以前、本欄で米トランプ政権のハーバード大学への攻撃に関する記事を書いた(参照記事:トランプ政権がハーバード大学を弾圧する本当の狙い 米国)。トランプ大統領が攻撃を加えているのは、ハーバード大学だけではない。60以上の大学が攻撃の的になっている。
その表面的な理由は、イスラエル・ハマス戦争に反対する学生が、ユダヤ人学生を差別したり、攻撃したりしたとされるが、大学はユダヤ人学生を守れなかったというものである。同時に、トランプ政権は大学の入試や採用、昇進で「DEI(多様性、公平性、包括性)」の基準を設けているのは、白人に対する逆差別だと、大学を批判している。
エリート大学は教員の多くがリベラル派であり、保守派の学者が排除されているとも非難し、保守派の教授の採用を増やすように大学に要求している。さらに踏み込んで、政府の大学に対する監視を強化する方針も打ち出している。その要求に答えない場合、政府の助成金や研究契約金を凍結するなど、厳しい政策を取っている。
イスラエル・ハマス戦争に最も激しく抗議したのがコロンビア大学の学生であった。トランプ政権は同学を「反ユダヤ主義を許した」と激しく攻撃した。多くの大学の中で最初に屈したのが、コロンビア大学である。同学は7月24日に2億2000万ドルの罰金を3年間にわたって政府に支払い、政府の要求を全面的に受け入れることを決めた。これによって同学は凍結されていた4億ドルの助成金などの支払いが行われることになる。さらに入学と採用でのDEI基準の撤廃も約束した。
大学新聞の『Columbia Daily Spectator』は「大学側は入学を許可された学生と拒否された学生の両方について、人種、GPA(成績評価)、標準化テストの成績などの入学データを連邦政府に開示することに同意した。また学生ビザを保持する学生に関し、退学や停学処分といった、下された全ての懲戒処分を連邦政府に提供することにも同意した」と書いている(7月31日、「Columbia will pay $220 million in deal with Trump administration to resume federal funding」)。コロンビア大学の完敗である。
これに対してハーバード大学は、法廷闘争を続けるという声明を出している。そのため、トランプ政権は同学に対して助成金の凍結にとどまらず、非課税措置の撤廃、留学生の受け入れ資格の停止など、さらに厳しい要求を突き付けている。ただ連邦地方裁判所は、政府の措置に対して「差し止め命令」を出し、現在も連邦控訴裁判所で係争が続いている。
ここまでは多くのメディアが報じているところである。だが、リベラル派よりも、トランプ大統領を支持する白人の保守主義者の方が、はるかに「反ユダヤ主義的」である。「反ユダヤ主義」は、大学を攻撃するための方便だ。トランプ大統領は最大の支持層である保守派のエバンジェリカル(福音派)の要求を受け入れて、リベラル派の教授が大半を占めるエリート大学を攻撃しているのである。
エバンジェリカルは高等教育に対して批判的だ。また彼らは伝統的な家父長的な家庭観を持ち、中絶やトランスジェンダーに対して否定的な態度を取っている。エバンジェリカルは『聖書』は神の言葉だと主張し、そこに書かれていることは全て真実だと主張して、進化論は創世記に反するという理由から否定している。
ただ主流派プロテスタントは、『聖書』は歴史的な文書として取り扱うべきだと主張し、進化論を支持している。歴史的に言えば、主流派プロテスタントとエバンジェリカルを分断したのは進化論を巡る解釈の違いである。
エバンジェリカルは、神は男性と女性の「2つの性(binary)」を作ったのであり、それ以外の性(non-binary)は存在しないと主張している。従って「LGBTQ」は容認しないのである。トランプ大統領が政府機関でのDEIに基づく採用や昇進を禁止し、公立学校でのDEI教育を禁止したのも、エバンジェリカルの主張が背景にあるからだ。
特にトランスジェンダーに対する攻撃は激しい。性は「男」と「女」しかないという大統領令も出している。大統領令で、トランスジェンダーの女性トイレの使用禁止や、女性スポーツへの参加を禁止している。エバンジェリカルは中絶や避妊の非合法化も要求している。最近では、一部のエバンジェリカルは最高裁の判決を覆して、同性婚を非合法化すべきだと主張している。
現在、公立学校ではLGBTQに関する書籍が図書館から排除されている。『PEN America』の調査では、2022年から23年の間に3362冊の本が図書館から排除された。保守派の強いフロリダ州では、1406冊の本が図書館から排除されている。『アンネの日記』も性的な内容が含まれているという理由で、生徒に読書を禁止している学校もある。
さらにエバンジェリカルは、高等教育はキリスト教教育を否定し、宗教の世俗化を進める役割を果たしていると考えている。リベラルな大学は、エバンジェリカル(キリスト教)の価値観を否定し、進歩的な価値観を学生に教えていると主張している。エバンジェリカルは進化論だけでなく、気候変動もリベラル派の陰謀論であり、『聖書』の教えに反すると主張している。トランプ政権が化石燃料の活用を主張したり、クリーン・エネルギー予算を削減したのは、こうしたエバンジェリカルの主張を反映したものだ。
米国では政教分離の原則に基づき、公立学校での礼拝や聖書教育、聖書輪読会は禁止されている。キリスト教の布教では、学校での宗教教育は重要な役割を果たしてきた。だが公立学校での宗教教育が禁止されたことから、エバンジェリカルはキリスト教系の私立学校やチャータード・スクール、ホーム・スクールを増やして、キリスト教教育を推し進めている。
トランプ大統領が「学校選択の自由」を主張するとき、それは公立学校からキリスト教系の学校、キリスト教を教えるチャータード・スクール、ホーム・スクールに公的資金を使って、児童生徒を転校させることを意味している。
さらにエバンジェリカルが高等教育を忌避する理由に、経済的な理由がある。エバンジェリカルの多くは白人労働者であり、経済的に恵まれていない。彼らは、高騰する授業料は「大学生を搾取する手段」だと考えている。また自分たちはインテリ層に軽蔑されているという、強い劣等感を抱いている。さらに米国には伝統的に「反インテリ主義」があり、知識層に対する根深い不信感がある。
こうしたさまざまな要因が重なり、エバンジェリカルの高等教育に対する不信感を作り出している。トランプ大統領のエリート大学攻撃は、エバンジェリカルの主張を受け入れたものなのだ。
米国の悲劇は思想的、政治的な対立が公立学校の現場で起こっていることだ。宗教やイデオロギーは人々の視野を狭くする。それに政治が絡むことで、さらに複雑な問題を引き起こす。トランプ大統領は、対立を加速する役割を果たしているのである。