なんか一人だけ世界観が違う 作:志生野柱
荒廃した玉座の間に、天上の美声と竪琴の音色が響き渡る。
身体強化は事前に訓練しておいた上限値、上位吸血鬼相当。音速を見切り、防ぐ領域。
全速を出すと、ほぼ全ての判断を予測と反射に頼ることになる。
今のフィリップの戦闘技術では、この速度帯までしか対応できない。これ以上速くなると、予測と反射の精度が落ち、逆に拙く弱くなるからだ。
「というか……カノン、なんか遅くない?」
「そりゃあ、あの“歌”ってフィリップ様に向けられた、フィリップ様だけのためのものですからね。私には強化が乗ってないんですよ。まあ、どうせ私は体内構造が人間とは違うので、そもそも歌は効かないんですけどね」
言われて思い出したが、カノンはそもそも生物ではない。
生物由来の有機パーツを組み合わせて製造された兵器、ミ=ゴの環境整備用ツールだ。
人間由来の部品がどの程度組み込まれているかは知らないが、ベースは古龍だと聞いている。骨格や筋肉は人間のモノではない。
「まあ、古龍に効く歌なら私にも効きますけど、それだとヒトには効果がないでしょうね。おっと、来ますよ!」
カノンの警告に引かれて目を向けた先、ハインリヒの姿が掻き消えた。
音速が破られる。
腹、胸、首。
三つの急所を一息に狙う三段突き。金属同士が擦れ合う甲高い音と、独特の破裂音が重なった。
「重っ……!」
歌によって引き上げられた速度に物を言わせ、不可視の三連撃に無理矢理に追い付く。
ただ速いだけではない。同じロングソード、同じ膂力とは思えないほど、一撃が重い。単純な出力だけでなく、基本的な技量が卓越しているのだろう。
予想通りだ。
刃を逸らすことに全霊を注ぎ込み、急所への被弾をどうにか避ける。
外皮強度もそれなりに引き上げられてはいるが、上位吸血鬼の本気を真っ向から受け止めては、流石に徹るだろう。
「
ぱっと赤が散る。
脇腹に、肩に、頬に、逸らし切れなかった刃が掠めた。逸らすだけでなく身を躱したはずなのに。
内臓や主要血管は無事だが、浅くはない。一瞬でそこそこの量の血が出る傷だ。
空間を満たす歌声が、また少し変調する。
じわじわと溢れていた血が止まり、痛みが消えた。ハインリヒを警戒しつつ目を向けると、傷は完全に塞がっている。
「ほう! その程度の薄傷では立ちどころに癒えるか! では──次は心臓を貫こう!」
ハインリヒが哄笑と共に突撃する。
恐らくは全速、歌によって強化された動体視力でも残像を曳く速度だ。
動きの起こりくらいしかまともに見切ることは出来なかったが、何処を防ぐべきかは明瞭だった。
──首だ。
「おや、バレたか」
血の長剣を龍骸の剣が防ぎ止め、甲高い金属音が鳴り響く。
どちらの得物も純粋な金属ではないからか、火花の一片も散ることはない。その代わりのように、魔力の残光が空気を彩る。
血の赤色と、付与魔術の淡い青。
赤色は一直線に、フィリップの首元へ走っていた。青はそれを見越したかのように、最短距離で防ぎ止めている。。
「どこを狙うか正直に言ってくれるのは、訓練中でさえミナだけだ……よッ!」
フィリップは片足を下げ、地面を踏む力を剣に乗せる。
骨格と筋肉が完璧に連動し運動量を伝えられれば、それはつまり、蹴りの威力が剣に流れると言うこと。脚を上げ隙を晒すことなく、相手に蹴りと同等の衝撃を与える技術だ。
衝撃と言っても打撃的なダメージはない。
伝わるのは運動だけ。つまり、押し退ける力だけだ。刃が触れていれば圧し切ることも出来るだろうが、今は鍔迫り合いの状態。有意なダメージは望めない。
それでいい。
いや、鍔迫り合いの状況を脱すれば何でもいい。この距離では技量の差が顕著になり過ぎる。勝ち目がない。
「おっと。ははは……! 流石は鞭使い、力の流し方はオレ以上かもしれんな?」
ハインリヒが一足で10メートルも後退する。
蛇腹剣は伸長しても届かず、クイックドロウも必中圏外。だが、今のフィリップもハインリヒも一足で詰められる距離だ。
「そら、次だ──!!」
予想通り、彼我の距離は一瞬で埋まる。
しかし──予想の倍の速さで、眼前に赤い切っ先が到達した。
「──ッ!?」
投擲かと一瞬だけ錯覚したが、違う。ハインリヒの動きはそうではない。
その手中にある武器が変わっている。血で編まれた長剣が、いつの間にか長柄の槍に変じている。
だが突きだ。予想した通りの攻撃だ。
