なんか一人だけ世界観が違う 作:志生野柱
何が居るのか、それを推測する具体的な情報は誰からも提示されない。
しかし聖痕者二人が具体的な情報を何も提示できないこと、それ自体が、一つの重要な情報だ。
獣ではない。魔物でもない。人間でもない。
これは、間違いない。この三種なら、二人は目視せずとも確実に識別できる。
下限は非実在、つまり気のせい。上限は神。と言ってもフィリップが神威や存在感を察知できない、低劣な神格──否、ヘレナ達にも気付かれないよう隠している、上位の神格の可能性も捨てきれない。
これは無理だ。絞り切れない。流石に情報が無さ過ぎる。
せめて外見だけでも知りたいと思い、フィリップはまた振り返ろうとする。
そしてそれは、またしてもヘレナによって妨げられた。
肩を掴み、押し戻すという強引さで。
「待って。振り向くのは駄目。本当に……何故か分からないけど、その確信はあるの」
ヘレナの声は硬く、手は強張っている。
肩を抑える手から伝わる震えに、フィリップの喉元で「なんなんですか」という言葉が引っかかった。
「……あたしとしては、先輩の直感は信用すべきだと思う。あたしも同じ感覚だしね。あんたたちは違うの?」
「私は、特には……?」
言いつつ、イライザはフィリップの判断を横目で窺う。
フィリップも何を馬鹿なと言いたいところではあるが、自分の感覚が余人とズレており、通常感じるべき恐怖や危機感を失っていることは自覚している。
それに、一般人二人の「別に何も感じないし、振り向いてもいいんじゃない?」程度の意見と、聖痕者二人の「振り向くのは不味い」という直感なら、どう考えても後者を重んじるべきだ。
「……まあ“森の神”の眷属とやらは、そこそこ直接的に攻撃してくるって話ですし、突っかかって来るなら殺しましょう」
龍貶しでも聖剣でも、魔術でもなんでもいい。試すだけ試して、それで殺せるならそれでいい。
無理なら、みんなで森の外まで逃げつつフィリップが邪神を呼ぶ。
相手が何であれ、殺すと決めて殺しにかかれば、確実に殺せる。
その確信が、フィリップの声を緊張感の欠ける平坦なものにしていた。
さも“森の神”が本当に存在するかのような口ぶりだったが、ノアもヘレナもイライザも、誰もそんなところには注目しない。
「……それは、攻撃されるまでは放って先に進もう、ってこと? 大丈夫なの?」
「確実に殺し切れるっていう確証があるなら、もう撃ってるでしょう? 今のこの状況は、双方に殺意と「確実に殺せる」という確信が欠けているから成立しているんです。つまり相手は、今のところ攻撃の意思を持っていない。なら、まだ何も分かっていない
フィリップの提案を聞き、ノアは僅かに目を瞠る。
ややあって、彼女は「あは」と愉快そうに口元を歪めた。
「……うん、あたしも賛成。ステラ先輩が「専門家」って言うだけあるね」
アクシデントに際して、情報が少ないからといって、無闇に情報を集めようと動く奴は二流だと、ノアは個人的に思っている。特に、何が起こっているのか、敵は何なのか──そういう根本的な情報すら定かではない場面に於いては。
最優先は自分と仲間の安全確保。
次に任務目標の確認。敵殲滅、拠点攻撃、都市防衛、時々によって変わる最優先目標の達成に際して、絶対に必要な情報とは何かを考える。
それから漸く、必要十分なだけの情報を集める算段を立てるのだ。
王国や他の部隊がどうかは知らないが、ノアは騎竜魔導士隊をそう動かす。
そして、その命令が下る前に動いた奴は、過去に何人か死んでいる。
今回のフィリップの判断は、ノアの視点からは正しく見える。
背中に得体の知れない視線を感じ続けるのは気色が悪いが、それだけだ。
「今のところ」という但し書きは付くが、敵意も害意も感じない。それが人間か魔物か、はたまた獣かお化けかは、最優先目標である「侵入不可空間の調査」とは何の関係もない。
本当に「森の神」や「眷属」なんてものが居たとしても──ヘレナもノアも全く信じていないが──その実在は、調査を直接妨げる障害、排除対象にはならない。
だからフィリップの「取り敢えず無視して進む」という判断は、自分でもそうする、良い案だと思えた。
「どうも。一応、僕が殿になりますね」
フィリップを最後尾にして隊列を組み直し、一行は再び山を目指して歩き出す。
ヘレナの監視が外れたフィリップは、こっそりと後ろを確認してみることにした。
だが、前を歩く三人が、背後の「何か」を気にしているのが分かる。
前を見て、前を見ることに神経を使いながら歩いている。振り返って確認したい本能と、振り返ってはならないという強迫観念がせめぎ合っている音が聞こえそうだ。
今は駄目だ。
聖痕者の空間把握力や気配察知能力は、背後の人間の挙動を、一歩先まで見通す。いま振り向こうとしても、またヘレナに注意されて止められるだろう。
きっかけを待つこと数分。
既に森の出口が見えており、先頭のノアが無意識程度に僅かに歩調を速め、フィリップが諦めかけた時だった。
ブン、と、大きめの虫が一行の横を飛びぬけ、不快な羽音を立てる。
