過去を背負って街頭へ出る 国政復帰を目指して歩む平坦ではない道
記者コラム「多事奏論」 オピニオン編集部記者・田玉恵美
その日、島村紀代美さんは名古屋から東京行きの新幹線に乗り込んだ。愛知県日進市の市議として、厚生労働省に相談したいことがあった。
だが心細い。自分が頼んで国が動いてくれるのか。地元選出の国会議員の顔が思い浮かんだ。応援したことはなく特に親しくはないが、知らない仲でもない。
思い切って携帯を鳴らすと、相手は愛知へ戻る新幹線に乗っていた。「わかった。降りてすぐに東京へ引き返す」
議員と落ち合い、説明した。障害のある未就学児が通う市の施設から、自前で給食を作るための調理室がなくなってしまう。外から持ち込まれる給食で、そしゃくが難しい子のために食材を細かく刻むなどの配慮が行き届くか心配だ。
一緒に厚労省へ行くと、議員は島村さんも気づかなかった法的な問題点を的確に伝えた。国から市への通知に安全確保を求める一文を盛り込む算段がついた。
選挙で票になる話でもないのに、予定を変更させてごめんね。帰り道で島村さんは謝った。「いいんだよ。私はこれが国会議員の仕事だと思っているから」
10年以上前、山尾志桜里氏が1期目の衆院議員だった頃の話だ。去年の夏に聞き、意外な気がして印象に残っていた。
過去の重み
その山尾氏が参院選で4年ぶりの国政復帰をめざした。紆余(うよ)曲折があった。国民民主党が公認を内定すると、過去の不倫疑惑への批判がSNSで再燃する。
山尾氏は「きわめて未熟だった」「大変おごりがあった」と当時の対応をわびた。それでも説明が足りない、国会議員の資格がないと非難がやまない。党が手のひらを返して公認を見送ると、無所属で東京選挙区への出馬を決めた。
「決してあきらめない精神力は政治家向き。類いまれな能力もある。応援する人も増えていくでしょうね」。久しぶりに連絡すると島村さんはそう言った。ただ、解けないわだかまりがあるという。
2017年の総選挙。週刊誌報道の直後で、そのときも山尾氏は離党して無所属になっていた。大逆風のなか島村さんも選挙戦を必死に支え、わずか834票差で接戦を制する。しかしその後、山尾氏は地元に戻らなくなった。
「国政の大きな課題を優先したのかもしれないけれど、避けているようにも思えた。弱い立場の人のために動いてくださる山尾さんが変質してしまったと感じ、とても残念だったんです」
言葉を交わす
いったん民間に戻っていた山尾氏が、過去を背負って選挙をどう戦うのか。気になって街頭演説を幾度か見に行った。
各政党が減税や給付を競うなか、女性天皇容認や憲法9条2項の改正を中心にすえ、国の土台を整えようと訴える。地道に市民活動をする人たちを盾になって支えたいと語る姿には、島村さんから聞いたかつての情景もにじんだ。足を止め言葉を交わす人が少しずつ増えていく。
最終盤の夜の新宿に、演説後の山尾氏と話し込む男性がいた。帰宅途中の32歳のエンジニア。対米依存をやめつつ国を守るには軍拡しかないのか。そんな話をしたという。「自分とは意見が違うことがわかったので山尾さんには投票しません。でも議論できたのがよかった」
山尾氏が信頼を取り戻せるかはわからない。それでも、有権者が考えを深めるために対話の扉を開くのは候補者の大事な務めだろう。
32人が7議席を争い、16位で落選した。10万6230人が投票用紙に山尾氏の名前を書いた。
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