ありがとう・さようなら
※ お願い
私はこの記事を自分のために書いています。
拡散されることを望んでいません。
他の場所で話題にあげたり引用等は控えていただけますと幸いです。
モニターの向こうにも人間がいる
AIの台頭によりこの前提は崩れ始めていますが、それでもまだこの事実は変わらないと思います。
みんな生身の人間。
リアクションをくれるのもコメントしてくれるのも、みんな人間であり、つまりは自分と同じく生きているのです。
インターネットはその前提を忘れがち。
自分と同じように相手にも感情があって、好き嫌いやこだわりがあって、言いたいことがあります。
聞くも自由、聞かないも自由。なんなら攻撃するしないも自由ではあるけど、相手の表情が見えないからといって何してもいいわけではないよね。
強者も弱者も弱みを隠す
みんながみんな「私今傷つきました! ここを攻撃されました!」と言えるわけではありません。
何も言わず、ひたすらに攻撃を受け続ける人がいるのも事実です。
自分が何に傷つくのか。それすらわからないことだってあるのに、顔の見えない相手の弱点がわかりますか?
意図せず致命傷を与えて相手に何かがあった時、「そんなつもりではなかった」で通るのでしょうか?
反省すれば許されるものではない。
そもそも、反省も謝罪も許されるためにやるものではない。
何のための行為なのか、そこは考えたほうが良いと思っています。
全く同じ人はいない
多様性について最近よく考える。
自分と同じ人はこの世に存在しなくて、本当の意味での多様性教育とは「こういうマイノリティがいる」ではなく「みんな違う」を教えることではないかなと。
希少種のラベルを貼るのではなく、お互いの違いを尊重し合う。そういうことじゃないかな。
100%気持ちが通じ合うことなんてない。
理解し合えないことの方が多い。
だからこそ、分かり合える人と出会えた時の喜びはひとしおで、かけがえのないものなんだと思う。
あなたが攻撃しているあの人も、他の誰かにとっては大切な人です。
あなたにとっては憎き敵であり、攻撃すべき対象であっても、誰かにとっては味方であり、仲間であり、愛すべき人です。
綺麗事しか言わない理由
人間誰しもどす黒い部分があります。
全てにおいて清廉潔白な人間は存在しません。
言語化されたものは氷山の一角でしかなくて、その人が何を考えているのかは本人にすらわからないこともあります。
ジレンマを抱えて生きるのが人間だから。
好きと嫌いが共存して、生きたいと死にたいが交互に顔を出すのが人間だから。
どんな悪人でも心の奥底には良心が眠っていると、私は信じたい。
とはいえこの世は資本主義。
フィジカルもメンタルもタフネスが必要。
だから私は、誰かの何かを削るようなことはしたくない。
もはやただのエゴだけど、私はそれで良いと思っています。
さいごに
みんなそれぞれの人生があって、私たちはその道すがらたまたま出会っただけです。意味などないのかもしれません。
それでも私は出会えたみんなに感謝しているし、私にとっては全てが大切な思い出です。
たかがインターネット、されどインターネット。
モニターの向こうに勝手に思いを馳せて、関わった人みんなに幸せになってほしいと思ってしまう。
それが私でした。
でも、やっぱり向いてない。
インターネットの世界は、私には広すぎて深すぎた。
わがままで身勝手な祈りを飛ばして、「ウカ」という名前での活動はおしまいにします。
みんな元気でね。
ありがとう。さようなら。


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