直後、舌打ちと共に繰り出されたノアの魔術が、羽虫を内側から破裂させた。
「きゃっ!?」
「ちょっと!」
一目で無害な虫と見抜いて気を抜いていたイライザが、湿った破裂音と突然の魔術行使に声を上げる。
ヘレナも過剰な攻撃に──過剰な攻撃を繰り出すほど神経質になっていることに、咎めるような声を。
虫にも破裂音にも慣れており、魔力感知力が皆無のフィリップは、その隙を見逃さなかった。
いつでも顔を戻せるよう片足を前に向けたまま、腰の直剣に手を添えて振り返る。
「……っ」
──
十メートル弱の位置、複数の木が重なって作る暗い陰の中に、身の丈三メートルほどのヒトガタがいる。
全身が白一色で、衣服や肌の質感がない。石膏像や木人に近い、無機質な印象だ。
頭部には、十メートル離れていてもはっきりと分かる、異常に肥大した眼球が二つ。鼻や口は見えず、毛髪もない。
感情の籠らない双眸は固定され、片時もフィリップから外れない。瞬きすらしない。
いや、そもそもあの貼り付けたような二つの眼は、眼下に収まった眼球なのだろうか。睫のない縁部に、瞼はあるのだろうか。
「シルヴァ、あれ何?」
前方を行く三人に聞こえないよう、フィリップは極力声を抑えて囁く。
森の化身は実体化することなく、ただ胡乱な雰囲気と共に『もりのかみ』と端的な答えを返した。
「──、は」
フィリップは表情を綻ばせ、薄く笑みを浮かべた。
粟立っていた肌が落ち着いていく。冷や汗が引き、地熱と気温による正常な汗がじわりと滲む。
お化けかと思って結構本気でびっくりしたが、外見情報からして、あれが『
そしてシルヴァは、あれを指して『森の神』と言った。眷属ではなく、そのものと。
つまりサムロア族の伝承で語られる眷属とは、森の神の化身──信仰がその姿を具体的に語った結果、信仰に依って生まれた神格が具象化できるカタチとして定着したもの。
あれこそが、森の神が持つ実体姿なのだ。
なのに、神威や存在感をまるで感じない。
フィリップの感覚が壊れているとかではなく、ノアもヘレナもイライザも感じ取れていないほどに低劣なのだ。
矮小だ。笑ってしまうくらいに。
神格ではない
「っと、みんな、足元注意ね」
先頭から声がかかり、フィリップは一歩だけ横に逸れて先を見る。
特に何か問題が生じたわけではなく、単に進路上にある沼を迂回する過程で、緩んだ土で滑らないようにという注意喚起のようだ。
森の中に沼があることに、フィリップも含めて誰も驚かない。
自然だとも、不自然だとも思わない。そんな判定が思考に上らないくらいに自然の、景色の一部だった。
再び振り返ってみても、歪な双眸は変わらずそこにいる。
少し歩いたフィリップたちが進んだ分、そいつも動いた。歩きも走りもせず、影のように。
更に歩いてフィリップたちが森を抜けると、その姿は木々に隠れて見えなくなった。
「……ふぅ。どうやら、アレは森の外には出てこないようね」
「ですね。帰りに戦うことになったら、その時は森の外から鴨撃ちにしましょう」
「そうね」
聖痕者二人も安堵したように、随分と頼もしい会話を始めた。
イライザは結局最後まで何も感じなかったようで、後ろを確認して首を傾げている。
歩き続けるうち、段々と地面の傾斜が激しくなり、足元が土から岩に変わった。
ここからが漸く、「山」本体。
「坂」とか「丘」ではなく、「山」。直感的にそう思える負荷が、膝や太腿をじわじわと苛む。
とうに息が上がっているヘレナに次いで、段々と息が速くなってきたフィリップは、気を紛らわせるように横の景色を見遣った。
前、というか上の景色は、見るだけで疲れる。稜線が、遥かな青空へ伸びているだけだ。
「おぉ、ものの見事にハゲてる……」
上を見ても横を見ても、見渡す限りの岩肌。偶に砂利。
注意深く探せば下草程度は生えているかもしれないし、日の当たらない場所ならコケくらい生えているだろうが、木の一本も見当たらない。
小規模でも森があれば、再びシルヴァに情報を引き出して貰えたのだが。
地面から立ち昇る熱気に顔を顰め、きょろきょろと周りを見回しながら山を登ること数十分。
ノアが徐に立ち止まり、ヘレナとイライザもすぐに倣う。
ちょうど横を向いていたフィリップだけが更に歩を進め、ノアを数歩追い越したところで気付いて振り返った。
「? どうしたんですか?」
なにか危険があったり、気付いたことがあって立ち止まったという風情ではない。というか、それなら止まると同時かそれ以前に警告するはずだ。
しかし小休止という風でもなく、彼女は困惑した顔でフィリップを、正確にはその足元をじっと見つめていた。
「いや、えーっと……」
「?」
歯切れの悪いノアの目線を追い、フィリップは自分の足元に目を下ろす。
と、三歩ほど戻った辺りに、綺麗に横一直線の亀裂があった。
自然に生じた岩の割れ目……ではない。
それは激甚な水圧で刻み込まれた、人為的な目印だった。
「なんか、障壁が消えてるみたい」
聖痕者の一撃を防ぐ謎の障壁。
その根元に目印を刻んだ当人であるノアが、既にその内側に踏み入っているフィリップを見て困惑していた。