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コートジボワール日誌

在コートジボワール大使・岡村善文・のブログです。
西アフリカの社会や文化を、外交官の生活の中から実況中継します。

相互扶助と自立

2009-07-31 | Weblog
マンに出かけたときに、食事の席で一緒になった人たちとの会話である。一人は、スレイマンさんで、「コートジボワール人権運動」というNGOの事務局長をしている年配の男性。もう一人は、ウワタラさんで、マンの婦人たち50人ほどで結成している、「婦人の自立と開発のための組合」を運営している、40歳くらいの女性である。ウワタラさんの組合の名前に入っている、「自立(autonomie)」という言葉から、話題が発展した。

(スレイマンさん)「ヨーロッパでは、もう18歳くらいになれば、親元を離れるだろう。ところが、このアフリカの土壌では、子供がいつまでも独立しない。ひとつは、子供は生まれたときから共同体の一部だからだ。つまり、働けるようになったら、畑に行って、あるいは店に出て働く。そのかわり、そうしている限り、食いはぐれることはない。一人で自活して、自分で自分の将来を考えなければ、ということがない。それに、親も親で、いつまでも子供の面倒を見ようとする。家を与え、財産を譲ることを考える。だから、息子の側も、それをあてにして、いつまでも親を頼る。」

(ウワタラさん)「この辺りの村々では、そういうわけには行かなくなっているわ。この10年の動乱で、そんな長閑な共同体生活が、崩れてきているのよ。両親や祖父母や叔父さん叔母さんまで皆一緒に暮らしていたのが、ちりぢりになったり、他の地域から移民が流れ込んできたりして、かなり混乱してしまった。一人ひとりが自分の面倒に一生懸命になって、他の人たちのことを、考えられなくなってしまった。つい先週も、ある婦人が水を汲みに行って、井戸に落ちてしまったのよ。彼女は一生懸命叫んだけれど、なんと2日間も誰も助けに来なかった。誰も彼女が失踪したことに気付かなかった。ほとんど死にかかっていたところを、ある子供が発見して皆で助け上げた。こんなこと、一昔前だったらありえない。夕食に誰かが帰ってこなかったら、もう心配で、皆で大捜索よ。」

(スレイマンさん)「とにかく、自分の人生は、自分で責任をもって拓かなければならない、というのが、現代社会なのだ。コートジボワールでも、どんどん社会の現代化が進んでいる。それなのに、人の心が付いていっていない。もう、周りには期待できなくなってきているのに、周りの誰かが何とかしてくれる、と考えている。自分で頑張らなければという気持ちがない。一番問題なのは、「備える」ということ、「貯蓄する」ということに、まったく思いが至らないことだ。今日手に入ったお金は、今日の必要に使ってしまう。来年や、将来のことを見越して、しっかり貯めていくということが出来ない。」

(私)「病気とか、事故とか、不測の出費というのがあるでしょう。日本だったら、若い夫婦など、子供の学費の積み立てで、一生懸命ですよ。家だって、ときどきは修理しなければならないだろうし。そういうお金を積み立てておくとか、しないのですか。」

(スレイマンさん)「ああ、まったく、そういうのは駄目だ。何か大きな出費の必要が生じたら、周りのみんなが集めて出してくれるというのが、当たり前だったからね。といっても、田舎の村々では、病気になったら医者に行くんじゃなくて、森に行って薬草を摘んで煎じて飲む、それだけだから、お金も要らないわけだ。ましてや、子供の教育にお金が要るなどと、考えもしない。現代生活では、長期的に見通しを立てて動かしていく必要があることが、たくさんある。車を買えば、定期点検とか。機械を使えば、機械の維持管理とか。でも、そういうところでも、村の生活の感覚を引きずったままなのだ。」

(私)「そういえば、うちの大使館が入っているビルの維持管理も、ひどいですよね。ビルの所有者ならば、設備の定期的な更改を考えるべきなのに、電気系統も給水排水も換気も建設した当時のままだから、ひどいもんです。エレベーターなど、がたがたの旧式で、しょっちゅう故障しているので困っています。」

(ウワタラさん)「古い共同体の生活に頼るのでなく、独立自立を考えなければならないのは、婦人たちも同じよ。穀物や衣類など、生活に必要なものを、夫や周りのみんなに頼っているだけでは、だんだん不安になってきた。自分で家計を管理する必要を、皆ひしひしと感じている。ところが、村の婦人たちは、ほとんどが字が読めないし、数字のことができない。私の生活協同組合で、そういう読み書きや計算といった基礎教育を始めている。村のご婦人がたは、自分のへそくりから受講料を払ってでも、皆熱心に学ぼうとしています。」

それは、嬉しいような悲しいような話ですね、と私。コートジボワールの人々が、自立に目覚めて、自己啓発に努めるとしているのはいいことだ。でも、そこには、村の共同体の相互扶助がだんだん覚束なくなってきているから、という背景があるのかもしれない。ここでは皆、日本のような国や社会にあこがれるけれど、少なくともコートジボワールでは、年に何万人も自殺者が出ることはないし、死亡して1カ月以上も発見されない、というような事件はまだないわけだから。

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