なんか一人だけ世界観が違う 作:志生野柱
翌日。
街道から離れた位置にある廃村を徒歩で目指すことになり、戦闘準備を整えたフィリップたちは、僅かな雑草しか生えていない荒れ地を進んでいた。
道すがら、カノンがフィリップの隣に来ると、するりと腕を組んで脇腹を小突いた。
「フィリップ様ぁ~。昨夜はなんか甘酸っぱい会話してましたねぇ?」
「なにこの絡み方……。酒でも飲んだの?」
ガスマスクをしていても分かる鬱陶しい笑顔を浮かべ、カノンはうりうりと脇腹を擽ってくる。
くすぐったいというか、古龍ベースの鱗と甲殻に覆われた肘はかなり痛い。
「親友の妹、聖痕者たちより年も近く、純粋に自分を慕う無垢な少女……! 顔も可愛い系ですし、ヒロインレースに参加へぶっ!?」
脇腹に肘が刺さる痛みに、フィリップは組まれていた腕を強引に振り解く。
直後、カノンは地面を抉りながら五メートルほど吹っ飛ぶ。一瞬遅れて、空気が無理矢理に押し退けられた鈍い音と突風が肌を打った。
「給仕風情が主君の心を量ろうなど、分を弁えぬ愚行だとは思いませんこと?」
「うごごご……。口より先に手が出るのは、レディとしてどうなんですの……?」
蹴られたらしい尻を押さえ、よろめきながら立ち上がるカノン。
人間なら腰が逆向きに折れていそうな威力だったが、流石は古龍ベースの骨格。頑健だ。
フィリップは脇腹の痛みも忘れてケラケラと笑っているが、イライザはちょっと引いていた。
「ちょっと」なのは、衛士団や先代の弟子たちも、偶に似たようなことをしているからだ。それでもアンテノーラが──良家のお嬢様のような振る舞いの美女が、異様に滞空時間の長い飛び蹴りをかましたのには驚いたが。
「あら、不快なものは払い除けるのが常でしょう」
「誰が不快ですか!」
進行方向に吹き飛んだのだから、そのまま先を歩くか待っていればいいものを、カノンはわざわざ引き返してきてまでアンテノーラに掴みかかる。
アンテノーラは手を受け止めた腕を絡ませ、自分の肩を回すようにして相手の肩を極めた。
「いたたた! 痛いです! ギブギブ!」
「自分から吹っ掛けておいて、ギブアップも何もないでしょう」
「先に手を出したのはそっち──いたたたた!」
アンテノーラは器用にもカノンの肩を極めたまま歩く。
フィリップはじゃれ合う猫でも見るような眼差しだが、似たような関節技を何度も喰らっているイライザは、自分の肩まで痛むような顔だった。
「……いいんですか? 放っておいて」
「大丈夫だよ」
“歌”無しのアンテノーラは、古龍ベースのカノンの骨格を破壊できない。まあ脱臼ぐらいは可能だが、関節が外れたところで死にはしない。
カノンがアンテノーラに勝ちたければ
そしてカノンが──ナイアーラトテップの教育を受けた給仕が、フィリップの所有物を壊すはずがない。
アンテノーラも同じだ。フィリップのための“生きた楽器”は、フィリップのためにしか歌わない。
二人のじゃれ合いが、致命的なものになることはない。
……アンテノーラの練習中にカノンがちょっかいを出さない限りは。
「……見えてきたよ。あれが件の廃村だ」
村──という表現が正しいのかは分からない。
だだっ広い荒れ地の、特に何もない辺りに建物が幾つか並んでいるだけだ。遠目にはそのくらいしか分からないが、動くものは見当たらない。
「小さい村ですね。教会の他は……家が五つくらいしかありません」
「だから廃村になったんだろうね」
言いつつ、フィリップは「そもそもなんでこんなところに村があるんだ」と、街道からかなり歩かされたことへの苛立ち混じりに考える。
