『星獣戦隊ギンガマン』第十六章『心の故郷』
◾️第十六章『心の故郷』
(脚本:小林靖子 演出:辻野正人)
導入
「場合によっては……クビだ」
いきなり仮住まいの居場所であるシルバスター乗馬倶楽部が突然現れた謎の老害もとい老人に立退させられそうになるところから話は始まるのだが、一見普通のように見えながらも次回以降への大きな伏線にもなる回である。
ハヤテメイン回ということで、第十章以来彼の人となりが掘り下げられている訳だが、最大のポイントは「故郷」という初期から定期的に触れられていたギンガマンが戦う動機にもなっている要素が絡んでくるのだ。
最初は第三章のゴウキから「ギンガの森への想い」は描かれてきたが、それが今回同じように「故郷を失った(と思い込んでいた)哀切」を持った現代人が出てくるというところに大きなポイントがある。
それが今回登場する森川前オーナーだが、彼の存在自体がある意味ではギンガマン5人の特徴、今回は主に短所の部分を浮き彫りにしたと言っても過言ではない。
初見ではこの森川オーナーのいやらしいパワハラ同然の態度に苛立ちを覚えた訳だが、大人になった今改めて見返すと単なるヤキモチ焼きであるとわかってむしろ面白い(まあ追い出そうとするのはいただけなかったが)。
第九章では婚約者・ミハルを出すことで単なるクールな2番手というありがちな造形に終わらない内面の繊細さを描いたわけだが、今回はそれに加えてシェリンダとの因縁の続きや社交性、さらには弱点の蜂蜜など盛りだくさん。
これだけ美味しい要素を詰め込んでいながらも全くキャラが破綻していないのは役者の魅力はもちろん全盛期の小林脚本の丁寧さとそれを映像化する辻野監督の抒情性に重きを置いた演出に他ならない。
田崎監督は基本的にロジカルな監督なので、ドラマは入れても演出上であまり情感を強調して描くタイプではないが、辻野監督はセンスとフィーリングの演出なので言語化しにくい繊細な色合いを描き出す。
一方でバルバンの作戦も前回・前々回までと比べてまたもや自然災害の規模にまで発展しており、今回のアメフラシもとい雨法師はまさかの酸性雨作戦を取ってきたというわけだ。
今の人たちはあまり知らないことも多いだろうが、ちょうど90年代は環境破壊が社会問題として扱われていたこともあって、酸性雨もその1つだったが、それを意図して引き起こせるのである。
サンバッシュ魔人団がどうしてもコミカルな印象が強かったために見過ごされがちであるが、バルバンの魔人は船長ゼイハブはもちろん一般怪人クラスもまた出鱈目な強さと能力の持ち主だ。
だからこそ、それを迎え撃つギンガマン5人の強さや使命感も光り輝く訳であり、改めて本作は悪の組織であるバルバンの描き方もしっかりしていることがわかるだろう。
戦い方もハヤテとシェリンダは相変わらず剣術を中心に戦っている訳だが、対してギンガマン5人は剣術から棒術へと切り替えて無双しているところが確認される。
第十八章でブドー四将軍が出てきてからは獣撃棒も無効化されるようになるが(第二十一章では一応効いている)、このあたりのパワーバランスもまた本作が絶妙なところだろう。
物語の縦軸そのものは変えず、作戦の方式や具体的な戦略・戦術という枝葉をうまくアレンジするだけでうまいこと視聴者を飽きさせない工夫が凝らされている。
次回から第二十六章に向けて作品自体がとんでもないドライブ感を生み出し凄まじい勢いが生まれるため、今回はその前の最後の箸休めとして楽しむのがいいだろう。
雨法師の作戦は「酸性雨」による地盤沈下
最初にバルバンの魔人について触れておくと、今回の雨法師はやっていることがほとんど祈祷師と同レベルなのだが、この当時は割と洒落にならないネタを投下したものだと思う。
リアルタイムで見ていない若い世代の人たちは当時の情勢を知らないだろうから話しておくと、当時はまだ1995年の阪神・淡路大震災と地下鉄サリン事件の余波がわずかに残っていた時代だった。
90年代後半の日本に大きな影を落としたこの2つの出来事は創作業界にも影響を与えなかったわけはなく、本作はその辺りの時代性を色濃く悪の組織のモチーフとして入れたのではないだろうか。
酸性雨による地盤沈下という当時の環境問題はもちろんだが、それ以上にこういう儀式のようなセットを用意して雨の祈りを始めるところはまるでオウム真理教を彷彿させる。
