なんか一人だけ世界観が違う 作:志生野柱
フィリップたちがサムロア族の集落に到着した、翌朝。
朝食を終えた一行は、それぞれのテントに戻って山に登る準備をしていた。
着替え一式に昼食と非常食、水筒、非常用の耐風テントとブランケット、内用外用の鎮痛剤と化膿止めを含む救急セット、ランタン、ナイフとマチェットは別に用意。念のため、ザイルと登攀用手袋も。
完全に、山に登るだけの人の装備だ。
まあ実際、山に登るだけの人ではある。
調査の中心はヘレナだし、フィリップの専門分野に特別な調査道具は必要ない。そもそもそんなものがあるのかも不明だし、あったとしたら、多分、それ自体が余人の目に触れてはいけない類のものだ。
「でもあるなら欲しいよね。異常に反応して吼える番犬みたいなの」
独り言──ではなく、未召喚状態のシルヴァに宛てた言葉だ。
フィリップと魔術的に繋がっている彼女はそれを感じ、「かのんとか?」と声なき思念を返してくれた。
「……あ、そっか。アレってそういう使い方もあったね」
そういえば、とフィリップは指を弾く。
見ていて面白い、ちょっとポンコツな給仕みたいな扱いになりつつあったが、そういえばそうだった。
今ここにカノンが居たら、「道具が無能なのは、使い手が無能だからですよ!」とか言いそうだ。
フィリップがそんなことを考えていると、テントの外から声が掛かった。
「師匠、お時間よろしいでしょうか。ご相談したいことがありまして……」
「いいよ。どうしたの?」
失礼しますと律儀に一礼して入って来たのは、登山用装備に身を固めたイライザだ。
ノアが用意してくれたものではない、私物らしき杖も持っている。
流石、山には慣れているらしいと感心の目を向けるが、彼女の表情は初登山のフィリップなどより余程緊張に満ちて張り詰めていた。
「酋長の言っていた「森の神」の眷属。あれは先日私が遭遇したような、不可思議な怪物なのでしょうか?」
不可思議な怪物──ティンダロスの猟犬。
あれそのものではないにしても、同種のものや、同じような特殊性を持ったもの。姿を隠し、角に潜み、空間を捻じ曲げる怪物。
イライザが警戒しているのは、そういうものだろう。
「いい警戒心だけど、違うよ。……ん?」
浅い理解だ。
だが思考としては正しく、良い警戒だ。
流石は先代衛士団長の弟子、なんて感心と共に返した答えに、自分自身で首を傾げる。
確か昨日の夜、イライザと同質の危惧から──ティンダロスの猟犬ではないにしても、人類領域外の存在や邪神、或いはカルトなどが居たら、という危惧から簡単な調査をして。
そして最終的に、知らないふりをすると決めたはずだ。
「あ……いや、違うと思う。昨日の夜、ちょっと森を調べてみたけど、それらしい感じはなかったしね」
「そうでしたか。では、「山の神」は? 聖痕者様の攻撃すら防ぐ障壁というのは、あの空間にあったものだと思うのですが」
やや慌てながらの、ルキアやステラなら怪訝そうな視線の一つでも呉れそうな訂正と補足だったが、イライザはあっさりと頷いた。
あまりにもあっさりとした反応に、逆にフィリップの方が胡乱な顔をするくらいに。
ルキアは嘘や誤魔化しを見抜いたうえで信じてくれる。ステラは同じく嘘を看破しつつ、探らない方がいいと判断して誤魔化されてくれる。
そしてその二人とイライザの反応は、具体的に何がどうとは言えないが、「違う」とフィリップは思った。
ちゃんと騙されているし、誤魔化されている。
素直を通り越してチョロい。フィリップが真っ当な心配を抱くくらいに。
「……師匠?」
「ああ、うん……その可能性もなくはないけど……。イライザ、聖痕者はあくまで「人類最強の魔術師」というだけで、全知全能でもなければ、無敵でもないよ。殿下も古龍相手には攻撃が通らないって言ってたしね」
フィリップは「ちょっとは疑おうよ」と言いたい気持ちを抑え、話を進める。
イライザの「前に見たものと似た性質だ」という気付きと警戒は、論理展開としては正しく、経験を正しく活かせている。その考え方を否定することは出来ない。
だが、彼女も視座が低い。
ノアが「あたしに貫けない壁。つまり異常」みたいなことを言い出した時には、ちょっと笑いかけてしまった。
視座が低く、視界が狭い。知識もなく、智慧も足りず、見るべきものを見れていない。
人類最強の自負と、人間相手に戦ってきた軍人の経験が、彼女の目を曇らせたのだろうか。
何かの内で一番という称号は、全体集合が広範であればあるほど、母集団が高次元であればあるほど重みを増す。
