なんか一人だけ世界観が違う   作:志生野柱

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 男は足早に、しかし不自然に思われないよう気を配りながら、己の生まれ育った町を歩いていた。渡された首輪を弄り、ペットであることをアピールできているだろうかと不安さを滲ませている。

 

 昼の町からは人が減った。

 働いている男衆、買い物に出る婦人方、遊び回る子供。店に呼び込む声も、窓から覗くランドリーメイドも、なにもかもが。

 

 だが視線が無いわけではなく、人の気配は依然として感じる。

 

 今日は、特に。

 

 腕力だけで人間をバラバラに出来る化け物たちは、一人フラフラ歩いているペットに興味を惹かれ目を向ける。

 その関心が閾値を超え声や手を出す前に足を速め、視界から逃れるように角を曲がり、物陰に隠れ、やり過ごす。

 

 いや、もしかしたら自意識過剰かもしれない。

 本当は視線なんて向いていなくて、男が無駄に怯えているだけ──むしろ目を引くような無駄な動きをしているだけかもしれない。

 

 だって、彼に視線や注意を逃れる術は備わっていない。少なくとも追跡を躱すような訓練は受けていない。

 それでも幾度となく「助かった」と思った瞬間があるということは、この状況で被捕食者的な生存本能が開花したか──でなければ、捕食者の追跡こそが気のせいか。

 

 土地勘頼りに歩くこと十数分。

 誰にも絡まれることなく、絡まれそうになっても上手く撒いて逃れ続けてきた幸運は、ついに尽きた。

 

 曲がり角を曲がった瞬間、ほんの数歩先に兵士がいた。

 完全にこちらを見ており、ヘルム越しに目が合った感覚すらある。

 

 やばいとは思った男だが、思考はそこで止まる。

 次にどうすべきかまで思考が回らないし、回したとしても最適解が無い。

 

 直進すれば、主人不在のペットとして捕まり、運が悪ければ管理所行き。運が良くても首輪を確認される。

 踵を返せば、「兵士を見て逃げ出そうとした」という最悪の印象を与えることになる。

 

 腕に覚えがあれば、ここに「先制攻撃」という選択肢も入ってくるが、彼にはない。腕に覚えもないし、戦うという選択肢も、吸血鬼と戦って勝てる可能性も、なにもない。

 

 思考停止したまま惰性で歩く。

 互いに顔をじっと見つめ──兵士が足を止めた。

 

 しかし、その足取りは平常だ。

 相手の動きに対応するための、戦場の足取りではない。道端で知り合いを見つけたときの、平和そのものの動き。

 

 「……ヘンデル?」

 

 兵士が訝しそうに呟き、ヘルムを取る。

 現れたのは、男の良く知る顔だった。旧来の──物心ついたときからの友人の。

 

 「マーカス……!」

 

 男──ヘンデルは旧友との再会を喜ぶ笑みを、恐怖と苦悩を混ぜて歪めた。

 向かい合った兵士、マーカスも同様の微妙な笑顔だ。

 

 「……お前、確か第三管理場に送られたんじゃなかったか?」

 「……よく知ってるな。もしかして気にかけてくれてたのか?」

 「はは。三十年近くも一緒に居たんだ。癖みたいなものさ」

 

 マーカスは照れ臭そうに笑い、頭を振る。

 その仕草は、ヘンデルの記憶の中にある友人の姿そのものだ。ただ一つ、赤く染まった瞳を除けば。

 

 赤い瞳は話題を逸らす先を求めたように揺れ、男の首を飾る無骨な首輪に留まった。

 

 「……買われたのか。主人は?」

 「……名前はまだ聞いてない。金持ちそうな子供だ。他に用事があるとかで、こうして自由時間を貰った。首輪付きだが」

 

 ヘンデルは咄嗟に思い浮かんだことを口走る。

 脳裏のイメージはフィリップだが、実際、この町で人間をペットにしたがる層に子供は多い。降って湧いた力に酔いやすいからだろう。

 

 「……そりゃ運が良かったな。第三管理場は何者かに襲撃されて、今じゃもぬけの殻だ」

 「へぇ……襲撃? ちゃんと仕事しろよ、兵士さん」

 「うるせえよ。絶賛仕事中なの、見れば分かるだろ」

 

 軽口に軽口が返される。

 その様子は吸血鬼(捕食者)人間(エサ)ではなく、古い友人同士そのものだ。

 

 尤も、ヘンデルは口の中がカラカラで、どうにか舌を回しているような状態で──マーカスもまた、旧友と目を合わせようとはしていなかったけれど。

 

