なんか一人だけ世界観が違う 作:志生野柱
玉座の間、とハインリヒは言ったが、通された広々としたホールに玉座は無かった。
玉座どころか、およそ内装と呼べるものが殆ど無い。
……いや、天井に大きなシャンデリアがあった。
壁面にもステンドグラス調の飾り窓があったが、単なるモザイクパターンで、本物のステンドグラスではない。
床一面に敷いてあったと思しきカーペットがほぼ全て焼かれ、剥き出しになった石の床に、これまた邪悪言語を用いた巨大な魔法陣が刻まれている。
そっちに意識が向きすぎて、壁や天井まで気が回らなかった。
「本に書かれている通りに写したんだが、どうにも上手く行かん。知恵を貸して貰えると嬉しい」
ハインリヒに促され、フィリップは直径10メートルはある魔法陣の周りを歩き、検分する。
別に領域外魔術が大得意というわけではなく、むしろ魔術と名が付く時点で不得手な方ではあるのだが、魔法陣を読み解くだけなら簡単だ。
まあ数式を読めることと解けることが全く別であるように、魔法陣を読解出来ることと、魔術を行使できることはまた別の話なのだが──破綻箇所くらいは分かる。
「……もしかして、魔術苦手? 普通に魔法陣として破綻してるところあるけど。邪悪言語の文法もおかしいけど、それ以前の問題だよ」
「む。どこだ?」
貴族然とした豪奢な装いのハインリヒが床に膝をつき、立ったままのフィリップが爪先で示した部分を修正する。
その光景には何とも言えない違和感と、妙に倒錯的な雰囲気があった。
……ちなみに。
フィリップはどのタイミングで不意討ちするかを、ずっと考えている。
今も、このまま顔面を思いっきり蹴り抜きたい衝動を抑えるのに苦労している。
だが、流石に正面からは駄目だ。
奇襲でも速度差で対応される。蹴りのモーションに入った瞬間に、こちらの軸足を斬り飛ばされたって不思議はない。
それに、顔を蹴るだけではつまらない。
もっとこう──魔法陣を書き換えて、
そういう面白みのある奇襲がいい。
まあ邪神召喚はともかく、時間遡行魔術の魔術式なんか知らないので、当然ながら魔法陣に書き起こすことも出来ないのだが。
「お前、魔力は貧弱だが魔術には詳しいな。それも現代魔術にまで」
「ん、まあ、これでも学院卒だからね。最後の方は魔術実技が零点だったから、理論分野で九割取らないと卒業できなかったし……」
試験前は本当にキツかった。
主にナイ教授の煽りが。普通に教え方が上手くて、理解できなかったら自分の頭が悪いのだと分かってしまうところが、特に。
「ほう。最近の魔術学院は非魔術師も入れるのか。それとも、
「ははは……」
面白い。
正解だし──不正解だ。
“こちら側”などという言葉を使えるほど、ハインリヒは踏み込んでいない。
正道から外れた智慧はあるらしいが、フィリップと同列に語るほどではない。当然に。
「なんにせよ、会えて良かったし、殺さなくて良かった。主目的以外に、これほど優秀な同輩を呼べるとは。オレの運も中々捨てたものではないな!」
ははは、と、フィリップはまた笑った。
意識して笑顔を作り、笑い声を上げた。吸血鬼はこちらに背を向け、一生懸命に魔法陣を修正していて、フィリップがどんな顔をしているかなんて気にしていないが。
けれどそうしなければ、口から出るのは罵詈雑言だっただろう。
そして──それはそれとして、左手は主人の努力を裏切った。
いや、むしろ努力に報いたと言うべきだろうか。
内心を埋め尽くす憎悪の炎を懸命に抑え込もうとしていた主人を裏切り、努力の成果を完璧な形で出力した。
曰く、剣の秘奥の一つは「無我」である。
自分自身でさえ剣を振ったことに気付かない、自我も反射も無くした純粋無垢にして最速の一閃。意識を夢中に置き忘れたかのように、剣を振ったことに自分自身すら気付かぬほどの無念無想の中、自らの研鑽の全てを一切の邪念無く振るう。
それに近い現象だった。
フィリップ自身としては、もう少し泳がせるつもりだったのだが──フィリップの左腕は「ブチ殺す」を実行した。
「──ぐ、ッ!?」
苦痛に呻く吸血鬼。
鮮血が舞い、魔法陣が汚れる。
背後からの銃撃。
