なんか一人だけ世界観が違う   作:志生野柱

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 「うぶ、おぇぇぇ……」

 

 人間ではない物品(モノ)と説明した。

 よしんば人間と錯覚しても、生きているようには見えない。精々が死体、もう既に死んでいるモノだ。

 

 それでも、イライザは二体目で吐いた。

 一体目は問題なく首を刎ねたのだが、二体目の腹を裂き、零れ出てきた内臓を目の当たりにして限界を迎えたらしい。

 

 近衛を呼んでゲロを処理してもらい、水を飲んで一息つく。

 顔を拭いていたイライザがタオルを離すと、彼女の顔も蒼褪めていた。流石に、まだ三体残っている人形ほどではないが。

 

 「あ、あの……これ、本当に必要なことなんですか?」

 

 少し休憩して顔の血色が戻ってくると、イライザは不機嫌そうに言った。

 座り込んでいた彼女はフィリップの返事を待たず、跳ねるように立ち上がって、まだ三つ並んでいる模造人体の前に向かった。

 

 「少し離れてください」

 「……」

 

 硬い声に、フィリップは肩を竦めて従う。

 イライザの背後五メートルくらいの位置で見守るが、彼女は聖剣を持ったまま、一向に的に近寄らなかった。

 

 的までは約三メートル。剣が届く距離ではないが──まさか、ミナのように斬撃を飛ばせるのか。

 フィリップはそんな期待を抱くが、すぐに思い直す。イライザの剣技は、精々フィリップと同じか少し下くらいだ。加えてアレは人外の膂力や速度あっての技。

 

 いくら勇者とはいえ、人間に再現できるものではないはず。

 

 「……?」

 

 興味深そうに見守るフィリップの前で、聖剣が俄かに輝き始める。

 同時に、イライザの背中──シャツの下にも光が現れた。初めは十字の形だったそれは、ほんの一秒ほどで輪郭を失うほどに光量を増した。

 

 二つの光は同じものだ。

 夏の日差しのように苛烈で、熱くはないのに火傷しそうだと感じる。

 

 「疑似熾翼(イミテーション・セラフィム)、展開。我が光背は神の威光、全ての邪悪を討ち滅ぼす断罪の翼──!!」

 

 目が眩むほどの輝きのあと、イライザの背には、冷たくも神聖な光の輪と、温かさと力強さを感じさせる、三対六枚の純白の翼が現れていた。

 

 光背には物理的実体が無さそうに見えるが、逆に翼の方には重量感があり、僅かな動きでも風が動くのが分かる。シャツの背中は火でも当てたように焦げて大穴が開いていることから、幻の類ではない。

 

 光輪と翼の中心、背中に刻まれているのはシンプルな十字の紋章だ。

 

 「万軍の主の栄光の焔よ、定められし終わりを顕せ──聖剣プロヴィデンス、《攻撃変化・火(シェイプシフト・フレイム)》!!」

 

 叫ぶような詠唱に応じ、手中にあった剣が輪郭を失う。

 光に包まれていた剣は消え、手の内には一回り以上も大きな炎の柱が現れた。指の間から炎が溢れ、しかし肌を焼くことなくそこに在る。

 

 不思議な感覚だ。

 炎が独りでに剣を形作っているようにも、炎を握ることで剣の形に収めているようにも感じられた。

 

 「はぁ──ッ!!」

 

 気迫を込めて振り抜かれた剣は火勢を増し、三つの的を薙ぎ払う。

 炎の柱が立ち上り、錬金術製の対魔術コーティングを施された床や天井を舐める。イライザを挟んで反対側に居るフィリップだが、六つの翼越しでも凄まじい熱気に全身を打たれて後退った。

 

 「……!」

 

 紅蓮の中に目を凝らし、フィリップは感嘆の息を漏らす。

 水分が多く熱許容量が大きいはずの模造人体は、跡形もなく消え去った。

 