 「……なあ、マーカス。妻と息子を知らないか?」

 

 静かな、何かを悟ったような声だった。

 いや──諦めたような、と言った方が正しいかもしれない。

 

 男二人、息が合う──揃って溜息を吐く。

 古い友人たちは、互いの考えていることがなんとなく分かった。

 

 「二人とも競売行きになったぞ。その後のことは知らんが……まあ、二度と会うことはねえだろ」

 

 兵士は項垂れ、深々と溜息を吐く。

 そして徐にヘルムを被った。これより先は、もはや友人同士の会話ではないと示すように──兵士としての対応をすると示すように。

 

 「……相変わらず嘘が下手だな、ヘンデル。相変わらずのクソ不器用、誰かを騙せるように出来てねえんだよ、お前の脳ミソは」

 

 突き放すような台詞。

 

 だが、どこか抑揚がおかしい。

 言葉を探して言い淀んだように僅かな、妙に訛ったようなイントネーションとアクセントのズレ。それは彼が演技をするときの癖だった。

 

 それが、ヘンデルには決定的だった。

 

 演技をしている。だから交渉の余地がある──そうではない。むしろ逆だ。

 

 彼がこういう演技をするときは、自分ではどうにもならない時だ。

 古い友人が罪を犯し、友人として寄り添うのではなく兵士としての職務を優先して罰を下したとき、同じものを見た。

 

 いつも一緒に居た三人を、二人にしたときに。

 

 「マーカス、頼むよ……」

 「うるせえ。俺はもう人食いの化け物なんだ。餌のお前が、友達ヅラしてんじゃねえ」

 

 吐き捨てた声は震えていた。

 余人には分からないほど僅かに。

 

 「……馬鹿。最後の最後にそんなこと言ったら、もう誰もお前を許せねえぞ」

 

 人間の声は淡々としていた。

 捕食者の顎から逃れられないことを悟った諦観ゆえ──ではない。諦めたくなる絶望的な状況ではあるが、ここで諦めるようなら、彼は大人しくフィリップの誘導に従って町から出ていただろう。

 

 「っ……! クソ──ッ!!」

 

 吸血鬼が吼え、剣を抜く。

 ヘンデルに剣を持った本職に勝てる技は無く、吸血鬼に勝てるフィジカルも当然無い。彼は当然にここで死ぬし、吸血鬼の手を逃れる術はない。

  

 剣が振り下ろされ、死が目前に迫る。

 ヘンデルがそれを知覚した時点で、回避は間に合わない。それでも竦む足をどうにか動かし、逃れようと試みる。

 

 だが遅い。

 よたよたと後退する足取りは致命的に拙く、感情を命令で押し潰した力任せの一撃は、親友を袈裟に両断する。

 

 ──その寸前。

 

 空気を裂くような破裂音が一つ、乾いた空気を切り裂いた。

 

 「ぐ、ッ──!?」

 

 兵士は胸を打った衝撃と、心臓の()()()に空いた穴を知覚する。

 脳髄へ駆け上がる激痛は傷の深さを示しているが、思考の半分はクリアだ。兵士として重ねた訓練が、痛みが理性を食い潰すのを阻止している。

 

 だが残った思考の更に半分は、攻撃の正体についての疑問で埋まった。

 謎の大音響、見えない攻撃、鎧を穿ち胸を貫通した高威力。果たしてそれは、と、無駄な思考を回してしまった。

 

 悪くはない。

 自分が何をされたのかを分かっていなければ、対策の立てようもない。間合いの外から心臓(急所)を狙える危険な攻撃であれば、尚更に気を配らなければならないのだから。

 

 だが既に攻撃されている以上、彼は全力を警戒と迎撃に注ぐべきだった。

 不可視の遠距離高威力攻撃。一先ずは魔術と仮定しておけば、それで十分だろう。

 

 実際には火薬の爆発を利用して鉄礫を飛ばす「道具」であったとしても、回避不能な速度で飛来する高威力の遠距離攻撃という、最も重要な点は変わらないのだから。

 

 苦痛と混乱で思考が鈍化した兵士は、音のした方向に向けて構える。

 直後、曲がり角から小さな何かが猛然と突っ込んできた。

 

 見たことのない獣──いや、小さいのではない。人間大……人間だ。

 ただ極端な低姿勢で複雑な動きをしており、()()もあって分からなかった。あまりの前傾姿勢で首と脇と股間(5ポケット)が見えず、ヒトガタだと判別できなかった。

 