ギンガの光を炙り出すためにわざわざ地盤沈下を起こさせるのがダイレクトな作戦であり、尚且つここ数ヶ月でも道路の陥没なども起こっているために今見ても古びないネタだ。
逆に言えば敵も味方も大自然の力をバックボーンとして持って戦うからこそ、それが通常の人間では出すことのできない超常現象を引き起こすことを可能にしているのではないか。
アース然り大気汚染然り、本作は歴代の戦隊の中でも間違いなく地球に対してめちゃくちゃ厳しいドSな戦隊であることは間違いないし、よくそんな中で戦えるものだ。
ヒーローを物凄く強化している分敵もまた一級品の奴らを揃えているというところが本作の妙であり、だから酸性雨ネタをやったとしても全く違和感がない。
「ギンガマン」の偉くてすごいところは大自然の力を使って環境破壊レベルの悪事を働いていながらも、それを露骨に環境問題などという社会的問題に安易に還元しないことにある。
ここがとても素晴らしいところであり、通常のヒーロー作品ならばそこからすぐに説教くさいエコロジーに持っていきそうなところだが、本作は決してそういう教訓じみたことをしない。
これは小林靖子だからというわけではなく本作ならではの良さであり、「子供向けで描かれているが基本的に重く、しかし説教臭くなく爽やか」という独自性の強さにつながっている。
「タイムレンジャー」「クウガ」以降はどうしても話が重すぎたり説教くさかったり、あるいは妙に湿度の高い話が多くなる(いわゆる「曇らせ」とかいうやつ)ので、本作はそこも貴重だ。
バルバンの戦いも徐々に苛烈さを増していく傾向にあるわけだが、作戦の規模としては第十一章以来の大災害を引き起こしており、本作が改めてとんでもなく高いステージの話であることに気付かされる。
荒川稔久・武上純希が書いた回がぶっちゃけどちらもそんなに大したことのないしょぼい作戦続きだったことで普通の戦隊っぽくはなっていたが、本作はその「普通っぽさ」が逆に異質になるのだ。
以前にも書いたが、『星獣戦隊ギンガマン』は決してスーパー戦隊シリーズを代表するような作品ではない。
そういう担当は『百獣戦隊ガオレンジャー』『炎神戦隊ゴーオンジャー』のようなクソガキ寄りの作品に任せておけばいいわけだし、また小難しいオタク向けの作品も他にいくらでもある。
本作はその中で「王道的」ではあるが、いわゆる「戦隊的なるもの」に安易に還元されない独自性の高さと同時に、それ自体が戦隊シリーズの「現在」を根幹から揺るがし続けるのだ。
少なくとも、いかにもありがちな規範の「戦隊」というところには収まりがつかない例外的な作品であることは肝に銘じておこう。
ハヤテの最大の特徴は戦闘力や頭の良さより社交性
さて、今回はハヤテメイン回ということでハヤテの人となりが第十章以来クローズアップされているわけだが、よくよく見ていると単なるありがちな「2番手キャラ」ではないことに気付かされる。
というのも、総合戦闘力をはじめとするバランス感覚や万能感はギンガレッド/リョウマに、そしてパワーとここぞというところでの瞬間最大風速ではどうしてもギンガブルー/ゴウキの方に分がある。
その点ハヤテはどうかというと最初の方こそ単なる冷静沈着なサブリーダーという戦隊ブルーにありがちな造形のようだが、もちろんその側面はありながらも決してそれだけではない良さが描かれた。
それこそが「社交性」であり、実はギンガマンの中で一番大人の会話ができるのは彼であり、本質はとても仲間思いで他者にも優しいのは『秘密戦隊ゴレンジャー』のアオレンジャー/新命明の直系だろう。
スーパー戦隊シリーズにありがちな「2番手」の造形が何なのか?という話だが、これもいわゆる「キレンジャーの錯誤」というやつで、単なるごく一部のものに過ぎず、戦隊シリーズにはそういう伝統があるようでない。
だが、こと90年代のスーパー戦隊シリーズに注目すると、いわゆる「クール」「冷静沈着」「レッドの抑え役」「参謀」といったスマートなイメージの戦士は実はほとんどいないのである。
「ファイブマン」は長男の学が冷静すぎてそういう存在が2番手にいなかったし、「ジェットマン」の凱は2番手というよりはワイルドな一匹狼のアウトローというイメージが強い。
