なんか一人だけ世界観が違う   作:志生野柱

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 間違っても溢さないように、雫の一滴も跳ねないよう細心の注意を払いながら、イライザはポットの中身をカップへと注ぐ。

 一つのカップが半分ほど満ちると、ステラが片手で制する。次のカップを用意しようとすると、それも。

 

 独特の青色で飾られたカップの中では、クリアな琥珀色の液体が揺れている。

 

 「……見覚えのある外観だな?」

 「匂いも、まあ、少し甘ったるい感じはするけれど、ハイグロウン系のお茶よね」

 

 カップは特に変化しない。

 熱や紅茶に反応する釉薬が使われている様子はないし、仮説は棄却のようだ。

 

 ステラは立ち上る湯気を避け、カップの斜め上辺りに右手を翳した。

 その人差し指には、飾り気のない金色の指輪が嵌められている。

 

 「……毒検知の指輪ですか」

 「そうだ」

 

 物珍しそうなイライザに頷きつつ、ステラは指輪が何も反応しないことを確認した。

 

 毒物反応なし。

 少なくとも指輪の設計に携わった識者、医師や錬金術師や暗殺者といった専門家たちが知っている種類の毒は、検知されなかった。

 

 「……ふむ。あとは魔術毒や、或いは検知下限を下回る量の毒を、紅茶だけでなく他のものに分散して仕込むという方法も警戒すべきだが」

 「嫌な──、っ?」

 

 嫌な知見の深さね、なんて揶揄の笑みを浮かべかけたルキアだったが、言葉は半ばで途切れる。

 

 イライザが慌てたように、扉に向け聖剣を構えたからだ。その動きは俊敏で洗練されており、直前の「傷つけないよう丁寧に」という意識が見える、ポットを置く拙い動きとは別人のようだった。

 

 「……何かが来ます」

 

 何か、なんて曖昧な言い方は、口にしたイライザ自身にとっても不本意だった。

 

 だが分からない。

 廊下を何かが移動し、こちらに近づいてきている気配はする。

 

 しかし人間とも、魔物とも、動物ともつかない。

 どれでもあるようで、どれでもないような。

 

 「……」

 「魔力視は使うなよ。……確かに、何かいるな」

 

 動くものの気配を、ルキアとステラも感じ取る。

 普段なら二人とも壁や扉の向こうに魔術を展開し、気配を頼りに撃つくらいは造作もないが、扉を固定し壁を守る防御の影響か、今はそれが出来なかった。

 

 それに、下手な魔術は撃ったところで効くかどうか。

 館を守る魔術の術者か、或いは同じ魔術を使えるのなら、『明けの明星』でさえ無効化されるわけだし。

 

 「……鳥のような足音です。跳ねているみたいな」

 

 とす、とす、と、カーペットを叩く音が連続する。

 二足を交互に動かしている足音ではなく、足を揃えて跳んでいる音のようだが、実際には分からない。そもそも音の主が、二足なのかさえも。

 

 足音は玄関とは反対側、ステラが行けなかった、居室があると思われる廊下の方からやって来た。

 そして三人のいる応接間の前で止まる。或いは向かいの客間の前、なのかもしれないが、流石に用があるのはこちらだろう。

 

 「……どうしますか?」

 

 イライザは聖剣を扉に向けて構えたまま、視線を切ることもなく最低限の声量で問う。

 しかしどうすると言われても、ルキアにもステラにも明確な答えはない。というか、扉は開かないし、壁越しに魔術を照準することも出来ない。こちらから出来るアプローチはない。

 

 扉を開けて入って来るなら、その時は、正体不明の何者かと殺し合いか──或いは。

 

 「館の主人かその使いが会いに来た、という場面か?」

 「どうかしら。それならノックとか、」

 

 こつ、こつ、こつ。明らかに手ではなく、もっと硬いもので扉を叩く音が、ルキアの言葉を半ばで遮る。

 ルキアとステラは即座に魔術を照準し、目配せして、いざという時はルキアがイライザの視界を奪うという作戦を共有した。完全に戦闘態勢だったイライザは動かず、動く必要もない。

 

 暫し待っても、ドアノブは回らなかった。

 しかし、ドアの外から静かに声が掛けられた。

 

 「──お毒見を致します」

 

 肌が粟立つような感覚だった。

 ルキアも、ステラも、イライザも、三人ともが息を呑む。

 

 扉の外から聞こえたのは、何の変哲もない共通語。流暢で、普通に母国語話者の発音とアクセントだ。

 なのに、はっきりと分かる──声の主は人間ではない。

 

