なんか一人だけ世界観が違う   作:志生野柱

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 「腐っても神の智慧を記した魔導書です。神格を召喚する手法も記されていますので、油断しないでくださいね」

 「うん。……まあ、僕には普通の魔術の方が脅威なんだけどね」

 

 カノンの言葉に応じるフィリップの声には、今一つ戦意が欠けていた。

 剣対剣での戦闘ならばいざ知らず、邪神を交えた召喚勝負になれば、もはや消化試合でしかない。

 

 警戒も興奮も恐怖も、何もない。

 

 しかし、全くの無感情というわけでもない。

 

 「先達。先達ねぇ……」

 「どうした? お前も魔導書を出せ。宣教師共に渡されているのだろう?」

 

 剣を下げ、ぼーっと呟くフィリップに、興奮冷めやらぬハインリヒは挑発的に自らの魔導書を示す。

 

 赤黒い玄武岩の石板。コステルヌスの黒の書。

 啓蒙宣教師会に与えられた、聖痕者すら殺し得る力の象徴。

 

 「うんうんうん……あぁ駄目だ。()()()()()()

 

 呟き、自分の思考に自分で驚く。

 誰に何を言われようと、全ては泡沫。どれほどの罵詈雑言も、本質を思えば全く足りない。──そんな風に思っていたが、やはり、()()は例外らしい。

 

 「僕はお前の同輩ではないし、宣教師なんぞの啓蒙を受けたこともない。不愉快極まる」

 

 歌が止む。

 静寂が広間を埋め、冷たい空気が満ちていく。

 

 アンテノーラはフィリップが何を言っているのか、これから何が起こるのかを全く知らない。

 しかし生きた楽器である彼女は、所有者であるフィリップの求めることを正確に把握して演奏を止めた。或いは、指揮者であるトルネンブラの指示かもしれないが。

 

 もう、歌は必要ない。

 腕力も動体視力も反射神経も外皮強度も治癒能力も、上位吸血鬼と対峙するのに必要な要素の何一つ、もはや必要ではない。

 

 これ以降は、もはや殺し合いではないのだ。

 

 「……あの、吸血鬼相手には邪神砲は撃たないのでは?」

 

 明らかに空気が変わったのを察し、カノンが恐々と尋ねる。

 

 確かに、フィリップはさっきそう言ったし、考えは今も変わっていない。

 吸血鬼と戦って負けそう、という理由では、邪神を召喚するには不足だ。

 

 だが……それも含めて、もうどうでもいい。

 ブチ殺したいからブチ殺す。それだけだ。

 

 ──とはいえ、それが良くない思考だというのは分かる。あまり人間的ではないと、十分に自覚している。

 

 「そうだね。うん、たったいまそう言ったね。だから──」

 

 だから──状況を変えよう。

 

 吸血鬼如きには撃たない。

 だがもっと危険な状況、やむを得ない状況になれば、その時は心置きなく切り札を使える。

 

 「先に撃たせてやる。僕に前言を覆す言い訳を寄越せ。そしてお前が喚んだモノに、お前自身を殺させよう」

 

 邪神が出てきたら、それはもう仕方がない。

 “歌”があろうがカノンの援護があろうが太刀打ちできないのだから、こちらも邪神を呼ぶしかない。

 

 そういう状況なら、外神が絡んできても納得できる。

 

 「愉快なほどに傲慢だな! では見るがいい! 我が求めに応じ現れる力の権化──真なる闇を!」

 

 ハインリヒは爪で自らの掌を裂き、傷口を石板に押し当てる。

 だくだくと流れ出る血が赤黒い火山岩に染み入ると、淡い輝きを放ち始めた。

 

 吸血鬼の血は生命力の塊。

 それを相当な量、吸い込んでいるように見える。恐らく、本来は多くの生贄を要するような魔術なのだろう。

 

 ──そんなことより、聞き捨てならない名前が出たような。

 

 「え?」

 「……んぇ?」

 

 フィリップと、少し遅れてカノンが困惑の声を上げ、顔を見合わせる。

 困惑のあまり、二人してアンテノーラの方を向く始末だ。勿論、一番何も知らない彼女からは、二人以上の困惑顔だけが返ってきた。

 

