必要性が分ってもらえない。コートジボワールの教育は、フランスで、欧州で、教養人と認められることだけを目標にしている。国民として何を学ぶべきかには、思いが至らず、だから予算もつかない。歴史を失った民族は、ばらばらになってしまうだけなのに。」
アルー・クアメ教授はもはや歴史の授業を離れ、歴史を大切にすべきことについての熱い議論になった。彼の熱弁は、さらに聴講に来ている人たちの議論を誘って、会場は大いに沸いた。私の問題提起は、ここに来ている人々の共感を呼んだ。コートジボワールの人々の中にも、同じように歴史を大切に考える人がいる。私は大いに安堵をした。お忍びとはいかなくなってしまったけれど、聞きに来た意味は十分にあったというものである。
しかしながら、海外に二束三文で売却されたために上手く保存されたもの、もしくは小泉八雲のような外国人の研究者により、研究成果として残されたものもあります。コートジボワールも同様に、しばらくの間は伝統文化の保護、継承は外国人に頼らざるを得ない状況なのかもしれない。
「神風特攻隊」のようにナショナリズムが悪用されるような内容では困りますが、コートジボワールの国民が内部対立を止めて、ひとつの国、国民として自覚、誇りを持つことに歴史・文化が上手く利用され、国力の回復が促されるのならナショナリズムも大歓迎ですね。
そのために明治時代、そして第二次世界大戦時代の日本の歴史が、具体例として参考になってもらえるのならすばらしい。大使のご尽力に期待します。