 それが虫を殺すような無機質な殺意を湛えた人間であり、尾のように見えたものは鞭のように伸び(しな)る複数節構造の奇妙な剣であると分かった時には、両者の間合いは4メートル以内に近づいていた。

 

 「こ──ッ!」

 

 こいつは、とでも口走りたかったのか。

 兵士の言葉は音速突破の独特な破裂音に掻き消され、気付いたときには、胸元が鎧諸共に真一文字に切り裂かれていた。

 

 どぱ、と大量の血液が溢れ出し、身体が支えを失ったように崩れる。

 慌てて抱き受けようとしたヘンデルは、粒子化して消えた身体が纏っていた鎧を受け止め損ねた。

 

 「な、なんで──?」

 

 突然の惨劇に腰を抜かしたか、ヘンデルはへたり込んだまま呆然と呟く。

 

 その宛先は、奇襲性能を遺憾なく発揮したばかりのフィリップだ。

 ペッパーボックス・ピストルによる遠距離からの先制攻撃、拍奪と蛇腹剣を用いた異常な遠間からの致命の一撃。

 

 アンテノーラの支援無しで兵士を相手取る以上は、と侮りを捨て、全力を注ぎこんだ。

 

 「……「なるべく多くを助けろ」って命令を、僕は「堅実に、可能なことだけをしろ」という意味に取っていた。でも考え直したんだ」

 

 フィリップは肩で息をし、顎に垂れてきた汗を拭う。

 かなりバテている様子だが無理もない。男を探してここまで走って来たわけで──当然に何度も絡まれたし、その全てを殺してきたのだから。

 

 派手に目立ったが、この際、それはもうどうでもいい。

 なんせ、これからもっと目立つのだ。

 

 「全ての管理場を解放する。走れる人はそのまま逃げ、走れない人と捕まった人はそこで終わり。僕は走れる人の援護に回る。これならリスクを最小限に、期待値を最大化できる」

 

 事前調査によれば、第二・第四管理場の収容者数は合計して300人強。

 うち自走可能な程度に心身が健康なものは四分の一程度──約75人。

 

 ()()()75人のために、先の170人を危険に晒すことはできない。それは非合理的な選択肢だ。

 

 だが170人助けた今なら、もう何をしてもいいだろう。

 300人解放して299人死んでも、1人助かれば、救助者数はプラス1。犠牲者数は最終利得(スコア)に関係しない埋没値──要は初めから「誰も助けられませんでした」というケースを想定しているため、300人中300人死んで“想定通り”、299人死んだ場合は“一人助けられた”という扱いになる。

 

 全員死んでゼロ、マイナスが無い。

 

 極論、大量の爆薬を用意して管理場を吹き飛ばしてもいい。

 中の人間は大勢死ぬが、一人でも生き残り脱出できれば、それでスコアは+1だ。マイナス299ではなく──プラス1だ。

 

 ……ついでに、愛すべき馬鹿な善人の家族を救い出す。

 

 「……それは、ただ見捨てるより酷くないか?」

 「そう? このまま何もしなければ、檻の中で死ぬのを待つだけだ。でも解放されたら、生存確率が多少は……まあ、ゼロではなくなる」

 

 僅かに震えた声の男に、フィリップは小さく肩を竦める。

 

 だが男にとって、管理場に居ることは必ずしも死には直結しない。

 確かに食用行きになれば遠からず死ぬが、ペットになれば多少は生き永らえられる。

 

 いや、何なら飼い主次第では以前よりいい生活が出来るかもしれない。

 「取り敢えず飢えなければいい」程度だった食事が、血質に気を配ったものに格上げされたり、衣服が上等なものになったりと。

 

 希望的観測だが、管理場内では人間同士、そんな話をして慰め合っていた。

 

 まあ、ここまで派手に脱走すれば、町は食糧危機に陥るだろう。残った人間の用途は食用に大きく傾き、管理下にある人間の生存率は大きく下がるに違いないけれど。

 

 「……他の人は?」

 「化け物三人に任せてきた。正直あの三人がいれば、僕が多少ふざけたって問題ないしね」

 

 まあ人間の引率なんかしたことがない三人ではあるが──最悪アンテノーラには“声”、ミナには契約の魔眼と、特定の動きを強制させる能力がある。カノンはまあ、暴力とか。

 

 「……いいのか? 第一王女殿下の命令で動いてるんじゃ?」

 「ん、まあ……一応、言い訳はあるから」

 

