なんか一人だけ世界観が違う 作:志生野柱
今後も作者が書きたいものを書いていきますので、ご趣味に合う限り、一緒に楽しみましょう。
「あと三人」
ふらつくイライザに心配の声も掛けず、フィリップは無慈悲にカウントした。
「ちくしょう! 二人とも皆に知らせて逃げろ! 僕が時間を稼ぐ!」
椅子を構えた男が破れかぶれに突撃する。
四つの脚の間にイライザを捕らえようとしているのか、振り回すのではなく突き出すような構え方だ。
矮躯の彼女は椅子の脚の間に嵌りそうだし、拘束を押し退けるほどの力もない。
どうするのかと見守るフィリップの心配を余所に、イライザは足捌きと身を切ることで突撃線上から逸れ、片手で椅子を振り回されないよう押さえながら、もう片方の手で剣をその下に滑り込ませた。
椅子の下を通り、男の股下へ。
そしてノコギリのように激しく動かす。外腸骨動脈、大腿動脈、長短内転筋、性器肛門から内臓へ。
剣に体重を乗せられない、殆ど切れ味頼みの攻撃。
どうしても浅くなるその隙を埋めるように、何度も、何度も何度も切り刻む。
男は悲鳴を上げて逃れようとするが、到底間に合わない。
自分から組み討ちの距離に入ったのだ。イライザの──本職の軍人に仕込まれた殺人技術の餌食になるのは、ある意味では当然だった。
まあ、フィリップはかなり意外そうだったが。
血やそれ以外の何かを零す股ぐらを押さえながら倒れた男に、イライザは慈悲の一撃を振り下ろす。最終的に頭と胴が分かれた男の絶叫は、ぴたりと止んだ。
「えげつないなあ。僕も今度やろう、それ」
フィリップの声は愉快そうだったが、強い興味も感じさせた。
殺人技術はある。それも、すごく上等で実戦的なものが。
なのに、人を殺すことに忌避感がある。忌避感があるのに──身体に染みついた戦闘技術が、勝手に殺す。訓練の通りに。
ステラは「フィリップに任せたら冷徹な殺人機械になる」なんて言っていたが、これはフィリップのせいではない。
彼女には元々、その才能がある。
そもそも人を殺すことに忌避感がある人間は、人を攻撃すること自体が難しい。
剣と剣の戦いで相手の剣を狙ったり、今のケースなら椅子や短剣を防ぐ方に意識が向いて、純粋な攻撃より防御に近い手を選びがちだ。
だが、イライザにはそれがない。
模造人体や縛られた廃人を斬る時でさえ、攻撃前に緊張こそしていたものの、攻撃自体には躊躇の色が無かった。
踏み込みが浅いとか、刃に体重が乗っていないとか、無駄な力が入っているとか、そういうブレが無い。
完璧な攻撃で以て敵を──人を殺し、その後に、多大なストレスを押し殺した反動のように動揺し、脱力や放心、嘔吐などの症状を呈する。
本当に“出来ない”奴は、やる前に「できない。やりたくない」と投げ出すだろうに。
「はぁ……はぁ……ふーっ……う、っ!」
イライザは血や他の何かで酷く汚れた剣と全身を震えさせながら、必死に息を整えようとしていた。
しかし努力の甲斐なく、少量の胃液だけを吐く。
朝食は一緒に摂ったし、まだそれほど時間は経っていないはずだが──フィリップの目を盗んで吐いていたらしい。
それが自分の意思による事前準備なのか、極度の緊張による発作的なものなのかまでは分からないが。
「……」
フィリップは何も言わない。背中を擦ったりもしない。
ただじっと、彼女の次の行動を見守っている。
一言目が「無理です」とか「辞めたいです」とかなら、見込み違いではあるが、認めるつもりだ。
彼女が人を殺すだの何だのといった血腥い雑事に煩わされないよう、出来る限り取り計らおう。
勇者になんかならなくていい。
聖剣を持った一般激つよ少女として、平穏に生きて平穏に死んでくれればいい。
果たして──イライザは剣を握り直し、腰が抜けて立つことも出来ない様子の悪魔学者を二人、一人に一撃で綺麗に仕留めた。
軽く振っただけの血払いで、聖剣は磨かれた金属の輝きを取り戻す。
また暫く、傷心の少女が荒い息を整えるだけの時間が過ぎる。
ややあって、運動のせいではない脂汗を拭いながら、彼女はフィリップの傍に戻ってきた。
