『星獣戦隊ギンガマン』第十五章『恐怖のしゃっくり』
◾️第十五章『恐怖のしゃっくり』
(脚本:武上純希 演出:辻野正人)
導入
前回同様、今回も箸休めというか息抜きの回だが、「ギンガマン」全編を通してもここまでギャグに振り切った回は珍しく、この回の他は第二十一章のトマトの回くらいのものだろうか。
脚本は武上純希、演出は辻野正人だが、第八章・第九章に比べると完全にギャグに振り切っていて、尚且つ不愉快な描写もさほどないために最後まで純粋に楽しめる話ではある。
小林靖子曰く「お笑い回は大体武上さん担当。自分が書くのはゴウキ関連くらい」と述懐していたことから、本作の武上脚本は玩具販促以外の部分で勝負せねばならないという制約があった。
基本的に武上脚本はあまり評価も信用信頼もしていないのだが、本気で書いたときはたまにヒットを見せることがあり、今回はその中でまあまあいいヒットを打っていた。
今回の魔人は煙ェ門、モチーフはウニ+歌舞伎役者であり、名乗りなども「近くばよって目にも見よ」などの見得切りをそのまま使っているが、直後にズッコケるなど3枚目要素も多い。
ヒーロー側たるギンガマンでは珍しくリョウマとヒカルのコンビも描かれており、実は全体を通してリョウマとヒカルが直接一対一で絡むのはこの話がほぼ最初で最後だろう。
ヒカルは年長者の中だとほとんどがハヤテかゴウキとの絡みが多く、年少者だとサヤとの絡みがあるくらいで、あとはヒュウガとの絡みが第三十章であったくらいでしょうか。
ヤンチャ坊主なヒカルと生真面目さの中に潜む天然さみたいなものが暴走してしまうリョウマとの凸凹感がこれまた独特の面白さというか、リズムを生み出すに至っている。
スーパー戦隊シリーズの特徴として、大方1クール目で世界観や基礎土台の構築が完了したらキャラ回を順番に回していきながらという方針が多いが、本作はそもそもの物語としての制約・縦軸があまりにも強固だ。
だからこそ、サブライターにとってはそれがうまくハマる人とそうでない人といるわけだが、荒川稔久は典型的な後者であり、ガチっとした作風のシリアスな戦隊はあまり合わない。
一方で武上純希はギャグもシリアスもそれなりに書けると言えば書ける人ではあるので、今回は完全にギャグに振り切りつつも決して作品全体の印象を損なうほどになっていないのだ。
中にはこの回が一番好きだという人も多く、決して物語の本筋には直接介入してこないものの、それなりに人気の高いエピソードであるという風にいえるだろう。
本作は『電撃戦隊チェンジマン』『鳥人戦隊ジェットマン』と並んで壮大なスケール感と登場人物のミクロなドラマとの連結がしっかりしており、基礎土台の構築に抜かりがない。
小林靖子がメインライターを担当する本作をはじめ全盛期の『未来戦隊タイムレンジャー』『侍戦隊シンケンジャー』辺りは「大河ドラマのような連続活劇」としての面白さが存分にある。
また、女性作家ということもあってどうしても瞬間最大風速や筆の勢いという点では全盛期の曽田博久・井上敏樹には及ばないものの、全体を通したアベレージが非常に高いのだ。
言うなれば『HUNTER×HUNTER』の「制約と誓約」に近く、限られた枠の中でどれだけ知恵を絞って面白い話を書くことができるかというところに最も重点を置いている。
そんな本作の中で武上純希は人間関係というかドラマ性の深さや技巧の面では決して敵わないとわかっているからこそ、あえて難しい話を避けて子供向けのシンプルさを狙ったと言える。
第八章みたいにとんでもないズレ方をしてしまうこともあるわけだが、本作の第二十八章や三十二章、また次作『救急戦隊ゴーゴーファイブ』ではそれなりに好成績を残しているのだ。