“歌”によって強化された速度に任せ、反射的に刃を交えて穂先を逸らす。長柄の武器なら、特性上「逸らす」方向の力には弱い。
火花の代わりに残光を曳きながら攻撃を受け流し──強烈な悪寒に引っ張られるように、フィリップは『拍奪』の疾走体勢に移る。身を投げ出すように伏せる。
その頭上、ちょうど首があった位置を、血の大鎌が空気を切り裂いて通り過ぎた。
「っぶな……ッ!」
極度の前傾姿勢となったフィリップは、また首の後ろが焦れるような感覚に襲われる。
反射的に飛び退いた直後、赤いウォーハンマーが床を打ち、重い打撃音と石の割れる甲高い音が響き渡った。
「はははは!」
ハインリヒは哄笑しながら追いかけ、血で編まれたショーテルを振るう。
反射的に剣で防ごうとしていたフィリップは、防御をすり抜けるように湾曲した独特の刃型を見るや、剣を手放してハインリヒの手首を掴んだ。
そのまま半身を切って懐に入り、全ての体重と地面を踏む力を肘一点に集め、当てる。
──変則頂心肘・穿槍。
“歌”で強化された身体能力を以てすれば、上位吸血鬼の骨を砕き内臓を潰す一撃。
「おっと!」
腕を引きながら身を入れた。足は完全に相手の内を取っている。
流石に霧化も間に合わないと確信できる一撃だったが──流石に、蓄積が違う。
肘が胸に触れる寸前、ハインリヒはギリギリのところで腕を入れて防いだ。
「クソっ」
骨が粉々に砕ける感触はあった。だが威力が内臓に届いた感じはない。砕いたのは腕の骨だけで、肋骨も無事だろう。
フィリップはそのまま懐を掴んで投げようと試みたが、流石に霧化されて逃げられた。
「意表を突いたつもりだったが、存外付いて来られるじゃあないか! 組み討ちのセンスもいい!」
「全部知ってる武器だったし、先生が良いんでね……!」
霧化を解いたハインリヒは楽しそうに笑う。
砕いたはずの腕は完璧に元通りだ。見せつけるように血の長剣を弄んでいる。
フィリップも手放した龍貶しを拾い上げ、両者は再び対峙した。
「ははっ! 重畳! もっと楽しませてくれ!」
「私を忘れて貰っちゃ──困りますよッ!」
楽しそうなハインリヒの背後、滞空したカノンが踵落としを繰り出す。
狙いは頭──ではなく、肩だ。正確には左鎖骨。蹴り砕けば腕が上がらなくなるが、そういうことではない。
鎖骨と胸郭の隙間から反応刺胞装甲を通し、心臓に腐敗毒を打ち込むのだ。
「おおっと! ははは! なんだその気配の消し方は! 人形のように希薄だな! 面白い!」
残念ながら奇襲は失敗。
樫の木を折り倒す威力の蹴りは血の長剣に防がれ、飛び出した刺胞装甲が斬り飛ばされて黒い飛沫が舞った。
カノンを陽動としたフィリップの連携攻撃も、純粋な剣技で返される。
両者の距離は再び開く。約15メートル──視覚的には広いが、まだ一足の間合いだ。
「なんかこいつ、性格変わってませんか?」
フィリップを庇う位置に立ったカノンが、ひそひそと囁く。
意外と余裕そうだなと思いつつ、フィリップ自身も口角が上がっていることには気が付いていない。
「戦闘中に興奮するのは珍しくないでしょ」
ファイターズ・ハイとでも言えばいいのか。
強度の高い運動、痛みや死を間近に感じる緊張感、実際に受けた痛みへの反応──そういった様々な要素が大量の脳内麻薬を分泌し、性格が変わるほど極度の興奮を齎すことはある。
フィリップだって、なんだかんだ戦いを楽しみ始めているのがいい例だ。
これ以上一秒だって、眼前のカルトが愉快そうにしているのが許せない──平時ならそう考え、苛立ちを募らせているだろうに。
「でもこいつ
「確かに……?」
言われてみれば、とフィリップも改めて疑問を抱く。
そもそも吸血鬼がどこまで人間の体内構造を残しているのかは不明だ。一応、心臓はあるが──呼吸していないから肺は要らないし、食事も消化されず魔力に分解されるから消化器系も必要ない。
しかし声を出している以上、呼気によって声帯を震わせるという仕組みではあるはず。
身体を動かしているのは筋肉か? であるなら脳や脊髄からの電気信号を受けて駆動している? しかし上位の吸血鬼は脳が破壊されても問題なく戦闘行動が可能だ。
「解剖とかしてみます?」とカノン。
知的好奇心を満たすだけなら、帰ってからミナに聞けばいいだけの話だが──アイデア自体は面白い。
