なんか一人だけ世界観が違う 作:志生野柱
王城へ行くと、フィリップたちはいつも通りのステラの居室ではなく、談話室のような場所に通された。
広々とした空間には幾つものソファやテーブルがあり、小規模なパーティーでも開けそうな規模だ。しかしパーティーホールほど華やかに飾り付けられてはおらず、家具も調度品も落ち着いた色味のものが多い。
華やかな表舞台に飽き、或いは草臥れた人間が、一時、羽を休める場所。
そんな感じの雰囲気だが、案内役の騎士が部屋の扉を開けた瞬間、フィリップは心を落ち着けるどころではなくなった。
「お。来たね、英雄殿」
談話室の中央にある大きなソファではなく、壁際に置かれた一人掛けのものに座っていた人影が、跳ねるように軽やかな動きで立ち上がる。
細身の、二十歳そこそこの女性だ。
セミロングに整えられた濃紺色の珍しい髪、爬虫類を思わせる有機的な冷たさを宿す色素の薄い水色の双眸。
糊の利いたシャツの第二ボタンまでが開けられ、日焼けした肌に刻まれた蒼玉色の聖痕を目にしていなくとも、特徴的な容姿を忘れたりはしない。いくらフィリップでも、だ。
「ホントに居る……。え? なんで? 正直、いまのイライザが魔王討伐に行ったら確実に死にますよ。ノア聖下」
帝国軍最強の呼び声高い騎竜魔導士隊隊長、水属性聖痕者のノア・アルシェ。
フィリップにとっては、同じ獲物を追った狩り仲間といったところか。
「ご無沙汰しております、アルシェ聖下」
勇者になってから全ての聖痕者と顔合わせをしたらしいイライザは、フィリップの後ろで丁寧に頭を下げて再会の挨拶をした。
「うん、二人とも久しぶり。出征じゃないから安心してよ。ま、取り敢えず座りなって」
言って、ノアは今まで座っていた壁際ではなく、部屋の中央付近にあるローテーブル付きのソファに座った。
フィリップとイライザが素直に従うと、メイドが三人分のティーセットを持ってくる。
彼女が視界に入るその瞬間まで、フィリップは部屋の中に使用人が居たことに気付かなかった。
「それにしても驚いたよ。今回の魔王討伐に“龍狩りの英雄”が同行するとは聞いてたけど、まさか、あんたがそうだったとはね」
「なんで帝国に来た時に言わなかったのさ」と咎めるようなノアの視線は、「やっぱり王城の使用人はレベルが違うなあ」とメイドの背中に驚愕や賞賛の眼差しを送っていたフィリップには、ほんの僅かな圧力さえ感じさせずに終わった。
「で、何しに来たんですか?」
紅茶をふーふーと吹いて冷ましながらの問いに、イライザが目を瞠る。
ルキアやステラは接点も多く付き合いも長いから、立場を超えた友情があるのは分かる。しかし、相手は帝国の聖痕者だ。
しかも、ノアはどんな対応をするのかと思えば、なんだか愉快そうに笑っているのだから、驚きもひとしおだ。
「くーっ、これこれ。この適当さを味わいに来た面もあるよ。で、主目的は……うん、ちょっと真面目な話なんだけど」
フィリップは啜っていたカップを置く。
それは中身がまだ熱かったからという理由ばかりではなく、ノアの声色が明確に変わったのを感じたからだ。
本当に真面目な──彼女がわざわざ王国に出向いてくるほどの話だと、フィリップもイライザも理解した。遅ればせながら。本当なら、呼び出された時点で理解しておくべきなのだが。
「この前、王国がコカトリスを倒すのに、先輩たちと勇者殿……勇者ちゃんを使ったでしょ? あれが今、うちの国で問題に──もとい、話題になってるんだよね」
「問題に?」
へぇ、と、フィリップは数秒前までの真剣さを忘れ、適当な相槌を打つ。
外交上の問題はフィリップの──今のところ一般人のフィリップの知ったことではないのだ。
そういう面倒な、もとい高度な話は貴族の領分だし、国王からステラへ、以下末端の文官に至るまでの指揮系統に、フィリップは含まれていない。
「いやいや、話題に。伝説の魔物とはいえ、たかが王国内の問題でしかない事案に、聖痕者と勇者を使うなんてズルい──という話にね」
そこまで聞いたフィリップは、興味半減でテーブル上のお菓子に手を伸ばしていた。
どうでもいい。ものすごく。
