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コートジボワール日誌

在コートジボワール大使・岡村善文・のブログです。
西アフリカの社会や文化を、外交官の生活の中から実況中継します。

戦争と平和の間

2009-08-01 | Weblog

マンでの仕事を終え、アビジャンへの帰路も、国連機の便をお願いしておいた。ヘリコプターは、マンの国連基地から離陸する。基地に入り、司令部に挨拶に向かう。ここに駐留するのは、バングラデシュからの派遣部隊。基地司令は、カヒル少将といった。

作戦図の張り出された部屋に通され、カヒル司令官から、コーヒーと山盛りのフルーツ皿を勧められた。私が、いやもう搭乗の時間が近いですから、と遠慮する。司令官は、なに貴方が乗らないとヘリは飛ばないのだから、まあゆっくりしていけばいいですよ、と随分と鷹揚なものである。私は、どうですか、こちらの勤務は、と話をつなぐ。
「なあに、軽いもんです。マンの人々は親切だし、とても協力的です。」

そうはいっても、この西部地域は、リベリアあたりから流れてきた、武装勢力の残党がいるわけでしょう、治安維持の任務は、けっこう大変でしょう、と私。
「これしき何の苦労もありません。治安の問題といっても、せいぜい強盗や追剥のたぐいだ。われわれが出ていくと、連中、逃げていきますよ。ものの数ほどでもない、バングラデシュでの仕事に比べればね。」

自国での任務のほうが、ここより大変なのだというのも、驚いた話だ。よくよく聞いてみたら、彼はバングラデシュ辺境部の、反政府勢力に対する掃討作戦に従軍していたという。
「彼らは、こっちにむかって撃ってきますからね。常に銃を構えて、相手を見つけ次第狙撃しなければ、こちらがやられる。激しい撃ち合いを繰り広げていました。5年間が、毎日その調子ですよ。それに、どこに行くにも難渋するまったくの密林地帯です。あっちに比べれば、こちらはだいたいちゃんと道路がある。車で回れるわけですから、楽なものです。」

世界各地で活躍する、バングラデシュの平和維持部隊の、強靭さの所以を知った。自国で実戦を経験しているのだから。
「それに、平和維持部隊の任務だって、他の場所に比べたら、楽なものです。十数年ほど前にボスニアに出たときは、えらい目に逢いました。ビハチで、2ヶ月間孤立したのですよ。」
何と、この司令官は、1994年にボスニアのビハチで、国連平和維持活動が経験した、あのさんざんな苦労の証人であった。ビハチ包囲をはじめとする「安全地域」での出来事は、国連平和維持軍の限界を如実に示したものとして、歴史に記憶される。

ビハチ(Bihać)という場所は、ボスニア・ヘルツェゴビナの地域の北西部にある、ムスリム人の町である。まわりをセルビア人地域にすっかり取り囲まれ、ぽつんと残ったムスリム人居住地区であり、セルビア人の軍事勢力からの攻撃を受けていた。国連の安全保障理事会は、こうした離れ小島になったムスリム人地区を6か所ほど、「安全地域(safe area)」に指定して、その住民保護のために国連保護軍(UNPROFOR)を派遣していた。

この「安全地域」という任務には、大きな限界があった。「安全地域」と国連が命名しても、そこに派遣された平和維持軍には、そこでの「人権状況の監視」の任務しか与えられず、「安全」を保障する権限がなかった。つまり、その「安全地域」のムスリム人を攻撃したり迫害したりするセルビア人に、国連側は武力で対抗する手段を許されていなかったのである。その背景には、国連はあくまでも紛争当事者に対して中立でなければならない、という考え方があった。軍として駐留しながら、住民を保護するのに武力が使えない。そんな机上の議論は、現場では通用しない。このことは、のちに1995年、「安全地域」に指定されていたスルブレニッツアで、8千人のムスリム住民が虐殺されるのを、国連側(オランダ軍)がいながら、みすみす傍観するしかない、というやるせない悲劇をもたらしてしまう。

ビハチでも、ムスリム人の町がセルビア人勢力に完全に包囲されており、国連は「安全地域」に指定した(安保理決議824)。そこに派遣された平和維持軍のなかに、バングラデシュの部隊も加わっていたというわけなのだ。ところが、1994年11月に、ボスニアのセルビア人勢力の攻撃を阻止するために、NATO軍がセルビア人の陣営への爆撃を開始すると、それに対抗して、セルビア人勢力が、ビハチに駐留する国連平和維持軍の兵員たちを孤立させ、いわば人質にとったのである。

「2ヶ月の間、3百人のバングラデシュ部隊は、補給に困難をきたして、じゃがいもとトマト缶ばかり食べて、しのぎました。われわれの任務は、ビハチに残るムスリム人たちを、セルビア人側からの迫害から守ることでした。しかし、セルビア側をわれわれの側から攻撃することはできません。ビハチの町を、鉄条網で取り囲んで隔離し、周りから攻撃できないようにしようとしたのですが、それでもセルビア人側は執拗に攻撃を仕掛けてきました。不幸にして、ビハチの病院は街の一番はずれにあって、セルビア人勢力の射程にありました。彼らは、病院の中の人影を狙って、狙撃してきました。バングラデシュ軍は、病院の前に部隊を配置して、いわば人間の盾になって、病院を守りました。」

セルビア人武装勢力が、ムスリム人の村々に対して行った行為は、それは酷いものだった、と司令官は述懐する。家々を襲って略奪・放火し、男性はその場で殺し、婦女子は強姦して殺していった、という。傍らで聞いていた女性の国連職員が言う。
「私にはセルビア人の友人がいるけれど、そういう話は、捏造に決まっている、セルビア人がそんな残虐になれるはずはない、と言っているわ。」

「戦争の酷いところはね」とカヒル司令官。
「平和の常識からは、およそ想像の限度を越えたことを、人間が平気でやってしまうことです。そんなこと、自分の目で見なければ、絶対に信じられないでしょう。捏造と思いたい、そんなことがあるとは信じたくない気持ちは分ります。それは、戦争を体験したことがない幸せな人々だからです。現実の戦争は、残念ながら冷酷無比なものです。ビハチで、それが繰り広げられており、その現場を私たちは目にしました。」

私も、コソボに行ったとき、出会うセルビア人もアルバニア人も、普通の常識を持った、普通に親切な人々だった。こういう人々の間で、本当に殺し合いになったのだろうか、と思ったものだった。しかし、実際に土地を掘り返すと、何十人と埋められた死体があった。戦争というのは、作り話ではない。人間の残酷さも、作り話ではない。そして、戦争と平和の間に、共通の常識はない。 

 バングラデシュ部隊の駐屯地

 カヒル司令官

 平和のために働く

 ヘリはロシア軍部隊が運航

 上空から見た、マンの国連部隊基地


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