「ふむ……生きたまま腑分けるっていうのは、確かに、いい責め苦になりそうだ。ハスター辺りに拘束させて……なんて、言ってる場合じゃないな。感覚が馴染み始めた」
フィリップは自分の掌を見つめ、嘆息する。
身体の違和感が無くなってきた──時間切れだ。これ以上の高出力戦闘、“歌”の摂取による身体能力のブーストは、人間的感性への悪影響がある。
「? 良いことじゃないですか」
「馬鹿。歌の効果がない状態が“普通”なんだ。それに不満を感じるようになったら、いよいよ人体を見限りかねない」
首をひねるカノン。
その辺りの実験はルキアとステラ監視……もとい監修の下、かなり厳密に重ねたはずだが、と思ったフィリップだが、突っ込む前に思い出す。カノンは実験の場には居なかったと。
「ふぅん、難儀ですねえ。それで、どうなさるんですか?」
「どう、と言われてもね。こいつを見逃して撤収、なんて選択肢は無い」
「邪神砲ドーン! で終わらせればいいじゃないですか」
カノンは適当そうに言う。
出会った時には「神の名前を軽々に口にしないで」とか言っていたというのに、今や邪神を一個の手段、道具扱いだ。
ナイアーラトテップの教育の成果だろうかと頭の片隅で考えつつ、フィリップは眉根を寄せて思索する。
「……上位吸血鬼って、邪神を使ってもいいレベルかな?」
フィリップは真剣に問いかける。
だが今は──たかが上位吸血鬼と剣術勝負をして負けそうというだけの状況で、果たして邪神を召喚するのは適切なのか、判断が付かない。
「邪神という強大な存在を使うべきか」なんて、殊勝な疑問故ではない。
迂闊に邪神を使うと、また何かの弾みで外神が介入してくるのではという、経験由来の懸念があるからだ。
「拗らせてますねぇ……」
カノンはマスクの下で引き攣った苦笑を浮かべた。
フィリップは結局のところ、面倒を負うリスクを厭っているのだ。ただしそれは、上位吸血鬼などという些事で呼び出され顎で使われる邪神の不興を買うのでは、というリスクではない。
道具が不機嫌になるなんてことを、フィリップは端から想定していない。
離反や不服従の可能性を、頭の片隅にも浮かべていない。
ただ外神が面倒を持ち込むリスクだけを、純粋に心配しているのだった。
「……まあ、仮にまたシュブ=ニグラスが街を踏み潰したとして、フィリップ様が厭うようなことはないのでは?」
「え? いや、確かに今回はルキアも殿下もいないし……いやでもミナが居るし、なるべく介入して欲しくはないけど」
そもそも「外神が介入した」という事実そのものが気に入らないと言うか、流石にそれは不味いという意識はあるので、迂闊なことはしないと決めたのだ。
帝都に大穴を開けたとき、一番の関心事はルキアとステラの無事だったが、それを抜きにしてもやらかした自覚はあった。
「じゃあ、そうなさればいいじゃないですか。「なるべく」邪神を使わず、使ってもいいと思う状況になったら撃つ。それでいいのでは?」
「まあ、ね。そうなるとやっぱり、吸血鬼如きには撃ちたくないな」
ハインリヒ個人がどうこうではなく、「吸血鬼と斬り合って負けそうだった」程度の理由では、流石に外神の介入を許容できない。そのリスクを呑めない。
二人の会話──密談と言うほど声を抑えていなかった──は15メートル先にも筒抜けだったようで、吸血鬼は興奮を露に目を瞠った。
「おぉ! お前も邪神招来の魔術を使えるのか! 流石は先達、といったところか」
お前
そしてそこに、フィリップは引っ掛かりを覚えなかった。
ここに来るまでに見た壁一面の落書きに、この広間に描かれた魔法陣。どれもこれも稚拙だったが──間違いなく、一歩踏み出したものではあった。
正道から外れた、邪道に属するものだった。
なら、まあ、
「では──本番前の予行演習と行こう」
ハインリヒは豪奢な衣服の乱れを正し、懐から黒い本を取り出した。
──いや違う。本ではない。
ちょうど本のようなサイズではあるが、それは淀んだ血のような色をした火山岩だ。
表面に彫られた文字を思えば、石板、と言い表すのが正しい。
フィリップを庇う位置に立ったカノンが、それを見つめて言った。
「フィリップ様、あれはコステルヌスの黒の書──旧神たちの守護者にして、この星に封じられた旧支配者たちの看守、旧き神ヴォルヴァドスが、自らの知恵を古代人に書き留めさせた魔導書です」
それは、神の手になるモノであると。