 真なる闇。無名の闇。名付けざられし子──或いは、ただ“闇”と。

 そう呼ばれる神格を、フィリップは知っている。

 

 外神だ。それもアザトースが直接産み落としたモノ。

 白痴の魔王は自らを千切り喰らい、時に膨大なエネルギーを秘めた種を蒔く。その殆どは内包する力の強さに負け自壊するが、新たな神として確立するモノもいる。

 

 その中で主たるものは三柱。

 無名の霧。無名の闇。そしてナイアーラトテップ。

 

 無名の霧からはヨグ=ソトースが、無名の闇からはシュブ=ニグラスが生まれた。

 

 まあ、時間の縛りを受けない外神に前後関係なんて有って無いようなものだけれど──真なる闇は、系図上はシュブ=ニグラスより上位に位置するモノだ。

 

 三次元世界への干渉回数はゼロ。

 化身を象ることは無く、明確な目的や具体的な行動をとることのない、典型的な上位神格。

 

 望めば叶う。故に、望むものがない。

 全て満ちている。故に、快も不快も、進歩も停滞も衰退もない。

 

 ただ在る──ただ君臨する。

 万物を夢見る最大神格(魔王)に、かなり近い在り方──かなり近い存在と言える。

 

 当然、召喚されたら不味い。とても不味い。

 旧神なんぞがどうこうできる相手ではないが、あの宮殿に小窓でも開け彼の存在の毛先程度でも入れば、三次元世界など容易に弾け飛ぶ。

 

 つまり──地球本来の神々である旧神、その守護者であるヴォルヴァドスが、絶対に手を出すはずのないモノだ。

 

 「見ろ! 禍々しくも荘厳なる威容を! これこそが神! 唯一神も、魔王すら歯牙にもかけぬ力の化身!」

 

 九節三唱、二十七節の賛美歌が詠われる。

 以て──旧神の魔術が起動した。

 

 現れ出でるは禁じられた黒き混沌。無限の夜の落とし仔。

 無数の口、無数の目、鱗で覆われた不定形の体躯を持つ不浄の存在。

 

 皺だらけで悪夢じみたその姿を目にしたものは、恐怖のあまり全ての筋肉、全ての細胞が沈黙を選び、生きたまま石に変わってしまう。

 それは神の力によるものではなく、絵画や記憶の抽出といった方法で相対することなく姿を見た者にも降りかかる。

 

 「あぁ、うん……。……えっと、それで?」

 「……何?」

 

 恐れはない。慄きもない。

 フィリップもカノンもアンテノーラも、三人の微妙な反応を見たハインリヒも、この場の誰もが眉根を寄せた困惑顔だった。

 

 「()()()()()()()()()。ゾス星系にルーツを持つクトゥルフの系譜。星外存在、神と呼ぶべき強大な生き物だ。確かに唯一神や魔王よりは上等だし、剣や銃で太刀打ちできる相手じゃない」

 

 形容しがたく理解できない、しかし一目で邪悪さを悟らせる外見。

 その恐ろしさのあまり、人の肉体が自ずから停止する。──そう聞くと、まあ、確かにすごい感じはする。

 

 だが、ガタノソア自体にそういう機能があるわけではない。

 メデューサやゲイザーの持つ石化の魔眼、吸血鬼の持つ麻痺や拘束の魔眼のような、魔術的な作用ではないのだ。

 

 勿論、それでこそ上位存在だ。

 同じ空間に在るだけで、劣等存在には害になる。そのレベルから、ようやく上位存在と呼べる。

 

 しかしフィリップと、カノンと、アンテノーラ──恐怖心の欠けた、或いは恐怖の閾値が異常に高い破綻者たちには、「恐怖故の石化」が生じない。

 

 というかむしろ、恐怖しているのはガタノソアの方だった。

 

 「……そして、馬鹿じゃない。ヴォルヴァドスの魔術で無理やりに呼び出され、君に従属してはいるようだけれど、今も身体の支配権を取り戻そうと必死に──死ぬ気で抵抗してるんじゃないかな」