低次元な母集団での最大値に、それほど大きな価値は無く。広範な全体集合における平均値や中央値が、前者を軽く凌駕することもある。
「井戸の中で一番大きなカエル」と「平均的な大きさのクジラ」が、比較にならない格差を持つように。
ノアだって、龍や悪魔を知っているはずだ。或いは天使や神、始祖級の吸血鬼でもいい。
“人類”は、母集団としてそれほど上等な部類ではないことを、彼女とて知っているはずなのだ。イライザも同じく。
「そうなのですか?」
「うん。魔王だって、聖剣で一撃入れないと、他の攻撃が通らないでしょ? そんな感じで、人類最強の矛が貫けない盾だからって、必ずしも異常な存在が絡んでいるとは限らないよ」
フィリップは安心させるように、なるべく口調を落ち着けて語る。内心の嘲笑が表出しないように。
しかし──フィリップの考え方も、別に正解というわけではない。
そもそも、ノアやヘレナは「異常=人類領域外の存在」とか、そんな考え方はしていない。
そこに居ると知られていなかったもの。そこに居て欲しくないもの。
そういうものを指して、二人は「異常」と言っている。
魔王直下と言われるゴエティア72柱の悪魔とか、国が把握していない龍種なんかは、二人にとって──人類にとっては、十分に“異常”の範疇なのだ。
仮令、神域の内に魔王龍サタンが居たとして──フィリップの想定している“異常”のラインには届かない。
「聞いていた話と違うぞ!?」と驚きはするだろうが、その存在自体を異常とは見做さない。
フィリップの考え方は、根本的にズレている。
そう指摘できるほどイライザは振れていないし、フィリップのことも知らない。
「そう、なんですね……。では万が一、あのような存在がいた場合はどうすればいいでしょうか?」
嫌な想定外を想定しているイライザに感心しつつも、フィリップは僅かに顔を顰めた。
どうすればと言われても、そんなのは相手と場合によりけりだ。
フィリップが知らないモノが出てきたら対処のしようもないし、人間ではどうにもならないモノなんか山といる。
「……基本的には僕が対処する。ルキアや殿下に聞いてるとは思うけど、僕が「異常現象の専門家」と呼ばれてるのは、ああいう手合いに慣れていて、かつ対処法を持っているからだ」
「はい」
大概の相手に通じる対処法は、まあ、あるにはある。
ブチ殺せばいい。
異常な存在を、同じく異常な存在を用いて、異常な手段を以て殺せばいい。
ただ、それはそれでイライザたちの目に触れさせたくないモノだ。
殺す相手も、殺すモノも、殺し方も、どれも人の精神には毒となる。
「僕が「逃げろ」と言ったら、振り返らずに逃げること。僕が「対爆防御」と言ったら、即座にその場に伏せ、目と耳を塞ぎ、全力で叫ぶこと。君が心に刻むべきはこの二つだ」
「分かりました、肝に銘じます」
イライザは再び、疑わしいほどの素直さで頷いた。
いや、疑わしいと思ってしまうのは、フィリップが穿ち過ぎなのだろう。
しかし人間は「やるな」と言われれば、逆にやりたくなるものだ。禁止とは最も効果的な促進である、なんて、誰かが笑っていた。
異教の信仰、身分違いの恋、ダイエット中の揚げ物。
具体的な例は幾つもあり、罪の代償も拷問死から贅肉まで様々だが、このケースでは致命的なものだ。
精神汚染、ないし発狂。
狂乱してフィリップに襲い掛かれば確実に死ぬし、そもそも発狂した時点で、フィリップは善意と憐憫を以て苦しみを終わらせる。
「……古い失敗を掘り返すようで悪いけど、君が従わない場合、僕を含めてより多くの人間が怪我をすることになるよ」
「はい。同じ失敗は繰り返しません。師匠の言葉にはすぐに、絶対に従います」
イライザの口ぶりは真剣で、その場しのぎには思えない。
一抹の好奇心、顔を覆った指の間からのほんの一瞥で、人間は容易に壊れる。
しかし──彼女なら大丈夫だと、どうしてか思えた。
身体を突き動かす好奇心を、きっと抑え込めると。
「いや、この二つだけでいいよ。戦闘面で……戦術判断で学院長や本職の軍人に勝てるとは思えないしね。でも、僕がこの二つの合図を出したときだけは、君自身も含めて他の誰の判断よりも優先して」
「分かりました」
フィリップは頷き、荷物の確認に戻る。
「お手伝いします」と申し出たイライザの手も借りて数分。準備を完璧に終えたタイミングで、再びテントの外から声が掛かった。
「おーい、準備できたー?」
ノアは返事を待たず、さも当然のように入り口を捲ってテントに入ってくる。