 特別綺麗な声というわけではないし、なにか異常な音がするわけでもない。

 だからこそ、異質さが際立つ。

 

 肉体が、精神が、遺伝子に刻まれた本能と、これまで多くの人間に接してきた経験とが、()()と叫んでいる。

 

 「……王女殿下?」

 「少し待て」

 

 ステラの視線は扉から離れていた。

 部屋を見回し、なにかヒントはないかと必死に探る。

 

 「ここだ」という確信が、彼女にはあった。

 ここが分水嶺、生死を分かつ分岐点だと。

 

 この空間は三人をただ殺すことを目的にはしていない。ただ殺したいだけなら、こんなギミックは必要ない。

 しかし、三人の生存が保証されているわけでもないのだ。扉の前に居るのが、人間を容易に殺す化け物だったとしても驚きはない。

 

 人類の最大火力でブチ抜けない防壁なんかを使う辺り、力押しで脱出するのは設計者の望むところではない。ということは、化け物を正面から打倒するのも想定外だろう。

 

 求められているのはギミックへの対応。

 そしてそれは、人間的常識や推測、観察に基づく推論から導き出される範疇だ。超自然的直感や領域外の智慧を求められるような、突拍子のないものではないはず。

 

 「……紅茶だ。扉の下の、給餌口からカップを出せ」

 

 給餌口と言われて、イライザはピンと来なかった。

 言われた通り扉の下を見て、「あれは猫ドアでは」なんて言いかけた口を慌てて引き結ぶ。要点は名称ではないし、王女が白と言えばカラスだって白くなる。

 

 命じたステラは扉や紅茶の方ではなく、壁の方を見ていた。

 暖炉や戸棚とは反対側の、絵画が飾られている方の壁。

 

 泉の側で倒れ伏し朽ちている白い山羊と、それを木立の中から見つめる黒い仔山羊の絵──。

 

 「……外を見ては駄目よ」

 「? はい、聖下」

 

 ルキアも絵の異変には気付いていたが、今はそれどころではない。

 

 イライザは片方の手で聖剣を持ったまま、もう片方の手でカップが乗ったソーサーを持って扉に近づく。いつでも飛び退けるように、いつでも撃てるように、三人は扉から目を離さず動く。

 ルキアとステラは互いに距離を取り、イライザの左右後方に位置取った。

 

 かた、と小さな音を立てて猫ドアが開き、紅茶のカップが廊下へ差し出される。

 イライザは覗きも止まりもせず、扉から素早く離れて二人の射線を確保した。

 

 「……」

 

 一秒、二秒と時間が過ぎる。

 ぴちゃり、ぴちゃりと、液体を舐めるような音は、高級木材の扉に阻まれてはっきりとは聞こえない。ともすれば気のせいと流してしまいそうな音量だったが、流石に、この状況では難しい。

 

 そして。

 

 「────!!」

 

 絶叫が上がる。

 驚愕とも苦痛とも怨嗟ともつかない、だが酷く痛々しい悲鳴。そう感じるのに、共感やそれに類する感情はまるで湧かなかった。

 

 あるのは恐怖。そして異物感だ。

 

 人間は本能的に「嫌な音」を理解する。

 蛇の威嚇音。獣の唸り声。蜂の羽音。

 

 それによく似た「何か」、神経を逆撫でし本能的忌避感を励起する周波数が、悲鳴には混ざっていた。

 

 「っ……!」

 

 ──死んだ。

 

 ルキアもステラもイライザも、直感的に理解できた。

 

 今の悲鳴は断末魔だ。

 あの扉の向こうで、()()は死んだ。

 

 「……人間にも毒である可能性は? 指輪は反応していなかったけれど」

 「多分にある。多分ではなく、な。迂闊に触るなよ」

 

 尋ねたルキアよりもイライザに聞かせるように言って、ステラは倒れ込むようにソファに座った。

 深々とした溜息は、謎の化け物との室内戦を想定して張り詰めていた緊張が解けたからか。

 

 「お茶でも淹れてあげましょうか?」

 「毒のないやつを頼む」

 

 くすくすけらけらと笑い合う二人に、イライザの「流石、落ち着いていらっしゃるなあ」なんて感嘆の視線が向けられる。

 

 ややあってルキアもソファに腰を下ろすと、ステラも背凭れから身を起こした。

 二人の表情から笑みは消えており、真剣な空気にイライザも背筋を正す。

 