 

 蠢動する黒い塊は、心なしか震えているように見えた。

 それが旧神の守護者に受けた戒めへの抵抗なのか、恐怖心の表れなのか、或いはもっと別な理由のある動きなのかは分からない。

 

 しかし少なくともフィリップが邪神の側で、「魔王の寵児」なるモノを殺せという命を受けて呼び出されたら、その物を知らない底抜けの馬鹿野郎から殺す。

 殺し方次第では──魔王の寵児を楽しませれば、恩赦が与えられるかもしれないという希望に縋って。

 

 「……でも、その割には君にダメージやフィードバックがある風には見えないし、優秀な魔導書だね。黒の書……ヴォルヴァドスが優秀なのかな」

 

 旧神とは、地球で生まれた地球の神──つまり最大でも46億年程度の存在歴しか持たない。

 ヒトの信仰に依る存在なら、人類の進化に伴う脳機能の発達を考えると、最大でも50万年くらいだ。

 

 まあ膨大な年月ではあるが、年月(時間)で語られる時点で低劣だし、そもそもヴィカリウス・シルヴァの存在歴が4億年だ。幼女に負けているようではお話にならない。

 

 ともかく──人間と共に生きてきた神格だからこそ、人間にも邪神を扱えるような魔術を組んでいたのかもしれないと、そういう話だ。

 

 そんな考察をする程度には、眼前の光景はフィリップの興味を惹いた。

 そして、それだけだった。

 

 もういいかな、という気分になりつつあった。

 

 「ガタノソアがぷるぷるしてるのを見てるだけではつまらないし──あぁ、折角だ。“本物”に遭わせてあげようか?」

 「な、何を……いや、なぜ恐怖しない。なぜ逃げない? なぜ首を垂れない? なぜ自ずから石になることを選ばない!?」

 

 ハインリヒは石板に指を這わせて記述を読みながら、視線をフィリップたちと魔導書に彷徨わせる。

 指先は文字列をなぞっていたが、動揺のあまり文字は読めても単語や文章の意味を理解できなくなっていて、あまり意味は無かった。

 

 そんな様子を見て──ぷるぷる震える不定形の邪神と吸血鬼を見て、フィリップは愉快そうに笑う。

 

 そして、ふと思いついた。

 面白い幕引きを。或いは、面白い幕引きを作る方法を。

 

 「“真なる闇”──そう聞いて、なぜ僕らが困惑したのか。そして君が呼び出したコレを見て、なぜ拍子抜けしたのか。教授して差し上げよう──()()()()()()()()()()()()

 

 ──揺れる。

 

 広間が、城が、街が、人々が、獣や虫が、木々や巌が、大地と大気が震え、鳴動する。

 これから起こることを理解した世界が、恐れ、慄き、戦慄いているかのように。

 

 ように、だ。

 本当は違う。

 

 ()は喜んでいるのだ。歓喜に打ち震えている。

 

 「な、んだ、これは……!? 何が起こっている……!?」

 

 ハインリヒが声を震わせる。

 こちらは正真正銘の恐怖と混乱によるものだ。

 

 「他の連中に会わせる必要はない。僕と同じ目に遭ったんじゃあ、末路としてはつまらない」

 

 カルトである。

 それだけで、「なるべく苦しんで死ね」と唾棄し、最も凄惨な死に様を晒すように知恵を絞り趣向を凝らすには十分な理由だ。

 

 ()()、かの宮殿に投げ出す必要はない。

 時間の流れの外側、上位の次元に位置する宮殿を語るには不適切な表現だが──1秒と保たず、存在の核が崩壊する。それでは面白くない。

 

 まあ尤も、“闇”に遭わせたとて、人間の思考や愉悦を解すかどうかも未知数の外神が、面白い結果を齎してくれるのかは未知数だが。

 

 「ついでだ。君にも教えておくよ、アンテノーラ。君を見初めたトルネンブラが、君の所有者である僕がどういう存在なのか──少しは分かるんじゃないかな」

 

 

 

 




 お前、ちょっと面白いことしてみろよ(パワハラ)
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