イライザの驚いた視線とフィリップの胡乱な視線はどちらも無視して、彼女は満足そうに頷いた。
「行けそうだね。じゃ、調査開始だ」
集落の出口でヘレナと合流し、まずはサムロア山の麓を覆う森に向かう。
なんと、森に入る前にドライアドに祈りを捧げる習慣があるのはフィリップだけだった。
三人ともそういう風習が存在するのを知らないわけではなく、ノアとイライザは「田舎の出なんだ」と意外そうにして、学院時代の書類などでフィリップの個人情報を知っていたヘレナは「そういえば」と思い出して、それで終わりだ。
「魔物の気配はないけど、サムロア族の狩人の話では、熊とか豚がいるらしいから気を付けて」
独自に聞き込みをしていたらしいヘレナが、最後尾から声を掛ける。
隊列は先頭からノア、イライザ、フィリップの順だ。
「先生、こういうことに慣れてるんですか?」
「昔はフィールドワークもしてたのよ。最近はあんまり王都から出なくなっちゃったけど」
昔と言っても100年以上前だし、最近と言ってもここ20年くらいの話だが──と、ヘレナは心の裡で呟く。ルキアやステラが居たら「最近?」「若い頃の話か?」なんて揶揄ってくるところだ。
しかしその二人と仲が良いとはいえ、フィリップにとってヘレナは半年間だけ担任代理だった、学院長先生だ。軽口を叩くような間柄ではない。
ノアも「先輩」相手に、それもルキアやステラ以上の大先輩相手に、揶揄するような冗談は言えない。
イライザはそもそも、ヘレナの年齢にまで思考の枝が伸びていない。
ヘレナが転生魔術を行使した100年前の聖人という話は聞いているが、それがどれほどの難業なのか、どれほど奇跡じみた魔術の結果なのかを今一つ理解できておらず、情報の与えたインパクトが弱い。言及されなければ思い出さない程度の逸話として記憶されている。
彼女にとってヘレナは、聖痕者であるという物凄く大きな属性を抜けば、二十代後半のお姉さんだ。そのくらい接点がない。
結果として、三人とも「へー」とか「そうなんですね」とか、ちょっとした相槌で会話が終わった。
そのまま大した会話もなく森を進むこと数分。
「……?」
ノアが徐にハンドサインを出し、隊列を止めた。
彼女は無言のまま、靴紐が解けているのに気付いたような自然な動作で身を屈める。
しかし、すぐ後ろにいたイライザには、ノアの半長靴の靴紐が、簡単には解けない結び方でしっかりと固定されているのが見えた。
ノアの手元は動いておらず、地面に何かを見つけたという風でもない。
「聖下?」
「……足でも捻りましたか?」
イライザが心配そうに隣に屈み、フィリップが怪訝そうに上から覗き込む。
「しっ。全員止まって、振り向かないで」
ノアは「小声を荒らげる」とでも言うべき器用さを見せる。
フィリップとイライザに向けた視線には、鈍すぎると非難するような色があった。
「え。例の眷属でも出ましたか?」
嬉しそうに声を弾ませながら振り向こうとしたフィリップだったが、頬に指が刺さり、そのままぐいっと押し戻された。
「……気を付けて。本当に何かいるわ。私たちの後ろ、10メートルくらいの木の陰よ」
迂闊にもチームリーダーの命令をあっさりと無視しかけたフィリップを阻止し、ヘレナは三人全員に聞こえるように囁く。
ノアとヘレナは真剣な顔で魔力を励起し、いつでも魔術を撃てる態勢を整える。
フィリップは愉快そうな表情を浮かべた顔のまま言われた方を見ようとして、今度は頬を掴まれて戻された。
「目を合わせないで。獣の類なら、それが切っ掛けで襲い掛かってくることもあるのよ」
強い口調で注意され、フィリップはこくこくと頷く。
頷くまで、頬を捕まえた手は離れなかった。
フィリップもイライザも、野生動物にそういう習性があることは知っている。
しかし、一行の背後にいるのが野生動物かと言われると、全員が首を傾げるところだ。
「いや、獣じゃないですね。ずっと背中を見せてるのに詰めて来ないし、獣臭もしない。ここに来るまで、縄張りを示すような痕跡も無かった。……出番だよ、専門家殿」
「「居る」以外の情報ゼロでどうしろと?」
というか目視で確認しておらず、聖痕者二人が「魔物だ」とも「獣だ」とも断定しない以上、魔力などで判別することも出来ないのだろう。
正体不明。
フィリップやイライザに気を遣ってのことか、或いは不明瞭な情報で部隊の混乱を避けるためか、ノアもヘレナも口にはしない。
だが、具体的に「あれが居る」と言い切れないモノが、背後10メートルの位置に居るようだ。