勇者と聖痕者の連携訓練は必要だし、今後も同じようなことはあるだろう。イライザは戦力としてはまだまだ未完成、戦えないことは無いが、対王龍の最先鋒にするには全く足りない。彼女自身の強化だって必要だ。
そしてステラは、必要ならやる。
ルキアもフィリップも、彼女が必要と判じたことなら従う。
話はそれで終わりだ。
横から誰が何を言おうと、雑音でしかない。
まあ逆に言えば雑音ではある──耳障りではあるので、不快さの閾値を超えたら、無視という温情は無くなるが。
幸い、その判断を下すのはステラだ。
状況を数値化し、感情を排した思考に基づいて判定を下す。
どうでもいいから生かし、どうでもいいから殺すフィリップではない。
僕は何の話を聞かされているんだろう、という辟易混じりの疑問がフィリップの脳裏に浮かんだが、声に乗せる前に、先んじてノアが答えをくれた。
「ついては、後に両国関係の悪化を招きかねない感情的問題を解決すべく、また帝国内において魔王討伐という一大事に際して後顧の憂いを断つべく、勇者様と英雄殿に協力をお願いしたい」
「え? 僕とイライザに? ……殿下は何と?」
フィリップは半笑いで尋ねた。
なんせご指名の二人は暫定魔王討伐パーティーにおける、戦闘能力のワースト2だ。
聖痕や聖剣といった特殊技能を持つイライザはまだしも、フィリップの基礎スペックが役に立つ“問題”なら、正規の騎士を連れて行った方が十倍は役立つだろう。
「その前に、あたしたちの抱えてる“問題”について話すよ。帝国の支配下には、小規模国家とか少数民族とか、まあ一杯居るんだけど、その中である少数民族が、一神教とは異なる信仰を持ってるって疑惑が挙がった」
「へぇ、カルト狩りですか?」
「いや、流石にそんなのに勇者様をお呼び立てするわけにはいかない。というか、それならあたしが全部殺す」
「……」
淡々とした口調で、ノアはフィリップの言葉を否定する。
フィリップは何も言わず、ただ小さく笑った。期待に添う答えではなかったが、ある意味では期待通りとも言える答えだと。
「帝国って異民族の集まりだから、思想とか文化の違いって、聖国ほど厳しく取り締まってないんだよ。皇帝陛下に首を垂れるなら、あたしたちから見えないところで独自の文化を育むくらいは許してやる。以前はともかく、今代の皇帝陛下はそういうスタンス」
黙認──と言っても、帝国の公式見解としては「知らなかった」という形だ。問題にならないうちは問題にしない。その程度の目溢し。
もしも一神教が帝国麾下の小規模国家や少数民族の独自文化を「悪」と見做せば、帝国は一片の擁護も一切の容赦もなく、彼らを切り捨てる。
勿論一神教の側も、大陸東部の支配者である帝国に、積極的にケチをつけることはない。
お互いに何も見ていない、何も知らないことにして、平穏な関係を維持している。
「でも何を思ったのか、件の異民族共は一神教の教会を壊し、司祭を集落から追い出した。その情報を手に入れたあたしたちは征伐部隊を派遣したんだけど、妙なことに、連中は早々に降服した」
征伐部隊の実態をフィリップたちは知らないが、多対多殲滅戦に長けた魔術師の集まりであることは想像に難くない。
そしてそんなのが出張ってきたら、そりゃあ降服するだろう。死にたくないのなら。
何が妙なのかとイライザは思ったが、フィリップはきちんと理解していた。
帝国の軍人であるノアが「妙」というからには、降伏するケースの方が稀なのだ。つまり多くの場合、降伏することなく最後まで戦って、全滅する。
そういう気概を持った民族だけが、帝国に完全に併合されるのではなく、未だ独立した文化を維持しているのだろう。
信仰か、歴史に基づく文化か。或いは言語かもしれない。
「異民族の長曰く、神の怒りを鎮めるための致し方ない行為だったそうだ。そいつらの集落は山の麓にあるんだけど、山の一部は伝統的に立ち入り禁止区域……“神域”とされてたらしい。足を踏み入れると神罰が下り、死ぬってね」
そこまで語ると、ノアは二人の反応を見るために言葉を切った。
イライザは律儀に、静かに先を待っている。
そしてフィリップはというと、「へぇ……」と気のない相槌だけ打って、テーブル上の菓子に手を伸ばした。
「……あれ、興味薄?」