この距離では避ける方法は一つ、殺気を感じて動くしかない。弾丸は超音速で飛翔し、銃声を聞いた時には当たっているからだ。
そして、フィリップの殺気を感じ取るなんて芸当は、ハインリヒには不可能だった。
吸血鬼が人間の殺気に反応すること自体が難しいが、そもそも、フィリップの殺意はもう振り切れている。カルト野郎に同門呼ばわりされた瞬間から最大値に固定されていて、感情の揺らぎを察知する能力に長けていても反応できない。
故に、その不意討ちは完璧だった。
死角から回避不能な一撃を急所に過たず──0.05秒のクイックドロウを以て、吸血鬼の心臓に風穴を開けた。
「何の真似だ……!」
「──あぁ、しまった。もっと面白く殺したかったのに」
フィリップは苦々しく独り言ちる。
吸血鬼の困惑と、それ以上の怒気になど一片の気も払っていない。
奇襲自体は成功だ。
防がれることなく命中し、急所に当たった。流石に大量のストックを持つ上位吸血鬼だけあって即死ではないが、それでも有意なダメージが入っただろう。
そんなことは望んでいなかったのだが──もっと愉悦に満ちた殺戮を、凄惨な死をこそ望んでいたのだが。
「でもお前が悪いよ。この僕を、何度カルト呼ばわりした?」
鬱陶しそうに、フィリップは言う。
まあ実際のところ「同門」だの何だのと呼ばれた回数自体には、それほど関心はない。
同輩だと勘違いされたことも不快ではあるが、端的に言えば殺意ポイントに多少のプラスがある程度。そして、無限には百を足そうが億を足そうが変わらない。
「いい加減、我慢の限界らしい。惨く死ね、劣等存在」
他人事のような口ぶりは、先の一撃──
無念無想ではなかったが、確かに雑念は無かった。
「ふはっ……! そうか、そうだったか! ならば讃えよう! オレの四百年を掻い潜り、心臓を穿ったその憎悪! 人の心に余る激情を抑え込み、千載一遇を確かに獲った!
ハインリヒが立ち上がる。
胸に空いた穴は完璧に塞がり、哄笑には痛みの余韻すら無い。
「で、どうする!? あと千度、この首を落とせるか!?」
奇襲が余程気に入ったのか、或いは吸血鬼も人間同様、痛みに反応して興奮物質が分泌されるのか。ハインリヒは楽しそうに吼える。
対して、フィリップは冷めたものだ。というか、冷静にならざるを得ない。
残りストックは1000オーダーらしい。
本気になった上位吸血鬼を一度でも殺せれば大金星だ。膨大な命を持つが故に負傷に対して無頓着、とかなら可能性は見えるが、ハインリヒは違いそうだ。
ミナはストック総数10万オーバーだが、バイタルゾーンへの被弾は避ける。心臓だけでなく、首や頭、腹なども含めて。
同系統のきちんとした戦士だとしたら、あとは出力と技量のぶつけ合い。つまりは負け戦だ。
まあ、勝つとか負けるとか、そんな無駄な思考はフィリップにはないけれど。
あるのは一つ。
「うるさい。死ね」
強敵相手。だが怯懦はない。
あるのは憎悪。それ由来の殺意。純粋無垢な渇望のみ。
倒れ込むように前傾し、そのまま踏み込んで距離を詰める。
抜き放った人造の魔剣は四メートルの尾となって後に続き、青白い残光を曳いた。
「──縮地。そして拍奪か。くだらない、小手先の技だ」
移動速度自体はそれなりだが、位置を錯覚させる効果が強力な、独特の歩法。
良く練られた動きではあるが、しかし、足りない。
「二つの目を使い遠近感を正確に把握できるオレたちは、間合いを測る能力に長けている。それは武術を修めている者ほど顕著であり、拍奪はその感覚を逆手に取ることで真価を発揮する」
多くの研鑽と経験を積んだ戦士であれば、対峙した瞬間に「間合い」が分かる。
相手の一歩長、腕の長さ、関節の可動域、得物の長さ。そうした多種多様な要素から、相手の攻撃圏を把握し、自身の射程と合わせて安全な距離を測る。
多少の心得があれば、まあ、真似事は出来る。
問題はその精度。白刃戦は誤差2.5センチで無傷と即死が分かれる世界だ。
見積もりが実態より大きければ、こちらの2.5センチが足りない。
逆に見積もりが実態より小さかった場合、「なんで」と思いながら死ぬことになる。
