なんか一人だけ世界観が違う 作:志生野柱
ステラの挑発を解したわけではないだろうが、猟犬は立て続けに、超重力による封鎖の内へ入り込む。
『黒眩聖堂』の強化などでそれを阻むことは出来ない。
空間隔離魔術『黒眩聖堂』の本質は超重力による空間断絶であり、凝縮した重力子による天体級の質量を有する防壁は、いわば副産物。
そもそもこれは、ルキアが伝承から組み上げた机上論を根性で実現したもの。
可視光を通す程度の融通を利かせるのに、人類最高の魔術師が夜な夜な机に向かって呻いていたほどの代物だ。──中でステラと戦っている様子を見せるために、なんて、ふざけた動機ではあったけれど。
ともかく、猟犬を締め出すことは出来ない。
そもそも相手が「角に潜む」なんて理解不能の移動方法を使ってくる時点で、その阻み方を理解できるわけがない。
しかし移動と違い、攻撃方法は単純なものだ。
姿を晒し、牙や爪を用いた直接攻撃。光に疑似質量を与えて莫大なエネルギーを生むとか、概念の炎で非実体さえ燃やすとか、そういった個体が持つ域を出た火力や、物理法則に逆らう特殊性はない。
壁の彫刻、剣の刃、果ては靴底まで通り道になる以上、攻撃に顔を出したところを撃つしかないが、目で追えない速さではないし、撃たれたら負けの火力もない。
「全員、常に互いを視界に入れろ。球状の壁から現れることは無く、これを貫通して攻撃されることもない。“道”になるのはお互いだけだ」
三人背中合わせに、襲い来る怪物と対峙する──普通の相手、よくある物語ならそんな場面だが、ルキアたちは三人向かい合うように構えた。
互いに二メートル程度の間を空け、三角に。
直剣使いのイライザにはいい感じの距離かもしれないが、ルキアとステラには近すぎる。迂闊な魔術では自傷しかねない至近距離。
とはいえ文句は言っていられない。
真球状の防壁の内では、これでもかなりギリギリだ。一番背の高いステラと、背中に大きなオブジェクトのあるイライザが窮屈そうにしている。
というか。
文句を言っている暇がない。
三人が身構える間もなく、イライザの剣と、ルキアの靴底と、ステラのピアスから、蒼褪めた色の脳漿が滲み出る。
周囲に漂う死体安置所の臭いが濃密になり、滾る憎悪が肌を刺した。
「こちとら同じ手を二度喰らう馬鹿は外周なんですよ! 万軍の主の栄光の焔よ、定められし終わりを顕せ──聖剣プロヴィデンス、《
爆炎が立ち上る。
猟犬の“道”だった刃は掻き消え、水分量の多い人体すら瞬時に蒸発させる熱が吹き荒れる。怪物の不明瞭な姿は紅蓮に消え、ガラスが砕けるような末期の音さえ轟音に呑まれた。
イライザの対処を横目に見ながら、ルキアとステラは微妙な顔だ。
悪くない戦術判断だが、長い詠唱のせいで割と危なかった。猟犬が噛みつきのモーションに入っていたし、死までの残りはコンマ五秒もなかっただろう。
あれは詠唱破棄とか代替詠唱とか出来ないのだろうか、なんて考えつつ、お互いを襲う猟犬に意識を移す。
「髪はいいが、イヤリングは傷つけるなよ」
「お揃いなのには、正直思うところがあるのだけれどね」
互いに掌を向け精密照準し、ルキアとステラは同時に魔術を放つ。
対生物に於いて、ステラやイライザが使う炎はとても有用だ。
というか基本的に、生物は熱に弱い。表皮、筋肉、神経、内臓だって、熱変性しやすいタンパク質を多分に含む。日光の下にぼーっと立っているだけで不調を来すくらいだ。
そして重力は、あらゆる全てに影響を及ぼす。
全てを呑み込むブラックホールの例を挙げるまでもなく、質量を持つ全ての物は、同時に引力を持つ。その媒介こそ重力子だ。
相手が別次元からやって来た、常識すら異にする謎の存在であるとしても、試してみる価値はある。
そして既に試し、結論は出ている。
熱攻撃は猟犬を殺し得る。重力は猟犬に影響し得ると。
魔術行使に際して、詠唱は無かった。