「山舐めたら死ぬって、普通に有名な警句ですしね。熊とか毒蛇とか滑落とか、シンプルに道に迷うとか」
信仰の対象は偉大なものでなくてはならない、なんてルールはない。
便利なもの、ありがたいもの、怖いもの、危険なもの。人間は何でも崇められるし、何にでも祈れる。
大きな岩でも、古い巨木でも、鰯の頭でも。
雨の前に鳴くカエルを、雨を呼ぶ神様と崇める農村もあるくらいだ。
大きな熊や狼が棲みついた山なら、その縄張りを「神域」と称して警戒を促すこともあるだろう。或いは、地質や植生のせいで遭難しやすい場所なんかを。
「ま、確かにね。でも実際、そこには“禁域”があった。何者をも阻む禁足地がね」
次はどれを食べようかと菓子皿の上を彷徨っていた、フィリップの視線が上がる。
言葉の真偽を疑っているのがはっきりと分かる怪訝そうな目付きに、ノアは不快感を示さず、むしろ口角を吊り上げて愉快そうな笑みを浮かべた。
「防壁だ。物理的には透明だけど、魔力的には物凄くはっきりとした、強固な壁。対多数戦を前提に編成された強力な魔術師の集まりである征伐部隊が、手も足も出ずに帰ってくるくらいの。……そして征伐部隊の報告を受けて、帝国は最強の魔術師を調査に派遣した。問題解決能力が極めて高く、万が一の場合でも必ず帰還できる戦闘能力を有する人間──つまり、このあたしをね」
強い自負を感じさせる、確固たる口ぶり。
そこに冗談や見栄の入る余地はなく、自分の才能と努力、そして経験への自信と、客観的な評価に満ちている。
しかし、ノアの表情に成果を誇る色は無く、その評価通りの働きが出来なかったのだと顔を見れば分かった。
「そしてあたしでさえ、その魔術防壁を突破することは出来なかった。通過も、破壊もね」
イライザは僅かに息を呑んだ。
ちらりとフィリップを見遣ったのは、先日の“黒山羊の館”で体感した、聖剣すら弾く障壁のことを思い出したからだろう。
またアレなのか──その疑問に、フィリップは答えられない。
同じ魔術かもしれないし、全然違うものかもしれない。聖剣を弾くほどの魔術がそう何種類もあるはずがないと、イライザは思っているようだが、聖剣は別に宇宙一の高火力武器というわけではないだろう。
広い宇宙を探せば、聖剣以上の火力を持つ武器は山ほどあるだろう。
そして強い鉾があれば、強い盾が必要性に駆られて生まれるのが常。
人間の魔術であることが判明しているならともかく、何の手掛かりもない現状では、フィリップも「あれじゃないから安心して」とも、「あれだから警戒して」とも言えない。
「今回、あたしが王国に来たのはそれが理由。正直な話、勇者なんかどうでもいい。欲しいのはあたし以上の能力や知識を持った聖痕者。先輩方の助力だ。特にヘレナ先輩のね」
「ど、どうでも……。いえ、確かにお役に立てる場面は無さそうですが……」
民衆の不満を解消するのは、あくまで二次的な利益。
最も重要なのは、軍人であり実戦特化のノアに足りない研究方面の蓄積──知識と経験。
ルキアやステラも当てはまるが、確かに、王国で一番の魔術研究者はヘレナだ。
魔術学院長にして、百年前から魂と知識を未来へ飛ばしてきた超級の魔術師。転生者。先代にして今代の風属性聖痕者。
才能はともかく、蓄積の量ではルキアもステラも及ばない。
そしてイライザに至っては、魔術方面の知識が皆無。魔術学院を卒業したフィリップの方がずっとマシなくらいだ。
しかしフィリップは知識こそあれど、魔術への適性が皆無だ。学院の入学基準には当然未達、魔力を感じる能力さえ殆ど無い。
純然たる事実として、魔術的な現象の調査に、フィリップもイライザも全く向いていないのだった。
「じゃあなんで僕らを呼んだんですか?」
「うん。ステラ先輩はこう言ってた。「そういうことなら、異常現象の専門家を貸してやろう。ついでだ、マルケル候も連れて行って、ウィレットとの連携訓練もするといい」ってね。よろしく、異常現象の専門家さん?」
言って、ノアは揶揄うように笑う。
隣からは「なるほど」なんてイライザの呟きも聞こえてきて、フィリップも力なく笑った。
「殿下ぁ……」
行けというなら行きますけども、なんて考えて、断ろうとは一瞬も思わなかった辺り、フィリップにも忠誠心の欠片くらいはあるのかもしれない。