元は肥沃な土地だった、という風情でもないし、山や森といった資源の豊富な環境が近いわけでもない。
教会がある辺り、一応は領主に認められた正規の集落だったはずだが。
「恐らくは災害のせいかと。元は辺り一帯農作地で、建物も人口も多かったのが、大規模な災害により壊滅。あの部分だけは辛うじて無事だったか、生き残った人数分の建物と教会だけは再建したか。そのような感じでしょう」
遊び終えたのか、いつの間にかすぐ後ろにいたカノンが言った。
フィリップの見立てとは相反する意見だが、真面目モードの彼女の言葉は──道化でない、ナイアーラトテップが用意した給仕としての言葉なら、まあ信じてもいい。
一行はすぐには村に近づかず、身を隠せる場所を探す。
森だの岩だの便利な遮蔽はないが、元が農耕地なら水路の跡くらいあるはずだ。
予想に違わず、座れば全身が隠れる程度の深さの壕の跡があった。
村の方に続いているし、頭を下げながら進めば気付かれずに接近できる。長く使われていないようでカラカラだが、中に入るなら都合がいい。
しばらく進んで十分に村に近づくと、フィリップは合図して全員を止めた。
「はい、作戦タイム」と近くに呼び寄せる。
「今回は殺し方に拘らなくていい相手で、一般人を巻き込む心配もない。村に火を放って連中を文字通り炙り出し、人数を確認後、疑似熾翼を展開した君が範囲攻撃で一掃──というのが、普通なら選ぶ戦術だね」
「……」
普通なら。
その言葉の意味を、イライザは言われずとも理解していた。
「今回は君を殺人に慣れさせるのが目的だ。剣術もしくは体術を主体に、魔術や聖剣の形態変化は最終手段として戦うこと」
今回は、人間を跡形も無く消し飛ばすことは禁止だ。
流れる血、零れる臓腑、立ち昇る死の臭い──その全てを感じてもらう。人を殺すことを、直視させる。
衛士たちに参考意見を募ったところ、面白い話を聞いたのだ。
「騎士より魔術師の方が多く殺してるが、人を殺めたことに心を痛めて兵士を辞める奴は、大抵が騎士だ」と。
部隊戦闘において、魔術師は直接“敵”と対峙しない。
常に騎士が前衛となり、後方から魔術砲撃を行う。相手の殺意を間近に感じるわけでもなく、一撃で十人吹き飛ばすような火力を、安全な位置から押し付けるだけ。
そこには現実味がない。いや、現実味を感じないように、自分で自分を誤魔化せる。
自分の行動、腕の一振りが人間を殺したという感触が薄く、戦いの中にいるという実感すらもマスキングできる。
自分の心が、殺人や戦闘という多大なストレスで傷つかないように。
それを繰り返すうち、本当にストレスを感じなくなる。
人間を殺すということに、重みを感じなくなる。
──その極致に居るのが、ルキアたち聖痕者だ。
まあイライザにはそこまでの到達は求めない。
ただ慣れてくれたらそれでいい。人間を殺すことに、ではなく、“敵”を殺すことに。
「……はい。ですが師匠は、殺し合いでは絶対に気を抜くなと」
「
フィリップの言葉に、イライザは無言のまま浅く頷く。
「一応僕も傍で見てるけど、自分に掛かる火の粉しか払わない。無駄に数が減っても困るから、カノンとアンテノーラは村の外で待機」
「……一対八、ですか」
硬い声で言ったイライザに、フィリップは苦笑を浮かべた。
そう言われると、なんだか物凄く不利な絶望的状況に聞こえる。
……実態に反して。
「対多戦闘の訓練は?」
「勿論受けています。重んじること正背の敵と爪の傷、ですよね」
「ん? ……あぁ、そう! 先代の教え? 流石……」
多勢に無勢とは言うが、実際のところ、多勢の側も有利一辺倒ではない。味方が多い故の問題と言うものが出てくる。