ルキアもステラも、ほぼ全ての攻撃魔術を詠唱破棄か代替詠唱によって秘匿・高速化している。自分が今からどんな攻撃をするのか、そのタイミングまで教え、呼吸まで無駄にする一工程を、二人とも当然に省く。
ステラの首元に現れた猟犬は、空間に空いた小指の先ほどの“点”、天体級の質量を付与され周囲を捻じ曲げる重力を放つ、小さな球体によってバラバラに引き裂かれた。
目線ほどの位置にぽつんと浮かんだ、針孔のような黒色。
広がりも動きもせず、当然、襲い掛かったりもしない、ただの球。
途轍もない魔力によって形成されているはずなのに、ステラでさえ、真横に居ても、魔力の気配を感じなかった。
猟犬は死に際して結晶化し、甲高い断末魔と共に砕け散る。
これまでに見てきた死に様も、ここまで特殊な死因だと再現されなかった。或いは断末魔さえも、“点”が呑み込んでしまったのか。
ルキアの靴底から現れた猟犬は、それよりは簡単な死を迎えた。
単純に、明快に。
気化した。固体から液体状態を介さず気体へ変わったのだから、正確には昇華と言うべきかもしれない。
身体を構成する分子が一般の生物と同じである確証こそ無かったものの、炎が効く、熱攻撃で死ぬことはイライザの攻撃で分かっていた。
だからステラは、とにかく熱を与えた。
炎や爆発で
全身が炎上し筋肉が硬直したとしても、攻撃は慣性で続く。
しかしこれなら、対象は実体を保つことさえ叶わない。爪も牙も無くなっては、攻撃もなにもない。
「まあ……確かにな」
ステラは耳元に手を遣り、片手で器用にピアスを外して眺める。
宝石の類を使わず十字架のみをあしらった、シックなデザインのもの。ルキアの耳も同じもので飾られていた。
そりゃあ二人とも気心の知れた仲だし、互いに背を預けて戦えるくらい信頼している。今は物理的には向かい合わせだが。
しかしお揃いのアクセサリーを着けるような間柄かと言うと、そんなことはない。というか二人とも美的センスの根底こそ同じ高等教育だが、趣味嗜好は違う。
それでも二人でお揃いなのだから、ちょっとした理由がある。
大仰に語ることもない。ただ数年前、何処ぞのバカタレが、「そういえば二人の誕生日っていつですか?」と、どちらも過ぎたタイミングで聞いて、慌てて用意したもの。
二人の女性に同じものを贈るなんて正気か、とステラは思ったが、残念ながら正気であることは確実で。
しかも片方に贈るものを決めて、もう片方もそれにした、なんて手抜きではなく。初めから二人に同じものを贈るつもりで、二人共に似合うものを探し回ったというのだから、怒るに怒れない。
身に付けた二人を見て、
「似合……いや、似合うってなんだ……? これが似合ってるってことなんだろうか……? そもそも肌も髪も目の色まで違う二人に似合うってことは、どちらも50点ぐらいしか出てないってことなのでは……? もう何も分かんない……せめて誰かに聞けばよかった……友達ゼロ人がこんなところで響くなんて……いやしかし……」
──と、延々呻き始めるくらい本気で悩んで選んでくれたのだから、尚更に。
まあ、それはさておき。
「残り二匹。いい加減、デカい奴を引き摺り出してしまいたいな」
聖堂内に入ってきたのは、どれも
空間隔離の外側は、今なお理解不能の錯覚に包まれている。あれをどうにかしないことには、三人は防御の外に出ることさえ出来ない。
通常個体の魔術耐性からすると、上位個体が十倍強かったとしても殺せる。
問題は、そいつが“角”に潜んで出てこないこと。
聖剣の掃射以来、無敵の
攻め込んで来れば殺せるのに──恐らく相手もそう思っている。
ルキアたちが痺れを切らし、空間隔離防御を解いて、あの理解不能の錯覚空間へ足を踏み入れるのを、ずっと待っている。
互いに互いを待っている。
射程の内へ、狩り場の中へ、標的が入ってくるのを。
この“待ち合い”は。
「
ティンダロスの猟犬は、とても犬には似つかない。猟犬の名は外観ではなく、「獲物を追い詰めて殺すもの」という性質と、奴らの棲み処である尖鋭時空で普遍的に飼育され使役されていることから名付けられた。