仄かにゲロの臭いがしたが、彼女からか、五つの死体から漂ってきたのかは分からない。
フィリップは顔の近くを手で扇ぎながら促して、教会から外に出た。
二つの家にはまだ気配が残っているが、先ほどのように音はしない。息を殺し、壁の割れ目や窓板の隙間といった発見されにくい場所から、教会から出てきた侵入者を観察している。
「本当に……殺す必要があったんでしょうか。みんな、私たちが敵意を見せたから攻撃してきたように思えます。奇襲で捕まえて、王都まで連行するという手もあったのでは?」
まだ顔の血色が悪いイライザは、疲れ切った声で言った。
フィリップは一瞬「は?」とでも言いそうに眉を顰め、すぐに一人納得して呆れたような笑みを浮かべる。
「連れ帰って、処刑人に殺させるの? それじゃ何の意味もないじゃん」
「っ、そう、ですね……ごめんなさい。動揺しすぎですよね」
今回の主目的はカルト擬きの殲滅ではない。それはあくまで手段であり、イライザが心中に抱いている殺人への忌避感を克服するのが目標だ。
だが思うに、彼女には“殺す”意識より、そもそも“戦う”意識が欠落しているようだ。
戦えるし、殺せる。
だがそれは、彼女の精神ではなく肉体に大きく依っている。本職仕込みの、何百何千の訓練が、思考や躊躇より優先して表出するというだけ。
いずれ精神の方が適応するのか、精神が肉体を支配するのか、それとも共生できず破綻するのか。それは分からない。
「イライザ」
フィリップは片膝をつき、イライザと目線を合わせて微笑みかけた。
「君の殺人への忌避感は、人体に備わっている機能だ。息を吸って吐くことに、瞬きをすることに、意味や理由を考えないだろう? それと同じだ。殺さない理由を考えるな。殺す理由を考えるな。ただ殺せ」
なぜ人を殺してはいけないと思うのか。どうすれば克服できるのか。
どうして殺すのか。殺さなければいけないのか。
人を殺すのはいけないことだ。イライザはそう考えている。
では、もう死んでいる
いけないことを許容する、なにか高尚な理由──そんなものは必要ない。そんな思考は必要ない。
人間を殺すことに、何ら特別な価値はないのだ。
良いことでもなければ、悪いことでもない。取り立てて推奨することでもないし、目くじらを立てて咎めるようなことでもない。
なんでもない。
息をするように。瞬きをするように。ただ殺せばいいだけだ。
「……努力はします。でも、まだ出来る気はしません」
「大丈夫、出来るようになる。人間誰だって痛いのも苦しいのも嫌だけど、それでも君は先代の教えを受けて強くなったんだ。君には本能を捻じ伏せる才能がある」
間違いない。
彼女は何をどうやっても誰かを害することに向かない、無垢で嫋やかな少女ではない。
理性と訓練で本能を踏み越えられる──本能を踏み越えるまで訓練を積む才能を持った、素晴らしい戦士だ。
ウォードや衛士たちが、自分の命を度外視して誰かを守るのも同じ。
痛みへの忌避感、死への恐怖、遺すものへの執着。本能や感情を支配する才能、或いは才能を再現するほどの努力を積む才能の産物だ。
それはきっと、ルキアやステラも持っているもので──心の奥底を諦観に支配されたフィリップでは、上辺の行動を真似るのが精々。決して同じにはなれないものだ。
──尊敬に値する。
「……カーターさんは、どうやって慣れたんですか? やっぱり、数ですか?」
「僕と君の精神は別物で、性格も、これまでの経験も全てが違う。何の参考にもならないよ」
イライザの問いに、フィリップは困ったように笑った。
そもそもフィリップはルキアやステラのように教育によって半先天的に適応していたわけでも、数を熟したり訓練を積んで“慣れた”わけでもない。
参考にされても困るし、同じ精神状態になんてならなくていい。
彼女は彼女自身の才覚のままに進めば、きっと、誰かのために誰かを殺す決断ができる、強靭な心を持った戦士になれるのだから。
「それでも参考に……いえ、一つの答えとして聞いておきたいんです」
「……人間を殺すことなんかに拘らない。慣れとは違うけど、これが一つの終着点だと思うよ」