 後に残ったのは、錬金術製の特殊建材(床や天井)に刻まれた焦げ跡だけだ。

 肉塊が骨ごと蒸発するジュッという小さな音は、炎が空気を喰らう轟音に掻き消されて、誰の耳にも届かなかった。

 

 「……これが勇者に与えられる聖痕と、聖剣の力です」

 「おぉー! 凄い! かっこいい!」

 

 イライザが振り返る。

 事を終えたからか、光輪と翼は消え、聖剣も元の無骨な姿に戻っていた。

 

 彼女は平静を装ってはいるが、しかし声色にも表情にも、誇らしげな色が僅かに滲んで隠し切れていない。

 

 対して、フィリップの称賛は純粋なものだ。満面の笑みで、拍手までしている。

 ビームではないものの、児童書に出てきたようなファンタジックな聖剣の力を直接目の当たりにして、目を輝かせてニコニコだ。

 

 イライザは重ねて何か言おうとしたが、その前に幾つもの激しい足音が廊下の方から響いてきた。

 

 「何事ですか!? いま、凄まじい魔力を感じましたが!?」

 「け、稽古場がこんなに焦げて……」

 

 近衛騎士や宮廷魔術師らしき人たちが血相を変えて駆け込んできては、床や天井の傷を見て慄き、一部始終を見ていた助手役の近衛騎士に説明されて出ていく。

 まあ出ていくというか、大興奮で続きを見るために居座ろうとして、「第一王女殿下の命です」と追い出されているのだが。

 

 わちゃわちゃと五月蠅かった野次馬が完全にいなくなる頃には、フィリップの興奮も落ち着き、イライザも水を飲んで汗を拭いて、完全にクールダウンしていた。

 

 「──で、これでなら人を殺せるの?」

 

 フィリップは徐に尋ねた。

 

 イライザは何を言われたのか分からないように一瞬硬直し、不理解と困惑に満ちた曖昧な笑みを浮かべる。

 

 「で、出来るに決まってます。模造人体? だって跡形もなく──」

 「はぁ……。分かってるでしょ、そういうことじゃないよ」

 

 フィリップの溜息に、イライザは怯んだように言葉を呑む。

 しかし、沈黙は長くは続かなかった。

 

 「っ……、人を殺せることが、そんなに偉いんですか?」

 

 覚悟を決めたような表情で、イライザはフィリップを真っ直ぐに見据えて言い募る。

 それは先代にも兄弟子たちにもしたことのない、ひどく感情的な反抗だった。

 

 問われたフィリップは「偉い?」と言葉選びに若干の可笑しさを感じて口元を緩めつつ、何ら悩むことなく首を振った。

 「いいや?」と、半笑いで──「何を言っているんだろう」と面白がりながら。

 

 「いいや? 人を殺すなんて虫にでも出来る。転んで頭を打てば勝手に死ぬ。それを再現できることの何が偉い? 何が凄い? 極論、人間を殺すのに聖痕や聖剣は必要ないし、剣術や魔術の腕前だって要らない」

 

 笑いながらそんなことを言うフィリップに、イライザは思わず目を瞠る。

 

 教える立場だからと見栄を張って口にした言葉ではない。

 それが聞いただけで分かるくらい、重みのない声だった。先のイライザのように自分の能力を誇るわけでも、経験をひけらかすわけでもなく、本当に心の底から、人を殺すことに何の価値も感じていないと分かったくらいに。

 

 気圧されて口ごもるイライザに、フィリップは重苦しい溜息を吐く。

 いや──イライザに向けたものではない。フィリップの全ての悪感情は、もっと大きなものに向いていた。

 

 「先代のオーダーは「僕の満足いくように鍛えろ」だった。でも僕は、ここに関してはもう諦めている。君は僕の要求水準を満たせない」

 「っ、決めつけないでください! 私は勇者で──きっと、カーターさんが認められるような、聖痕者様方と並んで魔王と戦えるような、ちゃんとした勇者になってみせます!」

 

