なんか一人だけ世界観が違う 作:志生野柱
「現在行動可能な場所は、エントランスホールと両側の廊下。窓から見える側廊には行けない。廊下には部屋が二つずつ。右側には客間と応接間、左側は執務室と書庫だ」
どこから調べる、と、ステラはルキアとイライザに問いを投げる。
彼女の中では二択まで絞られているが、それは敢えて口にしない。
これ以降、二人がステラを無条件に信じて盲目的に付いてくるだけでは困るのだ。
現状、ステラが一番落ち着いてはいる。
しかしそれは経験あってのことで──言い換えれば、彼女には先入観がある。
観察力や洞察力、思考の速度や深度には自信があるが、人間は先入観を、言い換えれば“予測”という機能を捨てきれない。この状況で捨てるべきでもない。
しかし先入観は視野を狭め、広い思考を奪う。この状況ではそれも良くない。
目も頭も、多いに越したことはない。
視界に入れた瞬間に発狂するような存在は配置されていないはずだという──それほどの殺意は無いだろうという希望的観測に基づき、得られる情報を最大化すべき場面だ。
だから二人にも自分の眼で物を見て、自分の頭で考えて貰う。
ルキアは長い付き合いの友人の思考をなんとなく察して、「よかった」と思った。枷の重石のように牽かれるより、自分の持てる最善を尽くす方が遥かに美しい。
「すごい。もうそんなにお調べになったんですか」
「いや? 扉にプレートが貼ってあっただけだ。流石に単独で扉を開けるほど勇敢にはなれん」
まあ扉を開けた瞬間に死ぬとか発狂するレベルのギミックは無いにしても──設計者にそこまでの殺意はないにしても、中に化け物が居る可能性はある。普通にある。
とはいえ、暫定安全地帯の廊下をウロウロしているだけでは状況は進展しない。
「取り敢えず、色々と調べてみないことには始まらない。即死級のトラップはないだろうが、常に細心の注意を払うように」
ステラの言葉に、ルキアよりイライザが深刻な顔で頷く。
彼女は先代衛士団長の下で、剣術だけを教わっていたわけではない。
山を歩く方法や、森で迷わない方法、遭難時の生存自活法なんかも教わっており──中には、敵地からの脱出を想定した訓練もあった。
その彼女にとって、“罠”とは、そもそも敵の即死が目的ではない。
負傷、より正確には負傷者の後送による損耗と、敵部隊への心理的圧力を目的としたものだ。
王国と帝国の国境沿いに存在する険峻、その守護を担う王国軍山岳猟兵隊。
彼らの訓練に使われる山中で、イライザは罠の恐ろしさを叩き込まれている。
自然を利用した簡単なものでは、ちょうど目の高さにある枝をしならせて藪に隠し、そこを通った瞬間、眼球目掛けて跳ねてくるとか。
手の込んだものでは、剣山を仕込んだ落とし穴を、二人踏まなければ起動しないような仕掛けにしてあるとか──大抵は六人分隊の
訓練用がそれだ。勿論、剣山は模造品で踏んでも刺さらない。
実戦用は、落とし穴の中の剣山が
即死する罠が無いなら安心、ではないのだ。
罠がある時点で不味い。撤退も救援も見込めないこの状況は最悪だ。
即死しない罠でも、傷付けばそこで終わり。
足をやられたら動けなくなる。目をやられたら見えなくなる。そして──来るはずのない助けを願いながら、緩やかに死んでいく。
「では、私が調べて──」
「いや、単独行動は避けるべきだ。私が先陣、ルキアは最後方だ」
罠の恐ろしさを知るイライザの言葉は、しかし、ステラの確固とした声に叩き落された。
「え、でも……せめて私が前衛の方がよろしいのでは?」
「白刃戦ならともかく、何があるか分からない状況だもの。対応力のある魔術師が前に出る方がいいわ」
「な、なるほど」
イライザは言い募るも、ステラと同意見のルキアに言い添えられては、それ以上は重ねられない。
罠を警戒するのなら、絶対に二人より罠に詳しい自信のある自分が前に出るべき──その意見は、間違いではないが正しくもない。
そもそもルキアもステラも、落とし穴だのスプリングだのといった
それに、もし万が一そういうものがあったとしても、二人なら城壁級の防御力を持つ魔力障壁を、反射的に目を瞑るのと同じ速さで展開できる。
イライザが咄嗟に飛び退いたり身構えるよりも速く、そして堅牢だ。