故に、多くの経験を積んだ──多くの戦闘を生き残ってきた者ほど、より正確な見立てを持つ。
一歩長約70センチ。上肢長も同じく約70センチ。ロングソードは約1メートル。そのオーダーで、2.5センチを測り取る。指先よりも短い間合いに命を賭す。拘泥する。
拍奪はそこに刺さる。
一歩早い。或いは一歩遅い。それはまあ、大きな差なのだろう。
「見えている位置にいない。居るはずの位置にいない。予測を外すことで防御や迎撃の拍をずらし、その空隙に攻撃を繰り出すことで、必中必殺の一撃とする」
──
人間の一歩。人間の一手。なんとも矮小な優位性だ。
「だが──お前の一挙手一投足の内に、オレが何歩を刻めると思う?」
本来は一歩分の時間。
そこに縮地で一歩、拍奪で一歩。三歩分に誤魔化してみせて──それがどうしたというのか。
吸血鬼であれば十歩、研鑽を重ねた個体なら十五歩を刻める。
力も速さも足りない技頼りの劣等生物を、余裕を持って切り刻める。
「オレとお前では出力が違う。加減はしてやる。この昂ぶり、醒めさせてくれるなよ!」
「──ッ!」
音速を超える蛇腹剣の一撃を、ハインリヒは血の剣を作り出して弾いた。
空気を爆ぜさせる独特の破裂音を伴う超高速の攻撃に、剣を作り、防ぎ止める、二工程の動作を間に合わせた。
龍骸の刃も血の刃も強靭で、火花が飛び散ることはない。
フィリップの手に返るはずの衝撃も、水の如き柔軟さで吸収してくれる。音速を凌ぐ速度の防御が、そのまま腕を壊す反撃にはならなかった。
だが、防がれたことを知覚した次の瞬間には、もう目と鼻の先に赤い刃がある。
投擲──ではない。一瞬でほんの一歩先にまで距離を詰めたハインリヒの、何の変哲もない突きだ。
普通に踏み込んで、普通に突いてきた。
何の工夫もない動き、純然たる速度に物を言わせて。
出力の違い──基礎能力の圧倒的な隔絶。
「動きは悪くない。だが人間の限界値には程遠く、たとえその域でも
刃は寸止めだった。
切っ先は喉笛に突き刺さる1センチ手前で止まっている。
フィリップはまだ生きている。生かされている。恐らくは、ただの気まぐれで。
上位吸血鬼がなんとなく、ちょっと戦う気になったから──まだ遊べそうな玩具を壊さずにいる。
剣を引いたハインリヒはフィリップを見据えたまま、たった一度のバックステップで十メートルほど下がった。
仕切り直し、ということだろう。
「……仰る通り。でもまあ、やりようはある」
蛇腹剣を直剣形態に戻し、フィリップは喉元を擦りながら肩を竦める。
ハインリヒに言われるまでもなく、彼我の力量差は思い知った。
ちょっとこれは、惨殺とか言っている場合ではない。もう少し冷静だったら、全力で距離を取って邪神を呼んでいただろう相手だ。
だが、今は違う。
今のフィリップには、もう少し使い勝手のいい手札がある。
「お前と同じだよ。或いは逆かな。お前は内向的な解決策、
「……
ハインリヒは愉快そうに笑い、剣を構える。
だが斬りかかっては来ない。
クイックドロウも超音速の銃弾も、正面からなら対応できる自信があるのだろう。
そしてそれは過信ではない。
飛来する銃弾を見てから躱すことだって出来るだろう。そんな奴と真っ向から斬り合うなんて、むしろその方がどうかしていた。
化け物と斬り合うなら、それ相応の準備を──
武器はある。
王国最高の錬金術師が作り、宮廷魔術師たちが付与魔術を重ねた大業物は、吸血鬼の外皮を確実に通す。
必要なのは本体性能だ。
それを後付けする“楽器”を、フィリップは持っている。
だが手元にない。
ミナのように強制召喚する魔術は組み込んでいないし、本人もフィリップも空間転移術式なんて高度な魔術は使えない。
ならば──持ってこさせるまでのこと。
「まあ、そうだろうね。だから──“持ってこい”、カノン!!」
フィリップが叫ぶのと、けたたましい音と共にガラスが割れるのは、ほぼ同時だった。
玉座の間に華やかな光を投げかけていたステンドグラスが砕け散り、破片と共に羽翼を広げたヒトガタが舞い降りる。
「──わん!」
ガスマスクで下半分の隠れた顔には、それでもはっきりと分かる愉快そうな笑みが浮かんでいた。