 イライザの言葉は自己陶酔でなく、断固たる使命感に満ちて力強い。

 しかしそれを聞いてフィリップの口から漏れたのは、先ほどより更に重い吐息だった。

 

 「「人間を殺せる」なんて、何も凄いことじゃないんだよ。そんなこと、本来は殊更に望んだりしない」

 

 そんなことを、フィリップは態々求めない。

 人間を殺せるからルキアやステラを任せよう、なんて思うはずがない。判断基準の一つにさえしない。

 

 求めるとすれば、それは。

 

 「“角”に潜む化け物を引きずり出し、前に振り向かなければならない歪んだ空間で戦い、全容の見えない相手を斬り伏せられるようになれ」

 「……は?」

 

 唐突に意味の分からないことを言いだしたフィリップに、イライザは呆けた声を漏らす。

 彼女を説得するためのでっち上げにしては意味不明だし、言葉に淀みがない。しかし、真面目に言っているのだとすれば意味不明すぎる。

 

 困惑するイライザに、フィリップは更に重ねる。

 

 「何を見ても何を感じても何を理解しても決して恐れず、慌てず、狂わず、常にルキアと殿下のことを最優先しろ。殺せと言われれば何であれ殺し、死ねと言われれば忠実に死ね」

 「あ、あの──」

 「これが僕の要求水準。勇者であれ何であれ、ルキアと殿下を預けるに値する最低ラインだ。ルキアと殿下に出来ない、させられないことの全てを求める」

 

 二人は強い。

 フィリップが心配するまでもなく、そこいらの魔物どころかドラゴン相手でも勝てるだろう。

 

 しかし、別にドラゴンは強さの上限値ではないし、「人間と比べたら強い」程度。邪神は言わずもがな、カノンでも条件次第では勝てるだろう。

 まあカノンは殊更に強い印象はないが、あれでもナイアーラトテップがチューニングしたミ=ゴの兵器。躯体は古龍ベースなので、勝てて当然といえば当然だ。

 

 ……なんて言葉を本人が聞けば、また「宇宙空間でなら勝てますよ!」とか言いそうだけれど。

 

 まあ、それはさておき。

 

 ルキアとステラにとっての脅威は、即ち魔王真体クラス以上──神格持ちと推測される数千年級の王龍レベル。

 そして、見ただけで正気を損なうような連中と、凄まじい奇襲性能を持った執念深い狩人。

 

 ()()は別格だ。

 臭いを覚えられたら最後、そこから真っ当な人生は送れないと思っていい。

 

 当然ながら、ルキアとステラが遭遇するようなことは何が何でも避けなくてはならない。いつぞやは本当に肝が冷えた。

 

 あの時はミナが居て、フィリップも本気で、ルキアとステラも危険性を察して本気で自衛して、事なきを得た。まあ他の学生が何人か死亡、もとい失踪したらしいが、そんなのはフィリップの知ったことではない。

 

 あの時と同じくらいの──本気になった四人と同じくらいの守護が出来るのなら、殺人なんてみみっちい仕事はしなくていい。

 

 「それが出来るなら、君は人を殺さなくていい。人間を殺すなんて虫にでも出来るチマチマした作業は、僕がやろう。いや、僕だけじゃない。ルキアも殿下もノア聖下も、きっと学院長も、片手間にやってくれる。勇者様は雑事を僕らに任せ、僕らに出来ないことをやってくれ」

 

 生きている人間も、死んだ人間も、同じ泡だ。

 故にその生死には何ら大きな意味はない。

 

 ただ、生きている人間は他人を殺せる。

 ルキアもステラも戦闘能力的には最強の部類だが、不死身ではない。心臓を刺せば死ぬし、首を斬れば死ぬ。

 

 その肌に刃を届かせるのは至難を超えてほぼ不可能だが、ゼロパーセントではない。コンマ以下幾つゼロが並ぶかも分からないが、何の変哲もないナイフの一刺しで殺される可能性はある。