まあイライザも疑似熾翼を展開すれば魔力障壁くらい使えるのだが、あの羽は室内を歩き回るには邪魔すぎるし、相当な集中力を要するので長持ちはしない。
「……でも、貴女が前でいいの?」
「知っているモノの規模ではお前が上なのだろうが、数では私が勝る。未知に遭遇するリスクを少しでも下げたい」
ルキアとステラは二人肩を寄せてひそひそと細部を詰め、ややあって、「さて」とステラが手を叩いた。
「……屋敷に招かれたとき、まず通されるのは応接室だな?」
「
ステラの言わんとするところを汲み、ルキアはさらりと応じる。
この状況を「屋敷に招かれた」と捉えて、或いは準えているのだと少し遅れて理解したイライザは、なるほどと頷いて自身も思考を回す。
「流石に、いきなり書庫には入りませんよね。屋敷の主人でも」
「そうだな。そして確かに、迎えの一つもないこの状況は、賓客に対するものではない、か……」
まあ出迎えが居たところで碌な存在ではないだろうし、居ても困るというか、警戒して饗応を受けるどころではなかっただろうが。
決めた通りの隊列で『客間』と書かれた扉の前に向かい、ステラは慎重に耳を寄せ部屋の中を探る。音はしない。
しかしなんとなく魔力の気配を感じる。何かに妨げられたように全容を掴みにくいが、魔力を放つ何かがある、もしくは居ることは分かった。
情報を共有し警戒を統一。
いざ突入、とドアノブに手を掛け──開かない。こちらも玄関ドアと同じく、開くという機能のない壁にノブだけ付けたような手応えだ。
「……なら応接室か?」
ステラは身体を反転させ、客間の向かいにある応接間への数歩を足早に進む。
応接間とプレートの張られた扉は、他の扉と同じく木製で彫刻に飾られている。しかし他のものと違い、何故か下部に猫ドアが付いていた。
そこから中を覗けないかとも思ったが、内側に閂があるようで、押すことも引くことも出来ない。
しかし他の扉と違い、閂の遊びの分だけカタカタと揺れ動く。
魔力を探ってみるが、何も感じない。魔物も人間も植物も含めて、中には魔力を持つ物がなにもないようだ。
「……開けるぞ」
警戒しつつ開いた扉の内には、落ち着いた雰囲気の空間があった。
部屋の中央にはローテーブルがあり、一人掛けソファが二つずつ対面するように置かれている。テーブルの上には白い布の掛かった盆があり、中身はポットとカップのセットだろうと起伏から見当がつく。
入って右側の壁には暖炉と戸棚があり、ガラス張りの棚には多くの陶磁器が飾られている。
左側の壁は精緻ながら控えめな彫刻装飾と燭台、そして一枚の大きな絵画によって飾られていた。
飾られているのは風景画で、特に異質なところはない。
透き通った泉に群がる白い山羊と、少し離れたところで泥水を舐めている黒い仔山羊の光景。テーマは『差別』だろうか。応接間に飾るには不穏当ではあるが。
奥の壁には大きな窓があり、停止した森の穏やかな緑色がよく見える。
窓は薄いガラス張りだが嵌め殺しだし、どうせ破れはしないだろう。暖炉の煙突は、そもそも人が通れるサイズではない。ここからの脱出も無理そうだ。
「トラップは無さそうだが……紅茶の匂いか?」
「そうね。香水のようなノートもあるし、クインズメアみたいだけど」
ステラが扉を開けた瞬間から感じていたことを口にすると、ルキアも深く息を吸って吟味する。
「すごい、紅茶の種類まで分かるんですか?」
「いいえ、商店名よ。後から付けた不自然な香りの物が多くて、あそこだけは買わないようにしているの」
背後の会話を聞きながら、ステラは目に見える危険がないことを再三確認してから足を踏み入れた。
後ろから続く気配を感じて、ふと思い出す。
「……あぁ、扉は開けたままにしておけ」
既に閉じ込められているこの状況で、まさか二重に閉じ込められるなんてことはあるまいが──だって無意味だし──なんて思考から、ステラの言葉は平坦だった。
注意でも警告でもなく、「もし閉じていたらもう一度開けておけ」くらいの緩いもの。
幸い、最後尾のルキアは普段、扉の開け閉めを自分で行わない。ステラと同じく。
開けたら閉めるという動作が体に染みついておらず、扉を閉めるべきかと考えて、開けたままにしておくという判断が言われずとも出来た。