「ジュウレンジャー」のゴウシは2番手だが決して冷静沈着でも参謀でもクールでもない、という風に考えると90年代戦隊の頼れる2番手は「ダイレンジャー」の大五、「ゴーゴーファイブ」のナガレくらいだろうか。
前作の瞬はスマートでクールな天才肌だが決して「2番手」という感じでも「サブリーダー」でもないから、本作のハヤテはそういう意味で久々の頼れる2番手であるといえるかもしれない。
しかし、だからと言ってハヤテは決して凱のようなワイルドな一匹狼タイプではなく、大切なミハルという婚約者もいるし仲間に対しても外の人に対しても礼儀礼節がしっかりしている常識人タイプだ。
乗馬倶楽部教室でも講師を担当しているし、掃除などもきっちりしていて挨拶もしっかりできる、だから森川オーナーであっても非の打ち所がないというしっかり者である。
そういう意味ではアオレンジャーの系統をしっかり踏襲しているわけだが、今にして思えばあまりにも出来の良すぎるきらいはある、これは作っていく中で自然にそうなったのだろうが。
思えば、小林靖子が本作の2年後に手がけた『未来戦隊タイムレンジャー』では本作のハヤテを以下のように3分割したと思われる。
タイムピンク/ユウリ……組織の2番手、敵幹部との因縁、実質のリーダー
タイムブルー/アヤセ……2枚目担当、切ない系
タイムグリーン/シオン……色、社交性、知性
おそらくハヤテというキャラクターは苦手なものがハチミツであること以外はキャラクターに隙がなさすぎるし、一人で美味しいところをあまりにも持ちすぎていた。
ギンガピンク/サヤが本作の中で割を食う形になってしまった一因はハヤテにも少なからずあると思われ、だからこそハヤテを因数分解してあの造形にしたのかもしれない。
それくらい本作のハヤテは私が見てきた2番手の中でもあまりにも理想的すぎて、逆に現実にいないぐらいに完璧すぎたのが改めて明らかになった。
ギンガグリーンVSシェリンダで見えた戦い方の違い
さて、今回は第十章に続いてギンガグリーンVSシェリンダの戦いが描かれたわけだが、ここでの戦い方の違いを説明すると、第三十一章、第四十六章でも明らかになるが意識の向き方の違いである。
第十章でシェリンダはグリーンから一方的に生傷をつけられた恨みを晴らさんがために戦うわけだが、一方のハヤテはそのような個人間の因縁に執着しているというわけではない。
ギンガグリーンに限らないが、あくまでギンガマンにとって大事なことは「星を守ること」かつ「ギンガの森を元に戻すこと」であり、バルバンを倒すことはあくまでも通過点に過ぎないのだ。
そういう意識で動いている上、今回に関しては森川元オーナーを側に抱えながらの「守る」戦いであり、バルバンのように一方的に「倒す」「潰す」ことに念頭を置いているわけではない。
一方でシェリンダはあくまでも「一対一でギンガグリーンを倒すこと」を目的としており、言うなれば苛烈な報復感情と執着心に突き動かされているところが大きな違いだろう。
一見シェリンダが押しているようだがこれはあくまでも狙った演出であり、あくまでもグリーンにとって大事なことは残りの4人と合流して雨法師の作戦を止めることだ。
だからシェリンダ如きに構ってるわけにはいかないという意識なのだが、この段階ではまだそこまでの意識は表面化していないが、確実にその布石は積み重なっている。
面白いのが普通組織の2番手といえば冷静沈着な性格で描かれることが多いのだが、シェリンダは思考で動いているようで実は感情で動く人間であることが示されているのだ。
本来であれば第十章にしろ今回にしろギンガグリーンVSシェリンダの一騎打ちの因縁を作る必要もないわけだが、このシーンがあることで単なる「2番手同士の戦い」という印象にはしていない。
これは『鳥人戦隊ジェットマン』の後半で目立ったブラックコンドルVSグレイのオマージュとも言えるが、男同士の決闘ではなく男と女の決闘というところがありそうでなかなかない図式だ。
強いていえば同じ小林靖子脚本の『侍戦隊シンケンジャー』に出てきたシンケンレッドVS十臓、シンケンピンクVS大夫辺りはあるが、これも結局は男同士と女同士の個人間の決闘である。
そういう意味で正統派イケメンと対をなす悪の美女との決闘もまた他の戦隊にはない本作ならではの例外的な細部であり、この辺りがリョウマ、ゴウキ、ヒカルとの差別化に繋がっているのだろう。