 

 だが死人はナイフを振り回さない。ゼロパーセントだ。

 

 限りなくゼロに近い微細をわざわざゼロにするなんて雑事は、出来る者がやればいい。フィリップでもいいし、ルキアやステラでもいい。

 

 「取り敢えず、そうだな……まず次元断から始めようか。存在格に劣るヒトという生き物でありながら、或いは神にすら刃を届かせるための第一歩だ」

 「っ……!!」

 

 フィリップが言い終えても、反駁は来なかった。

 イライザは青い双眸を涙で潤ませ、唇を噛んで表情を保っている。泣き出しも、逃げ出しもしないのは、先代の教育故か。

 

 年下の女の子の涙に、フィリップは無感動な一瞥を呉れる。

 しかし一瞬の後、大きな溜息と共に顔を顰め、ガシガシと頭を掻き毟った。「僕は何をやってるんだ」という呟きには、確かな悔恨の念があった。

 

 「……ごめん、意地悪を言ったね。意地悪ついでに言っておくと、僕はそもそも、君が戦うことには反対だ」

 

 意地悪なんて言ってはいるが、それはフィリップの本心だ。

 

 まだ十四歳のフィリップをして「小さな女の子」と思える齢の少女が、剣を携えて殺し合いの場に赴くなんて間違っていると思う。ナイフを持ってお菓子でも作っている方が似合うだろう。

 

 それに──彼女はウォードの妹だ。

 彼が自らの死後を思い遺した手紙に、フィリップに任せたいと書き記していた、彼の唯一の家族だ。

 

 「もっと率直に言えば、君は何もしなくていい。殺人訓練も、殺人も、魔王討伐も。何も知らず、何にも恐れることのない日常を謳歌し、幸せに死んでくれ。長生きしてもいいし、死にたくなったらすっぱり死んでもいい。結婚して孫や曾孫に看取られて死んだっていいし、若くして戦死したっていい。僕が求めるような存在にはならず、人間の範疇で平穏無事に死んでくれ」

 

 叶うなら、ウォードよりも平穏な死に方がいい。

 戦って負けて死ぬのは“普通”だが、穏当ではない。

 

 だが、まあ、それは流石に高望みだろう。

 この無価値な泡沫の世界は、その上、残酷なのだから。

 

 「でも、それは叶わない。君は勇者に選ばれてしまった。全ての国が、全ての人類が、君が魔王と戦うことを望む。だからせめて、君には戦えるようになってもらう」

 「……実戦の経験はあります」

 

 イライザの声は涙に濡れていたが、それでも感情を制御して泣き出すことは無かった。

 

 「でもちょっと精巧な人体模型を二つばかり壊しただけで吐き戻した。膝をついて、剣を置いて」

 

 彼女が吐き始めてから立ち上がるまで五分弱あった。

 早いのか遅いのかフィリップには判断が付かないが、そんな評価には意味がない。

 

 「あれが全部“敵”だったら、君は死んでた」

 

 300回近く死んでいた。

 

 「それなら初めから疑似熾翼を使っていた」という反論は、イライザの中に一瞬だけ浮かんだ。

 

 だが──それでもきっと、その後に吐いていただろう。

 そして、伏兵や撃ち漏らしがあれば。

 

 そこまでを、先代衛士団長の薫陶を受けた優秀な弟子は、言われずとも理解できた。

 

 「……はい」

 「……もう少し反論してくるかと思ったけど、押し殺してない? 今は我慢しなくていい場面だよ」

 「いえ……」

 

 涙で掠れた声ながら、イライザは真剣な面持ちで頭を振る。

 本当に納得したのか、反抗心を押し殺しているのかは、フィリップには分からなかった。

 

 「はぁ……」

 

 人に何か物を教えることの難しさに、フィリップは思わず両手で顔を覆った。

 

 

 

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