なんか一人だけ世界観が違う 作:志生野柱
「ステラ!?」
「王女殿下!!」
ルキアとイライザの悲鳴が上がる。
──ステラ同様に爆発の勢いで壁に叩き付けられたはずのイライザも、離れていたおかげで軽く熱を感じた程度のルキアと同じくらいピンピンしている。
それもそのはず。先の爆発は、机の引き出しに仕掛けられたトラップや、この部屋のギミックが原因ではない。
遠因ではあるが──直接の原因ではない。
あれはステラの魔術。
爆風を使い、一気に距離を取るためのもの。二人とも吹き飛ばされ、壁に叩き付けられたが、爆風の熱も激突の衝撃も魔力障壁で防いでいた。運動量だけを通す特殊障壁は、もはや魔力障壁とは呼べないくらい特殊なものだが。
「ふぅ……。私が先陣で良かっただろう、ウィレット?」
「お、王女殿下……。っ! た、助けて頂いてありがとうございます。次は必ず、私が御身をお守り致します!」
イライザは暫し目を輝かせていたが、慌てて姿勢を正して頭を下げる。
立場やら義務やらを忘れ、脳裏が憧れ一色に染まるほどの、とんでもない反射神経。そして魔術の展開速度と精密さだった。
「大丈夫?」と、ルキアはつい駆け寄りそうになって、廊下の監視という役目を思い出して足を止めた。
「この通り、無傷だ。だが……二人とも、見えたか?」
「……引き出しから口が出てきて、貴女に噛みつこうとした」
「かなり鋭い牙でしたから、指くらい噛み千切られてしまいそうでしたね」
ルキアにも見えた。
引き出しの表面から、なにか粘体のようなものが滲み出し、獣のように鋭利な牙を備えた口を象り、ステラの腕に噛みついたのが。
ステラは咄嗟にそれを魔術で爆破し、爆風を利用して自分とイライザを机から遠ざけたのだ。
「風情のない総当たりは禁止なのか、或いは、部屋のどこからともなく襲われるのか。机も無傷だし、単に力業でこじ開けるのを防ぐためか……戦闘を想定しているのか」
「部屋のギミックを理解するヒントを得るのに、戦って勝ち取らなければならない……とかでしょうか?」
あり得る、と、イライザの言葉に二人とも頷く。
例えばダンジョンなどでは、強力な魔物が通路を封印しており、倒さないと先に進めないことがある。
魔王真体に会うために、四天王──“鍵”を持つ守護者を倒さなければならないのも、構造としては同じだ。
しかし。
「有り得るけれど、それにしては攻撃の──敵の規模が小さいわね」
「そうだな。誘導が弱いというか……」
応接間も大概不親切な設計だったが、ギミックの説明こそ無かったものの誘導はあった。
これ見よがしに置かれたティーセット、時間経過か紅茶の準備をしたタイミングで光景の変わる絵画、「毒見」というワード。そして、他に何もすることがない密室。
ステラに似たような状況に置かれた経験があって、設計者とギミックの存在を知っていたから効率的に動けたが、これが初回でも試行錯誤しているうちに誘導に気付くことは出来ただろう。
初見殺しの即死トラップはないと──それほどの殺意があればとうに殺しているはずだと、冷静に考えて動くことが前提にはなるが。
そういうデザインがされている空間のはずなのだ、ここは。
「誘導らしい誘導は一つ。いや二つか?」
「鍵のかかった引き出しと、あの植物よね。……血の水槽の中に番号が隠れている、とか?」
「……可能性はあるな。私が見よう。お前たちは番号らしきものがないか、もう一度部屋をよく調べろ」
それぞれ肯定を返して二人が離れたあと、ステラは謎の植物の全容を見られる距離を保ったまま、植わっている水槽に掌を向けた。
赤い水槽に入っているのは血液だけではないだろう。
もし血液だけだとしたら、170センチほどまで伸びた植物が立っていられるほどの固定力はない。自重を支えバランスを保つだけの根を、水より多少粘度がある程度の液体では保持できない。
中に何かがあるはず。
血液を蒸発させ、それを確認する。
そのための魔術を行使し──非物理的な手応えと共に、魔術が跳ね除けられた。
「……全く。自信を無くしてしまうな」
ステラは嘆息し、二人に報告してから自分も部屋の捜索に加わった。