同士討ちへの警戒や心理的な安心感から、多勢の方が手が緩む。
「いま攻撃したら味方を斬ってしまう」とか、逆に「味方の攻撃線上に入ってしまう」とか、単騎なら必要ない思考が挟まる。
だから意外と、多勢は敵ではなく味方の動向を見る瞬間が多い。
意識が味方を離れ、敵に集中する瞬間は二つ。
敵が自分に正対している時と、自分に背を向けている時。「斬られるかもしれない」「今なら獲れるかもしれない」と、緊張が最大化する瞬間だ。
斬りかかってくるタイミングとしては、そこが一番多い。
故に、最も気を配るべきは正面の敵と背面の敵だ。
爪の傷、というのは、普段は気に掛けるほどでもない小さな負傷のことだろう。
対多戦闘は一対一の連続ではない。
圧倒的不利に加え心理的な圧迫感もあり、なるべく早く一人だけでも削りたいと考えてしまいがちだ。
故に首を、心臓を、脇や大腿を、急所を狙いがちになる。
数で勝る相手はそうではない。
絶対的な“数”によって心に余裕が生まれ、一撃必殺ではなく、浅い傷を何度も付けて削り殺せばいいと考えるようになる。実際、多対寡ではそれで正解だ。
しかし──実際の所、それは少数の側も同じなのだ。
フィリップはそう、ミナから教わった。
相手が何人居ようが、爪先程度の傷を何度も何度も繰り返し与えていれば、いつかは削り切れる。
勿論、その前に数に押し潰されるか疲れ切って膝を折るのが常だが──要は心の持ちようだ。
数的不利でヤバいと思えば思うほど、身体は緊張し酸素を喰うが、緊張は呼吸を浅くし酸素の吸収量を落とす。
結果として継戦能力が落ち、押し潰されやすくなる。視野が狭窄し、被弾しやすくなる。
ミナの教えは、それを避けるためのもの。
フィリップが大勢に囲まれた場合でも、焦ることなく正しい選択肢を──自分を召喚することを忘れないための教えだった。
イライザの考え、受けた教えは正しい。
だが今回に限っては、少し過剰だ。
「でも今回は違う。カルトと呼ぶべきかも分からない田舎学者相手に、殺し合いなんて演じなくていい」
殺し合いではない。
相手は武器を持っているだろう。こちらを殺そうとしてくるだろう。
だが、こちらの命は天秤に乗らない。
フィリップのものも、イライザのものも。
「言葉も剣も交わす必要はない。ただ殺せ。惨殺し、虐殺するんだ。多少の武装はしているだろうけど、先代に教えを受けた君なら、この前の縛られた廃人と何も変わらない」
巻藁よりは人間らしい。模造人体よりは血の量が多い。
それだけだ。
それだけの“的”だ。
安心させるような微笑みを浮かべて言い聞かせるフィリップに、イライザは硬い動きで頷く。
フィリップも頷きを返し、さらに続けた。
「王子殿下の情報によれば、目標は八人。分かっているとは思うけど、これは観測された最低数だ。七人殺したなら一人足りないから警戒しなきゃならないし、九人殺したら、まだ見落としが居る可能性がある」
「はい」
少しばかり警戒心を下げ過ぎたかもしれないと、フィリップは大真面目に考えて言った。
尤もイライザとしては、緊張で警戒を解くどころではないのだが。
「よし、じゃあ行こう。カルト擬きの愚劣な脳味噌がどんなサイズなのか、頭蓋を開いて見てみようじゃないか」
「えっ、あっ……は、はい!」
不意に覗いたどす黒く粘性のある憎悪に、イライザは思わず身を震わせる。
しかし、彼女はすぐに好意的な視線をフィリップに向けた。
「そこまで言わせるのだから、殺していい悪人なんだ」と思った──わけではない。ただ、フィリップが彼女にそう思わせようと、敢えて過激なことを言ったのだと分かったのだ。
……まあ、フィリップは三割ほど本気だったが。