【マジ泣ける
】
自分に置き換えて読んだら涙止まらない。「守るとは、何か」梅村みずほ
〝子どもたちのために日本を変える〟
そう覚悟を決めて国会議員になったけど、自分の子どもには寂しい思いをさせてきた。
参議院議員選挙に初当選した2019年、
娘はまだまだお母さんべったりの年中さん。
年の半分は議会が動いているから、家を留守にすることばかりで…
「お母さぁん。東京、行かないで?」
上目遣いで甘える娘は〝お母さんは私のことが大好きだからお願いしたらきっと側にいてくれる〟と思っていたのだろう。
「ごめんね。お仕事終わったらすぐ帰ってくるよ」
抱きしめて、頭をなでて、後ろ髪ひかれながら家を出た。
息子は小学2年生。
当選したのは夏だったので学童保育の調整がうまくいかず、夫も私も仕事で多忙な時は家でのお留守番が多くなった。
「放課後はなかなか学校から帰りたがりません。家にお家の人がいないのが寂しいようです」
と担任の先生にご連絡をもらい、息子や学校に申し訳なくて不甲斐なくて〝子どものために政治家になった〟はずの私がただの偽善者のように思えた。
新幹線で名古屋を過ぎたら議員スイッチに切り替える、それまでは泣いていいというルールを自分に設け、重いまぶたで東京へ向かった。
夫と何度も話し合い、夫が会社の仕事をセーブして育児を全面的にサポートしてくれた。
一家の大黒柱だった夫が長年勤めた会社で出世コースを外れる決断をするのは簡単なことではなかったはずだ。
それでも「君を誇りに思う」といつも背中を押してくれたのは夫であった。
もちろん夫婦関係だっていつも良好なはずもなく、マリアナ海溝さながらの深い溝ができたこともある。
一歩間違えば家庭が崩れるのではないか、そんな危機感と共に任期前半の苦楽を乗り越えてきた。
6年の任期をあと数ヶ月残すばかりとなり、国会で未熟な議員ながらに訴えてきた政策も、いくつかは成就した。
必死に議会活動や地元活動を継続するうち、応援してくださる方、信じてくださる方も増え、身に余る言葉や経験、ご縁に恵まれた。
党の仲間との絆も強まり、党外にも心通ずる友人ができた。
炎上した時や処分を受けた時は、できるかぎりの説明を有権者の皆さまや社会、家族に対して行った。
仕事で傷ついた時は仲間の議員がそっと労い、励ましてくれた。いつも1人ではないと感じさせてくれた仲間がいたからこそ、はぐれることなく仕事を継続することができた。
挫折と成果を味わいながら国会議員として成長させていただいた今、いつも側にいるお母さんは諦めなければならなかったけど、我が子に対して国家国民のため無我夢中で戦う傷だらけの背中を見せ続けることはできたように思う。
「寂しい思いさせたよね」
子どもたちに尋ねると小4の娘は「慣れたー」と笑い、中1の息子は「そうだっけ」と思春期の顔をする。
「ねぇねぇ、お母さんな。国会議員になろうと思ってるんだけど、どうかな?」
「国会議員てなにー?」
「日本を良くするお仕事だよ。」
「いいね!お母さんはなれると思う!」
「うれしいな。どうして?」
「だってお母さん、優しいから!」
当時小学1年生の息子が答えてくれたあの日から、ちょうど6年経った3月。
母としての優しさだけではない、政界の厳しさを経験し逞しさと強さが備わった自分がいると信じ、これからも戦い続けようと思う。
政治家・梅村みずほを産んでくれた所属政党と、その旗のもとに集う仲間たち、職員や支援者の皆さま、多くのボランティアの方々、そして選挙区大阪の府民の皆さまとこの島国に生きる1億2500万国民の皆さま、かけがえのない我が国日本への感謝を忘れず、己に出来得ることを全力で。
引き続き、皆さまのご指導とお支えを宜しくお願い申し上げます。