フィリップは僅かに躊躇い、出来るだけ柔らかい表現に努めた。
確かに、フィリップは人間を殺すことに拘っていない。彼女にも教え聞かせた通り、殺人という行為に何ら価値を見出していない。
しかし、より正確に言うのなら、「人間に」価値を見出していないのだ。
価値のない命を刈り取ることに、当然に価値はない。ただそれだけのこと。
「……?」
イライザは不思議そうに首を傾げる。
何も分かっていなさそうな顔に、フィリップは思わず口元を綻ばせた。
拘らないと言っても、今は彼女が人を殺せるように訓練している最中だ。
さっきは何も考えずに殺せるようになれとまで言った──つまりはそういうことなのだが、イライザの中では、まだ結びついていないらしい。
「うん、こんなところまで人を殺しに来て何を、と思うよね」
「あ、いえ、それが出来ていないから、こうして教えて頂いていることは分かっています」
「そう? じゃあ単純に意味が分からないか」
「……恥ずかしながら」
口ぶりの通り、イライザは申し訳なさそうに眉尻を下げる。
なんとなく、フィリップは実家に居た犬を思い出した。
父の猟犬。もう長らく会っていないが、怒られると耳と尻尾を下げて、目に見えてしょんぼりしていたものだ。
思わず手を伸ばし、わしゃわしゃと頭を撫でる。
ミナがフィリップにするのとも、フィリップがシルヴァにするのともまた違う、かなり荒い手つきだ。
しかしそれは、イライザにはむしろ慣れ親しんだものだった。
師匠も兄弟子たちも、訓練外ではそうして可愛がってくれる。
「恥じる必要はないよ。この思想に共感できそうな人間を、僕は三人しか知らない」
「三人?」
「ルキア、殿下、帝国の水属性聖痕者のノア聖下。既に一万人は殺してる人たちだ」
もしかしたら他の聖痕者も同じかもしれないが、ヘレナとはそれほど親密なわけではない。
学院での彼女はそんな風には見えなかったが、あれでも百年前の魔王征伐に参加して生還した歴戦中の歴戦。
まさか、人間を殺すことに躊躇などしまい。
土属性聖痕者には会ったことがないが、聞けばルキア以上に手が早いとか喧嘩っ早いとか。
敵を殺すとき、相手が自分と同じ人間だと考えないどころか、敵というだけで反射的に殺せるタイプだろう。
イライザもその素質は訓練によって付与されているが、精神の方が追い付いていない。
「……」
「……人間を殺すことに、特別な意味や価値はない。前にも言ったよね。虫に刺されても死ぬ、転んでも死ぬ、剰え寿命なんていう時限式の自壊機構まで付いている。“死”はありふれていて、何ら特別なものではないんだ」
言われて、イライザは喉元まで上がってきた感情的反発を呑み込む。
フィリップに教えを受け始めて、既に何度か言われた言葉。冷静な時分なら「そんな人ではないし、そういう意味ではない」と当然に考え、反発心を抱くより先に言葉の真意を考えられた。
だが今は、ほんの一瞬だが頭に血が上った。
既に死んだ人間の死をも軽視するような──
勿論そんなはずはないと、イライザは分かっている。
だって彼は、友人や衛士たちに死んでほしくないから、古龍狩りという絶対の死地へ赴いたのだ。彼らを死なせないために、死に物狂いで龍を殺したのだ。
そんな人が、死を──命を軽く見るはずがない。
そう、
だから彼女は、申し訳なさそうに目を伏せた。
「……私には、その境地は難しいです」
「だろうね。まあ、“慣れ”で似たような思考にはなれる。あと三人、頑張って」
──やっぱり、とイライザは唇を引き結ぶ。
凄い人だし、いい人ではあるのだろうけれども──やっぱり厳しい。
心身を共に追い込んでくる師匠の、精神特化版みたいな感じだ。「やれるか?」とか言わない辺り、精神的には師匠の訓練よりキツいかもしれない。
いつか「僕の要求水準は満たせないに決まっている」と言われた時には反感を覚えたが、実戦で五人殺して、ゲロを吐いてなお「大丈夫?」とも訊かれないと、それはそれで堪える。
当然できるものだろうという、何ら心配していない、かといって信頼されているわけでも無いフラットな目で見られると、尚更に。
「……はい」