 「……さて、一見して清涼に見えるものは毒であった。それは分かる。では生き残るにはどうすればいい? 生き残った黒山羊は、何故生き残った?」

 「あの絵のこと? さっきと違う絵に変わったわね」

 「え? あ、本当ですね」

 

 ステラが言うと、ルキアはイライザをちらりと見て、さりげなく説明を添えた。

 

 綺麗な泉の水を飲む白山羊の群れと、森の中で泥水を舐める一匹の黒山羊。

 一見すると、外見の違いが差別を生む、或いは数こそが強さという自然界の残酷さをテーマとしたような絵。

 

 イライザも少し引いたから覚えている。応接間に、客人を持て成す場には相応しくないものだと思ったから。まあ応接間なんてご大層な空間に入るようになったのは、勇者になったと報告しに王城に行ってから──ここ二か月くらいだが。

 

 「これは……」

 

 変わらず透き通った泉の周りで倒れ伏す白山羊たちと、それを見つめる黒山羊。

 いつの間にか、壁に飾られた絵はそんな光景に変化していた。

 

 距離感による描画サイズから表情や目の光など細部までは描かれておらず、感情を読み解くのは難しい。

 

 もっと読み取れるものはないかと、イライザが絵に近づこうとする。

 その拍子にテーブルに触れたのか、ポットの蓋がかたりと揺れた。

 

 「……?」

 

 ルキアとステラは無関心だったが、イライザは怪訝そうにポットを見つめる。

 毒の入ったポットが乗ったテーブルだ。迂闊にぶつからないよう注意していたし、ぶつかった感触も無かったのだから。

 

 イライザはポットの蓋を開け、中を覗いて首を傾げる。

 中はいやに黒く、暗い。中身は透き通った琥珀色の液体のはずだが、量が多いから黒く見えるのだろうか。

 

 新しくカップを用意して注いでみると、ポットから流れ出たのは銀色の流体だった。

 流体──独特の光沢と粘度を持った液体金属。

 

 「お、お二人とも、見てください!」

 

 驚愕の声に、絵を見ながら議論を交わしていたルキアとステラの視線が集まる。

 「なんでもう一回注いだの?」という疑問は二人とも持ったし、「なにか不自然に思ったのならまず呼べ相談しろ」と説教したいところではあるが、今はそんな場合ではない。

 

 「紅茶は蒸らす時間で別物になる、とは言うけれど……」

 「水銀か何かか? 指輪も反応しているし、飲むべきじゃないと思うが」

 

 見るからに毒というか、そもそも飲料どころか水でさえない。

 これを飲むのが脱出条件だったらと思えば選択肢から除外するのも難しいが、もう見るからに「人体に毒です」「飲めば死にます」と主張している。カップの中の流体も、指輪も、脳もだ。

 

 全員が顔を見合わせたときだった。

 

 「──お毒見を致します」

 

 また、いやに硬い音のノックの後に、扉の外から声がした。

 

 「……どうする?」

 「見るからに毒だし、指輪で毒だと分かっているし、必要ないんじゃない?」

 

 ルキアの答えに、ステラは頷いて肯定する。

 しかし表情からすると、それは100パーセントのものではなかった。

 

 「毒見は、な。だが部屋の前に居る何かを、これで殺すのがギミックの一環だったら? 殺しておかなければ、部屋を出るためのギミックを解除した途端、外のものが飛び込んでくることも考えられる」

 

 余程の相手でなければ、戦闘になっても余裕で勝てるメンツだ。

 とはいえ相手は詳細不明の正体不明。どうせ常識外の存在ではあるだろうが、殺せるのか、そもそも目視できるのか、したとして人間の脳や精神は無事なのか。そんな疑問に答えは出せない。

 

 ドア越しに、視界に入れることさえせずに殺せるのなら、それがいい。

 

 「で、でも、あからさまに毒、なんてものを飲めと言われて、怒ったりしないでしょうか?」

 

 イライザはステラに反論することに恐縮しつつ、躊躇いがちに言う。

 「分からん。だがいい観点だ」と褒められると、目に見えてほっとしていた。

 

 どうすべきか決めあぐねていると、またポットの蓋が不自然に揺れる。

 

 「……もう一度注いでみます」

 

 イライザが三つ目のカップに向けポットを傾けると、先ほどよりさらさらとした液体が注がれる。

 ただし一度目の紅茶より暗い、やはり飲み物とは思えない土色だ。

 