だが。
「っ!」
全員が応接間に入った瞬間、扉がバタンと音を立てて勢いよく閉まる。
ルキアが警戒しつつドアノブに手を掛けるが、扉は壁のように硬い手応えを返した。
「……今度から外に残りましょうか?」
「……分断されるよりマシだ」
やや不機嫌そうに言ったルキアに、ステラは苦笑交じりに返した。
攻撃の気配も魔力の気配も無かったから反応出来なかったのが、ルキアには不満なのだ。ただドアが閉じただけだから良かったものの、矢でも飛んで来たら普通に死んでいたのだから。
「……どうしましょう? 鍵を探す……とかでしょうか? 私たちを閉じ込めて衰弱死させる、なんていう罠ではありませんよね?」
「そうでしょうね。物理的な鍵よりは、この魔術を解く魔法陣やオーパーツのようなものだと思うけど」
イライザとルキアは互いに状況を確認し、最後にステラを見遣る。
最終決定を委ねられた彼女は、二人と同意見であることを示し、二人の思考の最適さを褒めるような笑みを浮かべて頷いた。
イライザは嬉しそうに、ルキアは少しむっとした顔を見せ、三人はそれぞれ分かれて部屋を調べ始めた。
ルキアは部屋全体の造りや装飾に不自然なところがないかを探り、イライザは陶磁器類の飾られた戸棚、ステラはソファの隙間やローテーブルの裏といった細部をくまなく観察する。
部屋の装飾はどれも平凡なものだが、それはルキアの目から見てだ。
高級な木材に、錬金術によるコピーではない手彫りの彫刻。幾何学的でテーマは特に読み取れないが、腕前は明らか。
ただの金持ちが金の力で用意できるものではない。人脈と、仕事を選ぶ立場にある名匠を動かすだけの人望を持っていなければ。
エントランスホールや廊下、中庭に通じる窓から一部だけ見えた館の外観から、この館の規模はなんとなく分かる。
部屋の作りも細部も、特に不自然なところはなかった。
イライザが見ている戸棚の方はというと、こちらも不思議なところはない。
陶磁器を納めたガラス戸には鍵が掛かっていたが、所詮は木造戸棚の鍵だ。引っ張ってみた手応えからして、思いっきりやれば壊して開けられる。
ただ、その程度の封鎖ということは、きっと開けることに意味がないのだろうと感じられた。
この謎の場所の、開けて欲しくない扉は、手応えがもっと硬い。
ガラス越しに陶磁器を眺めてみるも、美術工芸の類に明るくないイライザには、「薄くて綺麗。割ったら弁償できない額だろう」ということしか分からなかった。
その辺りに詳しそうな二人を振り返るが、ルキアは真剣な顔で絵画を見つめており、話しかけられる雰囲気ではない。
一瞬、ステラの姿が見えないことに血の気が引くが、ソファとテーブルの隙間からぬっと現れて一安心だ。
安堵も束の間、イライザは王女様が膝をついて机の下を覗き込んでいたことに気付き、思わず叫びそうになった。
幸いにして、実際に叫ぶ前に「私なんかが王女様の行動に口を出す方が問題だ」と気付いて、驚愕を呑み込むことに成功したが。
それから暫く探索を続けていたが、とさりと軽い音を立ててステラがソファに座ったことで、二人の視線が集まった。
「手掛かりらしいものはないな」
「……
ルキアの視線が示しているのは、ローテーブルに置かれたティーセットだ。
独特な青白い発色の釉薬で陶器の表面に絵を描いた、実用だけでなく観賞用としての価値も高い種類のもの。
「いいものだが、特に不審点はないぞ。釉薬の感じからして、贋物ということもなさそうだ」
カップは四つ。ポットは空だ。
先刻ステラが調べるまで白い布を被せられていたが、布自体にも、そもそもこの空間自体にも、埃の形跡はない。まるで常日頃から綺麗に掃除され、今まさに用意されたかのように。
「あ、」
「どうした?」
イライザは戸棚の引き出しを開け、かたりと小さな音を立てて中の物を取り出す。
金属製の円柱、両手に収まるサイズの筒箱だ。落ち着いた暗い赤色のラベルが貼られており、飾り文字が書かれているから、菓子か茶葉の箱だと遠目にも分かる。
「ここの戸棚、殆ど茶器しか入っていないのですが……一つだけ、茶葉があったんです」
ルキアとステラは顔を見合わせ、眉を顰める。
まさか、だ。
「……淹れて飲めということ? まあ他にそれらしいヒントはないし、試せることは試すべきかもしれないけれど」