リョウマメイン回は小林靖子が中心となることが多いわけだが、武上脚本で描かれた今回は小林脚本とは違った一面を見せてくれたと言えるだろう。
リョウマとヒカルの掛け合いの面白さ
まずコメント欄の方でも書かれていたが、普段は絡まないリョウマとヒカルを絡ませたことで見えてきたのはヒカルにとってはハヤテよりもリョウマの方が相性がいいのではないか?ということだ。
ヒカルは第一章からそうだがハヤテに嗜められつつゴウキをイジるなどがあったが、リョウマに対しては意外と反発することは少ないし、だからといっていじるような要素もない。
なぜそうなのかを考えてみたのだが、リョウマはゴウキとは違い兄・ヒュウガ譲りの厳しさを内面に持ち戦士としての誇りを持っているため、ヒカルからすれば頼り甲斐がある。
しかし、ハヤテと違うのは説教臭さが全くないところであり、ヒカルにとってはある意味で非常にいい距離感で接することができるという意味で楽しそうなのだ。
他には第三十章でヒュウガとの関係性が挙げられるが、いずれにしてもハヤテと比べると他の年長者はそこまで苦手意識がなくのびのびと楽しくやれていそうだ。
一方のリョウマにとってもヒカルはヤンチャな弟分でありながらも、ハヤテと違って邪険に扱わないしゴウキみたいにヘタレな感じも全くない。
しかし、今回は幾分彼の気遣い・思いやりがヒカルの「その場しのぎで嘘をつく」性格と相まってとんでもない展開を生み出してしまうのだが。
それが今回の「しゃっくりを100回やると死んでしまう」などというものであり、こんなシュールギャグは他の脚本家ではほとんど描かれないことである。
コメントでは「リョウマはしゃっくりの回数を覚えていて妙に几帳面」という指摘があったが、今までの性格を考えればあれは几帳面というよりもINFP特有の「自分が興味・関心を向けたものにはマニアックになる」という天然の特性だろう。
第四章でも星獣剣で薪を割るなんてことをやっていたリョウマだが、ハヤテやヒュウガとの違いで言えばその内面と外面のギャップであり、表面は優しく人当たりもいいのだが内面は独特の感性をもって動いている。
だから、ヒカルが実際は風邪なんて引いてもいないのに勘違いから一方的に風邪を引いていると決めつけて博士が決めた爆弾を飲ませてしまうなんてとんでもないことまでやっているのだ。
それでていて第八章に出てきたおばさんのような不快感が全くないのは、それがリョウマがヒカルのためを思って行動した結果であることに加えて、これまで小林脚本で形成されてきた強固な下地があるからに他ならない。
また、第一章からしてそうだが、リョウマはいざ本気で怒った時のギャップが他のメンバーの比ではないほどに強烈な印象を残しており、第十二章でも兄の偽物を利用された怒りからとんでもない底力を発揮していた。
だからこそ、そんな戦士としての激しい一面がモークからすると不安定な弱点・欠点にもなりうると思えたわけであって、結果的にヒカルが死なずに済んだとはいえ、やっていることは下手するとサイコパスとも取られかねない常識はずれな行動である。
これはアニポケなどたくさんのアニメ脚本を担当してきた武上純希だからこそ引き出すことのできたリョウマの新たな一面であり、小林靖子がメインだとこんなふざけ方は到底できないものだろう。
小林靖子が描くリョウマは若干の不安定さを抱えつつも非常に芯が強く戦闘力もヒュウガと並ぶ高さであるように隙があまりないから、こういう一面で幅が広がるのがまた面白い。
煙ェ門のズッコケぶりはゴエモンがモデルか?
