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まず、キリスト教の葬儀では「かわいそうに、アーメン」とは言わないですね。
主のみもとに召されることは、かわいそうではないので。
葬儀では、主の御許にかえる魂のために、安らかな眠りを約束し祈るのですが、この際のアーメンも「同じことを思って います」「私もそう思います」という意味をこめて祈りの最後に、全員で唱えます。
当然通常の礼拝より形式が決まっていてまして、
「主 イエスキリストの御名によって祈ります」の言葉を合図に「アーメン」と全員で言ったように思います。
☆
プロテスタント系ミッションスクール出身です。
私もそう思います。真にそうです。
という意味だと習いました。
礼拝では、牧師先生が祈りを述べられた後、全員で「アーメン」で締めます。
「...どうぞ、このひとときに主が私を強められ、言葉がみなの心に届きますように。」
「(全員で)アーメン」
という感じです。
牧師先生のお言葉が、どこで区切れるか、どこで終わるのか注意深く聞いていないとこの「アーメン」が言えません。
ところが毎朝聞いてるうちに、ここが「アーメン」を入れるとこだ!というアウンの呼吸がわかるようになってきます。
なので、私的にはアーメンは礼拝において、「ここがこのお祈りの区切り」という、終止符的な用途にも使われているように思ってました。しかも、その終止符を打つのは聞いている全員なんですから、集中と息を合わせなければなりません。
目を閉じて頭をたれるという、一見居眠りやあくびなどにうってつけの姿勢をとるのだけれど、耳の穴かっぽじって聞いてるぞ、と証を立てるための言葉でもあります。
てなことは、あなたが学生さんなら、まちがってもレポートには書きませんように(笑)