館を訪れた客人が応接間に通され、饗応を受ける。
それは日常的な流れとして不自然なものではなく、客間と応接間から調べようと決めたときの仮定にも即している。
少なくとも肉眼で見える限りの情報からは、何のヒントも得られなかった。
何かを探して見つけ出せというギミックではないのなら、行動がカギになる可能性、またはティーセットに仕掛けがある可能性を考えていくべきだろう。
例えばカップに熱に反応する釉薬が使われていて、湯を注ぐとヒントが浮かび上がるとか。或いはここにある茶葉のpHに反応するとか、何があっても不思議ではない。この状況以上には。
「でも、水が無いですよね?」
「いや、それは魔術でどうとでもなる」
「客人に自分でお茶を淹れさせるなんて、手厚い饗応ね」
言いつつ、ルキアはイライザに茶葉を渡すよう手を伸ばす。
家にいる時分はメイド任せだが、彼女とて魔術学院の三年間は従者無しで生活していたのだ。茶を淹れるくらいのことは出来る。
しかし、イライザは茶葉の缶を持ったまま頭を振った。
「いえ、お茶を淹れるくらいは私が」
「そう? じゃあお願いね」
頑なになる必要は感じなかったルキアは、素直に頷いてステラの隣に座る。
イライザの手つきには作法の美しさこそ無いものの、かなり慣れており味への不安感を抱かせない。現職軍人の兄弟子たちに「軍で出世したいなら覚えておけ」「戦場で一息吐けたら生存率も上がる」と教えられたのだった。
ステラがポットにお湯を入れ、イライザが恐縮している横で、ルキアはなんとなく茶葉の缶に手を伸ばした。
「ツィックライン商会。知ってる?」
「いや」
水を向けられ、ステラは端的に否定する。
二人が知らない商店名だからといって、即座に不自然だとは言えない。二人が知っているのは数ある店の中でも上澄み中の上澄み、公爵家や王宮への出入りが許される格のもの。最低ライン、王都の一等地に店を構えられるものだけだ。
ルキアは手の内で缶を回し、ラベルに書かれた小さな字を読んでいく。
「……ノキシノイド系氷星で栽培したザイクロトル・プラネットイーターの、厳選したオレンジ・ペコー・ベース。当商会オリジナルブレンドを経て、多種多様な種族のニーズにお応えする茶葉です……?」
「ええと……どういう意味ですか?」
無言で手を出したステラに茶葉の缶が渡るのを目で追いながら、イライザは困惑に満ちた顔で問いかける。
どういう意味と訊かれても、二人とも既知の単語ではない。
ラベルが飾り文字の共通語で書かれているから読めはするが、内容を完璧に理解できたかと言えばノーだ。
オレンジペコと言うからには、枝先の新芽と一枚目の若葉だけを使ったものなのだろう。産地も品種もまるで分からないが、「茶葉です」と明言されているからには、そこだけは間違っていないはず。
「アルカロイドから種族主義、ガス星の初摘みから反水銀まで千変万化……プラズマ溶媒にも対応……?」
ステラは缶を回しながらラベルを読み上げる。
「分かるか?」と言いたげな目線がルキアに向くが、返されるのは頭を左右に振る端的な否定のボディーランゲージだけだ。
「まあ……毒なら分かるぞ」
右手人差し指を飾る毒検知の指輪を示し、ステラは彼女らしからぬ気休めを口にした。
人類が知っている毒なら、錬金術製のそれは翳すだけで反応する。人工毒でも、自然毒でも。検知を掻い潜るように作られた魔術毒はどうしようもないが、それはステラ自身の感覚と耐性でどうとでもなる。
人類以外が作った毒にまで反応するかどうかは別問題だが。
「ええと……そろそろいい頃合いだと思うのですが、どうしましょう?」
体感三分。
缶に推奨の抽出時間が書いてあるわけでもなく、ブロークンリーフにありがちな時間。それが過ぎたことにイライザが言及すると、ルキアとステラは顔を見合わせる。
しかしまあ、ここまで来て「やっぱり止めよう」と言い出すはずもなく、やることは決まっていた。
「……取り敢えず注いでみよう。飲むかどうかはその後だ」
鬼が出るか蛇が出るか。
慣用句だが──傾けたポットから本当に蛇が出てくる可能性を、ルキアとステラはそれなりに危惧していた。或いは、もっと別なものが出てくる可能性も。