 端的に言えば、それは泥水だった。

 じんわりと温かい液体は、雨と土の匂いを立ち昇らせている。

 

 「……そういうこと、なの?」

 

 僅かに声を震わせるルキアの目線は絵の方を見ることなく、カップに固定されている。

 しかしステラにもイライザにも、彼女の言わんとするところは正確に汲み取れた。

 

 「毒はない。一応は茶葉から煮出したものだし、感染症や寄生虫も警戒しなくていいだろう。問題は、この部屋の脱出条件が本当にそうなのか。饗応を受ける──絵を見て茶を飲むなんてふざけたことなのかだ」

 

 うーむ、と三人揃って首を捻る。

 

 明確な毒であれば、それを理由に「飲む」という選択肢を除外できる。

 しかし、ただの泥水となると……命の危険がないものとなると、ステラは「飲む」選択肢を外せない。

 

 とはいえ進んで口にしたいものではないし、他の可能性を検討し終わってからでも遅くはない……はずだ。

 

 「……あのぅ」

 

 おずおずと手を挙げたイライザに、また二人の視線が集まる。

 

 「飲んで試すのでは駄目なのでしょうか? 勿論お二人は抵抗がおありでしょうが、私は生存訓練で慣れているので、毒でなければ大丈夫ですし」

 

 ステラは僅かに逡巡した。

 万が一、イライザが毒にやられて死んだとして──フィリップはどんな反応をするだろうか、なんて。

 

 魔王討伐についてでもなく、勇者が選出された国の王族としてでもなく、ただ、そんな益体のないことを思った。

 責められるとか、慰められるとかではなく──悲しみ、惜しめるだろうかと。

 

 無意味な思考を、頭を振って払い除ける。

 今は友人の人間性ではなく、自分たちが生き残ることを最優先に考えなくては。

 

 「……試そう。ただし一人ずつだ」

 「まあ、そうよね。三人で閉じ込められているわけだから、一人だけ飲んで全員解放とはいかなさそうだし……」

 

 ルキアは諦めたように嘆息し、さっとカップを取った。

 立ったままではあるがソーサーを持ち、所作だけは正しく優雅に。

 

 中身は紅茶ではなく泥水だが。

 

 「けれどそれなら、まず私が飲むわ。泥水なんて口にしたくはないけれど──「出来れば飲みたくないから、イライザだけで済めばいいのに」なんて、思いたくはないのよ」

 「いや、一番弱い者が飲み、検知不可能な毒や、恐慌状態に陥った場合に備えるべきだ」

 

 ステラは即座に否定し、言葉だけでなく視線でも強く咎める。

 鋭く眇められた青い双眸を、冷たい光を湛える赤い双眸が見返し、撥ね退けた。

 

 「言っていることは分かる。貴女が正しいのも分かる。けれど、これは私の美意識と生き様の問題よ」

 

 それ以上の議論を拒否するように、ルキアはカップを傾ける。

 ステラは魔術を撃ったが、ぴったり同じ威力の魔術をぶつけられ相殺された。

 

 完全にノーモーションの攻撃に、完全にノーモーションの防御。それも双方、イライザが慄く威力だった。余波の衝撃と熱気に押され、踏鞴を踏むほどに。

 

 こく、と、透けるように白い喉が動く。

 ステラの眦が吊り上がり、青筋でも浮かべそうなほど眉根が寄せられる。

 

 「面倒臭い、馬鹿な女だ。不合理極まる。あいつの弟子であることなんぞに、そこまで重きを置く必要はない」

 「せめてあの子の弟子であることくらいには、重きを置かないと駄目よ。貴女もね」

 

 内心の激情を抑え込んでいることがはっきりと分かる、行き過ぎたほど冷たい声。

 それにハンカチで口元を拭いながら応じる声は、冷たいほどの無感情。制御に苦心するほどの激情はないようだ。

 

 「……いい報せと悪い報せがあるわ」

 「お前に変調はないが、鍵が開いた音はしなかったな」

 

 会話の様式美に則るのも嫌と言わんばかりのステラだが、内容はともかく、口ぶりには不機嫌より呆れと苦笑が強く滲んでいた。

 

 ルキアは口元を拭いたハンカチを仕舞い、小さく肩を竦めて微笑を浮かべた。愉快そうな微笑みを。

 

 「……涼やかなハーブ系の風味だったわ」

 「……全く、いいニュースだな」

 

 全員が一口ずつその味を確かめたあと、錠の外れる小さな金属音がした。

 

 

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