「TO BE HERO X」は見なきゃ損だ
はじめに
2025春アニメも中盤戦。今クールは、私にとって「番狂わせ」と呼ぶに相応しいシーズンとなりつつある。
最も印象的なのは、1話完結、及びオムニバスの作品群の躍進だ。CygamesPicturesの新鋭「アポカリプスホテル」、ピーエーワークスが日常系ジャンルに挑んだ「日々は過ぎれど飯うまし」など……。良質なオリジナルアニメ達が番組表を彩る。
その中でも特に異彩を放つのが、表題の「TO BE HERO X」。「スタイル横断型アニメーション」というコンセプトを掲げた同作は(このコンセプトについては後の章で語る)、中国のbilibiliと日本のアニプレックスが中心となり手掛ける新作アニメだ。10人居る主役級ヒーローの視点からそれぞれの話を展開する、オムニバス形式の作品でもある。
中国のhaolin(リ・ハオリン)監督を起点に始動したこのプロジェクトは、アニプレックス等との協力により日中合作を実現。複数言語での同時制作を行い、世界規模での展開を目指している。
「日中合作」と表現したように、日本チームの仕事は単なるローカライズに留まらない。日本国内での展開に向けた各種ディレクションや、日本人アーティストへの劇伴依頼など……。類稀なグローバル体制のもと、TO BE HERO Xは公開に至った。
このような一大プロジェクトであるにもかかわらず、日本国内における同作の認知度は高いとは言えない。プロジェクト始動の際に公開されたコンセプト―ムービーは150万再生を超えたものの、以降の再生回数は右肩下がり。視聴者向けの投票企画などでも、TO BE HERO Xのタイトルを見ることはほぼ無い。
2年前に公開されたコンセプトムービー。同作の象徴的ヒーロー「X(エックス)」のアクションを中心に構成されている。
私自身、同作を知ったのは放送開始直前だった。相応にアンテナを張っているつもりの私でこの状況なのだから、世間一般での浸透していなさは想像に難くない。
せっかくの日中合作であるというのに、その片割れたる日本で認知すら危ういという現状。日中の分断は根深いと嘆くべきか、広報の失策であると咎めるべきか。何であれ、私はこの状況を率直にもったいないと感じる。なぜなら、日中合作という能書きを差し引いても、同作が非常に挑戦的で面白い作品だからだ。
今回の記事は、TO BE HERO Xという作品の概要、その特異な演出方法などを中心に紹介していく。
ストーリー・世界観
異彩を放つヒーローたちが喝采を浴びる世界。
ここでは、「信頼」がスーパーヒーローを生み出す。
人々が「彼は空を飛べる」と信じれば、その男は飛行する能力を手に入れる。
逆に特殊な力を持つヒーローでも、信頼を失えば能力もまた失われる。
信頼はデータとして集計され、その数値によってヒーローのランキングが変動する。
2年に一度、トップランクのヒーローたちが集い繰り広げるヒーロートーナメント。
そこでのパフォーマンスによって「信頼値」が更新され、ランキングは再構築される。
ランキングの頂点に立つ絶対的なヒーロー、
人はそれを「X」と呼ぶ――
信頼がヒーローを生み出す世界
haolin氏は、「人からの信頼」こそがヒーローをヒーローたらしめるものだと語る。そんな価値観の延長で生み出されたのが、「信頼システム」を中心に構築される世界である。
TO BE HERO Xの世界では、信頼がヒーローを生み出す。人からの信頼(ニュアンス的には「イメージ」程度の捉え方でもよい)が彼らに超能力を与え、時には奪う。
有力なヒーローの多くは企業所属で、現実世界における芸能人のような側面も持っている。ツリーマングループ所属のヒーロー「ナイス」は、バラエティやCM出演を通して「完璧なヒーロー」のコンセプトをアピール。仮面のヒーロー「魂電」は、フィギュア展開や興行を通して特撮ヒーロー的なイメージを売り込んでいる。ヒーロー達は各々の戦略で信頼を獲得し、より強力なヒーローとなることを目指すのである。
「誰でもヒーローになれる」という前向きな側面と、「信頼に翻弄される人々」というアイロニカルな側面。この二面性こそがTO BE HERO X全体のテーマ性であり、作品全体の雰囲気を作る要素となっている。
信頼によって縛られるヒーロー達
ファンから集めた信頼値はヒーローを強くし、超常の力を与える。一方で、強固になった信頼は彼らの行動にも影響を及ぼす。
3話「不屈のヒーロー」には、ランキング10位のヒーロー「スタンド」が登場する。スタンドの能力は、その名の通り決して倒れないこと。世界一重い岩を持ち上げるための支柱になれるほど凄まじいパワーを得た彼は、その代償として倒れることができなくなる。屈んだり転がったりといった所作ができず、眠ることすら困難になっているのだ。
人々が信頼の中に孕んでいるイメージ・先入観・願望。その力が強まるほど、ヒーロー達はその振る舞いが制限されていく。ファンの視線によりその行動が規定されるという部分は、社会学におけるドラマツルギーの考えに通ずる部分がある。
信頼システムに対するヒーロー達の態度も多種多様だ。信頼に応えようとする者・自由を求める者・より多くの名声に縋る者。信頼システムの中に身を置きながら、彼らは「自分がなりたかったものは何か」と自問自答する。求められる役割と自らのギャップに悩み、克服していくのが全体に共通するストーリーラインだ。
独自の演出プラン
haolin氏が創出した新たなヒーロー像。TO BE HERO Xは、ヒーロー達の多様な在り方を「スタイル横断型」という独自の試みによって表現している。
この章では同作独自の演出や、その制作体制について触れる。
「スタイル横断型」とは何なのか?