人間を容易に殺す戦闘能力、察知の難しい潜伏移動能力、獲物が死ぬまで追いかける執念、何もかもが恐ろしい。
だが調教が悪い。或いは生来の気性がそうなのか。
戦って狩り殺す
草の根を分けて獲物を見つけ出し、引き摺り出して惨殺する。
そうあれと定められたのか、そういう生き物なのかは知らないが──ここは『待つ』一択だっただろう。
喉の渇きでも、空腹でも、排泄でも、睡眠欲でも、何でもいいから獲物の集中が途切れる瞬間を待つべきだった。
猟犬は強かった。強すぎた。
獲物に気付かれる前に殺すのが常。気付かれたとしても正面から殺せるし、もう一度“角”に潜めば
獲物が弱るまで待つ、なんて、少なくとも人間相手には必要のないことだった。
今日この時までは。
そしてここで起こったことは、決して外に伝わることがない。例外は三人の記憶のみだ。
猟犬たちの主が、人間の強さを知ることはない。
「イライザを守って」
「了解だ」
残る二匹の猟犬は、イライザの左手の爪と、靴の底から現れた。
同じ不明瞭な外見だが、左手の奴は明らかに体躯が大きい。そちらが上位個体──まだ耐性や頑強さが分からない、未知の敵だ。
ここまで無傷で来られたのだ。変に火力を惜しんで、意味のない怪我はしたくないし、させたくない。
「動くなと言いたいが、まあ、関係ない。好きにしろ」
「え? ──ッ!!」
イライザの全身、背後の光輪と純白の翼までもが紅蓮の炎に包まれる。
視界が一色に染まり、全ての音が遮断され、自身の悲鳴すら吞み込まれた。
だが熱くはない。
燃やすものと燃やさないものを区別して、燃やすと決めたものは全て──音さえ燃やす、概念の炎。
ステラの空間隔離魔術『煉獄』。
現れた猟犬たちは戻る“角”を失ったが、何故か本体には炎の手が伸びることは無かった。
それに、まだ“角”はある。
人間が二人も居れば、歯でも爪でも髪でも、被服も含めた何処かしらに、120度以下の鋭角は存在する。
別の角へ。
安全な異次元へ。
奴らがそう考えたかどうかは定かではない。性質的に、攻撃者を殺すことを──回避ではなく攻撃を優先したかもしれない。
ただどちらにせよ、「次の行動」は許されなかった。
光が消える。
『黒眩聖堂』が外部から取り入れていた光も、概念の炎が放つものも、全てが一点へと集まる。
嫋やかな指の先、爪ほどの大きさの光球を浮かべたルキアは、その指先を猟犬へと差し向けた。
「──《明けの明星》」
静かな詠唱に従い、質量と指向性を与えられた光が解き放たれる。
人類の持つ最大火力。
平地で撃てば地平線を超え、そのまま宇宙まで届く光の柱となる。人間一人、軍隊一個、街一つ、城一つ、何ら区別せず貫き通す純エネルギーの槍。
輝く奔流は炎に巻かれたイライザ諸共に猟犬を呑み込み、不可解な身体を瞬時に蒸発させた。
「これで無理なら邪神、もといカーターに頼るしかなかったが……獲ったな?」
「えぇ。確実にね」
究極の火力はルキア自身の防壁に阻まれ、その七割を削って消えた。
空間隔離としての機能を大きく損なった漆黒の壁だが、しかし、既にその役目は終えている。
瀟洒に飾られた廊下は元の姿を取り戻し、相変わらずピクリとも動かない窓の外以外は、全てが理解できるもの。絵画を具現化したような捻じれも歪みも錯覚も無く、元通りの三次元だ。
空間歪曲は術者を失い、破綻した。
増援が現れる気配はなく、死体安置所じみた不快な臭いも無くなった。
──ティンダロスの猟犬を十一体。これで確かに殺し切った。
ステラが腕を一振りすると、人類の最高火力からイライザを守っていた概念の炎が消える。
概念的遮断という究極の防御に守られていた勇者は、「死んだかと思いました」と弱々しい声を漏らし、翼も光輪も、手にしていた聖剣さえ消してへたり込んだ。
それも許される。
もはや敵はおらず、あとはこの屋敷から脱出するだけなのだから。