今回出てきた煙ェ門のキャラクターもまた「お前本当にブドー魔人衆の一味か?」と言いたくなような、徹底したボケキャラっぷりがこれまた変に印象に残っている。
ギンガの光探し自体は問題ないとしても、またもやリョウマとヒカルがギンガ転生して名乗った直後に自分の頭に煙玉を当ててズッコケてしまうなど、ひたすらいいところがない。
なぜここまで空回りするのだろうと思うわけだが、ブドーは一体煙ェ門の何をどう評価してスカウトしたのだろうかと言いたくなるほどに記号的なキャラ付けになっているだろう。
スーパー戦隊シリーズは仮面ライダーシリーズやウルトラシリーズと違って記号的なデフォルメが特徴的だが、その中でもここまで典型的な「THEジャパニーズ」な感じの演出がやりすぎているきらいはある。
しかも幼稚園バスをジャックするというコテコテの昭和戦隊の怪人がやっていた普通の作戦をやっているのだが、これが本作においては逆に異質に写ってしまうというのも面白い。
『秘密戦隊ゴレンジャー』からしてそうだが、スーパー戦隊シリーズの敵組織の恐ろしさは「シンプルゆえの子供じみた残酷さ」にあるわけだが、小林脚本はその流れとはやや異なる。
小林靖子が描く敵組織はバルバン然りロンダーズファミリー然り外道衆然り、明確な縦軸や組織としての方針は持ちつつも、安易な記号的キャラの表現にはしていない。
そういう意味では前回の大僧正も含めてサブライターが描くバルバンの魔人は能力・人格の描写ともに複雑さや意外性のようなものはあまりなく、立体感がないのだ。
とはいえ、これはじゃあ描けないのかというとおそらくは違っていて、小林靖子がメインを担当すると複雑化するから、あえてそういう表現を避けているということだろう。
また、魔人がそういう奴らにすることでギンガマン側が「引越しの手伝いをして家に閉じ込められる」「頼りになるのはリョウマとヒカルだけ」という状況にも説得力が出るのだ。
小林脚本であればシュールギャグを描くにしてももう一捻りして描きそうなものだが(その典型が第三十六章)、武上脚本はほとんど捻りなくストレートに表現している。
良くも悪くも直球勝負なところがよく出ていて、確かに悪党っぽさはあるのだが、それ以上にコミカルさの印象の方が際立って見えるのだ。
思えば、後年の『炎神戦隊ゴーオンジャー』の敵組織・ガイアークはこのゴエモンをモデルにしたと思しき煙ェ門のコミカルさやズッコケぶりをより発展させたものだろう。
逆に小林靖子は『侍戦隊シンケンジャー』の敵組織・外道衆をものすごく陰湿ながらも複雑性を持った悪として表現しているところの違いが本作で見て取れる。
前作『電磁戦隊メガレンジャー』でもそうだが、同じ作品の中で競って描かせると、全く違ったものが出来上がるところが作家性の違いに繋がる。
武上純希最大の見所はやはり等身大戦よりも巨大戦
今回最大の見所は等身大戦やそこに持っていくまでのシュールギャグよりもむしろ巨大戦の戦わせ方にあり、まさか銀凱剣をバットみたく使う演出は初めて見た。
片足バッティングで跳ね返しているわけだが、こういう巨大戦の発想は小林靖子ではあまりやらない演出なので、武上純希にやらせた方が面白くなったかもしれない。
前作のギャラクシーメガ然り次作の救急マシン然り、ロボアニメ畑で育っている武上純希はロボ戦を描かせると途端に魅力を発揮する脚本家である。
小林靖子はどちらかと言えば等身大戦に力を入れるため、巨大戦は最終決戦などを除けば単なるトドメとしてしか使わないということがほとんどだ。
00年代に入るとそれが『百獣戦隊ガオレンジャー』『炎神戦隊ゴーオンジャー』で「玩具販促のために物語・キャラを犠牲にする」といったところにつながる。
この辺りはバランスがとても難しいのであまり使ってほしくはないが、彼のように子供向けであることをきちんと意識した商業作家もまあ大事ということだろうか。
商業主義と作家主義の両立が永遠の課題になるわけだが、本作は商業主義といったところに良くも悪くも阿ることのない作風だから余計にこういうギャップが目立つ。
描写の短い中にこういうセンスを入れてくるところは小林靖子にはまたない武上脚本の魅力でもあるわけで、そういう一面が見れたのは面白かった。
それにしても、今回で青山晴彦がまさかの大学教授とのコネがあることもそうだったが、結構なお偉いさんと知り合いという人脈っぷりが凄まじい。
普通こういう引越しのお仕事は業者に頼むものだと思うのだが、そこをあえて伝説の戦士に頼むとか一体どういう発想をしているのか?
ハヤテが表立って取引していたようだが、次回共々晴彦さんとハヤテは本作における「営業」担当のようなものなのかもしれない。
絵本作家で編集をしているのが青山晴彦の本職らしいが、どちらかといえば営業などの方が向いているのではないかと思う。
評価としてはまあまあ悪くはなく、前回よりはそれなりに面白かったのでC(佳作)100点満点中65点といったところか。



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