 一応ある、程度の言い訳は、勿論ステラには通じない。

 だがヘレナが一時間程度でも砲撃を待ってくれるなら、十分に事は足りる。

 

 既に脱出したカノンに預けた言葉は、「“大元”の正体が分かっていないため、一時間ほど調査を試みる」というもの。

 

 正直な話、ここまで暴れ回って何もしてこない時点で、まあディアボリカではないだろうという結論は出せる。そして、それこそが求められているものだ。

 

 神罰術式に耐性を持ち得るディアボリカ以外なら、もはやどうでもいい。他の低位吸血鬼と纏めて、一撃の下に薙ぎ払うだけなのだから。

 

 「さて──おじさんの家族はどっちだっけ? 第二? 第四?」

 「いや、競売にかけられたらしい」

 「ってことは、今は個人所有か。うーん……」

 

 そうなると、流石に捜索範囲が広すぎる。なんせ街全域だ。一時間程度ではどうにもならないし、管理場解放のついでに探すつもりだったフィリップの思惑もご破算だ。

 

 なにかしら時短できる効率的な方法はないかと思案するも、あまりいい案は浮かばない。

 さっきの競売場に戻って記録の類を探すとか、金持ち同士、ペットオーナー同士のネットワークがあることを信じて、手ごろな吸血鬼を拷問するとか。そんなアイデアばかりが脳裏を過る。

 

 「どうにか一時間以内に探さないと。学院長の性格を完璧に把握してるわけじゃないけど、僕が戻るまでは撃たないはず……だと思う。たぶん」

 

 一時間と言い訳したが、まさかぴったり一時間後に「じゃあ」とぶっ放しはしないだろう。これもたぶん程度の話だが。

 だが100年前の魔王戦役に参加した歴戦の魔術師が、フィリップ一人の未帰還を理由に砲撃を中止するとも思えない。フィリップの戦術的価値は、二千の吸血鬼よりは遥かに劣る。

 

 一時間待ってくれるとしても、二時間待ってくれるかは分からない。

 状況次第では──例えば町から吸血鬼が逃げ出し始めたりしたら、一時間経っていなくても神罰を降らせるかもしれない。

 

 「撃つ?」と男は首を傾げる。

 「たぶん」の方に突っ込まれたら笑って流そうと思っていたフィリップは、そういえば、と思い出した。

 

 そういえば、作戦の全容までは話していなかったと。

 

 「あぁ、そうか、言ってなかった。救助者の脱出後、この町は聖痕者の魔術砲撃で浄化される。詳しい性能は知らないけど、一撃、十秒くらいで全員死ぬだろうね。吸血鬼も生存者も。痛みは無いと思うけど──、あ、ちょっと?」

 

 フィリップが言い終える前に、男は踵を返して駆け出した。

 吸血鬼が多い大通りに躊躇いなく飛び出していく背中に伸ばしたフィリップの手は、虚しく彷徨って下ろされた。

 

 「……はぁ。えっと──」

 

 フィリップは小さく溜息を吐く。

 あの愚かな善人を助けるために来たわけだが、事ここに至ってなお無鉄砲に走り出すほどの馬鹿は助けにくい。

 

 まあ助けるが──なんて、苦笑した時だった。

 

 どっぱぁん! と、大量の水が弾けたような音がした。

 弾かれたように目を向けた曲がり角は、赤い飛沫で盛大に汚れている。

 

 その血溜まりを踏みしめて、一人の男が現れた。

 上流階級らしい華美な装い。陽光のように輝く長い金髪。赤く染まった瞳と異常に発達した犬歯。

 

 外見年齢は30歳くらいだが、不老の存在だ。存在歴を一見して窺い知る術はない。

 

 見たことのない吸血鬼だ。

 だが分かる。本能的にそうと察せられる。

 

 ()()()()、と。

 

 肉体が捕食者の気配を感じ取り、強烈に退避を促してくる。

 本能を刺激するほどの存在感──人間ではないモノの気配が、尋常ではなく強い。

 

 ミナやディアボリカにも匹敵する隔絶を感じる。手足が震え、視線が逃げ場を求めて揺れる。

 

 上位吸血鬼(第二世代)。それも恐らくは、100や200では済まない存在歴の。

 

 ミナが居なくなったタイミングを見計らったか、と、フィリップは肉体に反して冷静な頭で考える。そして思考の片隅には、早くも諦めがあった。常にある諦観とは別に。

 

 ──これは無理だ、勝てない。

 

 

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