「スタイル横断型」というのは、まるで聞き馴染みのないワードだ。まずはその概要について軽く触れていく。
簡単に説明すると、TO BE HERO Xは2Dと3Dという二つのスタイルを融合させている。さらに、2D部分は主役となるキャラクターごとに異なるスタジオが担当。つまり、2D*10+3Dを一つの作品にまとめ上げて表現するというのが、スタイル横断型の正体である。
こればかりは見てもらう方が早いだろう。本記事の冒頭で紹介したコンセプトムービーのショート版を貼っておく。
アクションの中で、2Dと3Dが頻繁にスイッチしているのが分かるだろう。これこそが同作のコンセプトである。
2D・3Dの両方を主役とした作品づくり
近年では、2Dと3D両方を使用する作品は珍しくない。アクションシーンでモーションキャプチャを用いた「メダリスト」や、寄りのカットのみ2Dに切り替えていた「BanG Dream! It's MyGO!!!!!」などが分かりやすい。それらもまた「融合」と言えるかもしれないが、TO BE HERO Xはその中でもやはり特異な作品である。
TVアニメ「メダリスト」の例。モーションキャプチャを使用し、滑らかな動きとカメラワークでの表現を見せた。
他の作品において、2Dと3Dの間には明確な境界線がある。「アクションシーンのみ3D」「寄りのみ2D」とあらかじめ定義し、その境界線が目立たないよう少しずつ馴染ませていく。
一方、TO BE HERO Xの2D/3Dには境目というものが無い。その場その場で適した方を選択し、会話劇やアクションの中ですらスイッチさせる。
特に凄まじいのは、2D/3Dをほとんど同じ解像度で見せてくる点だ。
コンセプトムービーにもそのようなカットがある。Xがヒーローの姿に変身するシーンだ。右半身はヒーロー姿のXを2Dで、左半身は変身前のXを3Dで表現している。変身後と前の姿を異なるスタイルで描くことで、より「特別な存在への変容」という事象が強調される。素晴らしい演出だ。
こういった演出は非常に難度が高い。2D/3Dではそもそもの頭身や色彩にズレがある上、イラストとモデルの解像度や動きが合わなければどちらかが浮いてしまうからだ。
ほとんどのアニメは、2Dと3Dのキャラが同カットに共存することを避ける。共存せざるを得ない場合、どちらかを奥に配置して片方にしかピントが当たらないようにするなど、馴染ませるための対応が必要だ。しかし、このアニメはすすんで二つのスタイルを共存させ、あまつさえ一つの技法に昇華させている。
「2Dアニメ」でもなければ「3Dアニメ」でもない。新しい姿のアニメーションを目指したのが、TO BE HERO Xという作品だ。
最後に
今回は、TO BE HERO Xの大まかなストーリー、及び演出部分について取り上げた。
同作は全24話で構成されていると思われ(現在Blu-ray情報で判明している話数が24まで)、現在はまだまだ序盤戦の段階。私自身も、まだまだその全貌を掴めていない。しかし、この作品には最後まで見届ける価値があると確信している。初めて同作を知った読者はもちろん、普段3Dアニメを敬遠する層・中国アニメを忌避する層にもこの作品が幅広くリーチすることを願う。
この作品が不朽の名作となるか、志半ばの怪作となるか。それもまた、ファンの信頼次第なのかもしれない。
以上
参考文献
1.spoon.2Di vol.121
https://2di.theshop.jp/items/105659976
2.CGWORLD +digitalvideo vol.322
https://cgworld.jp/magazine/cgw322.html
3.月刊ニュータイプ 2025年6月号



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