それはお互いの剣術や衝撃波の使い方にも見て取れ、シェリンダはとにかく一方的にペース配分など考えもせずに技を繰り出していて、余裕がありそうで実はない。
逆にギンガグリーンは必ずシェリンダとの間合いを図り逆転のチャンスを伺いながら、宙を舞う星獣剣と機刃を拾ってレッドよろしくバク宙しながらの二刀一陣を決めると余裕が垣間見える。
どちらがより大人の戦い方をしているかというと間違いなくグリーンの方であり、いわゆる「肉を切らせて骨を断つ」ではないが、相手の隙をついて強烈な一撃を叩き込んでいるのはグリーンの方だ。
勝負は一瞬でも自分が勝ったと油断して仕舞えば負ける、その辺りの駆け引きはギンガレッド/リョウマとはまた違ったものであり、その辺りもまた両者の差異を強調しているだろう。
「故郷」による相互理解と時の残酷さ
さて、ラストカットは「故郷」というキーワードを通して、ギンガの森を喪失したギンガマン5人とシルバースター乗馬倶楽部という故郷を喪失した森川の相互理解が描かれている。
表向きは微笑ましい若者と老人の交流というところで心温まる話のようだが、一方で直接には示されていない「残酷さ」のようなものもまた私は示されているのではないかと思うのだ。
何故ならば、どれだけイタズラしてクビにしようとしたところで、今のオーナーは全く違う人であって、どう足掻いたって森川元オーナーがここに戻ることはできないのだから。
確かに「故郷はいつもここにある」という言葉で綺麗にまとまっている、だがハヤテたちギンガマンはまだ知らない、「故郷すらももう戻らない者の悲しみ」を。
今回はたまたま社交性があって礼儀正しいハヤテがいてくれたから何とかなったものの、相互理解が可能なケースとそうでないケースがあることをギンガマン5人はまだ知らないのだ。
だから、森川元オーナーの寂しさを抱えながら去っていく背中のことなどハヤテ以外には分かりようがないし、その悲しさはヒカルのイタズラによってかき消されている。
ギンガの森はあくまでも「封印した」だけで「失われた」わけではないのだから、ギンガマン5人の悲しみと森川元オーナーの悲しみは本来は共有できるようなものではないだろう。
それでも表向きは和解したように描かれていることが決していいことばかりではなく、ここから5人は相互理解がそもそもできない相手と出くわすことになる。
それこそが次回以降出て来て第2クールと第4クールの裏主人公にして第三勢力として現れる黒騎士なのだが、ギンガマン5人はバルバン以外に相互理解ができない相手と相対することになる。
そしてその試練が図らずも5人の成長、特にギンガレッド/リョウマの成長を促すほどのものになるであろうことはこの時誰も知る由などなかったであろう。
逆にいえば、今回はハートフルストーリーで収まったことが次回以降では綺麗事で済まなくなる残酷な現実と向き合うことになるための伏線であったということだ。
これは決して「仲間がいるから」でどうにかなる問題ではなく、小林靖子も髙寺成紀も子供向けの作品の中に時として綺麗事ではどうにもならない豪速球を放り込んでくる。
これまでのギンガマンの相手はどちらかといえば「話せば分かり合える」人たちばかりであった、青山親子しかり元オーナーしかり教授しかりアイドルしかり。
しかし、世の中全員が必ずしも自分に対して善意を向けてくれる人ばかりではなく、とんでもなく深い闇を抱えた存在もまたいることを知る必要がある。
ギンガマンと似た立場にありながら、決して和解することも共闘することも難しい存在……それが上原正三・曽田博久・井上敏樹には出せない小林靖子ならではの感覚だ。
それに入っていく前触れであることも忘れてはならず、今回のお話はのちの展開を考えれば単純な「いい話」で終わらない嵐の前の静けさのような終わり方である。
次回から「ギンガマン」が本当の意味で「銀河を貫く伝説の刃」になるための過酷な試練に入るわけだが、その前段階としては十分な下地を整えたわけだ。
総合評価はA(名作)100点満点中90点、次回からいよいよ本格的にギアが入り始める。



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