二人とも空間転移や無敵の防壁などを見ているからか、驚いてはいたが反応は小さかったし、疑いもしない。
傾けて血を排出したり、手を突っ込んだりといった物理的な方法は、誰も提示しなかった。
思い付きはしたステラだが、ルキアの警告を鑑みて、本当に最後の最後まで口にしないでおこうと胸中に秘めた。
数分ほど黙々と調査を続けていると、ふとルキアが近づいてくる。
「……随分と物の少ない部屋ね」
「あぁ……。隠し金庫でもあるのかと思ったが、それも見当たらない」
ちらりと肩越しに様子を窺うと、イライザは壁の模様をじっと見ては「ここが6に見えなくも……?」なんて唸っている。
本人としては大真面目なのだろうが、そんな形で数字を隠されていたら驚きだ。
この空間をデザインした設計者には、拘りと美学がある。
1000パターンのダイヤルロックを、総当たりで解除することすら許さないくらいには。
ここまで拘りを見せておいて、「壁の模様に数字が隠れていました!」なんてギミックは用意しないだろう。よしんば数字を隠すとしても、それに気付かせる誘導があるはずだ。
「……確か、向かいの部屋は書庫よね。そっちにヒントがあるんじゃない?」
この部屋には何もないだろうと諦め始めているらしく、ルキアは僅かに疲れを滲ませて言った。
ふむ、とステラは顎に手を遣って思案する。
「あり得なくはないが……主人の執務机を漁り、書庫まで入るなんて、“客人”の振る舞いではないだろう。先の応接間までの誘導が、ここでいきなり途切れるか?」
思えばさっきの「口」も、
勿論、総当たりを防ぐためのシステムとか、短期間に連続して間違えたペナルティという可能性も同じくらいあるし、断定はできないが。
「確かにそうだけど。でも、役柄が固定ではなく入れ替わり、今度は“主人”を演じるのなら、それほどおかしな動きではないでしょう?」
ルキアの言葉に、ステラは腕を組んで小さく唸る。
それは──有り得ない話ではない。少なくとも誘導の流れとして理解しやすいし、応接間のギミックをクリアして「客人の動きだ」と分かった直後に用意する
とはいえ、「それだ!」と飛びつくほどの納得感があるわけでも無い。
「不明を書庫で調べる、と? 自分の机のロック番号を忘れる間抜けが……いや、そうだな、これは良くない先入観だ。検討の幅が狭まる。確かめてみよう」
入るべきではない間違った部屋の扉に手を掛けたくらいで、即座にペナルティやトラップが発動することはない。それは客間の扉で実証済みだ。
廊下を横切ってドアノブを捻るだけで検証できるのだから、然して無駄にもならない。
やるだけやってみるべきだ、と、ステラは最終的にそう判断した。
しかし行動に移す前に、今度はイライザがおずおずと近寄ってきて声を掛けた。
「あの、少しいいですか? もう一度だけ、さっきの罠を起動してみたいんです」
「何か気付いたことでもあるのか?」
ステラに問われて、イライザは「ええと」と僅かに躊躇いを見せる。
しかし問われて答えないという選択肢があるはずもなく、すぐに先を続けた。
「いえ、ただ、引き出しが変化して口を作ったのなら、聖剣を突っ込んで口を開かせたままにして、中のものを取り出したり出来ないかと思いまして」
暫しの沈黙。
年上相手、貴族と王族相手、聖人相手に畏まり、声をかけることすら躊躇っている幼気さなのに──ビックリするぐらい脳筋な提案だった。
ルキアとステラは思わず顔を見合わせる。
そして目線だけで、「どっちのせいだ?」なんて、やや失礼な疑問を共有する。
十中八九、師匠のせいではあるのだろうけれど──「どうせ意味ないし重いし」とドラゴン相手に半裸で突撃した等々脳筋エピソードに事欠かない先代衛士団長か、或いは。
……もう一人の師匠であるフィリップがここにいたら、どんな対応をしただろうか。
「……一旦、書庫が開くかどうか確かめてからにしよう」
部屋を出る以上は念のため、と三人一塊で動き、執務室の向かいにある書庫の扉を確認する。
書庫の扉は開かなかった。
鍵や閂の手応えではなく、壁にドアノブだけ付けたような硬さ。ギミック的な封印だ。
となれば、いよいよやるしかない。
「聖剣を噛ませたとして……砕かれないか?」
聖剣が破損したなんて話は聞いたことがない。
だがそれを言うなら、何の予兆もない空間転移も、『明けの明星』や聖剣の一撃を完封する防壁も聞いたことがない。
「勿論です! 神の創りたもうた武器ですから!」
「神の創りたもうた机だったら?」
「え……? ええと……」
自信満々に言ったイライザは、即座に返されたステラの言葉に困惑し、答えに窮してルキアを見遣る。
助けを求めるような視線に、ルキアは小さな呆れ笑いを浮かべた。
「……あんな咄嗟の魔術で止まったのだし、大丈夫でしょう」
最悪のケースで聖剣が折れたとしても、魔王を倒す術が完全になくなるわけではないのだし。
◇
二人が過剰に怯えているというか、緊張している。
それを、イライザはこの空間に来た時から、薄々ではあるが感じていた。
確かに、いきなり見知らぬ場所に転移させられたとか、時間の流れがおかしくなっているとか、驚くべきことはたくさんある。
しかし魔術師ではなく、魔術教育も受けていないイライザには、「二人が警戒している」ということくらいしか判断材料がない。
勿論、異常事態であることは分かっている。いつ何に襲われたとしても反撃できるよう、心構えはしている。
それでふと、思い出した。
恐れず、慌てず、常に二人を最優先に──そんな期待はしていないと、突き放されたことを。
あれは心構えの話だろう。
実際、二人の方がイライザより強いし頭もいい。この異常事態に際しても、彼女は二人の背に庇われ、頭の回転や魔術の才能に感動してばかりだった。
伝説の魔物をいとも簡単に倒し、「思ったより弱かった」なんて宣う二人だが、今のこの状況には怯えが見える。
魔術に明るい二人は、状況をイライザより深く理解しているからだろう。
ならば、と、イライザは自分のすべきことを見定める。
知識や頭の回転で二人に貢献するのは不可能だ。相手は王女と公爵令嬢、受けた教育の質も量も、
イライザに出来るのは、むしろその逆。無知であること。
何も知らず、考えず──故に何も恐れず、何にも怯まずに動く。
そうしていれば、いつかはフィリップの求める通りの、二人を守るに能う戦士になれるはず……。
そんな決意を胸中にひっそりと抱き、執務机の引き出しに聖剣を向けた時だった。
「──、ッ!!」
強烈な悪寒を感じた彼女は素早く振り返り、背後に剣を向けた。
……何もない、ただの壁だ。
例の血で育つ植物が飾られている方向でさえない。というか、立ち位置的に部屋の全体を見られるルキアが動かず警告もしない時点で、異変があるはずもない。
「……どうした? 何か聞こえたのか?」
「いえ……なにかに見られていたような気がして。でも、勘違いだったみたいです。お騒がせして申し訳ございません」
いきなり大きな動きを見せたイライザに驚いたステラだったが、答えを聞くと、彼女を安心させるように不敵な笑みを浮かべた。
「……机から口が生えてきたんだ、壁に目が生えたところで驚きはない。むしろ、目なら──捕食、攻撃器官ではなく感覚器官なら、それは弱点だ。ラッキーだと思え」
ステラが振り返ったとき、ルキアは愉快そうな笑みを浮かべていたような気がしたが、瞬きの後には呆れ笑いに変わっていた。
勘違いか、表情制御か。どうでもいい。
「この部屋、或いは屋敷全体が、一つまたは複数の生物である可能性は?」
「なくはない、くらいかしら。視線の方は分からないけれど、特に気配はなかった。この部屋で……この空間で一番警戒すべきなのは、一貫して
ルキアは血の水槽に植わった謎の植物を指して言う。
動きもしない、当然ながら目も口もなく噛みつきもしない、ただ外見が奇妙なだけの観葉植物。それが、この屋敷の中で──未だに正体不明の「毒見役」よりも、無敵にも思える防壁よりも警戒に値すると。
「そ、そんなにですか……」
「……興味は惹かれるが、それならやはり、あれを検分するのは最後にしよう。まずはウィレットの案に乗って、“引き出し口”をこじ開ける」